謀略編・第二十二話
謀略編・第二十二話更新します。
今回は評定の続きからの内政話と、近江で暗躍する蒲生さんの話です。
永禄五年(1562年)三月、加賀国、金沢城、井伊藤吉郎――
評定を無事に終えた後、俺は早速、留守中の報告を行う事にした。
特に今回は、必ず報告しなければならない件があったからだ。
「加賀守様。留守中の内政についてで御座いますが、一件、不測の事態が発生致しました」
「何が起きた?」
「竹炭の排熱を桑の木へと導く為の筒が壊れたので御座います。ですが、何とも奇妙な状況で御座いまして」
鉄の筒の部分は、小さな虫食いの穴が幾つか空いている。筒と筒を繋ぐはんだの部分は、内側に白い粉がついていた事を説明した。
加賀守様は俺の報告を聞きながら、何度も頷かれていた。
「藤吉郎。まず排煙を導く筒について訊ねる。筒に小さな穴が空いていた、と申していたな?錆びはあったか?それと屋外の筒についても同じか?」
「錆については、炭焼き小屋内部については見受けられませぬ。屋外には錆が見受けられました」
「屋外の筒は錆びがあったというのだな……屋外の筒だが、小さな穴が筒の下の方に空いているか、確認は取れておるか?」
『少々、お待ちくださいませ』と申し上げると、俺は今回の件で調べた限りの情報を書き留めた帳面を取り出した。
外の筒の様子について書き留めた部分に目を通していく。
「仰せの通りに御座います。外の方が穴が多いという報告が御座います。また穴自体もより大きく、場合によっては指先程の穴が空いていた場所もあったとの事に御座います」
「屋外、というのは桑の木がある小屋の壁から、炭焼き小屋の壁の間。文字通り、野ざらしの部分で間違いないな?」
「はい、仰せの通りで御座います」
一応、無駄に熱を奪われない為に藁で覆ったり、木で屋根を作ったりはしていたのだが、所詮はその程度だ。横殴りの雨や、強風はあるのだから野ざらしという表現も、あながち間違いではないな。
「藤吉郎。次にはんだについて訊ねる。はんだだが、鉛が使われているか?使われているのなら、その割合は如何ほどだ?」
「鉛一斤(600g)に対して、錫が十両(375g)ほどに御座います」
「これは確定だな。俺の失策だ。そこまで考えを及ぼすべきだったわ」
その仰りようだと、加賀守様は原因に心当たりが御有りのようだな。
一体、何が原因だというのか。評定の場から立ち去らずに残っていた方々も、興味をひかれたのか静かにされていた。
「原因は酢だ」
「酢!?加賀守様、失礼ながら申し上げます。炭焼き職人を始めとして、誰も酢など持ち込むような真似はしておりませぬ!」
「落ち着け、藤吉郎。竹に限らず、炭を作ると煙が出る。この竹炭の煙が冷えるとな、竹酢酸という酢に似た液体を作る事が出来るのだ。此度の一件は、熱い煙が冷やされて筒の中で竹酢酸になってしまったのが原因よ」
竹酢酸?初めて聞いたわ。
それにしても、酢?酢と言えば、大層、高価な調味料であると聞いた事があるのだが。もしそれが事実なら、売る事も出来るのでは?
その事を俺が口にすると、加賀守様は笑いながら教えて下さった。
「竹酢酸は厳密には酢とは違う。飲食には使えんのだ。使い道としては、土の改良や農地の防虫等になる」
「それはそれで便利で御座いますな」
「酢にはな、赤い鉄錆を落とす効果。そして幾つもの金属を腐らせる効果がある。鉛もその一つ。其方が見た白い粉は鉛白と言ってな、白粉に使われている代物になる。はんだは鉛と錫を練り込んだ物だ。竹酢酸によってはんだが脆くなり、鉄の筒の重さに耐えられなくなって落ちたのだろうな」
あの白い粉は、鉛であったのか……ん?待てよ?
頭の中に、嫌な考えが浮かんでしまった。
「加賀守様、その白い粉で御座いますが、鉛という事は毒なので?」
「そうだぞ。舐めたり吸ったりすると、体中に痛みが走り苦しむ事になる。やがては立ち上がる事も出来なくなり、死を迎えるだけになる。少量なら平気であろうが、齎される結果は害しかないとだけは言っておこう」
「き、気をつける事に致します」
ヤバい。舐めたり(吐き出しはしたが)嗅いだりしてしまったぞ、俺。
俺の不安が顔に出たのだろう。周囲の方々が『御愁傷様』と言わんばかりの表情をされておられた。
「鉛は汗をかいたり、尿を出したりして、時間をかけて体の外へ追い出すほかないのだ。これ以上、体内に取り込まないように注意するのだぞ?」
「は、ははっ!」
「あとで徳本に使者を出して、薬を取り寄せておこう。体の毒を外へ出す漢方があった筈だ」
有難い事だ。武田家お抱え医師の徳本殿の事は俺も聞いた事があるほど。
まあやってしまった事を後悔しても仕方がない。気持ちを切り替えねば。
「ところで藤吉郎。城下に建ててほしい物がある。もし林の手が空いていなければ、城下の大工に建てさせよ」
「はは。何を建てましょうか?」
「幼子を預かる施設だ。仮に託児所、とでも名付けようか」
託児所。幼子を預かるとは、どういう事だろうか?
いや、何でまたそのような物を?孤児を集めた施設とは違うのか?
「火部隊に限らず、加賀武田家には女子の兵もかなり増えてきた。今後、その数は更に増えるであろう。ただな、ここで問題がある。女子に年上の家族がいれば良い。だが、もし夫もおらず、子供だけと暮らしていた、とすればどうなる?どれほど有能であっても、加賀武田家に仕える事を躊躇ってしまうとは思わぬか?」
「それなら分かります。母親として、子を心配するのは当然の事に御座います」
「だから、手助けをしてやろうと考えたのだ。孤児の施設と同じように、寡婦を雇って幼子の面倒を看させるのだ。朝に子供を預けて御役目に就き、夕方に子供を引き取って家に帰る。これなら不安を感じる事は無いであろう」
それは良き御考えだ。それに女子だけでなく、男手一つで子供を育てている者達にとっても支えとなる筈。これは是非とも進めねばならないだろうな。
ただ問題もある。
「問題があるとすれば、利益を出せるような施設ではない事ですが、その点はどのように致しますか?」
「費用については加賀武田家から持ち出しとする。武田家に仕える者であれば、無料で使えるようにしよう。民草であっても片親と幼子だけという家族も同様だ。それ以外は、低価格ではあるが有料とする。あまりにも甘えられては、こちらの負担が大きくなるからな。ゆき、加賀の兵に該当者がどれだけいるか調べてくれ。皆も配下の兵に通達して、該当者の調査に協力をするように」
「「「ははっ!」」」
この施策は、間違いなく加賀守様の御評判を高める事に繋がるであろうな。
武田家で働きたいと望みながら、幼子を抱えるが故に断念した者達も、これなら躊躇う事無く仕えてくれるだろう。
これは風に協力をして貰って、噂として流す事も行うべきであろうな。
永禄五年(1562年)三月、近江国、蒲生屋敷、蒲生定秀――
厳しい冬が明けて、少しずつ寒さが温んできた頃。
春の種蒔きに忙しい中、儂は客人を迎え入れていた。
「お待ちしておりましたぞ、対馬守(三雲成持)殿」
「いえ、下野守(蒲生定秀)殿のお招きとあれば、断る訳にも参りませぬ。某も六宿老では御座いますが、一番の若造に御座いますから」
「何を申されるのか、対馬守殿の御役目に対する姿勢、宿老に名を連ねる者として相応しい姿であると存じますぞ?」
茶を点て、まずは一服してもらう。
そのまま当たり障りのない話をしてから、儂は用件を切り出す事にした。
「対馬守殿、忌憚のないご意見を伺いたい。某は六角家の将来が心配なのだ。対馬守殿は如何に思われる?」
「下野守殿。先程の言は聞かなかった事に致します」
「そう言う訳にもゆくまい。某は忠義の道に悖る事をしようとは欠片ほどにも考えておらぬ。大恩ある六角家の事を考えればこその言なのだ……某は、不安で仕方がない」
対馬守殿は目を見開かれた後、黙って頷かれた。
やはり脈有りと見たのは正しかったようだ。先代の諌死に対して、儂の想像通り思う所はあったのだろうな。まあ当然の事だが。
「何の為に三郎左衛門(三雲定持)殿は、全ての罪を被ってまで腹を切ったのか。その想いが御屋形様に届いているとは、某には感じられん。これでは三郎左衛門殿が無駄死となり浮かばれまい。どんな顔をして、あの世で会えば良いのか……」
「下野守殿、どうかその辺りで。父もそれ以上は」
「六角家は倒れてしまう」
ビクリ、と対馬守殿が緊張で体を強張らせた。
やはり、まだ若い。そう露骨に表に出しては、それこそ三郎左衛門殿が溜息の一つも吐かれるであろうな。
だが、儂にとっては都合が良い。
「雲光寺様、御隠居様と六角家は主に恵まれた。対馬守殿は知っているかな?雲光寺様は五つの頃に出家され、二十四で還俗為された。その僅か二年後に等持院の戦いで手柄を挙げられた。まさに一代の英雄と呼ぶべき御方であられた。御隠居様も、失礼な言い方ではあるが遅咲きながら名君と呼ばれるに相応しいだけの御実績を積み上げられた」
「それは……似たような事を伺った事は御座います」
「某が悲しいと感じているのは御屋形様よ。御隠居様が御成長を願われて、あれほど必死になって鍛えようとされておられる。対馬守殿も、それは知っておろう?御隠居様が我が身を盾にして、どれだけ御屋形様を庇っておられるのかを」
対馬守殿には、儂の言を否定する事は出来ん。
何故なら、対馬守殿もその事を己の目で見て、耳で聞いてきたからだ。だからこそ、対馬守殿は黙り込むしかないのだ。
家臣として、御屋形様を非難するような事を口にはしたくないのだろう。
例え、心の中でどれだけ荒ぶる炎が燃え盛っていたとしても、だ。
「某は御隠居様を、御屋形様を助けたいと思っている」
「下野守殿?」
「敢えて口に出そう。御屋形様は当主たる器ではない。だからこそ、御屋形様は御自身の力量と、御自身が出来るであろうとお考えになっている理想との差を思い知って、お辛い思いをされている。それを目の当たりにする御隠居様も御心を引き裂かれるようなお辛い思いをされてしまう。それをお助けする事の、どこが忠義の道に悖ると?」
そう、あくまでも表向きは『家臣として苦しんでいる主をお助けする』という体裁を取るのだ。
ただ引き摺り下ろす、ではいかんのだ。それでは儂を、蒲生家を危険視する者達が出てきてしまう。
『蒲生定秀は、次郎様を傀儡とするつもりなのだ』と。
「御屋形様には隠居して戴く。そうすれば、今の苦しみを味わう必要は無くなる。御屋形様に対する恨み辛みも自然と消えていく。御隠居様も御心労を募らせる事が無くなる。これのどこが忠義の道に悖ると思うのかな?」
「確かに謀反では御座いませぬが……そう上手くいくので御座いますか?そもそもあの御気性の激しい御屋形様が、素直に隠居を受け入れるとは思えませぬが」
「それは某に任せて貰いたい。考えがあるのでな。対馬守殿に頼みたいのは、その時が来たら某に賛同してほしい。ただそれだけなのだ。対馬守殿に何かして貰おう、とは考えてはおらん。その点は安心して戴きたい」
正直、最初は対馬守殿に甲賀を動かして、領内に御屋形様に対する流言工作を行って貰うつもりだったのだ。
ところが、だ。
最近、領内にすでに御屋形様に対する悪い噂話が流れている、と言うのだ。流している者は不明。ただ相当前から、少なくとも昨年には流れていたという。
故に、儂はその噂に少し手を加えてやったのだ。それだけで十分であったのだから。
「分かりました。それだけで良いのなら」
「忝い。これで三郎左衛門殿にあの世で会った時、顔見せが出来るわ」
上洛の時の一件だ。儂は先頭に立って三郎左衛門殿を責め立ててしまった。
今だからこそ言える事だが、あれは儂の失態であった。あの時、もっと冷静になっていれば、三郎左衛門殿がそんな事をする訳が無い、と気づいた筈だったのだ。
だからこそ、儂は六角家を潰す原因となりうる、あの男を引きずり落とすのだ。
最早、あの男を野放しには出来ん。放置して、好き勝手に行動させては冗談抜きで六角家は潰れてしまう。
そもそも武田家を平気で敵に回す様な事をする時点で、当主失格なのだ!
そこに近づいてくる足音。
咄嗟に、口の前に指を立てると、対馬守殿は黙って頷いてくれた。
「殿、御歓談中、申し訳御座いませぬ。只今、平井加賀守様が御越しになられました」
「加賀守殿が?分かった、こちらへお通ししてくれ」
「はっ!」
足音が立ち去っていく。
それにしても、加賀守殿?一体、何が?
「下野守殿。加賀守殿もお誘いになるつもりで呼ばれたので?」
「いや、その予定は無かった。しかし、何があったのやら」
やがて案内されてきた加賀守殿。
だが、その顔色は決して良いとは申せぬ。寧ろ、病にでもかかっているのかと思うほどに顔色が悪いように感じられた。
「下野守殿、申し訳ない。対馬守殿がいらしていたとは思わなかったのだ」
「いや、話は終わっておりますのでお気になさらず。ところで、何かあったので御座いますか?大分、顔色が悪く見えますが」
「娘の輿入れの件で、御屋形様に疑われましてな……」
それは加賀守殿にとっては、何よりも辛い話であろうな。
不幸な結末を迎えた娘が、やっと幸せを掴んでくれる。そんな期待を抱いていた所に、あの愚かな男が難癖をつけたという事か!
あの男は、どれだけ問題を引き起こせば気が済むのだ!
「加賀守殿。まずは一服なされた方が良い。心が落ち着きましょう」
「忝い……ああ、ホッとしますな」
「それは良かった。しかし、顔色が大層悪かった。そこまで酷い事を?」
「内通を疑われ申した。気を利かせて下さった次郎様が、御隠居様を呼んで下さらねばどうなっていた事やら」
加賀守殿はすっかり意気消沈と言った所だ。
文字通り、冷や水を浴びせられた気分なのだろう。だがどう考えても、加賀守殿に非はあるまい。
「その場に居合わせた但馬守(後藤賢豊)殿や山城守(進藤賢盛)殿も儂を庇って下さった。親である某が、婿殿と婚儀の件で打ち合わせを行うのは当たり前だ、と。御隠居様には文の中身を検めて戴いてから、加賀へ送っている、と。だが御屋形様には御理解戴けなかった。其方の主は六角家当主の俺ではないのか?その俺には何も伝えぬ。それは其方が俺を主とは思っておらぬという事であろう!と」
「それは……御屋形様の仰った事には一理あるとは存じますが、さすがにそこから内通は飛躍し過ぎかと……」
「対馬守殿、お気遣い忝い。だが御屋形様に言われて、気づいてしまったのだ。確かに某は御屋形様を軽んじておったのでは?未だに主は御隠居様のままなのだ、と」
これは良くないな。このままでは加賀守殿が儂の思惑に反する目が出てきてしまった。
加賀守殿は自身に非がある、と考えているからだ。あくまでも悪いのは、あの男を心の底から主と認めていなかった自分なのだ、と。
平井家は観音寺城に曲輪を与えられるほどの重臣の御家。当然、家中における発言力も非常に大きい。そんな平井家が御屋形様についてしまっては、靡く者も出てきてしまう。
「加賀守殿、宜しいかな?」
「何で御座いますかな?下野守殿」
「此度の件、加賀守殿には非は御座らぬ。そもそも御隠居様が仰せになられた。御屋形様には武田家との交流は荷が重い、と。某もその言は正しいと存じます。それは加賀守殿もよく御存知の筈」
加賀守殿はゆっくりとだが頷かれた。実際、御隠居様がそうおっしゃった事は事実なのだから、誰にも否定できない。
だからこの言い分で加賀守殿を押し切ってしまうのだ。
そうすれば平井家が御屋形様に就く事は無くなる。
「武田家相手に御屋形様が何をしたのか。加賀守殿も某も、嫌と言うほど見聞きしました。御隠居様が六角家を守る為に、御屋形様を外したのは当然の御判断であると存じます。万が一、此度の婚儀を破談にされてしまえば、六角家はますます立場が悪くなる。結果、御隠居様の心労を募らせる事になりましょう。それこそ、不忠と言うべきでは御座いませぬかな?」
「だが下野守殿。某が御屋形様を軽んじてしまっていた事は事実。せめて文を検めて戴けるよう、お願いしておれば此度のような事は起きなかった……」
「それは否定致しませぬ。しかし、世の中にはより高い視点、大局的に見なければならぬ場合が御座います。それこそが此度の件。もし御隠居様の御不安が現実となって破談となれば、観音寺城は火の海となる。武田家と三好家が力を合わせて攻め込んできましょう。しかし婚儀が成れば、それも無くなる。武田家が六角家に対して武威を振るう為の理由が生まれぬからで御座います。平井家は主家である六角家を守り抜く為に、最善の行動を為されたと某は存じます。亡き雲光寺様も、よくやったと褒めて下さいましょう」
加賀守殿が『そう思われるか?下野守殿』と、やや不安を覗かせながらも、少しだけ憂いが晴れたような表情を浮かべられた。
儂は何度も頷きながら、上手くいったと内心でほくそ笑む。
御屋形様を主家にすり替える事。加賀守殿が敬意を払う雲光寺様を持ち出す事。とりあえずは、これで良いだろう。
そもそも加賀守殿御自身が、此度の婚儀に乗り気なのだ。それも娘の幸せを願っての事。本心ではケチをつけられたくなかった筈だからな。
だが、念の為にもう一手、打っておくとするか。
「加賀守殿、御隠居様にお願いしてみてはどうだろうか?加賀で行われる婚儀に、加賀守殿が家族とともに参加する為、四月ぐらいまで近江を離れる事を願い出るのだ」
「良いのだろうか?まもなく美濃攻めもあるというのに」
「某からも口添え致そう。先だっての戦では、加賀守殿の所領の傍で一向一揆勢が騒動を起こしていたのだ。此度の美濃攻めを好機とみて、再び立ち上がる事も考えられる。不穏分子に対する抑え役として、平井家の兵を使って戴きたい、とな」
加賀守殿を御屋形様の傍においておくと、贖罪のつもりで奮戦される事は十分に考えられるからな。その働きぶりを間近で見てしまっては、あの男が態度を柔らかくしかねん。それなら、離しておくのが吉だ。
そして娘の婚儀を見届けた加賀守殿は、幸せの絶頂でここへ帰ってくる。
その顔を見た、あの男はどう思うだろうな?儂の策通りに進めば、あの男は敗戦を余儀なくされる。きっと激昂するだろう。
そこへ儂が仲裁に入って庇えば、加賀守殿は儂についてくれる。
露骨に誘う必要もないわ。
「加賀守殿。家族には此度の事は黙っておいた方が良かろう。折角の良縁、こんな事で水を差すべきではない。今は御息女の幸せを第一に考えるべき。それが六角家をお守りする事に繋がると存じます」
「忝い、下野守殿。まるで胸のつかえがとれたような気分。何度感謝しても、感謝しきれませぬ」
「この程度の事で御座いましたら、そこまで気にする必要は御座いませぬ。平井家は六角家をお守りする重臣の御家。そこが揺らいでしまっては、碌な事になりませぬ。もし困った事がありましたら、いつでも相談に乗りましょう」
加賀守殿は幾度も感謝しながら、屋敷を後にされた。きっとそのまま平井丸へ戻られるつもりだろう。
本当に加賀守殿は人が良すぎるわ。人を疑う、と言うより人の良心を疑うという事を、あまり考えぬ御仁なのだろうな。
それでいて戦場では老練な戦いを見せるのだ。謀臣にはなれぬが、良将にはなれる男という事だろう。
「下野守殿」
「如何致したかな?対馬守殿」
「下野守殿が、加賀守殿を見事に踊らせた事は某にも理解出来ました。しかし、それでも六宿老の半数。これでは届かぬのでは?」
ほう?気付いたか。
まあ忍びを束ねるのであれば、それぐらいの知恵はあった方が頼もしいという物。将来に期待、という所か。
「摂津守(目賀田貞政)殿は、儂が何も働きかけずとも、こちらに就く」
「それはまた如何なる理由で?」
「摂津守殿の所領は、美濃に近いからよ」
あの男が敗れた後、美濃が反転攻勢に出たと仮定する。その時、美濃はどこに攻め込むか?
それは近江一択だ。他は全て武田領。今の武田を敵に回すなど、まさに愚か者の所業。であれば、残るは近江のみ。何より美濃百姓兵の士気も、復讐に燃えて天井知らずとなるだろう。
その時、矢面に立つのが美濃に近い者達。そして摂津守殿の所領は、運の悪い事に美濃により近い愛知郡に存在する。
自分の所領が焦土と化す恐れがあるのだ。それを考慮すれば、摂津守殿としても綺麗言など言ってはおられまい。
間違いなく、あの男を引きずり落とし、より頼りになる御方――次郎様を御屋形様に、と望むだろう。
「対馬守殿、少し考えてみると良い。何でも教えてもらうでは、成長が出来ん。爺からの御節介よ」
「そう致します。忝う御座います」
「構わぬよ。きっと三郎左衛門殿も喜ぶだろう」
残る但馬守殿と山城守殿についても宛てはある。
両名共に、聡い事で有名だ。放っておいては六角家が潰れる事は分かっている。となれば、次郎様に新たな当主となって戴く事も考えてはいる筈。
故に、今は機を見ている、という所だろう。
その機はもうすぐやってくる。
六角家は次郎様の下に、一枚岩となるのだ。
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
まずは加賀国、藤吉郎視点より。
【炭焼き小屋の煙誘導管落下事件】
以前の話で出てきた事件です。
原因は竹酢酸による腐食。主成分である酢酸は①鉄よりも鉄錆をより分解する②鉛も分解する、という特性があるそうです。
こんなのが鉄の筒の中で発生したら、壊れて当たり前ですね。
【はんだ】
はんだは鉛と錫の合金です。なので鉛と酢酸が反応して……という流れ。
ですが正直に言います。
『実験した訳ではないので、もしかしたら違うかもしれません!』
はんだは合金なので、酢酸に対する反応が変化している可能性もあります。ただ酸性雨によって、昔のはんだから溶けだした鉛が鉛中毒を引き起こす公害を発生させているそうなので、可能性はかなり高いと考えます。
調べきれなくて申し訳ありません。
【はんだの材料費】
情報元は和漢三才図絵(1713年)。
【鉛白】
某タイムスリップした脳外科医さんの作品でも、白粉として使われていた物質。舐めたり吸ったりするだけでもヤバい代物です。
一番怖いのは、神経に影響する事ですね。
【託児所】
新たな内政話。
女性を登用するにしても、働いている間、子供を預ける相手がいなければ、働いてはくれません。なので、託児所作るか、という考えに至りました。
家臣であれば無料。町民なら低料金。ただし片親だけなら無料。
片親なのは、男手一つで子供を育てている場合でも、同じように大変だからです。
なので経費も持ち出しになるのは覚悟の上です。
次は近江国、蒲生さん視点より。
【三雲さん引き抜き開始】
馬鹿正直に引き摺り下ろすとは言いません。あくまでも六角家が心配だから、という『忠臣面』をしてます。
【諌死した親父を持ち出す】
親父さんが無念だろうなあ、と遠回しに圧をかける。
そうすれば、成持さんも思う所がある以上、抱えていた不満が燻りだします。息子としては、親父さんの死因に『ふざけんじゃねえ!』と思っていて当然ですから。
【定頼さんの経歴】
数え五歳で出家、二十四歳で還俗。二年後に等持院の戦いで勝利。
兵力差が凄かったとはいえ、定頼さん、おつむの出来が良かったんでしょうね。根本的に頭が良い人だったのでしょう。
【流言工作】
蒲生さんは気づいていませんが、これは浅井が流した流言です。
野良田の戦いの後で『義治ってたいしたことねえわwww』と流してます。それを蒲生さんは利用しました。結果、甲賀を使う必要は無くなりました。おかげで成持さんにとってのハードルも下がった、という感じ。
【定武さん、イジメられる】
当主の頭上を越えての遣り取りに、主人公の思惑通りに不満を爆発させた義治君。最初の被害者は平井定武。
大事にならなかったのは、居合わせた賢豊さん達や、義定君に呼び出された承禎さんが庇ってくれたおかげです。
【主と思っておらぬ】
定武さん、義治君の指摘にぐうの音も出ません。これは図星だから。
義治君の自業自得ではあるんだけど、定武さんとしても手順をすっ飛ばしたのは自分のミスだった、と反省中。
ただこれだと蒲生さんにとっては都合が悪いので、蒲生さんは一計を案じる事に。
【六角家を守る為】
この婚儀は六角家を守る為の物である、という論理展開。
義治君を主家に置きかえて説得。更に旧主である定頼さんを持ち出して励まします。
【物理的に距離を取る】
美濃攻めの間、加賀へ向かわせようと画策します。
表向きは娘の結婚未届け。裏では武田家との友好関係構築を口実とします。この後で、蒲生さんが承禎さんに掛け合って、許可を取る事になります。
指揮官が留守になる平井家の兵は、領内の治安維持をやって貰う。その口実として、野良田の戦いで同時に発生した一向一揆を利用します。
【美濃攻め失敗後】
婚儀を見届けて上機嫌の定武さんは、今度こそ失敗はしないぞ!と義治君に報告するでしょう。それがどんな結末になるか?分かりますよねw
ガチで離間の計です。
【謀臣にはなれんが良将にはなれる】
謀略は出来んけど、戦場では負けないよう堅実な戦を行える、という所。割と仕事を任せやすい人だと思います。
【美濃に近い六宿老】
①目賀田氏の居城は安土城のあった場所(目賀田城跡地は、その後に建てられた二代目の居城)②目賀田さんの所領は二万石(1573年に信長に本領安堵)ほど③二代目の居城は、領内に建てられた④目賀田氏は分家も多かった、という事は調べられました。
そう考えると、所領は東西に細く長く伸びていたのか?或いは飛び地だったのか?正直、答えは分かりませんでした。でも愛知郡だったので、不破関にはかなり近い場所です。
【六角家は次郎様の~】
不穏な気配が近づいてきておりますねえw
今回もお読み下さり、ありがとうございました。
また次回も宜しくお願い致します。




