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世界最強猫と私  作者: ひなたひより
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第40話 狭間の怪物

 忠雄の怪我は擦り傷程度のものだった。

 家に戻ってきた恭子は頬を紅く染めて、忠雄の手当てを無言でしていた。

 手当てしてもらっている忠雄も同じく真っ赤になって目を泳がせている。お互いにそういったものが溢れ出しているのが、二匹の猫の目には見えているみたいだった。

 忠雄が帰ってから、恭子はミースケとトラオから、あの怪物のことを聞かされた。

 最後にミースケが退治したあの怪物は特別な存在であり、どちらの世界にも属さない狭間の世界から来た厄介な相手だとミースケは言った。


「狭間の世界って?」

「ああ、表と裏の間の世界さ。そこには本来何もないんだけど、おかしなものがいることが分かった。俺とトラオは奴のことを闇の猟犬(ケルベロス)と呼んでいる。そいつがあの絶対者の開けた穴を利用して、こちら側に入り込んできたんだ」

「トラオと同類のあの怪物が通って来た穴だね」

「恐らく奴の本体は別にある。さっきのは分離して偵察していた奴だ」

「あんなのがまだいるっての?」

「ああ、そういうことだ」


 軽くそう言ったミースケは、あの戦いであちこち怪我をしていた。

 どれも大したものでは無かったが、波動で身を包んだミースケにダメージを負わせるほどの怪物だった。

 何故あの怪物にそれができたのか、ミースケは簡潔にその問いに答えてくれた。


「それは、あいつが俺と同じく、波動を扱うやつだからだよ」


 ミースケは痛めた個所をべろべろ舐めながらそう説明した。そして、その波動が自分の扱うものと全く異なる波動だということも。

 この世界にはこの世界の波動がある。ミースケと恭子が扱う波動はこの世界に自然と存在するものだ。

 しかしあの怪物は狭間の世界の波動を操る。それは昏く、この世界の波動と全く異なる波動だ。

 ミースケの波動と怪物の波動はまるで反対で、お互いに打ち消し合う作用がある。そのためミースケの体に、相手の攻撃がいくらか届いていたのだった。


「ねえ、ミースケ、あいつが現れる前に電柱が歪に曲がっていたじゃない。あれはどうしてなの?」


 恭子はあの時起こった超常現象の説明を求めた。

 その質問にはトラオが応えた。


「あれはあいつの波動が、この世界自体に物理的な影響を与えるからさ」

「波動が? どういうこと?」

「あいつの波動は厄介なんだ。もともとこの世界にあるミースケの波動と違って、異界から来たあいつの波動はこの世界を浸食してしまうんだ」

「浸食すると電柱が曲がったりするの?」

「電柱というよりも、空間を浸食したというのが正しいかな。あいつの波動の干渉を受けると、空間がダメージを受けるんだ。あれの存在自体がこの世界にとっての猛毒なんだ」

「そんな厄介な奴なんだ……」


 そんな相手にミースケは対抗していけるのだろうか。

 恭子はふと強い不安に襲われた。

 この世界で無敵を誇っていたミースケ。

 得体の知れない闇の使者に、恭子はミースケの身を案じてしまうのだった。



 強敵との闘いから一夜明け、恭子は学校で一時間目の授業を受けていた。

 何度も欠伸をしてしまうのは、昨日あまり眠れなかったからだった。

 あの宿無しのキジトラを泊めてやったのだが、いつの間にか恭子の足元に忍び込んできて、足の上に体重を預けて寝ていた。

 二匹の猫に乗られて眠るというのは、猫好きにとってなかなか贅沢で光栄なことではあるのだが、足元のモフモフを蹴飛ばしてしまいそうだったので、気になってなかなか熟睡できなかった。

 そしてミースケは、無断で布団に入り込んだトラオと朝から喧嘩していた。

 人恋しいトラオと、恭子を独占したいミースケは、互いに相容れない関係だった。

 そんな些細なことよりも、恭子の頭の中からは、依然として如月カトリーヌのことが拭い去れていなかった。

 やはりミースケの秘密を探っていそうな雰囲気が、カトリーヌには窺えた。

 授業中、恭子は斜め前の席に座るカトリーヌの背中をじっと見つめる。

 あれからなんとなく話し辛くなって、挨拶程度しか口をきいていない。

 忠雄の件もあったが、ミースケのことを知られたら難儀だった。このまま興味を失ってくれればいいが、それはあまり期待できないだろう。

 そんな恭子の予想は的中していた。カトリーヌは直接的ではなく、周囲の者を巻き込んで、恭子の猫の話題を広め始めたのだった。


「ねえ、学校でうろうろしている猫って、片瀬さんの猫なんだって?」


 普段あまり話をしない、別のグループの子からもそう聞かれて、恭子はますますどう答えていいのか分からなくなった。

 そして生徒たちの中には、校内でミースケを目撃したことのあるものが、少なからずいたことを恭子は知ったのだった。

 恐らくカトリーヌは、話を大きくすることで圧力をかけつつ、同時に情報収集しているのだろう。

 そしてさらに面倒なことに、ミースケが二本足でプールサイドを歩いている動画が流れたのだった。

 ことが大きくなると、ミースケが普通ではないと皆に知られてしまう可能性がある。

 特異点であるミースケは好奇の目にさらされ、この世界で居場所を失ってしまうだろう。

 恭子にとってかけがえのないミースケを、何としてでも守ってやらなければいけなかった。



 放課後、部活が終わって帰ろうと校門に差し掛かると、忠雄は当たり前のように恭子を待っていてくれた。


「ごめんね。待たせちゃった?」

「ううん。もう全然。たった今来たところだから」


 実は恭子は忠雄が時間を図書室で潰して、自分を待ってくれていることを知っていた。

 プールでの活動が始まってから、少なくとも三十分以上水泳部は活動時間が長くなっていた。


「ごめんね」


 感謝を込めて、それだけ言って、二人は校門を出た。

 そしてしばらく歩いて、珍しく忠雄の方から話しかけて来た。


「ミースケのこと、噂になってるね」

「野村君の耳にも入ったんだね」

「うん。如月さんが最初に広めて、そこからは噂が独り歩きし始めているみたいだ」

「うん……」


 深刻そうな表情の恭子に、忠雄は落ち着いた声でひと言こう言った。


「この件は僕に任せてくれないかい?」

「え?」


 突然の申し出に、恭子はしばらくその言葉の意味を理解できなかった。

 忠雄はいつものように、恭子の方をあまり見ることの出来ないまま、どういうことなのかを教えてくれた。


「僕はミースケに大きな借りがある。この機会に彼に恩を返したいんだ」

「でも、どうやって?」

「もう青写真は頭の中に出来てある。片瀬さんは何も心配しなくていいからね」


 不思議と忠雄にそう言われると、恭子の気持ちがスッと楽になった。

 この頼りなさげな少年が言うことに嘘はない。そして彼なら、一度言ったことを必ず成し遂げる。恭子にはそんな確信があった。


「でもどうやって、ミースケのことを諦めさせるの?」

「将棋と一緒だよ。まあ僕に任せておいて」


 あまり視線を合わせられない純情な少年は、珍しく男らしい台詞を吐いて胸を張って見せた。心配そうな顔をしていた少女を笑顔にしたくてそうしたのだろう。

 恥ずかし気な少年のその行動は、本当に少女を笑顔にしたのだった。

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