第19話 壁の穴
ゴールデンウィークに入った。
やっと始まった長い休日に、心躍らせているのは恭子だけではない。
相変わらず朝目覚めると胸の上で眠っているこの新参者の猫も、恭子が休みに入るのを待っていたようだ。
「おはようミースケ」
「おはようキョウコ」
グーッと伸びをして恭子の顎のあたりを肉球が押してくる。
それもなんだかちょっと気持ちいい。
どうして気持ちいいのかは理屈ではない。
猫好きは猫を触るのを気持ちいと感じ、猫に触られるのも気持ちいいと感じるものなのだ。
ミースケの大きな欠伸を、恭子はちょっとした幸福感を持って眺める。
「今日から集中特訓だって言ってたよね」
「ふぁあー、そうだよ特訓あるのみだ」
特訓とは例の特訓のこと。
波動を扱う感覚をいきなり掴んだ恭子は、もっとミースケに色々教えてもらいたくて、この日を楽しみにしていた。
何だかいきなり奇抜な特技が出来てしまって、実は若干興奮していた。
毎日ちょっとは練習しているものの、部活のある日は帰ってくるのが遅くて大して練習できていなかった。
既にやる気満々の恭子は、胸の上のミースケをどかせて、さっさとベッドから出た。
そしてカーテンをザッと開けると、そこにいた思いがけないものと目が合った。
「ワッ! びっくりした」
窓の外には、こちらを覗き込むようにして鋭い目を向けているキジトラ猫が座っていたのだった。
恭子は興味津々でキジトラを窓越しに観察する。
「この辺りの猫じゃ無さそう。ひょっとしてミースケの友達?」
なかなか立派な体格のキジトラだった。首輪をつけていないし、何となくやさぐれているので野良猫であろう。
「ああ、ちょっとした知り合いなんだ」
ミースケは恭子に窓を開けてもらうと、ピョンと跳び上がって外に出て行った。
猫同士どんな付き合いをしているのか興味は尽きないが、窓の外を見渡してみても二匹の姿はもう無かった。
知らない猫と出て行ったミースケに、置いていかれた恭子はちょっとしたジェラシーを感じてしまったのだった。
「なによ。私と出掛けるんじゃなかったの」
猫同士の付き合いというのは、相当あっさりしているものなのだろう。
朝食の最中に、ミースケはにゃあと一声鳴いてから、恭子の膝の上に跳び乗って来た。
トラ猫をあっさりフッて自分の所へ戻って来たミースケを撫でまわし、ちょっと多めにお裾分けしてやる。
「よしよし。もう用事済んじゃったの?」
「にゃー」
この感じは話はついたみたいだった。
「知らない間に友達作ってたんだね。また今度紹介してよ」
「にゃー」
どうやらイエスと答えている感じのミースケは、ゴロゴロと喉を鳴らして恭子のあげたベーコンを器用に食べ終えたのだった。
食事を終えて、早速ジャージに着替えた恭子に、ミースケは声を掛けてきた。
「キョウコ。申し訳ないんだけど予定変更だ」
「え? 特訓しないの?」
「ああ。優先順位が先の案件が出来てしまったんだ」
中学生の恭子にはちょっと硬い表現をミースケはした。
「先に何かやっておかないといけないってこと?」
「そうゆうこと。悪いんだけど、財布を持って俺に付いて来てくれ」
「私、あんまし財布にお金入ってないよ」
「ああ、そんなに要らない。五百円くらいは入ってるんだろ」
ミースケが一体何を買おうとしているのかを教えてもらえないまま、恭子はミースケに指示されて、自転車でホームセンターへとやって来た。
以前、忠雄の押す自転車の籠の中で寛いでいたミースケだったが、今回は走っている自転車の前籠なので乗り心地はいまいちだっただろう。
「ここで何を買うの?」
「ああ、あっちのコーナーに行ってくれ」
ミースケを抱きかかえた恭子は、周りに聞かれないように小声で話しながら、テープ類のコーナーにやって来た。
「それをひと巻き買ってくれ」
「ガムテープ? これが欲しかったの?」
何か理由があるに違いない。店内であまり会話するべきではないと考え、言われるがままガムテープを購入した。
そして詮索するのは後にして店を出た。
「ねえミースケ、これで何をしようっていうの?」
「穴を塞ぐんだ。まあ行けば分かるよ」
そしてそこからさらに自転車に乗って、盛り場の雑居ビルがある界隈までやって来た。
あまり女子中学生がうろつく所ではなかったが、午前中の明るい時間帯で、さらにボディーガードのミースケもいたので、特に不安は感じなかった。
車を吹っ飛ばすミースケに勝てる人間は恐らくいないだろう。
少し薄暗い細道を入ると、そこに一匹の猫が座り込んでこちらに鋭い目を向けていた。
「あれ? 今朝の猫じゃない?」
「ああ。そうだよ」
なかなか体格のいいキジトラはこちらを一瞥すると、ゆうゆうとさらに細い路地の方に歩いて行った。
その背中には、まあついて来いよといった感じの風格がある。
背中で語るというのは、こういった感じなのだろう。
恭子とミースケはキジトラのあとに続いて、さらに人があまり入って行かなさそうな路地を進んでいく。
恭子はやや緊張してはいるものの、先程から前を歩くキジトラの太い尻尾が気になって仕方なかった。
歩くたびに軽くスイングする太い尻尾は綺麗な縞々で、タヌキみたいだなと変なところに萌えていた。
あとで触らせてもらえないだろうか。恭子がそんなことを考えているとは知りもせず、キジトラはゴミの積まれた路地にピョンと跳んで入って行った。
「ここを通れっての?」
「ああ、みたいだな」
恭子は出来るだけ足場の良さそうなところを探して、通路を塞ぐゴミを踏み越えていく。
「なんだか変な匂いがする」
「ああ、おしっこと何か他のものが混ざった臭いだな」
「げっ! そうなの? とても中学生の女子が踏み込んでいくところじゃないよ全く……」
恭子はブツブツ不満を呟きつつ、キジトラの見上げている壁のところまで来た。
丁度恭子の背より少し高い位置に穴のようなものがある。
しかし壁に穴が開いているというよりは、何かモヤモヤした黒いものがそこに貼り付いている。そんな印象であった。
「穴って言ってたのってこれのこと?」
「ああ。そうなんだ、また変なところにあけやがって……」
「それでどうするの? このガムテープを使うってこと?」
「ああ。頼むよ。俺の手はこんな感じだから、そういった作業に向いてないんだ」
「そうか。そんで私の手を借りたかったんだね」
恭子は、大体直径三十センチ程度の穴らしきものをガムテープで塞いでいった。
「隙間を作らないようにな。丁寧にやってくれ」
「現場監督みたいね。ところでそこのキジトラちゃんは何でここのこと知ってたの? なんだかその子もただ者じゃ無さそうなんだけど」
「ああ、それはまたあとで話すよ。それより今はそっちに集中してくれ」
ミースケに言われた通り、ピッチリ隙間なく、壁の穴らしきものをガムテープで塞ぎ終えた。
その出来栄えに、ミースケとキジトラはウンウンと何度か頷いた。
「なかなかいい出来だ。素早く綺麗に仕上がった。流石キョウコだ」
「そりゃどうも。でも穴を塞いだけどガムテープだよ。頼りなくない?」
「仕上げは俺がやるから心配ないよ」
ミースケはニタリとあの笑いを浮かべた。
「キョウコ。俺を穴の高さまで抱えてくれないか」
「うん。これでいい?」
「もうちょい上。そう、そこでストップ」
ミースケは丁度胸の高さが塞がれた穴の中央になるよう微調整した。
「ここで波動を使ってガムテープに結界を施す。ちょっとデリケートなんでそのまま動かないでくれ」
ミースケは両手を前に伸ばして波動を流し始めた。
以前、廃倉庫で見せたあの感じとは違い、ゆっくりと水のようにミースケの肉球辺りから波動がガムテープに向かって流れていた。
光の帯のような物が恭子には見えていて、それが目視できることに感心していた。
ちょっとミースケの重さに辛くなってきた頃合いで、どうやら処置は終わったみたいだ。
「終わったの?」
「ああ、終わった。一見普通のガムテープみたいだけど簡単には破れないぐらいの波動をまとわりつかせておいた。これで大丈夫だと思う」
「ふーん、そんでこの穴って何だったの?」
「話せば長くなりそうだ。取り敢えずこの変な匂いのする所から出ていかないか?」
「賛成」
そして恭子はミースケを抱いたまま、狭い路地を後にしたのだった。
あのヘンテコな穴を塞いだあと、恭子はミースケと波動を扱う訓練をみっちりやってから帰宅した。
慌ただしい一日を終えた恭子は、夕ご飯を食べ終えてからお風呂に入った後、すぐにベッドでへたり込んでいた。
「もう今日は寝る。あ、でもその前にあのおかしな穴の正体を教えてよ」
ベッドにうつぶせに体を横たえていた恭子の背中に、ミースケはぴょんと飛び乗って来た。
そのままゴロゴロ言いながら丸くなる。
「あれは、この世界の破れた部分さ。それを修復したんだよ」
「この世界って……そんなたいそうなものだったの?」
「ああ、恭子はこの世界に開いた傷口を塞いだんだ。偉大なことを成し遂げたのさ」
「ホームセンターで買ったガムテープをベタベタ貼っただけだけど。あれってすごいことだったんだ」
「ああ、そうだよ。塞がないと大変なことになるところだった。キョウコはその手を使って、俺たちに出来ない世界の傷を癒したのさ。胸を張っていい」
「なんだかそんな気全然しない。ミースケに乗せられてる感じ」
「まあいいじゃないか。お疲れ様」
恭子は瞼が下がってくるのを止められないまま、最後にもう一つ質問した。
「ねえ、あのキジトラって友達なの?」
背中にずっしりと体重を預ける柔らかさに、恭子の眠気はいっそう増して来た。もうミースケの返事を待っていられないほどに。
「そのうち分かるよ」
寝息を立て始めた恭子に、その声が聴こえていたのかどうかは分からなかった。




