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世界最強猫と私  作者: ひなたひより
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第38話 君に真実を

 六月の雨。

 とうとう梅雨入りを気象庁は発表し、水泳部にとって試練の日々がスタートを切った。

 気温は二十度。水に入るどころか。水着になるのも嫌だったけれど、恭子は練習を休まずに泳ぎ切った。

 ガチガチ歯を鳴らせながら、やっと温水のシャワーで生き返った。

 さっきまでブルブル震えていた美樹も、やっと少し血の気の戻ってきた顔色で弱音を吐いた。


「恭子、私、明日休もうかな」

「私も休みたいよ」


 美樹と恭子は、お互いの顔色の悪さをけなし合いながら、プールを後にした。

 校門の前には傘をさして待っている人影。

 一途に恭子に想いを寄せる少年、野村忠雄だった。

 恭子は小走に忠雄のもとへと向かう。


「お待たせしました……」


 恭子はまた少し赤くなる。

 美樹はまた気を利かせて、先に帰って行った。

 忠雄の黒い傘と恭子の水色の傘が並んだ。


「野村君、ごめんね。こんな雨の日なのに」

「ぼ、僕は全然。それより寒くなかった?」

「今日はホント辛かった。泣きそうになった」

「僕だったら泣いてるだろうね。やっぱり片瀬さんは凄いよ」


 忠雄はいつも恭子のことを、身の丈以上に褒めてくれる。

 気恥ずかしいので、その辺りは控えめにして欲しかった。

 一緒に帰り始めてもう二週間が経つ。

 ぎこちないながらも、少しだけ落ち着いて話ができるようになってきた。

 恭子は傘に当たる雨粒の音を聴きながら思う。

 本当にこのままでいいのだろうかと。

 何も聞かずにただ寄り添ってくれるこの少年に、都合がいいからと何も話さないのは、いけないことなのではないだろうか。

 彼にだけはすべてを話した方がいいのではと、真剣に思っていた。

 恭子は少年の横顔を時々見る。

 少年はその度に、恭子に向けていた視線を逸らす。


「あ、雨、続きそうだね……」

「うん。そうだね」


 あまり会話の続かない二人の前に、雨の降る中、一匹の茶色い中型犬が現れた。

 首輪をしている。どこかの家から脱走してきたのだろうか。

 こちらの方にゆっくりと歩いてくる。

 なんだか嫌な感覚。もしかするとこの犬は……。

 犬は威嚇するでもなく、真っすぐに恭子の方に歩いてきた。

 その時、恭子の前に忠雄が一歩進み出た。


「片瀬さん、ゆっくり下がって」

「うん」


 強まる雨の中、茶色い犬はさらに近づいてきた。

 ジリジリと下がる二人に合わせるように、犬はにじり寄って来た。

 恭子の背筋に冷たい汗が流れた。


 そうだ。きっとこいつは。


「逃げるんだ!」


 突進しようと構えた犬に立ちはだかるように、忠雄は傘を投げ出し大きく手を広げた。


「野村君!」


 その時、雨粒を切り裂くように、小さな影が犬に向かって飛び掛かった。


「ミースケ!」

「フーッ!」


 犬の横っ腹に蹴りを入れて吹っ飛ばすと、そのまま間髪入れずにあのマシンガンキャットブローを犬の顔面に叩き込んだ。


「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ!」


 バシバシバシバシバシバシバシ!


 波動のパンチを連続で受けて、顔の部分が大きく変形した犬は、グラリとのけぞった。

 そしてミースケの右手から、閃光を放つ波動が打ち出された。


 ドン!


 大きな音がして、犬の胸部に大きな穴が開いた。

 

「キィーーーーー!」


 真っ黒な底知れない穴の中に、犬の体はあっという間に吸い込まれていった。

 振り返ったミースケは、乏しい表情の中で、心なしか安堵しているように見えた。


「ふー。やっと終わった」


 雨の中で濡れるのを気にしながら、ミースケは二本足で歩いてきた。


「少年よ、なかなか勇敢だったぞ」

「あ、うん、ありがとう……」


 しゃべる猫にとまどいつつも返事を返した。なかなかの大物だった。


「さて……」


 ミースケが次に何をしようとしているのか、恭子は知っていた。

 呆気にとられている忠雄とミースケの間に、恭子は割って入った。


「待って、ミースケ」


 ミースケは足を止めて蒼い目をしばたかせた。


「野村君に乱暴しないで」

「一発だけだよ。すぐに済む」

「野村君に手は出させない」


 恭子の真剣さは、恐らくミースケにも伝わった。


「私、野村君には本当のことを話したい。きっと彼なら秘密を守ってくれる」


 ミースケは雨に濡れたヒゲを気にしながら、口元にあの独特な笑みを浮かべた。


「良く言ったキョウコ。とにかく家に帰ろう」


 そして濡れたミースケを抱き上げた恭子は、傘を投げ出したためずぶ濡れになってしまった少年と、肩を並べて歩き出した。



 取り敢えず濡れてしまった服を、今日の授業で使った体操着に着替えて忠雄は正座していた。

 初めて入る女の子の部屋。忠雄には妹がいたので、妹を異性とカウントした場合は、初めてでは無いことになる。

 しかしその部屋が憧れの片瀬恭子の部屋だということに、忠雄の緊張は増幅されているようだった。

 薄い座布団の上に正座して、ピクリとも動かない少年とは対照的に、ずうずうしいおしゃべりな猫は、ダラダラとベッドの上で寛いでいた。


「まあ、足を崩せよ。少年」

「いえ、お構いなく。このままで大丈夫です」


 何だかやたらと態度がデカい猫と腰の低い少年だった。


「お待たせしました」


 濡れた髪を乾かした後、お茶とお菓子を持って、恭子は部屋へと入って来た。

 私服の恭子を目にして、忠雄は紅くなりながら、背筋をさらに伸ばした。


「こ、この度はお招きいただき、ありがとうございました」

「なに? なんか来賓のスピーチみたい」


 ガチガチに硬くなっている忠雄の緊張をほぐしてやろうと、恭子は軽く冗談を言った。


「まあ、温かいお茶でも飲んで」


 急須から湯飲みに煎茶を注いで忠雄に勧めた。


「い、頂きます」


 グイといった。


「熱っ!」

「そりゃ熱いよ。ゆっくり飲んでね」


 とにかく落ち着きのない忠雄に恭子は苦笑し、自分も湯飲みを手に取った。

 フウと息を吹きかけて、一口飲んだ後、恭子は少年に話し始めた。


「ごめんね。野村君、今まで黙ってて。もうはっきり見ちゃったとは思うけれど、ミースケは普通じゃないの」

「うん。勇敢で凛々しい、尊敬に値する猫だ」

「そう見てもらえるのは、とても光栄なんだけど、そうゆう話じゃなくって実はミースケは……」


 それから熱いお茶が完全に冷めるまで、恭子は話した。

 ミースケが特異点であること。あの怪物のこと。なぜ自分が狙われていたのか、ここにいないトラオのことも含め、これまでのいきさつも、全て忠雄に明かした。

 忠雄は恭子の話を真剣に聞いていた。

 恐らく恭子の口から出た言葉なら、どんなことでもこの少年は信じるだろう。

 おおよそ話し終えて、恭子は大きく息を吐いた。


「大体こんな感じかな。信じ難いかもだけど、本当のことなの」

「し、信じ難くなんてないよ。片瀬さんの言うことなら疑いっこない」

「ありがと。そう言ってくれて嬉しい」

「僕の方こそ、話してくれてありがとう。これからはもっと精進します」

「そのことなんだけど、少年よ」


 ベッドで寛いでいたミースケが、ようやく話に入って来た。


「とりあえずは今日のやつで最後みたいだ。トラオが残り一匹だって言ってたから間違いないと思う」

「え? じゃあもう大丈夫ってこと?」

「まあそうなる。色々キョウコを見てくれてありがとな」

「そうか。これで片瀬さんは安心なんだ」


 忠雄は心底ほっとしたようにそう言って、冷たくなったお茶に口を付けた。

 恭子もそれを聞いてほっとしたが、明日からこの少年と一緒に帰れないと思うと少し寂しかった。


「ねえ、ミースケ、本当にもう大丈夫なの?」

「ああ、トラオの感覚は鋭くってな。こっちに入って来た向こう側の世界のものをすべて察知できるんだ」

「そっか。じゃあ元通りの生活ってわけだね」

「そうなる。気兼ねなく楽しんでくれ」


 にゃー。


 窓の外に丸っこいシルエット。

 キジトラのトラオだった。

 恭子は置いてあったタオルを手に取ってから、窓を開けてやった。


「あーあ、こんなに濡れちゃって」


 びしょびしょのキジトラを恭子はゴシゴシ拭いてやった。

 トラオは恭子に拭いてもらいながら、そこでかしこまっている忠雄に目を向ける。


「あれ? なんでこいつがここにいるんだ?」

「ああ、紹介するね。こちら野村君。そんでこちらがトラオ。仲良くね」

「野村忠雄です」

「トラオです」


 二人ともきちんと頭を下げて名乗り合った。

 トラオはミースケよりかは几帳面みたいだ。


「そんなことより、ちょっと困ったことが起こった」


 トラオは珍しく切羽詰まった感じだった。ミースケは耳をピンと立ててトラオの話に耳を傾ける。


「どうやら、また奴が現れた」


 ミースケのヒゲが、ビビビと動いた。

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