46ストライク とある夢のお話
その日の夜、俺は夢を見た。
暗い部屋の中で寝ていた俺は、外から聞こえた叫び声で目を覚ます。
「ん……なんだ?叫び……声…」
少し寝ぼけながらも体を起こしてみれば、なにやら外が少し騒がしいようだ。こんな夜中に何を……と考えつつ、自分の体に違和感を覚えた。
「あ……れ……俺は……」
両手に目を落とすと、がっしりとした太い指が目に飛び込んだ。その事に少しばかり混乱していると、次の瞬間、さらに大きな悲鳴が家の外で轟いた。
「な……なんだ!?」
明らかに異常な叫び声に慌てて窓の外に目を向ければ、付近の家々から赤く揺らめく火の手がさらに焦りを呼んだ。
瞬時に異常を察知し、俺は部屋を飛び出して迷う事なく別の部屋へと駆け込む。
「トリス……!!」
「兄さん……!何が起きて……」
彼女も混乱しつつ、異常事態だと察知していたようだ。不安に顔を染めたまま、俺の下に駆け寄ってくる彼女の肩を優しく支える。
「細かなことはわからないが、おそらく村が何者かに襲われているようだ。早く逃げなければ……!」
こくりと頷いたトリスを見てその手を取ると、自室とは反対側にある勝手口へ向けて駆け出した。
自分の部屋から火の手が見えた事を考えれば、納屋側の方に逃げる方が安全だろう……そう考えたのだ。
だが、勝手口に辿り着き、そのドアを開けた瞬間に足が止まる。
「に……兄さん…あれって……」
「あぁ……ブラックファングだ……」
視線の先には、漆黒の体毛と真っ赤に染まる双眸を光らせ、小さく唸り声を上げる魔物が静かに立っている。その巨躯は、人の背丈を軽く凌駕するほどだ。その姿を見て、今村が何に襲われているのか瞬時に理解した。
「これはこいつらの仕業だったのか……くそっ!」
家屋が燃えて焼け落ちる。
村人たちの悲鳴がこだましている。
そんな喧騒の中、ブラックファングは鼻を鳴らし、真紅の瞳を細めて俺たちをジッと見据えている。まるで、品定めでもするかのように……
(このままだと…こいつの餌食になってしまう……)
魔物の殺気と威圧感に、膝の震えが止まらない。
本来なら、こんな時は攻撃系のスキルを駆使して戦い、撃退する選択肢があるはずだ。しかし、今の自分にそれはできない。まさか、こんな事で自分の無能さを呪うことなるなんて……
だが、チラリと後ろに目を向けると、怯える妹の姿が目に入った。自分にしがみつき、体を震わせるその様子を見て、幼少時代の記憶が重なってハッとさせられる。
ダメだ……何を怖気付いてるんだ。トリスは……妹は俺が守るんだとあの時に決めたじゃないか。こんな……こんな事でトリスは死なせない!絶対にだ!
小さくため息を吐き、自分の中から恐怖を追い出すと、足元にあった少し大きめの石と、欠けてはいるが少し尖った石をそれぞれ拾い上げた。
「トリス……俺から絶対に離れるなよ。」
その言葉に、妹が後ろで小さく頷いた気配がする。
振り向く事なく、俺が睨みつけるように視線を向けると、ブラックファングも俺の心境の変化を察知したように閉じていた口を開いて唸り声を大きくする。
鋭い歯の間からは涎が滴り、禍々しい吐息が小刻みに吐き出されている。あれに噛み付かれれば、一溜まりもない。か弱いトリスなど、紙を破るように一瞬で食い千切られてしまうだろう。
時間が経つのが遅い。それほどまでに緊張感が胸を締め付けている。
と、その時、隣の家屋の一部が焼け落ちて大きな音が響き渡った。それと同時に、ブラックファングがこちらに向かって駆け出す様子が窺えた。
「くっ……トリスには指一本触れさせない!!」
襲いくる魔物の攻撃に備えるように、俺が腰を少し落とすと、その瞬間、目の前で黒い巨躯が跳躍する。二つの赤い双眸が夜空を背に舞い上がり、俺と妹へと襲いかかった。
反射的にトリスを横へと押しやって、持っていた尖った石の方をブラックファングの顔目掛けて力任せに投げつける。そして、すぐに前へと駆け出していた。
ただの石なんかで倒せる相手ではない事など百も承知だが、そんなセオリーに反して空中で呻き声が小さく上がり、体勢を崩したブラックファングの巨躯が、大きな音と砂埃を巻き上げて目の前に落ちてきた。その左眼には、先ほど俺が投げた石が深々と突き刺さり、赤い液体を垂れ流している。
大したダメージではない……だが、空中で予想していなかった攻撃を受け、こいつは反射的に怯んだのだ。俺の手が無意識に振り下ろされ、ドチャッ鈍い音が響いた。硬いものが割れ、生温かいものに触れる感触が手に広がる。
「トリス!こっちだ!!」
手に持っていた大きめの石が赤く染まっている。
俺はそれを放り投げると、必死に駆け寄ってきた妹の手を引いてその場から駆け出した。
「兄さん……!」
「いいから走れ!あれくらいじゃあいつは倒せない!一時的に隙を作っただけだ!」
その言葉のとおり、ブラックファングは完全に不意打ちを喰らって混乱状態のようだが、致命的なダメージを受けた様子はない。
「走っても逃げきれない!このまま納屋に逃げ込もう!あそこなら、家畜小屋も近いから臭いも誤魔化せる!」
トリスから返事はなかった。
苦しそうな息遣いだけが聞こえてくる。元々体が弱い子だけに、この状況は精神的にもかなり辛いはずだ。
だが、それでも強く握られている手の温もりは、緊張と恐怖で押し潰されそうな俺の心を奮い立たせるに十分だった。
なんとか納屋に辿り着き、辺りを見回しながら扉を開く。追ってきた魔物はいない。どうやら運良く逃げ切れたようだ。
念のため、扉の横にあった家畜の糞尿を溜めていた樽を納屋の前に蹴り倒し、扉を閉めて大きなカンヌキ閉めた。
・
・
どれだけ時間が経っただろうか。
だいぶ時間が経ったように感じるが、緊張感に締め付けられて時間的な感覚が狂っているのかもしれない。少し苦しそうにしていたトリスも、今は落ち着きを取り戻しており、俺はその事に安堵した。
だが、ある違和感に気づいてしまう。
「音が……止んだ?」
耳を澄ましても、叫び声や家屋が破壊される音が聞こえないのだ。嵐が過ぎ去ったかのように静まり返った周りの様子に、聞き耳を立てていたトリスが首を傾げる。
「もしかして……魔物たちは村から去ったのかな…」
トリスの顔に淡い期待の色が浮かんだが、それはその言葉のとおり、淡い期待に違いなかった。
「どうだろうか……ただ、ブラックファングは執念深い魔物だからな。」
安心するにはまだ早い……俺がそう告げたいのだと理解したトリスは、小さく頷いた。
それにしても、村の人たちは大丈夫なのだろうか。彼らは自分とは違い、魔力もスキルも皆使える。魔力すら感じ得ない俺が心配する事ではないかもしれないが、それでもやはり不安は拭えなかった。小さな物音すら聞こえないのは、村の者が皆無事に逃げ切れたからだと願いたい。魔力がない事で馬鹿にされることはあっても、生活を共にする仲間なのだ。生き延びてほしいと思うのは、人として当たり前の感情だろう。
それにブラックファングたちが、どこから来たのかはだいたい察しがついている。
ーーーヴァーミリオン・ヴェイン山脈
"朱き血脈"と呼ばれるその山々には、古より多くの魔物が巣食っていると言われている。彼らはおそらくそこから来たに違いなかった。
今まで村が襲われたことは一度もないのに、なぜ今回のような事が起きたのか……その理由はわからないが、兎にも角にも、村のみんなが無事に逃げている事を願うばかりである。
と、そう思ったその時だ。ガゴンッという鈍い音が扉の方から響き渡った。
「村の人……たちじゃないよね。」
トリスの顔に不安がよぎる。
俺は小さく頷いてそれを肯定し、トリスを守るために彼女の前に立った。
再び鈍く重い音が響き渡り、今度は扉の隙間からあの禍々しい息遣いが聞こえてくる。
(やはり……まだ……!)
なおも叩かれる扉は、大きなカンヌキのおかげで未だに破られる事はないが、外にいるブラックファングは手を休める事はない。何度も何度も体当たりをして扉を壊そうとしているようだ。
「兄さん……」
「大丈夫だ……トリス、お前は必ず俺が守るから。」
怯えるトリスを落ち着かせようと、優しくそう告げて、再び扉に視線を向ける。
(扉が壊されるのも時間の問題か。だが、トリスは何としても守らなければ……神よ……どうか妹だけは……トリスだけはお守りください。)
少しの間だけ目を瞑り、俺は神にそう祈りを捧げた。
自身の無力さに嫌気がさす。本当なら自分の力で妹を守り通したいのに……しかし、それをやり遂げられる可能性は万に一つもないだろう。
俺は自分の命を捧げる事すらも厭わないから、妹だけはと必死に祈ったのだ。
「その心意気……良しとしようじゃないか。」
突然、聞き覚えのない声が聞こえて、咄嗟に視線を向けると、そこには金色の長い髪を綺麗にまとめ上げた一人の女性が立っている。銀色の軽鎧に似合う健康的な褐色の肌、エメラルドブルーに輝く瞳、そして、凛々しさを感じさせるその表情は、この世のものとは思えぬほど俺の瞳に美しく映し出されていた。
彼女がニヤリと笑う表情を見て、体に電気が走った感覚に襲われた俺は、無意識にこう告げていた。
「俺と……結婚してください!!」
「「……え……?」」
妹のトリスと金髪の女性が、そうシンクロした。
突然、謎の夢を見るソフィア(二郎)。
この夢どこかで聞いたような…?
しかし、最後に緊張感がゼロになるってのはいかがなものかと…
書いたの僕ですけどね。
次回はこの夢を見た理由が明らかに!