環境省からの手紙
僕は、帝竜大学で古生物学を教えている鳥島龍平である。ところで皆さんは古生物学という言葉をご存じだろうか。
一言でいうと、古代に生きていた生物の化石を研究する学問である。よく「考古学」と間違えられるが、全然違う。「古生物学」は「生物」の「化石」を、「考古学」は「人類」の「遺跡」を研究するのである。
さっそく本題に入るが、この大事件につながる物語は一通の手紙から始まる。
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拝啓
小暑を過ぎ、夏本番を迎えました。貴殿の皆様におかれましては、暑さに負けずご活躍のことと拝察いたします。
さて、この度は、私どもが開催致します、「第1回 龍生島における野生生物保全対策検討会」に参加していただきたくご連絡いたしました。
(以下、略)
――環境省からだ。
僕は日本では数少ない古生物学の研究者ではあるが、なぜ環境省から声をかけられるのかが疑問だった。そもそも、古生物学とは過去の生物を扱う学問である。野生生物の保全と何のかかわりがあるのだろうか。
似た名前の人がいて、本来呼ぶ予定だった学者と間違えてしまったのではないかとも考えてはみたが、名字が「鳥島」である。同じ苗字を持つ人を、生まれてこの方30年、会ったことがない。
――せっかくだし、行ってみるか。
古生物学者が会議に呼ばれることなんてめったにない。それに、会議の開催場所は首相官邸大会議室である。一般人が入れるようなところじゃない。
参加の主な動機は、正直その程度のものだった。
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首相官邸に初めて入ってみたが、それはそれはお金のかかっていそうな施設だった。
今回の会場である大会議室は、まず入り口が素焼きの石を積み上げられてできた壁である。部屋の中はトチの木が使用されていて高級感が漂っている。窓は全面ガラス張りで、そこから眺める景色は・・・建物ばかりだった。
「こんにちは。鳥島先生でいらっしゃいますか?」
振り返ってみると、40代前半くらいの男が立っていた。見た目にそぐわず、かなり高い声の持ち主である。
「はい。私が鳥島ですが。」
「私は環境省自然環境局野生生物課長の山下と申します。この度は、お忙しい中お越しいただきありがとうございます。」
「いやいや、こちらこそ呼んでいただきありがとうございます。あの、すいません、その、確認なのですが、僕の専門はその・・・古生物学で、今回の議題とあまり関係がないと思うのですが。」
「いえいえ、実は関係があるんです。古生物学の権威に来ていただきたく、この度はお声を掛けました。」
「いやいや、そんな、権威だなんて。」
『権威』なんて言葉を使われることなど全くなかったから、なんだか恥ずかしかった。一通り社交辞令を済ますと、山下課長はテーブルの方へ案内してくれた。
「ま、先生、椅子に座ってお待ちください。あと、原則ここでは飲食禁止なのですが、会議が始まるまでしばらく時間がかかりますので、全然かまいませんよ。」
「え、でも開始時刻って、15時ですよね。あと10分くらいでは。」
そう、口にしてみておかしいことに気づく。10分前なのにも関わらず、部屋にいるのは僕と山下課長だけだった。山下課長は窓の外へ、目線をどこか遠くに向けた。
「学会の権威って、だいたい自由奔放ってかんじなんですよね…。」
それから、15時を過ぎてからぼちぼちと人が入ってきた。皆が70歳くらいの年齢で、立っていても、座っていても、ザ・権威というような雰囲気を醸し出している。年齢的にも、漂う雰囲気も、明らかに僕だけ場違いである。
そして、用意された椅子に皆が座り、実際に会議が始まったのは一時間と15分遅れてのことだった。
「さて、皆様。お忙しい中、お集まりいただき誠にありがとうございます。この度は『第1回 龍生島における野生生物保全対策検討会』と題し、関連分野を代表する方にお越しいただきました。今までに顔を合わせたことがある方もいらっしゃると思いますが、初めての方もいらっしゃいますので、最初にこちらで軽くご紹介いたします。左前から、城南大学生物学教授…」
山下課長は、実に嫌味な様子を見せず、順調に会を始めた。
紹介される専門家の方々は、一度は名前を聞いたことがある人ばかりだ。実際にお目にかかるのは初めてだが。
またその分野は、植物学、動物学、環境学など、いかにも関連がありそうな学問である。
「最後に、右奥にいらっしゃいます、鳥島龍平先生。帝竜大学教授で古生物学を教えていらっしゃいます。」
――古生物学
という言葉を聞いた瞬間、会場の雰囲気ががらりと変わった。
「よろしくお願いします。」
権威らのギラリと向けられた視線に、少し声が震えているのが自分でも分かった。
「ちょっと質問いい?」
権威のひとりが手を挙げた。
「なんで古生物学者がいるの?関係なくない?」
――それ、僕も思ってます。
おそらく、ここにいる学者はみな同じことを思っている。
山下課長は一呼吸おいて回答した。
「関係がないように思われるかもしれませんが、実はあるんです。」
「いやだから、どこに関係あるんだよ。」
じれったく感じたのか、権威は声を荒げた。
「すいません、後ほど順を追ってご説明致しますので。こちらの至らぬ点が多く、誠に申し訳ございません。」
山下課長はその場をなんとか丸く収めた。こんな人達を相手にするなんて、その苦労は相当のものだろう。
「では、さっそく本題に入りたいと思います。まずは、龍生島について、鈴本からご説明いたします。」
ショートヘアで生真面目そうな若い女性が前に出た。
鈴本――スーツの胸元にある名札を見ると、本名は「鈴本あかり」らしい。失礼なことを承知で申し上げると、「明るい」感じではない。
「自然環境局野生生物課長補佐の鈴本と申します。私からは、この度対象となります龍生島について、簡単に説明いたします。スライドをご覧ください。龍生島は日本から約70㎞南に位置します…」
この鈴本という女性、かなりの早口である。よく噛まずにしゃべれるなあと思っていると、さっそく権威の一人が苦情を申し出た。
「鈴木さんさあ、さっきから聞かせる気あるわけ?全然聞き取れないんだけど?」
「失礼いたしました。では、再度説明いたします。」
ゆっくり話そうと努力はしていたが、それでも彼女の口調は早かった。
龍生島――日本から約70㎞南に位置している有人島である。面積は約540㎞²で、人口は約1万人だといわれている。島には本土とは異なる固有の動植物が生息しているため、その保全が重要視されている。
鈴本さんからは大体こんな説明がされた。
「私からは以上になります。」
「では、詳しい説明は僕の方からさせていただきます。今回、本格的に調査とその保全に取り組むことになりましたのは、いくつかの理由がございます。まず最初に、5か月ほど前になりますでしょうか、龍生山で大きな噴火があったからです。」
――龍生山。龍生島の中央に位置する火山のことである。たしかに、一時ニュースで大きな騒ぎになっていた。
「火砕流の影響で周囲の植生が広範囲に焼き尽くされていることが、スライドに映っている航空写真で確認できると思います。同時に、そこに生息する生物にも大きな影響があったかと思われます。今後も火山は活発に活動を続けると考えられるため、その影響で固有の動植物が絶滅しないか、また、絶滅を防ぐにはどうすればいいのかを議論していただきたいと考えています。鈴本、資料を配って。」
鈴本さんはA4コピー紙2枚ほどの資料を、キビキビと配り始める。
「ここにお集まりの皆様にはあえて言う必要はないと思うのですが、2次利用はおやめください。極秘情報となります。」
表紙にもきっちり「極秘」という文字が刻まれている。まさに、アニメ映画に出てくるような資料である。僕は心が躍った。
「極秘」情報であるが、その内容は世の中に出回っていない、島に生息する動植物のリストだった。動植物合わせて載っているのは20種ほどである。
「リストに記載されているのは、今までの調査で確認された植物・生物種になります。『小規模』な調査でしたので、まだまだリストには載っていないものも数多くいると考えられますが・・・皆様のご意見をお聞かせください。」
山下課長の声がなくなると、辺りはしんと静まり返った。
その中で、第一声を発したのは植物学の佐藤教授だった。
「私の分野から意見を言わせてもらうと、絶滅しないと思うよ。当然、直接火山のマグマや火山灰に埋もれた個体は枯れちゃうけど、いつかその土地に新しい芽生えができて、元の姿へと戻っていくと思うけどね。今まで何度も噴火はあっただろうし、その過程で今の生態系が形成されていると思うけどな。」
「異議があります。」
佐藤教授の意見に間髪入れず反応したのは、他の権威ではなく、前方に立っているショートヘアの女性。自然環境局野生生物課長補佐、鈴本あかりだ。植物学の権威にも一切臆さない、きりっとした目をしている。
「今回の噴火は大規模なものです。過去に何度も噴火があったとおっしゃいましたが、これほど大きな噴火は、記録上一回もございません。生態系に大きな変化を及ぼすと考えられます。またその状況から、龍生山はこれからも頻繁に大きな噴火が起きると考えられています。そうですよね、橋木さん。」
相変わらずの早い口調である。
火山学の権威――橋本教授は話を聞いていたのかいなかったのか分からないが、鈴本さんと目が合うと首を何回も縦に振っていた。
――というか、橋本教授を「さん」呼びだとは。となりで山下課長がハラハラしているのが目に浮かぶ。
佐藤教授は、いつの間にか敬語で話をしていた。
「えっと、すずきさんでしたっけ?」
「すずもとです。」
「ああ、失礼。鈴本さん。確かにその点、僕の認識に誤りがありました。ですけどね、このリストに載っている植物ならまだしも、載っていない植物について考えるのはいくらなんでも情報不足すぎませんかね。私ども専門家も現場を調査しない限りはどうなるかなんて分かりませんよ。それは、生物分野の方々だってそうですよね?」
各分野の権威は、皆静かに相槌を打っていた。
「ほら、皆さんそういってますよ、鈴本さん。」
佐藤教授は煽るような口調である。
「はあ・・・これだから無能の集まりは・・・」
鈴本さんは怖いもの知らずなんだろうか。権威方の怖い視線が一斉に集中した。
「こら、口を慎みなさい。」
さすがの温厚な山下課長もこれには黙っていられなかったようである。山下課長は土下座をする勢いで謝罪を繰り返した。
当たり前だが、会議の雰囲気が戻ることはなく、誰も口を開かなくなった。
山下課長はその様子を見て、ひとりであたふたしていた。
「その・・・鳥島教授はどのようにお考えですか?」
おそらく、一番声をかけやすい僕に意見を求めたのだと思う。
山下課長は今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「えっと、絶滅するか否かという議論をする上で私『古生物学者』が呼ばれたと思うので、その点についてご意見させていただきます。結論から申し上げますと、動植物問わず、絶滅する種と生き残る種の両方が存在すると思います。絶滅した古代生物といいますと、皆さんはまず『恐竜』を思い浮かべると思いますが、恐竜は完全に絶滅したとは言い難いのです。詳しい説明は省かせていただきますが、骨格の構造などから一部の恐竜は現代の鳥類に『進化』したという説が今では主流になっています。地球規模でそういった現象が起きていますので、龍生島でも同様のことが言えるのではないかと。」
――私は教授らの目を見て話していたが、その教授らの奥で、首を横に振る鈴本さんの姿が僕の目に入ってきた。
「あの、鈴本さん。何か私の発言で間違った点がありましたか?」
鈴本さんはすぐに反応した。
「はい、あります。あなたを呼んだ理由が違います。」
――呼ばれた理由?
そう疑問に思っていると、山下課長が元の調子で説明を始めた。
「そうでした。すいません、こちらの段取りが悪くて。一番重要なことを忘れておりました。鈴本、早くスライドの準備を!」
「言われなくてももう出来ていますよ。」
「じゃあなんで伝え忘れているって言ってくれないんだよ・・・あ、えっと、お待たせいたしました。先ほど『極秘』の資料を配布いたしましたが、こちらは資料にできないほどの『極秘』情報となりますので、ご了承ください。鈴本、ドアを開けて。」
ドアが開くと、十数人の警備員がずらずらと入ってきて、僕たちの周りを囲んだ。
「あえて言う必要はないですが、写真撮影はおやめください。」
――いや、この状況でできるか!
と心の中でツッコミをいれていると、スライドに画像の粗い航空写真が映し出された。
ちょうど火砕流が流れたところだろうか、森林が焼かれ地面がむき出しになっている場所に、1頭の動物らしきものが映っている。倒れた巨木だとも考えられるが、そのぼやけた輪郭はまっすぐな幹のようではなく、なめらかに膨らんだり、細くなる部分が確認できる。それは、大きな頭、大きな胴体、長い尻尾を持つように見える。
僕と同じく、周りの教授らも身を乗り出して見つめていた。
「・・・でかいな。」
誰かは分からないが、ぼそっと呟く声が聞こえた。
「そうなんですよ。航空画像を限界まで拡大しているため、その細部まではよくわからないのですが、とにかく大きいんです。上から見た長さ・・・つまり、体長ですが、10mは超えていると考えられます。」
――10mだと・・・まさかね。
僕だけじゃない。皆驚きを隠せない様子だった。その中で、また誰かが呟いた。
「そんなバカな。陸上生物最大のアフリカゾウだって、大きくても体長8メートル弱なのに。てか、そもそもここは日本だぞ。そんな生き物いるはずが」
「今まで見つかった中では・・・でしょ。」
言葉を遮ったのは――鈴本さんだ。
それに続いて、佐藤教授が声を発した。
「僕の専門は植物なんで教えていただきたいのですが、これが、動物なのは確かなのですか?何かの見間違えでは。」
「では生物ではないとして、他の可能性で何が考えられますか?」
「それは・・・」
佐藤教授だけではない。他の教授らも眉間にしわを寄せて考えていた。しかし、誰も他の可能性が浮かばなかった。
いや、可能性が浮かぶ人もいたのかもしれないが、このスライドに映し出されたものが、そんなつまらない可能性ではないと悟るには、用意された状況を鑑みれば容易なことだった。
その様子を見かねて、山下課長が話を進めた。
「私たちも、様々な可能性を検討しました。でも、この1枚の航空写真ではいくら検討しても、何も確信めいたことは分かりません。そこで、私たちは2週間ほど前、現地に研究員を1名派遣致しました。その人から送られてきた画像なのですが・・・これです。」
また、新しい画像がスライドに映し出された。
――どこか湿地で撮影された地面だろうか。ぬかった泥に大きな足跡が一つ付いていた。三本の足指を持つ生物であることは間違いない。それに、この足跡の感じ、見覚えが・・・
まさか、と思って顔を上げると、ちょうど鈴本さんと目が合った。
「鳥島さん、この足跡ですが、何の生き物だと思います?」
皆の視線が一気に集まる。僕は落ち着くため、一度深呼吸をしてから話し始めた。
「古生物学者として、軽はずみなことは言えないのですが、これは、似ています。その、僕が普段扱っている化石。その・・・恐竜に。」
――絶対にいるはずがないと思うが。目の前に映し出された事実らに、そう言わざるを得なかった。
読んでいただきありがとうございます。
初心者ですので、今後文章に修正を加える可能性が高いですが、何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。