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②ハニーシュガージンジャーのきらめき

スティーブとディアナちゃんが終業後に偶然遭遇するお話です。

 

 現在、スプリング家はアンタレス国に身を置いている。自然と資源が豊かなこの国で、王弟殿下お抱えの指揮系統の一部として、新たな一歩を踏み出した。有事には雇い主からの要請に即座に応じられるよう、王城に数人が待機している。

 それが、ディアナの最近の任務であった。いるだけでは暇なので、一応使用人の一部として組み込まれている。可愛らしいメイド服に身を包んで、はたきを持って指示された場所の埃を払って過ごしていた。

 もちろんカルロからはスプリング家独自の情報収集も欠かさないように、と指示を受けているので、周囲のやり取りにも耳をそばだてていた。決してぼーっとしているわけではない。 

 

 スプリング家の面々には面倒くさがり、のんきやおっとり、時にはもっとひどい言われようの時もあるけれど、自分ではしっかりしているつもりである。ただ無駄な体力気力の節約に努めている結果、そう見えてしまうだけなのだ。



 ある夜、ディアナは定時を過ぎた後の王城にいた。週に一度、余程の事態でもない限り一切の残業を禁止する日を設ける規則のおかげで、大半の人々は宿舎や付近にある住居に帰宅して、思い思いの時間を過ごしている事だろう。


 ディアナはもう少し仕事場に留まって、時間になったら交代要員が来るので帰れる手筈になっている。王弟殿下から、用もないのに残っている者がいないかどうか見回りをして欲しいと指示されていたので、ぼーっとしながら器用に城内を点検しているというわけである。


 

 もちろん、ここ数か月の間に急に王城内に居座るようになったスプリング家の面々に、不審そうな眼差しを遠巻きに向ける者も多い。しかし以前にあった王城襲撃及び国王暗殺未遂事件の鎮圧に協力したスプリング家は、王城で働く使用人達を中心におおむね歓迎されていた。


 長身揃いのアンタレス人の目に、小柄なディアナは子供のように映るらしい。アニーという名前のきれいで面倒見のいい優しい先輩や、なにかと縁のある国軍騎士達、厨房にいる親切な人などは小さいのに偉いね、と焼き菓子のはしっこを渡してくれたりもする。赤毛の騎士の人は特に何もなくても、やけに親切にしてくれる。

 それに今までの経験上でも、無力な子供と思われていた方が都合が良い。ディアナは逐一そんなに小さな年齢ではないと訂正する事はせず、上手に仕事に活かしていた。決して、説明が面倒だからではない。


 一通り城内を見回る頃には、誰もいない薄暗い廊下は冷え切っている。靴の底や、指先から忍び寄るような冷気には、早めに分厚い靴下や厚手の服装に衣替えしなかった事を後悔させられた。せめて襟巻くらいしてくればよかったと思いながら、スプリング家の者達のために用意されている一室に立ち寄ろうとと決めた。ついでにお腹も空いてきたので、終業までに何か食べておいた方が良さそうだった。



 ディアナはアンタレス国が、今まで滞在していたアケルナー国やレグルス国と違い、冬は雪に埋もれる寒い国だと知っていた。秋になれば暗くなるのも早く、朝もなんとなく薄暗くてはっきりしない。スプリング家の先輩にあたるシェリル、そのようやく結ばれた恋人からの受け売りによると、まだまだ序の口らしい。雪が降ってからが本番だそうだ。


 もっと寒くなるのか、とディアナはげんなりした。それ以外には、現在の環境に不満はない。親切なこの国の人々の事は結構好きだった。

 けれど空腹と慣れない寒さ、新しい仕事と環境から来る疲労が重なって、どうやらぼーっとする事でやり過ごせる許容量を超えつつあったらしい。


 寒さと空腹が重なる時、ディアナはどうも気分が悪くなる。そして、何故か頭の中でカルロの声が響くのである。思い出さなくていい、忘れてしまいなさい、とあくまで優しい声だが、有無の言わさぬ口調でもある。

 はいはいはい、とディアナは頭の中の声に適当な返事をした。少し休憩させてもらいなさい、と追加で指示されたような気がしたので素直にその通りにした。



「……おい、そこにいるのは誰だ」

 

 入り込んだ手近な部屋がまだ少し明るいのは、暖炉の火がまだ焚かれていたためだ。消し忘れかと不思議に思っていると、開けたままだった扉の外に足音が聞こえた。

 振り返ると騎士隊の一人が、こちらに不審そうな眼差しを向けていた。彼の手には手提げの明かりと、ほのかな湯気と上品な香りを立ち上らせるガラス製のポットが握られている。


「……びっくりしたあ」

「それはこっちの台詞だ。言っておくが騎士隊の休憩室なんかに、機密に関する物なんか一切置いていないからな」


 この国の人々は総じて麗しい見た目をしている。きらきらと美しい金の髪、宝石のように透き通った瞳。すらりと背は高く、目の前にやって来た相手も例外ではない。制服姿でなければ、人気のある歌劇俳優だと紹介されれば信じてしまうに違いない。

 スプリング家と何かと因縁がある騎士の一人で、スティーブという名前だった。管理職なので、自己判断でまだ王城に留まっていても報告の対象ではない。 

 スティーブの方もなんだ子供か、と言わんばかりに警戒する気配は薄らいだ。

 

 彼のことを、親代わりのカルロは皮肉たっぷりにゆっくりと拍手をしながら、男前だと言っていた。アメリアは悪くないわ、と口元に妖艶な笑みを浮かべる。ダミアンに言わせると、器用貧乏だそうだ。

 また組織の少し先輩であるシェリルは、騎士隊の人々について一通りの情報を渡してくれた。ところが不思議な事に、スティーブの話になると急に口数が少なくなる。愛馬の名前はジュディーで暗号解読が得意、とディアナには不要な情報が与えられた。代わりにその恋人であるジェイミーが、裏表はあるけど悪い奴じゃないよ、といつもの優しそうな笑みとともに教えてくれた。


 ディアナは誰かの声を聞いたせいか、少し気分が楽になった。もっと親しい相手だとなお良かったが、贅沢は言えない。相手はレグルス国にいた時にカルロや双子がさんざんな目に遭わせたが、その分をディアナをいじめて憂さ晴らしする人ではない事は知っていた。



「部屋を間違えちゃった。ごめんなさい」

「……こっちは明日までに揃えておかないといけない書類があるって言うのに」


 のんきでいいな、と彼はため息交じりに言う。こちらを追求する気はない様子である。彼が手にしている温かそうな飲み物を前に、ディアナは自分の身体が随分と冷えている事に気が付いて、無意識にじっと見つめてしまった。

 

 するとスティーブはそんなこちらの視線に気が付いたのか、子供のわがままを諭すような表情を浮かべる。


「これは大人には有用な成分が含まれているが、子供には毒なんだ」

「カルロさんが一つしかないお菓子を、仕方なく自分で処分する時と同じ台詞ですね」

「……そこまで意地悪くないぞ、さすがに」


 冗句だ冗句、と彼は気まずそうにディアナの横を通り抜けて、机にポットを置く。


『……おいおいディアナさん、そんな物欲しそうな目線を寄こしたって、こんな小さなチョコレートは分けられないぞ。これはカルロさんが責任を以て処分しなければならないんだ、わかるだろう』


 彼の台詞から、幼い頃のカルロとのやり取りが思い出された。夜中の厨房でこそこそしていた親代わりをたまたま見つけたディアナは無言の座り込みを続けた結果、最終的には温めたミルクにチョコレートを溶かしてはんぶんこにしたのである。

 翌朝、敏感なシェリルが美味しそうな匂い、ときょろきょろしていたが、約束通り知らんぷりを突き通した事まで詳細に覚えている。

 

「戸棚の奥の、右のあたりに並んでいるのは共用のカップだから、二つとってくれ」

「はあい」


 彼は近くにあったらしい缶を開けて個包装のお菓子をいくつか取り出している。ディアナは素直に返事をしつつも少し驚いた。スティーブが、思うところの多いスプリング家の一員に対し、本当に温かい飲み物と食べ物までを交渉する前から快く分けてくれるとは思わなかったからだ。


 昼間、王城で顔を見かける時の彼はやけに愛想が良いか、反対に顔をしかめながら、威圧的な口調で命令や叱責を行うかのどちらかである。特に赤毛の騎士とは馬が合わないようでしょっちゅうやりあって、大体やり込められている。そうするとまた機嫌が悪くなるという悪循環だ。


 今の彼は、そのどちらでもなかった。


 ディアナは背伸びをして、戸棚の奥に手を差し入れた。これだ、と探り当てたカップは思ったよりも大きくて重かった。スプリング家にあるのは子供用の軽い素材でできているので、両手に一つずつ取ったままで少しふらつく。けれど後ろにそのまま倒れこむ事はないだろうと判断し、そのまま態勢を立て直すつもりでよろよろしていると、性急な足音が聞こえた。


「……おっちょこちょいだよな、まったく」


 アンタレス人規格である戸棚の高さに一抹の不安があったのか、すぐ後ろに来てくれたスティーブが、ディアナを後ろから支えた。彼がいなくてもひっくり返りはしなかったけれど、気配はわかったのでそのままちゃっかりもたれかかった。相手はびくともしなかった。硬いが痛くはない。


 スティーブはディアナの両手をそっと捕まえて、二つのカップを優しく譲り受けた。これがカルロであれば瞬きの間にカップが回収されて紅茶が注がれ、ディアナはいつの間にか椅子に腰かけているに違いない。けれど彼はそこまで無茶苦茶ではなかった。


 ディアナの手首を造作もなく包み込める大きな手のひらは、薄手の絹製の手袋を嵌めている。仕立て屋も兼務しているカルロの手伝いで、布地には少々詳しい。とても上質な触り心地は、けれどお店にあった品々とは決定的な違いがある。

 要するに、衣装というのは持ち主の元にたどり着いて、初めて完成なのかもしれない。持ち主の体温が布越しに、ディアナの冷えた手にも伝わって来た。

 

 以前にシェリルが制服と手袋とマントはかっこいい、とうっとりしながら主張していたのを思い出す。その時は何とも思わなかったが、今のディアナはその気持ちが少しわかってしまった。


「……おい、大丈夫か」

「平気」 


 身元を偽った潜入任務で、足蹴にされた事だってある。痛いけれど痛くはなかった。警戒されない方が都合が良い。ディアナはずっとそれで上手にやって来た。


 しかし、まるで背後から抱きしめられているのによく似た態勢である。家族ではない男性とそのような状態に陥った事は今までない。いつものようにぼーっとしているのではなく、若干動揺しているために、ディアナの返事は小さな声だった。

 彼はこちらの様子に気がつかないのか、それとも全てわかっていて気が付かないふりをしているのか、カップを回収してさりげなく距離をとった。


 スティーブは椅子に座りながらお菓子と、それから小さな小瓶を雑多な箱から取り出した。どうやら共用で、お菓子やお茶の葉を持ち込んでいるらしい。紅茶に何か味を足すつもりのようだ。


「甘くするの?」

「……誰かが買ったのが開けられもせず、ずっと残っているんだよ。ハニーシュガージンジャーの素」


 誰にも言うなよ、とスティーブは意図の読めない口止めをディアナにした。彼がいかにも、飲み物を甘くするなんて子供のする事、と思っていそうなせいかもしれない。また、可愛らしい商品名である事も関係していそうだ。


「ハニーシュガージンジャーの素は子供向けの商品で、街で手に入る。昔はもっと高価だったのが、途中で味も庶民向けに変わった。中身は名前の通りで溶けやすい顆粒成分になっていて、牛乳や紅茶に混ぜると美味しい」

「……甘くて甘くてちょっと苦辛い?」

「だよな。ハニーとシュガーのどっちかで十分なのにな」


 淡々とした彼の説明によると、この小さな小瓶は無駄に長い名前である。角砂糖でいいじゃないかと面倒くさがりのディアナも思った。


 スティーブがガラスの丸い小瓶に、すくう部分が小さくて、柄の長いスプーンをそっと差し入れた。さらさらと軽い音ともにすくい出された中身は、白っぽい小さなお星さま達にも似ている。彼が出してくれた共用のカップに、さらさらと散らばった。

 ハニーシュガージンジャーの粒は空に広がるみたいに注がれた紅茶の海に舞い上がり、やがて星くずみたいに溶けていった。

 

 ディアナがもらった焼き菓子をかじって飲み込んだ後、ふうふうとカップの中身を覚ましている向かい側で、スティーブは既に口をつけている。彼の後ろにある窓ガラスの向こうには、黙って軽食を取る自分達と、空に浮かぶ満天の星空の両方が映っていた。


 星空のきらめきを背景にして、彼は静かに目を閉じている。カップからほのかに立ち上る香りと味とに集中しているらしい。いつもの眉間の皺も、芝居がかったように饒舌で愛想の良い眼差しとも違う顔を、ディアナは初めて目の当たりにした。


 ハニーシュガージンジャーは、紅茶の上品な苦みを優しく受け止める、どこか懐かしいような甘さだった。カップを持つ指先と思いがけないお菓子に巡り合った自分の身体から、冷たさが遠ざかる。代わりに温かさが、ゆっくりとつま先のあたりまで届いて、ようやくちゃんと息を吐くことができた。



「『嫌な事があった日は、ハニーシュガージンジャーのきらめきをひとすくい』。そんな売り文句を、無邪気に信じていた頃もあったっけ」


 ほっと一息ついているディアナの正面で、スティーブは物憂げな表情を浮かべたままだった。ディアナとは逆に、この香りと甘い味に、複雑な記憶が呼び覚まされている最中なのかもしれない。


「……目の前の甘くて温かくて美味しい紅茶より、昔の方がよかったの?」


 スティーブはディアナを見た。親切や意地悪や他の様々な感情が、彼の中で争っているのが見える。それはまるで彼が口にしたハニーシュガージンジャーが、揺れる瞳の中で、最後の光を発しているかのようだった。寂しさ、後悔や憤りが逡巡しては静かに消えていった。


 ディアナは余計な口を挟んだ自覚はある。だから嫌味の一つくらいは黙って受け入れるつもりだった。相手は口が達者な人で、よく誰かを延々と叱責する場面を目にするので、なおさらである。


「……それは」


 彼の返事はそれだけだった。スティーブの中で話のまとめ方と、適切な言葉は迷子になってしまっているらしい。昔の楽しくない話が多すぎるか、辛くて口に出すのも嫌なのかもしれない。


「私、今日はこれを飲めたから、とっても良い日で終わりそう。親切にしてもらえて嬉しかった、どうもありがとう」

「……それはどうも」


 ディアナはごちそうさま、と礼儀正しくお礼を伝えて、カップを片付けた。面倒くさがりにしては、てきぱきとした動作である。ポットも洗って裏に返して水気を切るようにしてから、まだ静かにしているスティーブに向き直る。

 すると、彼は小さな何かを差し出した。使いかけで良ければやる、と小さなガラス瓶が手渡された。ハニーシュガージンジャー、とラベルには流麗な文字と連なる星が、子供が親しみやすいように可愛らしくデザインされている。


「ありがとう。それから、おやすみなさい」

「……おやすみ」



 ディアナは何事もなかったような顔で、静かに部屋を後にした。こっそり振り返った時、彼は既に書類に視線を落としていた。既定の時間が過ぎている事を確認しつつ、暗い廊下と階段をいくつか過ぎて外に出たところで、待っていた人がいる。


 もし夜が人間だったなら、カルロみたいだろうと思う。気まぐれで気分屋で、美しい星々に、暗闇が隣り合わせに忍び寄る。けれど朝が来ると嘘みたいにあっさりと姿を消して、夕方の後には何食わぬ顔で再び隣にいる。


 この国に長居する事になったので新たに仕立てた厚手の外套は、いつもと同じく黒だった。


「いいかディアナ、この国では夜に子供だけで出歩くと保護者に罰金が生じるんだ。カルロさんのお財布と世間体に十二分に配慮しなくちゃいけないから、覚えておくように。さ、帰ろう」


 カルロはディアナに襟巻をふわりと巻いてくれた。身体も心はぽかぽかしているので、気遣いをありがたく受け取った。星明かりの照らす夜道を、迎えに来てくれた親代わりと並んで歩く。ディアナはカルロに話しかけた。


「……カルロさんにもし、嫌な事があった夜には。私に言って下さいね」

「ディアナがそんなことを言うなんて、珍しいな。大きくなったものだ、カルロさんは涙が出るくらい嬉しい」


 そっと目頭を押さえている親代わりを横目に、ディアナは王城の塔の一つ、先ほどまで自分がいた部屋の窓を探した。かすかに明かりがついている窓に向かって手を振ってみる。見えなくても、なんとなく手を振り返してくれているような気がしたからだ。腕を振るのに合わせて、小瓶の中身がさらさらと軽やかな音を立てた。

 星がまたたく音は、良い魔法使いが杖をそっとかざす音は、きっとこんな音だろうと思う。


「……ハニーシュガージンジャーのきらめきを、ひとすくい」


 自分にもカルロにもスプリング家のみんな、王城で勤勉に働く人達と、そして親切にしてくれた先ほどの彼にも、明日は良い事がありますように。ディアナは星々のきらめきに、温かい気持ちのお礼としてお願いしておいた。


 面倒くさがりの自分にしては大層珍しい、なんて思わずくすくす笑ってしまう、悪くない一日の終わりである。

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