第10話 熱い少年
もうあらかた桜の花びらも散ってしまった朝の通学路。
恭子が友達の美樹と肩を並べて登校していると、背中に突き刺さるような視線を感じた。
チラと、振り返るとあの少年、野村忠雄が少し離れた所を登校していた。
振り返った恭子に忠雄は慌てて目を逸らす。
そして普通そんなところを見ながら歩かないだろという所を見て歩き続ける。
いや、分かってるから。溢れ出てるから。
少し離れてついてくる忠雄との距離は、だいたい7メートルから8メートルくらい。
5メートルでもなく10メートルでもない微妙なところが彼らしいとそう思った。
「美樹、ちょっと先行ってて」
「え? なに?」
友人にそう告げて、恭子は踵を返した。
昨日からモヤモヤさせられていたので、日が変わった今日、もう少し話せば何かしらの意思表示があるかもと思い、話しかけてみた。
「おはよう。野村君」
「おっ、お、おはよう」
まさか話しかけてくるとは思っていなかったのだろう、少年は分かり易くしどろもどろになっていた。
「昨日はご馳走様。ありがとね」
「え、いやいや、とんでもない。勿体ないお言葉です」
少年の頬はそれと分かるほど猛烈に紅くなり、また昨日のように目を泳がせ始める。
恭子はそんな少年に、昨日までとは違う関心を秘めた目を向けてしまう。
短めに刈られた髪と、まだ幼げな優しそうな顔立ち。すっとした形のいい鼻筋が特徴的と言えるだろう。
恭子はそんな少年の顔を斜めからの角度で凝視し、新鮮な気持ちで観察していた。
そこへ美樹が恭子を追って戻って来た。
「あれ? 野村君じゃない」
「ああ、島津さん。おはよう」
「なに? 恭子が野村君に用があるって、一体なに?」
美樹は親友に何が起こっているのか、興味津々で訊いてきた。
「いや、昨日ちょっとね」
「昨日? 二人に何か有った訳?」
何か余計なことを詮索してきそうな美樹に恭子が何か言いかけた時、忠雄が先に口を開いた。
「ぼ、僕が片瀬さんと! そんな恐れ多いこと、と、とんでもない」
「え? なに? 何でそんなに動揺してる訳?」
「え? ど、動揺してなんか、な、無いよ。じゃあ、僕はこの辺で」
そしてすごい勢いで通学路を走って行った。
「恭子、何あれ? あたふたしちゃって」
「さあ、どうしちゃったんだろうね……」
分かり易い。また確信を持った恭子だった。
朝一番から集会があり、生徒全員が講堂に集められた。
どうやら春休み中にあった部活の大会で、優秀な成績を収めた者が何名かいるらしい。
つまり全校生徒の前で表彰してもらえるということだ。
表彰してもらえる生徒の名を、校長が手元の用紙を見て読み上げる。
「柔道部、加藤空也君」
「ハイ」と。いい返事をして三年の先輩が前に出て行く。
続いてバトミントンダブルスの女子二人の名が呼ばれた。
そして最後に校長が読み上げた男子生徒の名前に、恭子は少し声を上げてしまった。
「将棋部、野村忠雄君」
名前を呼ばれておずおずと立ち上がった少年は、前に出て行くと、先に並んでいた三人の横に控え目に納まった。
野村君って将棋強いんだ。
将棋のことについてはまるで分らない恭子だが、表彰されるほどの実力をあの大人しい少年は持っていた。
能ある鷹は爪を隠すと言うが、彼は完璧にその爪を隠し、皆を欺いていたと言えるだろう。
順番に表彰される中、最後に表彰された、なんだかパッとしない少年に、大きな拍手が送られたのだった。
そしてその少年は前に出ている間、何度も恭子をチラ見していた。
ひょっとすると終始頬を紅くしていたのは、生徒の視線を集めたからではなく、恭子と何度も目が合ったからかも知れなかった。
「野村君すごかったじゃない」
「そうだね」
教室に戻って美樹は早速恭子に絡んでいた。
何となく関係が有りそうな二人のことを探りたい様だ。
「彼とちょっと何かあったって言ってたじゃない。教えてよ」
「ああ、彼が不良たちに絡まれてたとこに、私もたまたま居合わせたの。その時つい止めに入っちゃったんだ」
「へえ、それで?」
「お礼言われた」
「え? お礼だけ?」
「そうよ。他に何があるの?」
つまらなさそうに、美樹は自分の席に戻って行った。
余計な詮索をしたがる友人には、肝心なところを隠しておいた。
恐らく彼は私に気がある。
しかし、ひた隠しにするあの感じを見ていると、周りで騒ぎ出したりしたら思い詰めてしまいそうだし……。
やたらと純真な感じの少年の気持ちを、恭子は気遣った。
しかし、昨日将棋盤を挟んで目を泳がせていた少年が、将棋部のやり手だとは全く知らなかった。
学年別の地区大会で優勝したらしい。
まるで強そうには見えなかった少年を、今更ながら見直していた。
そして一方、表彰された少年は、未だドキドキが収まること無く、一時間目の授業を受けていた。
やった。昨日に引き続いてツキまくりだ。
片瀬さんと朝から話せただけじゃなく、片瀬さんの前で表彰された。
しかも片瀬さんから拍手をもらったし、目も合っちゃうし、いったい今日は何の日なんだ。
つまりはこういうことだった。
少年は表彰されたことについては、何一つ興奮を覚えていなかった。
大勢から拍手をもらったのも彼の記憶には全く無い。
ただ、意中の少女から拍手をもらえた幸福感が、猛烈に彼を奮い立たせたのだった。
将棋で表彰されたら、また片瀬さんの視線と拍手が僕のものに……。
そして一時間目の授業の終わりに、国語の教師が忠雄に声を掛けた。
「なあ野村、俺も将棋を少しやるんだ。対局の内容見せてもらったけど大したもんだった。次の大会もがんばってな」
「はい。死ぬ気で頑張ります!」
「おいおい、凄い気迫だな」
将棋に賭ける熱い情熱。
教師がイメージした方向性とは全く違うが、忠雄はとにかく燃えていたのだった。




