愛されなかった女
女は愛されていた。
目を合わせれば好きになり、話をすれば愛してしまう。
魅了や催眠の魔法を疑う程に、女は愛され慕われていた。
女の名前はレネルティア。
春を告げる花の名を持っていた。
その女を妬む女がいた。
目が合えば光が弾ける恋をして、その恋に破れた哀れな女。
相手の視線を奪ったレネルティアを深く深く恨んで、呪った。
女の名前はセレネ。
冬を耐え抜く力強い野草の名を持っていた。
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セレネには愛する人がいた。裕福な家庭に生まれ育ち、優しい心を持った青年、ミルティム。
幼い頃親に捨てられ、路上で生きていたセレネが、その日の仕事を求めて声をかけた少年がミルティムだった。
ボロボロで痩せ細ったセレネに、ミルティムはとある貴族を紹介してくれた。そこで食事と清潔な服を与えられ、更に、仕事と住居を紹介された。
あれよあれよと変わる日常に戸惑ったが、ミルティムはその後も様子を見に来てはセレネの支えになってくれた。
優しく微笑んでセレネを肯定し、共に不幸を嘆いてくれるミルティムが、無くてはならない存在になるまでに時間はかからなかった。
彼の行動が同情心から来ている事は分かっていたが、ミルティムへの想いが恋心に変わっていくのを止められなかった。穏やかに育んだ想いは、いつしか目が合うだけで光が弾ける程大きな物になっていた。
幸運な事に、ミルティムはその視線を受け止めてくれた。ミルティムの心にも、いずれ恋となるであろう想いが少しずつ積み上がっていく。
セレネは一人密かに夢を見るようになっていた。
セレネの家の程近く。愛情の木と呼ばれる木があった。
広場の一角にあるこの木は、一年を通して枝が寂れる事がない。緑の葉の下から花が生え、花弁の一部を落として実をつける。花弁と実を包むように葉が伸びて、花と実が落ちる。葉が青々と立派になる頃にまた花が咲く。
装いを変えて枝を賑わせるこの木に、人々は移り変わっても変わらぬ真実の愛を願う。
手を触れて互いの名を呼び合い、永遠を誓うのだ。
いつか自分もミルティムと――――
けれど、この恋は始まらなかった。
段々とミルティムの視線から熱が冷め、ついには絡み合わなくなった。変わってその先に居たのが、レネルティア――誰からも愛される女だった。
セレネは絶望した。
やっと手に入れられると思った幸せな未来が、眼の前で砕け散る。
街で噂の人気者。知らない人などいないだろう。美しい姿、立ち居振る舞い。穏やかなその笑顔に皆魅了される。誰にも優しく、虫も殺せぬ善人だとか。
そんな人と自分とじゃあ比べるまでもないだろう。
レネルティアはいつも人に囲まれている。男も女も老いも若きも、皆が彼女を愛している。
ミルティムはその中の一人になった。特別になれなくてもレネルティアを選んだ。彼女を取り巻く一人になる事を選んだのだ。
唯一人、誰よりも自分を愛するセレネではなく。
恥ずかしい。ああ、恥ずかしい。
愛されると思っていた。いつか想いを返されると思い上がっていた。
なぜ、自分のような日陰の存在が選ばれるなどと自惚れていたのだ。ミルティムは同情心から一緒にいてくれただけだというのに、分不相応な夢を見た。
悔しい。
恥ずかしい。
悲しい。
許せない。
許せない、許せない。
レネルティアはこんな思いをしたことも無いだろう。
想像すらもできないはずだ。笑顔一つでセレネの夢を攫っていった。けれどその夢すら、彼女にとってはさしたる価値も無いのだろう。
今もミルティムの瞳には明らかな熱が籠もるのに、レネルティアは静かに笑うだけ。他の人が割り込んでも気にもしない。
こんな、
こんな理不尽があるものか。
セレネは走った。皆が永遠を願う木に。
誰もが愛を誓うその木に縋りつき、セレネは願った。
愛する人を無自覚に奪ったレネルティア。
彼女が、誰からも疎まれるように。
自分と同じこの惨めさを感じるように。
呪いは国中に広がった。他国にも少し染み出したかもしれない。
稀有な事に、セレネは愛情の木と非常に近しい魔力を持っていた。そのお蔭で愛情の木の勢力、生命力の及ぶ範囲、全ての人間、全ての生き物がこの呪いを受けたのだった。
しかし、残念。
セレネは凡人だ。
どんなにこの国でも有数の力を持つ木の力を借りたとて、どんなに強い思いをその呪いに込めたとて、所詮セレネは凡人なのだ。
呪いが発動した事すら奇跡。国中に広がるなど前代未聞。
結果、凡人セレネが放った呪いは非常に中途半端な効力を発揮した。
魔力の高い者には全く効かず、中庸な者は違和感を持つ程度。魔力の乏しい者達には効果があったが、今迄の好意を著しく覆す程ではない。
平凡な凡人が学んだ事も無いのに月並みに呪いをかけたとて、そんなものは所詮、その程度の効果しか持たなかった。
しかし、レネルティアは誰からも愛されていた女だ。
その程度の効果しか無い呪いが、彼女の周囲の様子を変えた。
明らかに人が減っている。
街で見かけても、いつもは人の頭で碌に姿が見えないレネルティア。今は彼女の制服まで見える。
セレネは黒い喜びに震えた。
愛する人を奪った、愛される女。
これでレネルティアは知るはずだ。
愛されない悲しみ。
それでも消えない愛する事の苦しみ。
それでも愛されない自分自身への恥ずかしさ。
セレネが味わった惨めな気持ち。
レネルティアはこれから知っていくのだろう。
彼女は一人喜んだ。