35ストライク 二つの視線
四季都市アネモス。
帝国内でもっとも季節の変化が大きく、時期によって様々な色合いを見せる美しい街。私の故郷であるエルフの国にも、この街の自然の美しさは知れ渡っているほどだ。
豊かな緑の絨毯が一面に広がり、遠目に見える山脈の頂は白く染まる。その上には、澄んだ水色の空が広がっていて、心地よい風が真っ白な雲を運んでいく。そんな美しい風景と見事に調和したアネモスの街が、そこに静かに腰を据えている。
この街を見た者は、皆口を揃えてこう言う。
ーーー雪月風花、とても美しい街だ……
と。
だが、今の"私の目に映る"アネモスに、美しさで勝るものはこの世のどこを探しても絶対にないだろう。なぜなら、ここには私が求めてやまない金の卵がいるのだから。それを思うだけで、この街は私の目には宝の山として映るのだから。
そんな事を考えながら、眼下に広がる綺麗な街並みをゆっくりと見渡していく。
「やっと……着いたのね。半年……私の半年……」
立ったまま拳を握り締め、静かに目を閉じるとこれまでの辛かった記憶が蘇ってくる。
サウスからこの街を目指す際、再び足を踏み入れたあの森で、何の因果か知らないが再び同じ魔物に執拗に追い回された地獄の日々。食事を取る事すら許されず、寝ていてもトイレをしていてもすぐに自分を見つけて追いかけてくるあの忌々しい魔物。逃げては見つかり、また逃げるを繰り返す隠れんぼのような日々。奴の追跡を振り切ることに成功し、やっとの事で森を抜けてこの場に立っている自分は、心も体も、そして服すらもボロボロだった。
「もう生の芋虫は食べたくないわ……それにあのブラックグリズリー、いつか討伐してやるんだから……」
涙とともに無意識に本音が溢れ落ちる。ダークサイドに落ちかけている心をなんとか引き戻し、大きくため息をつく。
ここまで頑張って来れたのは……目的の人物に会えると心の底から信じていたからだ。まだ会えた訳ではないが、この街のどこかにいるはずのソフィア=イクシード。彼女に会って、必ず当社とスポンサー契約を結んでもらう。ただ、それだけを信じてここまで来たのだ。
正直、契約を結ぶにあたって問題がないわけではない。ベスボルにおいて、選手登録が可能な年齢は12歳だが、対するソフィアはまだ5歳。今すぐには選手になれないのが現状だ。なので、今できる事と言えば、彼女が12歳になる年に当社とスポンサー契約を結ばせるための覚書を取り交わす事である。
小さくため息をつき、ゆっくりと目を開けて涙を拭う。そして、左手を腰に置いて、私は右の人差し指でアネモスの街をビシッと指し示した。
「待ってなさいよ!ソフィア=イクシード!!アハ……アハハハハ!!」
私がそう笑い声をあげると、そばの街道を行き来する人々から奇異の目が向けられる。
だが、そんな事を気にしている余裕など私にはないのよ。今度こそ、首を洗って待っていなさい!ソフィア=イクシード!!
周りの目など気にする事なく、私はしばしの間、その場で声高らかに笑い続けた。
◆
アネモスの街は、夕暮れを迎えようとしていた。
「はひ〜疲れたよぉ〜」
スーザンの後に続いて馬車から降りると、無意識に大きなため息が吐き出される。
突然戻ってきたスーザンに引きずられる様に帝都ヘラクを出発し、たったの3日でアネモスへ戻ってきたのだ。行きは1週間ほどかかった事を考えれば、かなりの強行日程だったと言えるし、これにはさすがの俺も疲労を隠せなかった。生前のチーム遠征の時でも、バスの中で二晩も過ごすなんて事はなかったし、そもそもこっちの世界の馬車は大量輸送を考えた設計はされているけど、日本の夜行バスのようなふかふかなシートなんて存在しないのだ。木製の座席のおかげで体のあちこちがカッチコチで痛いし、身体中の疲労感が半端ない。
だが、そうせざるを得ない理由があったのも確かだった。
そもそも、ヘラクに行った理由は帝国立図書館に存在するある書物を閲覧する為だ。その書物とは"初代皇帝の手記"であり、そこに書かれている真実を読み解き、俺のこの眼の謎を解き明かし、俺が魔力を使える様になる事が本来の目的であり、その為にスーザンは帝国立図書館に"再び忍び込んだ"のである。
まぁ、半分以上は彼女の探究心でもあったけどね。
だが、彼女はお目当ての手記の続きを読む事に成功した。結果はまだ聞いていないが、スーザンの表情を見れば、おそらくは欲しかった情報が手に入ったんだとわかる。俺としても早く聞きたかったのだが、一応国家機密であるから、馬車の中で話すのは危険だとスーザンに諭されて今に至る訳で……
だが、そもそもすぐに話せない理由は他にもあった。
だって、ヘラクを出発する前から衛兵たちに追われ続けたんだから、そんな話をゆっくりする暇もなかったのだ。スーザンはなんだか楽しそうだったけど、衛兵たちの目を盗んで、定期便の馬車へ乗り込むのはかなり骨が折れた。
それに、衛兵たちは結構しつこくて、なんとか無事に街を出られたと思ったのも束の間、次の街ではすでに別の捜索隊が結成されていた。彼らはどうやら、いろんな情報網を駆使して犯人を追っている様で、その連携力はまるで日本の警察みたいだった。
と言っても、俺は警察に追われた事などもちろんない。昔、特番でやっていた彼らの仕事ぶりを見た事があったのでそう感じたんだと思う。
それにスーザン曰く、「奴が指揮を取っているからな。」と意味ありげな事を言っていたが、それについて俺は一切触れなかった。知らぬが仏である。
結局、アネモスの手前にある小さな宿場町まで追っ手がかかっていたが、なんとか嘘の情報を彼らに与える事に成功し、撒く事に成功したのである。
いったい何やってんだよ……俺は。
そうため息をつくと、それに気づいたスーザンが小さく笑う。
「まぁ、そう辟易するなよ。これからお楽しみの時間が待っているじゃないか。」
確かに……と俺は頷いた。
過ぎた事は悩んでも仕方がない。捕まる事なく無事にアネモスへ帰ってくる事もできたんだし。今からは気兼ねなく、叔母のお土産話に花を咲かせる事ができる訳だしな。
そう考えたら自然と笑みが溢れた。
やっと……やっと魔力が使えるようになるかもしれない。そうすれば、スキルだって使えるし、念願のベスボル選手をも目指せるんだ!
考えれば考えるほど、笑みが溢れて止まらない。ムフムフと変な笑いを堪えていると、俺の横では同じ様にニヤニヤと笑っているスーザンの姿がある。
客観的に見ると、俺たちって相当キモいな……
そんな事を考えながら、俺たちはスーザンの家を目指すべく、馬車の停車場を後にした。
・
・
閑静な通りを少し進み、見慣れた細い路地へと入り込むと、さほど広くはない路地裏に出る。
「やっと着いたな。」
すでに陽も落ち、薄暗い街灯が静かに路地裏を照らしている。その薄い光の膜の先には、古びた小さな建物が静かに腰を据えており、窓から少しの明かりが漏れている。おそらくは、店番を頼んでいたウィルさんが中で作業を行っているのだろう。
このまま、家に入ってウィルさんにお礼とお土産話をしてあげたいところではあるんだが……
「スーザンお姉ちゃん……」
「あぁ……お前も気づいたか。」
スーザンの言葉にこくりと頷き、店の左側に目を向けた。
そこから感じられる視線……この路地裏に着いた時から、何者かが俺を見ている事には気づいていた。だが、暗闇から感じられるその視線に殺気はなく、逆によくわからない感情が感じ取れる。
「おい!そこにいる事はわかっているぞ!さっさと姿を現しな!」
スーザンがそう告げると、俺の視線の先で何者かがもぞもぞと動き出すのがわかった。
もしかして……衛兵とかかな?もしそうなら、こんなところまで追いかけてくるなんてかなりの執念だよな……でも、なんで俺を見てるんだろう。犯人はこっちなのに……。
ちらりとスーザンを見て、再び視線を戻すと同時に、暗闇の中からその人物が姿を現した。汚れた布を全身に巻きつけているので性別はよくわからないが、頭部のところどころからは白色の髪が飛び出している。
白髪……?何この人……完全にホームレスみたいだけど、なんなんだ…?それに、なんだか震えている様にも見えるけど……
だが、次の瞬間、スーザンが再び声を上げる。
「おい!出てこいって言ってるだろ!バレてるんだよ!いい加減に諦めろ!」
その言葉を聞いた俺は、ついつい彼女を二度見してしまう。
え?この人何言ってるの?もう出てきてんじゃん……もしかして、見えてないの?えぇ〜あの白髪の人って……幽霊とか……?!
この世界にも、そういうオカルト要素はあるのだろうか。そんな事を考えてながら、改めてスーザンを見て驚いた。なぜなら、彼女は俺とは違う方向を見ていたのだ。
そして、彼女の視線の先に目を向ければ、暗闇から煌びやかなスーツを着こなした一人の紳士がゆっくりと姿を現したのだった。
なんとか追っ手を振り切って、アネモスに戻ってこれたソフィア(二郎)とスーザン。
ってか、叔母さんマジ何やってんだよ。捕まらなくてよかったですよ、本当に。
しかし、安心したのも束の間。
よく分からないホームレスと謎の紳士が現れて…
次回は、謎の二人とソフィアたちのお話。