第36話 カトリーヌの疑惑
野村忠雄と片瀬恭子が一緒に帰っているというのは、思春期の中学生の間でたちまち話題になった。
当然のことながら、その噂は如月カトリーヌの耳にも入っていた。
如月カトリーヌは、どう考えても釈然としないこの一連の成り行きの理由を見いだすべく、繰り返し思考を巡らせていた。
どう考えても自分に惹きつけられていた野村忠雄が、ああもあっさりと片瀬恭子に傾いたのは合点が行かなかった。
確かに片瀬恭子はそこそこ魅力的な女生徒に違いない。
敢えて言うなら、まさに今、自分達がただ中にいるローティーンの快活さが彼女には溢れていた。
まっさらなあどけない少女の眩しさが彼女にはあり、そのしなやかで柔軟な未成熟さが、彼女の持つ魅力であると言えるのは間違いない。
だが、カトリーヌはそんな当たり前の魅力など、全く寄せ付けないものが自分には備わっているのだと普段から自負していた。
小学校の高学年あたりから、自分は男たちの視線を集めている。自分は他の同級生たちとはまるで違う特別な容姿をしているのだと、そう自覚していた。
中学生になって、いつしか確信に変わった自分の容姿について、全く疑うことなく、その自信は決して揺らぐことはなかった。
それなのに……。
もう何度か、カトリーヌは二人が仲良さげに下校しているのを目撃していた。
あれほど焚き付けてきていた三宅詩音も、そのことを口に出さなくなった。
つまりは、野村忠雄が片瀬恭子とステディな関係であると認め、カトリーヌに向けていたと主張していた熱い視線は、ただの勘違いだったと暗に認めたということだった。
カトリーヌはあの二人のこと以上に、そんな友人の意識変化が我慢ならなかった。
絶対的な美少女であった自分の偶像が、彼女の中ではそうでは無くなってしまっている。如月カトリーヌはそれほどモテているわけではない。そう思われていると認めるのが、プライドの高いカトリーヌの強いストレスになっていた。
あまり他人に、特に女子には関心を毛ほども示さないカトリーヌが、本腰を入れて恭子のことを調べ始めたのは、そういった動機からだった。
なぜ自分ではなく野村忠雄が片瀬恭子を選んだのか。
もともと理解できないことをそのままにしておくのが嫌いな性格も手伝って、カトリーヌは恭子に深入りし始めた。
学校には監視カメラがいくつか設置されていた。
治安上の問題で取り付けられているカメラは、実際のところ、誰にも確認されることもなく、ただの飾りのようなものだった。
記録されては上書きされていくハードディスクに残っている映像に、カトリーヌは目をつけた。
生徒会役員のカトリーヌは、普通なら入ることのない管理室の部屋に、清掃を名目に入り込み、片瀬恭子と野村忠雄が急接近したであろうあの放課後の情報を集めていた。
そしてカトリーヌは、プール前に設置されたカメラに注目していた。
プールのフェンスには目隠しが設置されていたので、中の様子は僅かにしか映っていなかった。
しかしフェンスの外の映像は鮮明に記録されており、あの忠雄がバケツの水を被った映像も残っていた。
「これね……」
カトリーヌはこれをきっかけに二人の仲が急接近したのは知っていたので、その劇的な一場面を見ても、ため息を吐いただけだった。
汚い水を被った忠雄に、恭子があたふたしながら謝っているのを冷めた目で見ていたカトリーヌだったが、その画面の中に映っていた別のものに注意を引き付けられた。
「猫……」
更衣室の屋根の上、ぎりぎりカメラの画角に収まっているその隅っこに、一匹の猫がいた。
その猫はじっと恭子を見つめているように見えた。
そう言えば最近、猫を見かけたというクラスメートがいた。
おそらくこの猫がそうなのだろう。カトリーヌは学校に迷い込んだのか住み着いているのか分からない猫の存在を確認した。
「フーン」
しばらく興味深げに画面を見ていたカトリーヌだったが、すぐに飽きたのか映像を飛ばして翌日の様子を画面に出した。
音声の入っていない映像だけなので、なんの臨場感もないただの退屈な映像だった。
昨日のようなハプニングもなく、カトリーヌは退屈な映像に大あくびをした。
「ん?」
カトリーヌはまた更衣室の屋根に、昨日の猫がいるのに気がついた。
「プールを根城にしてるってこと?」
画面の端に映り込んでいるその猫は、広角のレンズの影響で独特な歪みで引き伸ばされていて、ずいぶん不恰好に見えた。
「今度、見に行ってみようかしら」
そうつぶやいたカトリーヌは、猫が屋根沿いにスーッと移動し、画面の外に消えてしまったのでがっかりした。
なんの変化もない映像で、あの猫だけが唯一の俳優だったのに、いなくなってしまってはこれ以上見る価値のない代物だった。
「うーん」
カトリーヌは余りの退屈さに大あくびを一つして、この辺りでもう引き上げようとしかけた。
その時、画面の端の方で動きがあった。
水泳部の部員が数人バタバタと走って画面を横切っていく。
皆何かに慌てているような様子だ。
「あれ?」
カトリーヌはその後、そこに信じられないものを見た。
何かがすごい勢いでフェンスまで飛んでいってぶつかったのだ。
「え? なに、何あれ?」
かなり分かりにくいが、何かおかしなものがプールサイドの床に横たわっていた。
その何かをデッキブラシを持った三人ほどの男子部員が取り囲む。
一体なんだろうと目を凝らすカトリーヌの目に、さらなるおかしなものが飛び込んできた。
「うそ…」
画面の外から飛び出してきたのはさっきの猫だった。
空中で前足を伸ばして、その横たわっているものに飛び掛かっていった。
そして不思議なことに、男子部員に囲まれていた得体の知れないものは、跡形もなく消え去っていた。
そしてさらに不思議なことが起こった。
「どういうこと……」
その猫は二本足で着地していた。
そして悠々と二本足のまま歩いて画面から消えていった。
「これは一体……」
片瀬恭子について調べている最中、思いがけないものを見てしまったカトリーヌは、まるで理解が追いつかないまま、とりあえず自分のスマホに、画面の隅を悠々と二本足で歩く猫を録画しておいたのだった。
翌日、カトリーヌはあのプールで何が起こったのかを調べようと、話を聞いて回った。
カトリーヌが調べたところ、あの日の放課後、プールから聴こえて来た女子の悲鳴を、大勢の生徒たちが耳にしていた。
何かあったのかとプールに駆け付けた者は数人いたが、水泳部の部員たちは普通に掃除をしていただけだったという。
それだけなら悪ふざけてしていただけと考えただろうが、カトリーヌはあの映像を見てしまっていたので、さらに水泳部の男子に何が起こったのかを聞いて回った。
しかし皆一様に、ただ掃除をしていただけだと言い、女子の悲鳴については蛙がいたからだろうと片付けられたのだった。
ただ、一番最初に駆け付けた男子生徒が、必死にフェンスにしがみ付いていたのを何人かが目撃していた。
そのフェンスにしがみ付いていた男子生徒は野村忠雄だった。
絶対にあの日、あそこで何かが起こった。
恐らくあの猫は片瀬恭子と何かしらの関係があるに違いない。
カトリーヌは鋭い嗅覚で、きな臭い事件の臭いを嗅ぎつけ始めていた。




