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謀略編・第二十八話

 謀略編・第二十八話、更新します。

 

 今回は近江国が舞台になります。

永禄五年(1562年)四月、近江国、観音寺城、平井定武――



 近江を発ったのは先月の事であった。

 目的は娘・梅の婚儀に出席する事。留守居は後継ぎである息子がやってくれるというので、妻とともにその言葉に甘えて、僅かに雪の残る山道を越えながら加賀まで赴いたのだ。

 儂が加賀へ赴くのは二度目になる。だが、妻と娘にとっては初めての経験。あらゆる見聞きする事が初めての経験であり、道中の景色に母子仲良く笑い合っていた事を思い出す。


 加賀に入ると、その笑いは一転して驚きに変わっていた。

 その気持ちは儂にも良く分かる。加賀の地は、明らかに他国とは違うのだから。以前、加賀へ伺った際に加賀守(武田信親)様から教えて戴いた事がある。

 加賀で試行し成功した国造りを、武田本家で実行に移しているのだ、と。

 その言葉が事実であれば、現在、武田家が拠点としている越前一乗谷城城下町も、この加賀と同じように栄えているという事になる。

 ますます武田家を敵に回してはならん。その思いを改めて実感させられた。


 婚儀は大した物であった。

 加賀の主である加賀守様と御側室のゆき殿こそ御出席されてはおられなかったが、代わりに使者である河田長親殿という若武者が、祝いの品を届けにやってきていた。

 婿(柴田勝家)殿が大層、恐縮していた事を思い出す。


 他にも加賀の家老である小畠孫次郎昌盛殿、井伊藤吉郎殿、軍配者である明智十兵衛光秀殿、婿殿の家臣である佐々殿、前田殿を始めとして何名も姿を見せておられた。

 皆、他国にまでその名を轟かせる御仁だ。錚々たる顔ぶれに、娘が気圧されねば良いのだが、と場違いな不安を感じてしまった事を思い出す。

 だが婿殿は不器用ながらも気遣いの出来る、面倒見の良い男だ。何かあっても娘を守ってくれるのは間違いない。

 儂も娘に『婿殿は其方を守ってくれる男だ。安心するがよい』と声をかけると、婿殿は『必ずやお守り致す』と間髪入れずに返してきて、娘が気恥ずかしそうに『はい』と返事をしてきた。

 娘はこの地で、きっと幸せに暮らしていけるだろう。


 金沢に逗留したのは、都合十日ほど。長く連れ添った妻にとっては初めての長旅。折角の機会だからと、金沢の町を見物させて戴いたのだ。

 見る物、全てが珍しい。妻も口を開けたまま、驚きで体を強張らせていた。

 特に妻を驚かせたのは銭湯、という存在だ。民草が大きな寺で提供される蒸し風呂や、川辺や井戸の傍で身を清めている光景は知っているのだろう。だが湯船に浸かり、石鹸で身を清める、というのは今までに聞いた事も無かったのだろう。


 生来、好奇心の強い妻であった為、折角だからと銭湯に挑戦してみた。

 銭湯の利用方法は、金沢城で使わせて戴いた風呂とほぼ同じだ。違う点があるとすれば大人数で使っている為、周りに迷惑をかけないように、という点ぐらい。夫婦揃ってお忍び気分で半刻程、銭湯を体験させて貰った。

 表向きは隠居した商人のフリをして湯船に浸かっていたのだが、実に有意義な一時であった。


 儂が会話をしたのは十名ほどだったか。この金沢に住んでいる民が八人と、常備兵として召し抱えられた兵が二人。

 話をして分かった事は、加賀守様に対する民草や、兵の忠誠心は非常に高い、という事だ。

 民にしてみれば『食い物に困る事は無いし、仕事に困る事も無い』『税も安くてありがたい、逆に安すぎて御殿様が困っておらんだろうか?』『御殿様は決して儂らを見捨てるような真似はせん。戦場で片腕を失ってしまった息子にも出来る仕事を与えて下さった』と評価は上々だ。

 

 常備兵二人からも『上役や古参兵から聞いた事は有るが、加賀守様は戦で無理攻めはしないそうだ。目先の圧倒的勝利より、一人でも戦慣れした古参兵を生き残らせて、次の戦に備える事が大事だと、常々口にしておられる。と』『だからと言って、甘い訳じゃないしな。やる時にはやる御方だ。長島攻めが良い例だと上役が教えてくれたよ』という話を聞いた。

 儂はこの話を聞いた時、背筋に寒気を覚えた。

 無理攻めをしない。加賀守様はこの話が民草の間に漏れ、結果として他国にまで聞こえたとしても構わぬ、と判断しているという事だ。


 無理攻めをしてこない、と分かれば加賀武田家と相対する他家の軍勢は、それを念頭において戦おうとする。それは当たり前の事だ。

 結果として好機を逃す事もあるだろうし、それによって得られる筈であった大戦果を逃す事にもなるだろう。だが、加賀守様は大戦果に価値を見出しておらぬ、という事が理解出来た。寧ろ、あの御方は戦場での名声に、何ら興味を持っておらぬのだろう。

 明らかに武者の思考ではない。その思考は為政者のそれだ。二つ名である今荀彧に相応しく、あくまでも政を第一として考えておられるのだ、と。

 

 そしてもうすぐ五月になるだろう、という頃。

 翌日に加賀を発つ事。そして此度の件で御礼の言葉を申し上げる為に加賀守様に目通り願った儂は、加賀守様からある事について内密に相談を受けた。

 その内容は武田家に関する事ではあるが、儂にとっても他人事で済む話では無かったのだ。だからこそ、加賀守様は他家の家臣、それも重臣である儂に打ち明けてくれたのである。

 

 正直な所、儂にとって腹立たしい事この上ない話であった。もし相手が加賀守様でなければ、怒鳴りつけるぐらいはしていたかもしれん。

 だが娘の事を考えると、その激情は収まってしまう。何故なら、この話は娘の幸せに繋がる話であるからだ。同時に六角家の武田家に対する借りを幾らかお返しする事にもなる。

 故にその時が来た場合は、平井家の名を御貸しする事を御約束させて戴いた。

 これについても、帰国後に御報告致さねばならぬだろう。


 儂は妻と護衛の兵達とともに懐かしの観音寺城へと戻った。

 まず最初にすべき事は、六角家当主である右衛門督義治様に帰還の挨拶と御報告。

 続いて御隠居様にも同様に。右衛門督様こそが御家の当主なのだ。その事を忘れてはならぬ。その為にも順番は必要なのだ。御隠居様もきっと分かって下さるだろう。

 ただ儂の留守中、六角家は美濃に攻め込む予定だった筈。もし実行中なら、今は御不在の筈だ。まずは先触れをと考えていたのだが、すぐに目通りが叶った。


 「御屋形様。平井加賀守定武、只今、加賀より帰還致しました」

 「俺より先に父上に報告しないで良いのか?」

 「六角家当主は御屋形様に御座います。御隠居様も是とされましょう」

 御隠居様が当主の座を退かれたのは、御屋形様を六角家当主として一人前に育て上げる為。であれば、此度の儂の行動も御隠居様は是とされるだろう。

 それにしても、どうして御屋形様がいるのだろうか?六宿老も全て、ここに同席されておられる。美濃攻めはどうしたのだ?

 そんな事を考えつつ、此度の報告へと思考を切り替える。


 「武田家筆頭軍師殿より、伝言を預かって参りました。今後も当家と親睦を深めていきたい、娘・梅と加賀武田家家老柴田家との縁組は、その懸け橋となるであろうとの事に御座います」

 「ふん、当たり障りのない返事だな……それだけか?」

 「いえ。まだ二つ御座います。まず伝言を預かって御座います。能登畠山家に不穏の気配有り。筆頭軍師殿の見る限り、近い内に能登の地で内乱が起きるだろう、と。その場合、加賀武田家は能登畠山家御正室である艶姫様と、幼い若君様を救出の為に動くつもりでいる。六角家との友誼を考慮すれば、流石に見て見ぬふりは許されんだろうと申しておられました」

 艶姫様は御屋形様の姉君にあたる御方だ。さすがに御屋形様も、姉君を見捨てる事は出来んだろう。

 そして能登で事が起きた場合、南近江から能登救援に赴く事は難しい、と言わざるを得ないのも事実。

 であれば、同盟国である武田家が率先して動いてくれるというのなら、それに甘えさせて戴こうと判断するのは間違いではない。

 少なくとも、今の六角家にそこまでの余裕は無いのだから。


 「さすがに姉上を見捨てる訳にはいかんだろうな。分かった」

 「ははっ」

 能登の窮状は、御屋形様にも寝耳に水であったようだ。虚を衝かれたように、驚いておられる。

 儂も加賀で聞かされた時には驚いたものだ。まさか能登国守護職を務める名門・畠山家がそこまで弱体化していたとは、欠片ほどにも考えなかった。

 だが内政を疎かにした為に、国人衆には愛想を尽かされ、民は重税に喘いでいるという。恐らく、国人衆と百姓が手を組んで畠山家に対して反旗を翻すだろう、と。

 周りの声も畠山家当主、修理大夫義綱様には届かないそうだ。寧ろ、忠告をしても逆効果だとまで言われてしまった。しかも加賀武田家が逆恨みをされている始末だという。加賀の善政を聞いた民が加賀へ逃げ、国人衆達が加賀武田家のやり方を真似をしているのが不愉快極まりないらしい、と。


 「二つ目に御座います。筆頭軍師殿より、場合によっては加賀武田家に平井家の分家を作りたい。時が来たら平井家の名だけ貸してほしい、と頼まれまして御座います」

 「どういう事だ!平井!其方、武田家に鞍替えするつもりか!」

 「落ち着いて下され!御屋形様!」

 一瞬で御顔を紅潮され、その場に立ち上がって激怒される御屋形様。そこに割って入って下さったのは、同席されていた下野守(蒲生定秀)殿であった。

 儂としてもこうなる事は分かっていた。故に不満に思う事は無い。

 ただ残念なだけだ。せめて儂の話を、事情を聞いてから御判断を願いたいのだが。


 「確かに加賀守(平井定武)殿の申しようは、御怒りを買う物かもしれませぬ!しかしながら、加賀守殿がその事を御理解しておらぬ訳が御座いませぬ!きっと致し方なき理由がある物と存じまする!」

 「ならば説明してみよ!」

 「浅井家嫡男、万福丸に御座います」

 ここで浅井家の名が出るとは思わなかったのだろう。御屋形様も六宿老達も呆気に取られていた。

 儂も浅井家には思う所はある。特に猿夜叉丸、いや新九郎(浅井賢政)に対する憤懣は、未だに儂の身を焦がし続けている。

 だからこそ、実の孫であっても憎き浅井家嫡男の万福丸を助ける為に動くつもりは無かった。

 しかし、娘・梅の幸せに繋がるのなら話は別だ。

 万福丸が浅井家の邪魔者となった時、一番悲しい思いをするのは母親である梅なのだから。それならば、儂が祖父として助けに入るのも悪くはない。

 

 「御屋形様。もうすぐ浅井家正室として、武田家当主越前守義信様の御息女、園姫様が嫁に入ります。この目的は浅井家を血で取り込む事。浅井家に武田家の血を入れる事で、代々の浅井家当主を武田家に従属させる事にあります。その際、問題となるのが現在の嫡男、万福丸の処遇。万福丸には武田家の血が流れておりませぬ」

 その意味を六宿老は理解できたようだ。

 『そういう事で御座いますか!』と儂の背後から納得したような声が上がる。

 問題は御屋形様だ。まだ御理解されておられぬらしい。


 「武田家としては、園姫様の実子を浅井家次期当主にしなければ都合が悪いので御座います。しかしながら、このままでは万福丸の存在が邪魔になります。故に筆頭軍師殿は、新九郎と園姫様との間に跡取りが産まれた場合に限って、万福丸を加賀武田家で引き取り、平井家分家として御家を立ててやりたい、と仰せになられたので御座います」

 「……」

 「武田家としては浅井家嫡男に武田の血を継く子を就ける事が叶う。六角家としては平井家の名を使う事に目を瞑る事で、武田家への借りを返す事が叶う。同時に娘も、実子を傍において暮らす事も出来る。娘の心労を減らす事も叶い、何より面倒見の良い婿殿が義理の息子を守ってくれる。仮に六角家がこの話を断った場合、筆頭軍師殿は平井家分家ではなく浅井家分家とするお考え。ですがこの場合、六角家には何の利も御座いませぬ」

 「……勝手にせい!」

 御屋形様は足音も荒く退席されてしまわれた。

 そのまま背中を見送っていると、遠くから『酒を持てい!』という怒鳴り声が聞こえてくる。

 何と嘆かわしい事だ。御屋形様は、人の心を御理解なされぬのか?

 内心で六角家の将来に不安を感じていると、下野守殿が声をかけてきた。


 「お気を落とされるな、加賀守殿。御屋形様には御理解戴けぬ」

 「下野守殿!」

 「加賀守殿、某はこのような事を口にしました。ですが、それが問題にならぬほど、状況は悪化してしまったのだ」

 どういう事だ?儂が近江を不在にしていた間に、何が起きたというのだ?

 

 「美濃への出兵が取りやめになったのだ。御屋形様は美濃へ出陣する為に、年明けより領内に触れを出しておられた。しかし、国人衆達が触れに背いて参陣を断ってきたのだ。御屋形様の旗下で戦いたくない、と」

 「何だと!?それは不忠の極みではないか!」

 「加賀守殿が御怒りになるのは御尤も。ただ、国人衆達は御隠居様と次郎様の旗下なら、馳せ参じあげます、と申してきたのだ。無論、御隠居様も複雑な所が御座いましたでしょう。しかし美濃攻めという好機を逃がす訳には参りませんでした。故に御隠居様の名を借りて、という苦肉の策を用いようとなされたのだが、御屋形様はそれをお断りになられたのだ」

 御屋形様と六宿老全員が観音寺城にいたのは、そういう訳であったのか。

 誇り高い御屋形様の事だ。御隠居様の名を借りての出兵は、受け容れられなかったのであろうな。

 御屋形様は、そこまで人望を失っておられたのか。

 廊下の向こうに消えてしまった背中を思い出す。幼い頃から勝気であられたが、乱世を生き抜くにはこれぐらいが良いだろうと思っていた。

 だが、それが間違いであったとはな。


 「……各々方も同じ御考えかな?」

 「但馬守(後藤賢豊)殿だけは御屋形様に付き従うと申しておられましたが、某を含めた残り四名は御隠居様なら付き従う、と申し上げました。ただその但馬守殿にしても、御隠居様がそれを望んでおられるからだ、という御考え。心の底から御屋形様を認めておられる訳では無いのだ」

 儂に視線を向けられた但馬守殿が重々しく頷かれる。

 下野守殿が口に出された、御屋形様に対する不安。最早、御屋形様では六角家を纏め上げる事は出来ぬ、という事だろう。国人衆達が背き、六宿老ですら四名もが御屋形様に対する姿勢を明確にしてしまった。


 「御自身の誇りの為に、一時の苦汁を味わう事も拒否され、美濃攻めの好機を見過ごしてしまわれた。そしてこれが何を意味するのかも御理解戴けぬ」

 儂は思わず目を剥いてしまった。

 だが六宿老達は、皆が無言で頷くばかり。誰一人として御屋形様を擁護しようともしない。

事、ここに至って、最後の機会も失われてしまった。そういう事なのだろう。

 

 「……美濃を失い、御屋形様は隠居を余儀なくされる、か。御隠居様の御心労は、想像すら出来ませぬな」

 「御隠居様の御姿が無いのは、寝込んでしまわれた為なのだ」

 「下野守殿、ご説明忝い。各々方、某は御隠居様に此度の御報告に上がる為、失礼させて戴く」

 御隠居様の御心中、察するに余りある。

 どれほどの悲しみと怒りが、その身の内で暴れているだろうか。

 儂は重くなってしまった足を引きずるようにして、御隠居様の下へ向かった。


 「帰ったか。どうやら婚儀は良き物であったようだな」

 「はは。全て御隠居様の御配慮のおかげに御座います。つきましては、此度の件について御報告申し上げる事が御座います。暫し、お時間を戴きたく願います」

 御隠居様は寝込んでいる、という話であった。

 だが実際には、こうして起きておられた。身嗜みもしっかり整えており血色も良好だ。寝込んでいるというのもフリだったのでは?と考えるしか無かった。

 恐らくは、美濃攻めの顛末について御独りで熟考されたかったのであろう。


 「……うむ。其方の行動に間違いはない。武田家に対する借りも貯まり過ぎていた。であれば、幾らかでも借りを消せるのは有難い事よ。特に六角家が何かを失う訳でもないのだからな」

 「はは。仰せの通りに御座います。断ったとしても浅井を利するだけで御座いました」

 「そうだな。万福丸を廃嫡して、浅井の領内に分家を立てる。武田家は『浅井家は嫡男を廃嫡してまで忠義を貫いた』と判断して重用しよう。加賀守(武田信親)殿が最初に平井家分家を立てる、という話を持ってきたのも、遠回しに借りを返す為の口実として手回ししてくれた、と考えるべきであろうな」

 『あまりにも借りが貯まり過ぎたわ』と御隠居様がぼやかれた。

 上洛の時の朝敵騒動から、これから起こるであろう艶姫様救出に関する事まで。六角家は借りしか作っておらん。それどころか唯の一度も借りを返しておらぬ。

 これ以上、武田家に借りを作る訳にはいかんのだ。


 「新九郎(浅井賢政)は浅井家を守る為、万福丸を廃嫡するという非情の決断を下すであろうな……儂に足りなかったのは、この非情さであったか」

 「御隠居様」

 「其方や他の六宿老。なにより、今は亡き三郎左衛門(三雲定持)には迷惑をかけ続けてきてしまった。儂に非情さがあれば……そうか。浅井の強さはそれであったのか。平井、新九郎の母親である阿古殿の事を覚えておるか?」

 「覚えております」

 懐かしい名前だ。

 浅井家先代当主、久政の正室である阿古殿。新九郎を孕んだ状態で、六角家に人質としてやってきた女人。

 当時、六角家は久政の対応に目を白黒させたのだ。

 浅井家が六角家に臣従する証として質を送る。ここまでは構わぬ。

 だが、孕んだ正室を送ってくるとは、誰一人として想像すらしなかったのだ。


 「久政の非情さが、浅井家を守ったのだ。そして新九郎の非情さが、再び浅井家を守ろうとしているのだ。それに引き換え、儂は何をした?息子が過ちを犯した時に、儂は御家を守るよりも息子を守ろうとしておらなかったか?」

 「御隠居様!それ以上は口にされてはなりませぬ!」

 「……其方は本当に気遣いの出来る男よな。だが、儂に非情さが無かったばかりに、今の六角家があるのだ。儂に非情さがあれば……このような事にはならなんだ!」

 御隠居様は両の拳を血が滲み出るほどに握りしめられながら、何かを呪いでもするかのような御声を、腹の底から絞り出すように口にされた。

 儂が思うに、御隠居様は十分すぎるほどに有能な御方であらせられる。御隠居様を上回る歴代の六角家御当主など、雲光寺(六角定頼)様御一人だけだ。

 故に、儂は御隠居様に対する不満など無い。儂が忠誠を誓う主として、十分すぎるほどの御方であると思っているからだ。

 その御隠居様が己を責めておられる。


 『全ては己の甘さが原因なのだ』と。


 「平井、ここを退室した後、六宿老全員に伝えるのだ」

 「何を、で御座いましょうか?」

 「明日、午の刻に登城せよ、と。儂は儂にしか出来ぬ、いや、儂がしなければならぬケジメをつけねばならぬのだ」

 まさか!


 「それだけはお止め下され!」

 「良いのだ。もっと早くに、いや、朝敵騒動の時にするべき事だったのだ。儂は三郎左衛門の遺言に、甘えてしまっていたのだ。遅きに失してしまったが、やっと理解出来た」

 その時の御隠居様の御顔を、儂は終生忘れはしないだろう。

 柔らかい春の日差しに照らし出された御顔は、四十歳を超えたばかりとは思えぬほどに老け込まれてしまっていた。

 御髪も白い物が目立っており、いつのまにこれほどに御年を召されてしまわれのだ?と思ってしまうほどだ。

 だが、その表情はいつになく晴れやかな笑みであらせられた。

 まるで御仏が浮かべておられるような、慈悲と慈愛に満ちた笑み。

 神々しさすら感じてしまうその笑顔に、儂は自然と頭を垂れていた。


 そして一言。


 「平井家は六角家の盾に御座います。某が没した後も、代々の平井家当主がお守り致します。決して、御隠居様の御決断を無駄にするような、不忠者を当主の座には就けませぬ!」


 儂の耳に、満足そうな御隠居様の御言葉が聞こえてきた。


 「忠心、大儀である。その忠心に恥じるような事は決してせぬ事を、忠臣である其方に誓おう……儂は六角家先代当主として……次郎義定こそが新しい当主である事を宣言する!」

 

 悲しみが溢れた御声。儂は決して忘れぬ。

 御隠居様がどれほど苦しんで御決断なされた事であるのかを。


 今回もお読み下さり、ありがとうございます。


 今回は終始、平井定武さん視点になります。


 【加賀の脅威】

 国力・民忠を見せつけられ、このままでは!と危機感を感じる平井さん。以前、来た時は娘の幸せの事だけを考えていたので、お忍びを楽しむほどの心の余裕がありませんでした。


 【能登畠山の件】

 艶姫救出の大義名分を得る為に、主人公は平井さんを通じて六角家に話を通しました

 六角家としても嫁入り先が危うい、でも助けられないという状況なので、主人公の申し出は渡りに船状態。


 【加賀武田家・平井家設立】

 武田家にとって、邪魔者なのが万福丸(賢政と梅の子供)。

 とは言え、賢政にとっては大事な跡取り。

 その為、落しどころとして主人公が考えたのが、平井家分家の設立。万福丸を分家当主にする事で、問題解決を図るという物です。

 ついでに平井家にする事で、六角家の作った借りを返済する好機だよ、という意味合いもあります。平井さんはこの事に気づいてくれました。


 【万福丸】

 浅井家嫡男である限り、平井さんが孫として認める事は無いと思ってます。

 でも結果として浅井の名を捨てて平井を名乗れば話は別。それに近くに母親である梅もいる。梅にしてみれば、生き別れの可愛い息子の傍で暮らす事も出来ると気付き……それなら平井さんも納得するだろうな、という感じです。


 【蒲生さんの思惑との違い】

 反・義治君として蒲生さん・三雲さん・平井さん・目賀田さんを狙っておりました。ですがここに進藤さんが加わりましたが、平井さんは蒲生さんの想像以上に心が広かったwなので、こんな目に遭っても平井さんは義治君に同情的。平井さんに対する義治君の当たりが、蒲生さんの想定よりも甘い物であったのも理由ではあるんですけどね。

 平井さんの報告は娘の幸せよりも、六角家重臣としての物であった事。同時に義治君こそが主なんだよ、承禎さんはその次なんだよ、とハッキリ明言したのも要因です。

 

 【美濃攻め中止】

 プライドの為に、好機を逸した六角家。

 結果、六人衆の忠誠心は義治君から失われておりました。

 一番厄介なのは、謁見の間でこんな事を口にしても問題ないほど、悪化してしまった状況。史実の六角家式目が成立した時も、こんな感じだったんでしょうか?


 【承禎さん気づく】

 格下とばかり思っていた浅井家の非情さ=真の強さに、遅まきながらに気づく承禎さん。六角家は強大なので、このような非情さとは無縁の御家だったからこそ、気づく事が出来なかったのでしょう。弱小大名の運命、その程度に考えていたのでしょうね。

 

 【ケジメ】

 永禄五年(1562年)四月。史実の観音寺騒動の一年前。

 ついに動き出した承禎さん。

 結果がどうなるか?暫くお待ち下さい。

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― 新着の感想 ―
[一言] 〉だが、儂に非情さが無かったばかりに、今の六角家があるのだ。儂に非情さがあれば……このような事にはならなんだ! まぁ、そうなんだけど。同時に隣でここに至るまでの道を、混じりっ気のない悪意から…
[一言] 決断は良いとして、うまくいくのかどうか。 義治君も用心くらいしてるだろうしね。 生き残る六角はどの六角だろねー
[一言] 皆さんの感想、同じ様にやらかした義輝さんに比べ義治さん少ない様な・・・・・・同じ様にプライドばかり高く後先考えないキャラが被ってこの人気争いに関しては義輝さんに軍配が上がっているんですかね。…
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