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世界最強猫と私  作者: ひなたひより
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第1話 猫、空を飛ぶ

 片瀬恭子かたせきょうこ。それが母に送り出されて、春の只中を通学する少女の名前だった。

 県立中学に通う中学二年生のその少女は、もう少しで肩に届きそうな艶のある髪と、大きく涼し気な目が印象的だった。

 また、自然と内から滲み出るような健康的な雰囲気がその少女にはあり、自分だけでなく、周りも元気にしてくれそうな明るさが感じられた。

 小学生のような、あどけなさの残る明るい雰囲気の少女は、頬にあたる春風を感じながら歩く。

 春色に揺れる樹々の隙間から降り注いでくる明るい陽射し。

 視線を少し上に向けると、少し散り始めた桜の花びらが、すうっと少女の前を斜めに通り過ぎていく。

 この時期以外、あまり普段気にもかけられない通学路は、春の装いに彩られて、通学する生徒たちの前でドラマティックな様相を見せつける。


「ね、おはよう」


 トン、と背中を軽く叩いて横に並んだのは同じ部活の友達。

 水泳部に所属している友達の中でも、彼女が一番仲が良かった。

 島津美樹しまづみき。それが、このいつも笑顔の眩しい友人の名だ。

 恭子よりも短めの髪は、少し巻き毛で癖がある。きりりとした目元と頑固そうな口元に、この少女の性格が表れていた。


「ねえ恭子、化学の課題やってきた?」

「えっ、また?」


 聞き返したのは、一年の時も課題が終わらず、ノートを見せてくれとせがまれたことが度々あったからだ。

 苦手なのは承知しているが、特に最近、恭子に頼りきっている感じがありありと見え始めていた。


「申し訳ないけど、ご名答。だって葛城先生いっつも平気で難問を押し付けてくるじゃない。解答間違ってたら嫌味言われるし、傷つくわけ。そこであんたの登場って訳よ」

「私を当てにしてサボってるの知ってるんだからね。今日は見せてやんない」

「そう言わずにお願いよ。あ、肩揉んだげる」


 美樹は恭子の背後に回ると、首の付け根から肩にかけての部分に手を当てた。そして絶妙な力加減でグイグイやり始めた。


「お客さん、大分こってますねえ」

「真面目に課題やったからよ。美樹みたいにゲームの誘惑に負けずにね」

「なに? 私の私生活覗き見してたの?」

「やっぱり。そうだと思った」


 くだらない会話を陽気に楽しむ通学路。

 公園のある住宅街を抜けて進んでいくと、やや広めの二車線の県道に出る。

 あまり車の通りも多くない横断歩道で、押しボタン式の信号機のボタンを恭子は押す。

 しばらくお待ちくださいの表示が出て、待っている間、友人に肩を揉ませる。


「どお? いい感じに解れたんじゃない?」

「そうね。美樹は肩もみだけは美味いよね……」


 揉んでもらった肩に手を当てて、心地良く首を上に反らせたときおかしなものが視界に入った。

 逆光で目を細めた視線の先の空間に、なんだか見知ったモフモフしたものが飛来していた。


「猫……」


 晴天の空を背景に浮かび上がったその姿は、紛れもなく猫のシルエットだった。

 それが何故、空を飛んでいるのかは分からない。

 それが着地しようとしている場所が、今目の前にある問題だった。


 歩行者信号は青に切り替わってる。でも……。

 どうしてこのタイミングで。


 信号が変わったのに、真っ直ぐにスピードを落とさず突っ込んでくる一台の車。

 車通勤なのだろう。何時も大体この時間帯に、勢いよく走り抜ける黒いバン。

 学生たちはそのことを知っていて、信号が青に変わってもしっかり左右を見て横断歩道を渡るように、みんな習慣づいていた。

 そして空中の猫は、このままだと横断歩道の中央辺りに着地してしまいそうだった。

 咄嗟に恭子の右足は一歩前に踏み出していた。

 今朝スマホで眺めた、ミケの写真。

 脳裏によぎったのは、そんな緊迫感の欠片もない愛おしい姿だった。

 横断歩道に着地しようとしている猫に向かって、恭子は飛び出した。

 ほんの三メートルほど。

 右手からキーッというタイヤと路面がこすれる高い音が聴こえてくる。

 そちらに顔を向けず、視界に猫だけを捉えて、前かがみのまま手を伸ばす。


 届いて。


 柔らかな感触が指先に触れた。そのまま両手で抱え込み、勢いを殺さず前に走り抜けようとした。

 何もかもがスローモーションに感じられた一瞬の世界の中で、恭子は視界の隅に、光沢のある黒く冷たい車の鼻面を見た気がした。

 それはとても近くて凶暴だった。


 ドン!


 大きな音がした。

 そして恭子は信じられないものを目にした。


 空を飛んでいるもの、今日はこれで三つ目だ。


 最初は春風に吹かれて舞う桜の花びらを。

 次に、青い空を背景にどこからともなく現れた猫を。

 そして今、恭子の頭上には縦に回転しながら悪い冗談のように飛んでいく黒い車があった。

 放物線を描いていて少女の頭上を跳び越えて行った黒いバンは、ドーンと大きな音を立てて路面に落下した。そのあと出来れば耳にしたくない派手な音を立てながら、車は路面とガードレールに何度もぶつかり遠ざかっていき、やがて沈黙した。


「うそ……」


 目を丸くして路上に立ち尽くす恭子の腕の中で、柔らかな感触がある。

 そして少女は、腕に抱えた少しずっしりとした猫に目を落として気が付いた。

 抱きかかえた腕の間から白い毛に覆われた小さな手が伸びている。

 そしてその伸ばされた手の先。丁度ピンク色の肉球の辺りから、ぼんやりと白い湯気のようなもの立ち昇っていたのだった。

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