第32話 蛙との対決
定期テストの結果が戻ってきた恭子は、答案に苦い顔を向けていた。
中の上辺りを維持していた恭子の成績は、中の中に落ち着いていた。
予想通りの芳しくない成績に、帰ったら嫌味を言われそうだと気が重かった。
成績がこうなった原因は、それもこれもあの趣味のせいだった。
あのおしゃべりな猫教官に教わった波動の扱い方を、毎日のように練習していたので、勉強が若干疎かになっていた。
スマホに浸かっている友達が多い中、恭子は誰にも公表出来なさそうな波動をマスターするのに時間を費やしていた。
そして最近では練習の甲斐あって、色々出来るようになってきていた。
ミースケのように波動を操れるわけでは無いけれど、波動を発動させるのも早くなったし、飛ばした波動の命中精度も上がった。
そんで、こんなのもできるんだから。
恭子は開いた窓の外に人差し指を向けて狙いを定めると、小さな波動を撃ち出した。
飛び出した波動は、十メートル程先にあった楓の葉に命中し、青葉をはらりと落とした。
ざっとこんなもんよ。
指先にふっと息を吹きかけて、ちょっと得意げな顔をしてみた恭子だった。
放課後、ホームルームを終えて席を立とうとしていた恭子に、美樹がまたちょっとしたお節介を焼きに来た。
「ねえ、野村君さ、テストで満点取ったらしいよ。しかも化学で」
難解なテストで学年唯一満点を取った忠雄の噂は、恭子の耳にも入っていた。
恭子は初めて聞いたそぶりで美樹の話に乗ってやる。
「すごいね。私なんて半分も分からなかった」
「あれは才能ありね。恭子も今から唾つけときなさいよ」
「なんか、打算的ね。美樹ってそんな目で男子を見てるわけ?」
「なによ、恭子のためを思って言ってんのに」
「嘘だね。絶対面白がってるだけだし」
美樹の話を適当に聞き流しながら、また今日も掃除の続きをするためにプールへと直行した。
今日も蛙に怯えながら、デッキブラシを掛けなくてはならない。
恭子は憂鬱な気分を払拭出来ないまま、体操服に着替えて更衣室を出た。
何だか生臭い臭いのする抹茶色のプール。
昨日半分くらいこすり終えたので、今日は残りの半分をみんなで頑張る。
男子はそこそこ楽しんでやってる感じだが、女子は美樹以外はみんな嫌がっていた。
美樹は蛙を手掴み出来るらしい。
「なにビビってんのよ。蛙なんてどうってことないって」
デッキブラシを手にしたままプールに入るのを躊躇っていた恭子に、美樹が気合を入れた。
「昔は食用だったって聞いたよ。鶏肉みたいな味なんだって。腿の辺りなんか食べ応えありそうだよ」
「やめてよ。私が嫌がってるからわざと言ってんでしょ」
「フフフ、そうよ。今日も恭子をビビらせてやるんだから。そんでまた野村君が駆け付けてきたりして……」
「ホントに怒るわよ」
「冗談よ。さて始めるとしますかね」
まだ誰も入っていないプールに、美樹は率先して入って行った。
ひざ下まで抹茶色の水に浸かってデッキブラシをドボンと突っ込む。
「ねえ恭子、昨日どの辺りまでやったんだっけ」
「そうね、半分よりちょっと手前ぐらいだったような……」
最後まで言いかけた時に、美樹の背後をスーッと泳ぐ生き物の姿が目に飛び込んできた。
汚れた水でその全貌は判然としないが、恐らくそれは蛙だった。
それにしても……。
美樹の背後を悠々と滑らかに泳ぎ回る蛙らしき生き物は大きすぎた。
恐らく五十センチくらいはあるに違いない。いや、足を伸ばした状態ならその倍くらいはあるのではないか。
「美樹! 後ろ!」
「なによ、私は蛙になんてビビんないっての」
「いいから後ろ見て!」
「なんなのよ……」
振り返った美樹は流石に仰天していた。
「なに? デカすぎじゃない?」
「いいから早く上がって!」
慌ててプールから上がろうとする美樹に、巨大蛙は真っ直ぐに向かっていった。
身の危険を感じたのか、美樹は必死でデッキブラシを振り上げて、蛙に向かって勢いよく叩きつけた。
硬いゴムを叩くような音がして、デッキブラシは弾かれて美樹の手から飛んで行った。
「助けて!」
恭子はとっさに足からプールに飛び込んでいた。
すぐに美樹の背後にいる怪物に向かって構えると、波動を撃ち出した。
ドン!
波動は美樹の脇をかすめて飛んで行ったが、陰に隠れるように移動した蛙には命中しなかった。
波動に警戒しているのか、蛙は美樹を盾にするかのように恭子との間合いを取った。
真っ直ぐ打ち出しても、あいつには当たりそうもない。
それなら。
恭子は体の向きを変えて構えると、ミースケに習ったばかりの技を撃ち出した。
波動をボールのように練ってから撃ち出すあの技だった。
恭子の手から放たれた波動のボールは、一度プールの壁に当たってから大蛙の体に勢いよく命中した。
大蛙の体が衝撃で宙を舞った。
その場にいた水泳部の部員たちは、体長一メートルほどのお化け蛙を目撃した。
「キャー!」
女子部員が一斉に悲鳴を上げた。
プールサイドにあるフェンスまで、お化け蛙は弾き飛ばされていった。
派手な音を立ててフェンスにぶつかった蛙は、仰向けになったまま四肢を痙攣させていた。
「なんだ? えらいもんが出て来たぞ」
怖いもの見たさか、男子部員がお化け蛙を取り囲んでデッキブラシでつつき始めた。
「あんたたち! そいつから離れて!」
恭子だけは知っていた。
そいつはただの大蛙ではないと。
恐らく、いや間違いなく、先日対峙したあの怪物と同じものであるのだろうと。
にゃー。
猫の声がした。
「ミースケ!」
更衣室の屋根の上。
蒼い目を輝かせて世界一強い猫が怪物を見降ろしていた。
「フーッ!」
電光石火というのは、こういうことを指す四字熟語なのだろう。
まさしく一瞬でミースケは跳躍し、息を吹き返した怪物に向かって波動を乗せた猫パンチを放っていた。
怪物の腹に真っ黒な穴がぽっかりと開いた。
「キーーーーーーッ!」
また耳に残る嫌な音を立てながら、怪物はその穴に吸い込まれていった。
「ごめん。ちょっと遅くなった」
ペラペラしゃべりながら二本足で歩く猫に、部員全員が腰を抜かしている。
堂々とみんなの前で、こうしておしゃべりしているってことはつまり……。
恭子はこれから起こることを想像して顔をしかめた。
「キョウコ、ちょっと目を瞑っててくれ」
そう言った後、ミースケは部員全員を次々と張り倒したのだった。




