第21話 猫と孫とおばあちゃん
ミースケはおばあちゃんに可愛がられていた。
なかなか取り入るのが上手いミースケに、ひょっとして自分もそうされているのかもと、恭子はふと思ってしまった。
その真意を探ろうとしばらく眺めていたが、おばあちゃんの膝の上で丸くなって喉を鳴らす姿からは、何も窺い知ることは出来なかった。
こっちへ来て二日目。
猫好き家族に愛されて、ミースケは快適なお魚ライフを愉しんでいた。
滅多に食べられないお刺身を、ご飯の度におばあちゃんから貰って、それはもう満足に違いない。
というよりも、自分で満足だと言ってた。
「たまんないよ。もうキャットフードに戻れないかも」
来て早々、舌を太らせたミースケに、今の間だけだとくぎを刺しておいた。
食い物に釣られて、おばあちゃんちの猫になると言い出さなければいいが。
やたらと美味しそうに刺身を食べているミースケに、余計な心配をしてしまうのだった。
潮風がいつも感じられる漁港の町。
特にやることも無いので、恭子はおばあちゃんの手伝いを率先してやった。
おばあちゃんはマメに体を動かす人だったけれど、病気でしばらく入院していたせいで、何をするのもけっこう疲れるみたいだった。
これはもう普段部活で鍛えてる孫の出番でしょ。
おばあちゃんについて回って、手伝ってあげると喜んでもらえるし、ちょっと美味しいものを奢ってくれる。
おばあちゃんのあとを恭子がついて回り、恭子のあとをミースケがついて回る。なんだか自然にトリオになって今日は買い物に来ていた。
ちょっと寂れた商店街。
昔は賑わっていたであろうその通りには、シャッターの閉まった店舗が目立っていた。
そんなに人の流れはなく、はっきり言って活気はない。
だからこそゆったりと買い物が出来そうだと言えた。
鮮魚店の前を通り掛かると、おばあちゃんは足を止めた。
「あんたにまたご馳走しなきゃね」
私に言ったのではなくて、今のはミースケに言ったみたいだ。
孫を通り越して猫を可愛がってるのに、ちょっとだけ妬けた。
「恭子ちゃんはどうだい? 魚ばっかりは嫌かい?」
「ううん、こっちにいる時は毎日魚でいい。私もお刺身大好きだし」
「そうかい、じゃあ今日は何にしようかねえ」
店先で魚屋の店主とおばあちゃんは、世間話を混ぜながら会話をする。
これがおばあちゃんの日常か。
穏やかで何気ないどこか懐かしい世界。
普段自分が暮らしている日常は、時間に追われて慌ただしくって、周りに人も大勢いて気遣いも多い。
ミースケが昨日訊いてきた、この世界が好きかという質問に、おばあちゃんとこうしているこの穏やかな日常だけが自分の世界ならば、好きと答えるかも知れない。
潮風の匂いを嗅ぎ、波の音を聴いて、砂浜で猫と戯れ、おばあちゃんについて回って荷物を持ってやる。
自分もそうだけど、お父さんもお母さんも、日常の仕事や雑事に追われることもなく、のんびりとここで過ごしている。
ミースケも美味しいものにありつけて幸せそうだ。
「ねえミースケ」
おばあちゃんが鮮魚店の店主と話し込んでいる間に、ミースケにこっそり話しかけた。
「おばあちゃんちの猫になったりしないよね」
「もちろんさ。俺はキョウコといつも一緒だよ」
「もう、可愛いんだから」
期待していたとおりの答に、抱き上げたミースケをギューッと抱きしめてやった。
「なあキョウコ」
「なに? ミースケ」
「せっかくこっちへ来たし、お土産買って帰ってやれよ」
「ああ、美樹にね」
「ああ、そっちもだけど、ほら、あいつにもさ」
腕の中でなんだかいやらしい顔をしていたので、ミースケが何を言いたいのか分かった。
「いったい何なの? また私と野村君をくっつけようとしてるでしょ」
「おや? あいつとは言ったけど、野村君と言った覚えはないが」
猫にまんまと誘導されてしまった。
「ミースケの馬鹿!」
いきなり大きな声で猫と喧嘩し始めた孫娘に、おばあちゃんと鮮魚店の店主はびっくりしたみたいだ。
「にゃー」
「あんた、あとで覚えてなさいよ」
都合が悪くなり、人の言葉を話さなくなったミースケを、恭子はしっかり睨んでやった。
買い物が終わって、おばあちゃんは恭子をこの商店街に一つだけある喫茶店に連れて行ってくれた。
昔からずっと変わらない、ちょっと昭和の匂いがする喫茶店。
くすんだ色の壁紙はオレンジに白の水玉模様で、時代を感じさせるデザインであり、見方によっては斬新でもあった。
サイフォン式で淹れたコーヒーの匂いが漂う店内で、紅茶とホットケーキを注文して、二人で溶けたバターと甘いシロップの味を愉しんだ。
一昨年までは、おじいちゃんとおばあちゃんが恭子をここに連れてきてくれた。
亡くなったおじいちゃんはここにはいないけれども、おばあちゃんとこうして食べるホットケーキはとても美味しかった。
毎年夏には、ここで冷たいかき氷を食べていた。
いつまでも変わらず続くと勝手に思っていた景色は、少しずつ黄昏を迎えて変わって行ってしまうのだ。
だからこそ、こうして祖母と孫娘が味わっているこの甘さは、尊いものなのだろう。
おばあちゃんは白い湯気の立つティーカップに口を付けた後、目を細めて口を開いた。
「明日、帰っちゃうんだねえ」
「うん」
「また、夏に来てくれるかい?」
「うん。きっと来る」
おばあちゃんはもう一口カップに口を付ける。
「今度はかき氷だねえ」
「うん。そうだね」
また誰かがコーヒーを注文したのだろう。
思わず深く吸い込みたくなるようなサイフォン式コーヒーの匂いが、二人のテーブルまで香って来た。




