表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界最強猫と私  作者: ひなたひより
19/55

第18話 昏い怪物

 日の当たらない細い路地。

 大して水も流れていない水路がくねくねと続いている。

 人は決して入って来ないような狭い通りは、特定の動物には都合のいい近道だった。

 片瀬家のある住宅街の裏手。いったい何処へ出るのか分からないような入り組んだ狭い路地裏を、一匹の猫が歩いていた。

 恭子の家に数週間前から飼われることになった猫。ミースケだった。

 ミースケは時折周囲を探るかのように髭を震わせ、耳を小刻みに動かす。

 スタスタ先を急ぐ姿を見る限り、どうやら目的があって移動中といった感じだった。

 薄暗い路地から出て来たミースケは、白くて高い塀に軽く跳び乗った。

 そしてまた、細く続く塀の上を、猫らしい見事なバランスで尾を振って歩く。

 ずっと先まで続いているこの白い塀は、この地域でただ一つだけある神社の敷地を取り巻く塀だった。

 丁度、片瀬家から路地を抜けてくると、この神社の裏手に突き当たる。

 そして人間ならぐるりと回って表門からお参りするのであるが、猫にとってはその必要などなく、一跳びで境内へと侵入できた。

 神社の境内は閑散としていた。

 ミースケはまた耳をあちこちに動かしながら、中央にある立派な神殿に足を踏み入れた。


「遅かったな」


 そう言ったのは、普段から人の言葉を話すミースケではなかった。

 やや太り気味のキジトラ猫が丸くなって、ミースケに鋭い目を向けている。

 今の声は信じられないことだが、そのキジトラから発せられたものだった。


「いいや、時間どおりだ。お前が早いんだよ」

「俺は時間に正確だ。知ってるだろ」


 どうやら待ち合わせしていた二匹は、挨拶がてらお互いの几帳面さを比べあっている。

 ミースケはキジトラと話しながら、神殿に上がる階段の一番上に座った。

 その座り方は滑稽で、まるで人間がそうするように腰を下ろし、脚をぶらつかせた。

 丸くなっていたキジトラも、ミースケの横に並んで同じ感じで腰を下ろした。


「この座り方、尻尾が邪魔だな」

「そうだな。でもまあ、俺はもう慣れたよ」


 尻尾を畳むようにして座っているミースケの尻を覗き込んでから、キジトラも真似をして尻尾を畳む。


「ほう。こうするのか。しかしこの体では無理があるな」

「俺に付き合う必要はない。お前は好きにしろ」


 小春日和の今日、神殿の階段で二匹の猫が並んで脚をぶらつかせている。

 何となくほっこりする光景だが、やはり二匹とも普通ではなかった。


「それで、そっちはどうだ?」

「ああ、まだ兆候はない。でもそろそろだろう」


 ミースケの問いかけに返事を返したキジトラは、やたらと目つきが鋭い。

 一見すると睨んでいるように見えるが、顔の模様とお日様の下で瞳孔が細くなっているのでそう見えるのだろう。

 それに比べるとミースケの模様はまだましで、キジトラよりは穏やかな目つきだった。


「なあ、それよりそっちの方はどうなんだ? ちゃんと仕上がってるのか?」


 今度はキジトラがミースケに尋ねた。


「ああ、まあ、いい感じだよ。順調だと言っていいだろう」

「そうか。いよいよだな」

「ああ。いよいよだ」


 お互いに古くから知っている者同士。そんな空気が二匹にはあった。

 ミースケはキジトラの丸っこい猫背の背中をポンと叩いた。


「引き続き頼んどくな」

「ああ、任せろ」

「それと、もしあいつと出くわしても……」

「分かってるよ。いつも通りやるだけさ」

「そうか。じゃあまたな」


 みな話さずとも、お互いの意思統一は既にできているみたいだった。

 手短な話を済ませて、ミースケは腰を上げて階段を降りて行く。


「なあ、ミースケ」


 キジトラに呼び止められてミースケは振り返った。

 階段に座ったままのキジトラは、何とも器用に腕を組んでいた。


「今回は今までのようにいかないかも知れない。お前も分かってるんだろ」


 声の感じは何となく冷たい。目つき鋭いキジトラは、何かを予感しているようにそう言った。


「ああ。分かってる」


 短くこたえてミースケはそのまま去っていった。

 その背中を見送ったキジトラは、やはり尻尾の位置がしっくりこないのか尻を何度かずらして座り直した。

 それでも納得がいかなかったのか、諦めてまた普通の猫のように丸くなった。



 明るい昼間でも、あまり日の当たらない雑居ビルの狭い路地。

 誰も好んで入って行くことのない、小便臭い裏通りのまださらに奥。

 誰がいつ捨てたのか、そこには通路を塞ぐようにゴミが積まれていた。

 明け方までその界隈で飲んでいたのだろう。グレーのパーカーを着た赤ら顔の白髪交じりの男は、狭い通路に積まれたごみの方に向かって行く。

 ここにそれ以外の用事は無いだろう。男はズボンのジッパーを降ろすと用をたし始めた。

 そしてぶるっと体を一度震わせた。

 どうやら用は済んだようだった。

 男は少しまだ酔いの醒めていないとろんとした目を、積まれたごみの向こうに向けた。

 何かが在る。

 いや、何かがいる。

 暗がりのビルの陰にある、さらに黒いわだかまりのような影。

 その正体を見極めようと男は目を凝らす。

 よく見るとその影は壁から生えているように見えた。

 影の形状はぼんやりとしていて、いくら目を凝らしてもその形状を見極められなかった。

 壁から生えているぼんやりとした昏いもの。

 そうとしか表現できない何かが確かにそこにいた。

 そして壁から生えている何かがゆっくりと形状を変えた。

 別に目や口が付いている訳でもないのだが、何故かその時、男はそれがこちらを向いた様な気がした。

 ジッパーを上げかけていた手が止まった。

 さっきまでモヤモヤと、ただ昏いものだったものが、人間の顔に変化した。

 男は一瞬で恐怖におののいた。

 慌てて後ずさろうとした男の足がふらつき、その場で尻もちをつく。

 人間の顔に変貌した昏いモヤモヤは、壁からズルリと這い出した。

 腰を抜かして立ち上がれなくなった男に向かって、それはゆっくりと近づいてくる。


「ひいっ!」


 小便で濡れたゴミの上を這って近づいて来たのは、へたり込んでいる男の姿そのものであった。

 叫び声を上げようとした男に、そのいとまを与えず、得体の知れないものは一瞬で大きく広がって男を呑み込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ