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消えていったものたちへ

作者: みと

 柊彰は、ふと目を覚ました。スマホを見ると午前3時だった。

 朦朧とした頭のまま、ほぼ無意識でスマホをみる。いつも通り動画サイトの自分のアカウントをひらく。「shuu」名義で、オリジナル曲やカバー曲を投稿しているアカウントだ。と、再生数を見て固まる。そこには二日前に確認したはずの数字より100倍ほど多い数字が表示されていた。

 「へ、10万!?」

 深夜にもかかわらず隣人を気にせず大声で叫んだ。秋風と別れた恋人をうたった歌だ。この前1000回再生を大喜びしていたはずなのに。興奮を抑えきれず、コメントをみていく。コメントも前よりかなり多くなっている。そのコメントをみるとよく見かけるコメントがある。

 「floouからきた!かっこいい!」

 「floouのkotaから来ました。めっちゃいいねー」

 どうやら、floouというバンドのkotaという男がSNSでこの曲をほめたらしい。数日でこの人気はこのツイートが原因だろう。floouはインディーズの人気バンドのようで、有名人の力を思い知る。

 「すげー……」

 もう眠気も覚めてしまった。その曲だけではなくほかの曲も少しではあるが再生数が伸びている。このまま新曲でも出せばそれも多くの人に聞いてもらえるかもしれない。

 今日の講義は大したものではないから、大学はさぼってしまおう。何度も使ってもうすっかりなじんでしまったアコギを手に取り曲を作り始めた。

 

 曲の反響はすごかった。SNSで話題になった曲はもちろん、新曲まで今まででは考えられない再生数だ。聞いてくれる人だけでなく、コメントでほめてくれる人、ライブに足を運んでくれる人も増えた。中には、彰の歌で、替え歌を作ってあげている人もいて、友達と一緒に大いに笑った。


しかし、見る人が増えたからか、誤解を受けることも非難されることも増えた。

 「この彼女は、ほかのやつと浮気をしていた。それが原因で別れを選んだshuuは、そんな女に怒ってこの歌をつくったんだ」

 「ありきたりな曲に、それっぽい歌詞をつけただけ。こんな歌をいいというなんて、kotaは宣伝費をもらっているんじゃないか」

 あの歌は、たしかに前の彼女と別れた時に書いたものだった。でも、それは二股や浮気などではなく、いわゆる倦怠期でけんか別れをしてしまっただけだった。出会った当時は、全く気にならなかった些細なことが一緒にいる時間が多くなるにつれ、許せなくなってしまった。そのことがやるせなくて、別れた後深夜に勢いで作った心変わりの曲だった。なにかSNSでその曲の背景を語ってもよかったが、急に有名になって偉そうになったと言われたらいやだと思いやめた。Kotaにしても、もちろん彰から何かを頼んだということはなく、おそらくkotaの研究のためにみていた動画サイトでたまたま彰の歌を見つけたのだろう。根も葉もないただの非難コメントだ。気にすることはない。しかし、自分が作り出したもので誤解され、自分以外が侮辱されていく様には、違和感、不快感はぬぐえなかった。


 「なんか彰、再生数ふえてからかっこつけた歌詞書くようになったなあ」

 軽音楽部の先輩が不機嫌そうにいう。確かに誤解が増えたことによって、自分の本音や感情をかくして歌詞を作ることが増えた。それをかっこつけだといったのだろう。

 「まあ、そうかもですね……」

 先輩は人気が出ているとしても、彰に嫉妬するようなタイプではなかったし、いまも嫉妬しているわけではなかっただろう。言葉のまま、話題になってから彰の歌が変わったと思ったということだ。

 「俺はお前の書く歌詞好きだったんだけどな、無防備な感じで」

 先輩は何気ない感じでそういうと部室から出ていこうとする。

 「僕が歌わなくなったら、僕の歌はだれのものになるんですかね。もしかしたら、死んでしまうんですかね、僕の歌は」

 聞いたつもりではなかったし、聞こえなかったらそれでいいと思っていた。いや、聞こえないほうがいいとまで思っていた。しかし、先輩は聞こえたようではっとして振り向いた。そのまま何か言おうとしたが、それよりも早く彰はその場を立ち去った。

 

 汗が噴き出した。おかしい、そう思う。まだ、対バンライブは序盤で、いつものライブなら余裕で歌えているはずだ。それなのに、呼吸が上がる。息が苦しい。客はあのSNSからかなり増えた。それなのにうれしさはなくただただ茫然とした。いつも通り歌うことを心掛けていた。しかし、ついにそれもできなくなったらしい。いつものメロディーライン、それがどこか遠くに聞こえ、代わりに声が聞こえる。

 「あの歌詞は、女を憎んだものに違いない」

 「たぐいまれな、初々しい感性で描かれた、失恋の傷心に寄り添う歌」

 違う。そうじゃない。言葉にならない声で、頭の中だけで繰り返す。しだいに何が違うのかすらわからなくなっていく。息ができない。歌うことはこんなにも苦しいことだったか。表現はこんなにもつらいものだったか。彰は最後の歌が終わると逃げるようにその場から去った。


 音楽をやめることにした。これ以上、続けることは難しいと思った。人前で歌うと息ができなくなり、ギターを弾こうとすると手が震えて弾けなかった。何を歌えばいいのか、何のために表現すればいいのか、もう彰にはわからなかった。

 動画サイトのアカウントを消した。ギターを燃やそうと空き地に、新聞紙や木の枝とともにギターを放り投げた。小さい頃は、この空き地で花火やバーベキューをした。その頃はこんな気持ちでここに来るなんて思わなかった。コンビニで買ったチャッカマンで火をつける。ぱちぱちと火は少しずつではあるが燃え広がっていく。ぼんやりと彰は火を眺めた。火は風に揺られて生き物のようにギターを飲み込んでいく。

 美しい、と思った。汚されてしまったもの、壊れてしまったもの、存在しなくなってしまったもの、それに付随する細かなものたち。美しい、美しい。ただそう思う。小さな、くだらない、醜い、この世界でそれは、あまりに美しい。

 ―――俺はお前の歌詞好きだったんだけどな、無防備な感じで。

 ふと、先輩の言葉がよみがえる。なぜ、今になって気づくのか。


―――僕も好きだったんだ。

 僕は、僕の歌が、音楽そのものが、ライブが、好きだった。好きだったから変わっていくそれに耐えられず、好きだったのにそれを信じられなくなった。

ギターは火の中で、次第に形を失っていく。

 「僕の歌に意味はあったかな」

 火が渦を巻く空につぶやく。生まれて、愛され、手垢にまみれ、別物となり、ついに僕の手によって殺されてしまった僕の歌。

彰のつぶやきは、冬の静けさに押しつぶされて消えてしまった。


 部室に来るのは何か月ぶりか。もういつ来たか思いだせないそんな部室に彰は退部届を出しに来ていた。先輩はいつものように何を弾くでもなくギターを操っている。彰に気づいたようで、おう、とギターを見たままいう。

 「先輩、僕、音楽やめることにしました。ずっとギター一筋で勉強も就活も何もしてこなかったんで、インターンに行ってきます、いい仕事について、いい暮らししたいし」

 先輩は少し沈黙した後、鼻で笑ってそれにこたえる。いい暮らしなど、口から出まかせだとわかっているのだろう。彰は先輩のそばに退部届を置き、部室を出た。すると、なあ、と呼び止められる。

 「この前の、お前が歌わなくなったらお前の歌はどうなるかって話、あれからずっと考えてたんだけどよ」

 そこで区切る。先輩がよく考えて話しているのがわかる。あの一言を、本当に、ずっと考えてくれていたのだ。

 「お前の歌は、もうお前のものではないのかもしれない。お前が歌わなくなればもう、お前の歌は死んでしまうのかもしれない。お前の歌を一番知っている奴が、お前が、歌わなくなるからだ。でも」

 先輩の指はもうギターを触ってはいない。まっすぐ、すがるようにじっと彰を見る。

 「でも前に言った通り、俺はお前の歌が好きなんだよ。お前の歌をわかってるとは全然言えないんだけどさ。でも、本当に好きで、その気持ちは本当なんだ。―――俺は、お前の歌を残したかった」

 うつむいた先輩の顔に夕日がさす。

 「なあ、お前の歌は死んでしまったかもしれない。でも、確かに存在していたんじゃないのか。お前から生まれて、大勢の心に、俺の心に、刺さった。それは確かにあったことなんじゃないのか」

 そしてそのことは俺の胸に残り続けると思うんだ、と先輩はつぶやいた。先輩は泣いていた。彰も泣いていて、ありがとうございます、といった。なんでこんな近くにいるファンに気づけなかったのだろうか。彰の、彰でさえ見捨てた歌を、愛してくれた人にどうして気づけなかったのだろうか。

 廊下にでた彰の耳にかすかに涙交じりの彰の歌が聞こえてくる。先輩が彰の歌を、ひいてるところなんていままで見たことないのに。何度も弾いていたのか、やたら弾きなれている、もはや先輩の歌だとさえ思ってしまう、その彰の歌を聴きながら彰は歩いて行った。 


 この、素晴らしい世界に、美しい音楽の一つに、僕の歌は確かに存在していた。どんなに醜い形であっても、まったく変わってしまっても、僕の歌が存在していたこと、それに従って起こった出来事は確かなことだった。


 彰は強くマフラーを巻きなおす。風はいつまでも、先輩が歌う彰の歌を運び続けていた。


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