謀略編・第六話
謀略編・第六話更新します。
前回の続き・後編になります。
永禄四年(1561年)四月、駿河国、久能山城、武田信親――
さて、三郎(武田信之)の教育も重要だが、家臣達のレベルアップも重要だ。
幾ら大将が有能であっても、手足が上手く動かなければ、思うような結果は得られん。
戦馬鹿の集団では、いずれ困る事になるからな。情報を与えて、それとなく鍛えるとするか。自分で率先して考えるようになれば、出世もし易いだろうし。
「話は変わるが、其方達の方から何か聞いておきたい事はあるか?答えられる範囲でなら答えよう」
「では某からお尋ねしたい事が御座います。三好家と公方様の関係についてです」
「正直、あまり良くはない。公方は傀儡でいるのが屈辱なのだろう。私が公方の立場なら、西に働きかけるが、三好はどう見ているのやら」
『西で御座いますか?』と虎繁さんが問い返してきた。
さすがに昨年の評定で少しだけチラつかせたが、あの時は武田が相手をするのは長尾・北条という前提だったからな。西の方が三好が、という感じだったし、忘れてしまっても不思議は無いか。
「私が公方の立場なら、本願寺・尼子・毛利・大友・土佐一条家辺りに同盟を組ませるがな。武田・三好を排除しろ。東からは北条と長尾に攻めさせる、と。東側の包囲網は、私が手を打って潰しているが、それは東の脅威を無くしただけ。西は別だ」
「確かに、理屈としては間違っておりませぬな」
「可能かどうかは別だがな。それに毛利と大友は、私の情報を必死で集めている。加えて私自身が両家の重臣と私的に文の遣り取りをしている。下手に矛を交えるよりは、懐柔策、或いは和議の仲立ちを頼んでくるだろうよ。この辺りで矛を収めてくれないか?と」
こうして考えると、石山本願寺が非常に邪魔で困る。攻め落とすのは時間がかかるからな。
三好にとってはのどに刺さった魚の骨、と言った所だな。
そういえば金沢城の牢屋に入れられた杉谷の件もあったな……ふむ、利用できるか?上手くいけば三好に恩も売れるな。
「他には何かあるか?」
「高坂弾正に御座います。種子島についてお願いしたき儀が御座います。伯耆守(秋山虎繁)殿とも以前から相談しておったのですが、種子島を増やそうと考えております。出来れば加賀から種子島の鍛冶職人を移住させて戴けぬでしょうか?」
「分かった。加賀に帰ったら、希望者を募るとしよう。ところで今、ここに種子島は何丁ほどある?」
「種子島は十丁ほどです」
うむ、これは想定外だな。まあ種子島の有効性を目にする機会が無かったせいだろう。
だが種子島の重要性に気づいた点は素晴らしい。ならばこちらとしても、精一杯の事はしてやらないとな。
それが三郎の為にもなるのだから。
「弾正(高坂昌信)殿。私が加賀へ帰る際、種子島の撃ち方を覚えたいという者を五名ほど同行させてほしい。鍛冶職人は先行して送り出すが、射手が経験を積むには加賀で習い覚えた方が早い。その者達を秋までに鍛え上げて帰す。その後、その者達を先達として駿河で射手を増やすべきだと考えるが、どうだろうか?」
「よ、宜しいので御座いますか!?」
「構わぬよ。正直、武田は種子島の射手が少ないのだ。加賀ですら私の直属で八百、常備兵で二百しかいない。真田殿や勘助殿ですら各百程度。大御屋形様と典厩叔父上が各二百と言った所。ただ私の経験上、種子島は最低三百は揃えないと、集団戦術としてまともに運用できない。欲を言えば千は欲しいというのが本音だ。ただ問題は硝石でな、これに金がかかる。ある程度は私から提供するが、運用には金がかかり、その為に内政を充実させねばならんという事は理解しておいて欲しい」
俺が硝石を自作している。それを知っているのは信玄パパに義信兄ちゃん、あとは信繁おじさんと勘助しかいない。そして硝石は買うと高い。それでも俺が種子島を大量運用して疑われないのは、俺が内政家として有名だからだ。つまり銭がある、と認識されているという事である。
正直、バレても問題は無いと思うんだけどな。製造工程を年間通して監視していないと絶対理解出来ないだろうし。
「あとは鉄が大量に必要になる。飛騨から購入するなり、折れた刀を大量に確保するなりして、鉄を十分に確保するようにな」
「忝う御座います!」
「種子島の鍛冶職人も増やすようにな。今はともかく、私の予想通りなら二十年後には種子島は駿河・甲斐だけで二千は必要になる。いや三千かもしれん。異国の敵と対峙した時に慌てぬように、しっかり準備をしておくのだ」
『異国の敵?』と高坂さんが呟いた。さすがに南蛮が相手とは想像できなくても仕方がないだろうな。
ただスペインはなあ。本当、狂信者って迷惑でしかないわ。世界史で習った記憶があるけど、スペインって奪うばかりの国だからな。日本も標的になりかねないし、何とか邪魔してやらんと。
「兄上、私からもお尋ねしたい事が。先ほど、種子島の運用には金がかかり、その為に内政を充実させねばならんと仰っておりました。これは税収入を増やす事を意味すると考えましたが、駿河でならどのように税を増やすべきでしょうか?」
「良い所に目をつけたな、三郎。駿河は澄酒による酒税が確立されている。だがそれだけでは足りん。私なら、まず塩だな。伯耆守殿、最近、私が加賀で作り上げた新しい製塩方法がある。それを使えば従来の五割増しで塩を作る事が可能になる。加賀へ戻る際、製塩職人を同行させて貰いたいのだが、希望者を募って貰えるかな?」
「五割増し!?分かりました、すぐに希望者を募ります!」
「うむ。塩を大量生産出来るようになったら、次は内陸部で荒稼ぎするのだ。上野、下野、武蔵辺りが狙い目か。あとは塩を利用して、魚の塩漬けを内陸部へ持っていくのも有効だな。この辺りは商人――友野屋を上手く利用して、税を納めさせれば良いだろう。あとは……奇策だがもう一つある。伊勢の刀工、村正に弟子を派遣して貰い、この地で刀槍を大量生産。それを関東へ売り捌くのだ」
ちょうど良い、三郎にくれてやるか。
「三郎、私の脇差をくれてやる。これは加賀へ移住してきた村正の弟子が作った物だ。試しに抜いてみろ」
「は、はい……これは、凄く……斬れそうですね」
「村正は面白い考えをする刀工でな。例えば十の質を持つ太刀を作る為に一月費やすなら、八の質の太刀を十日で作る方が良い、という考えを持つ刀工だ。太刀は美術品ではなく、消耗品。数打ちであっても質はそれなり。質を追求すれば、其方の手にある物ぐらいは出来る。北条、里見、佐竹から搾り取るだけ搾り取ってやれ。材料の玉鋼だが、こればかりは尼子と関係が悪化している為、質の良い物を売って貰う事は出来ん。故に関東の野蹈鞴や地元の野蹈鞴を使うほかないだろう」
『はい』と頷く三郎。
だが数や量で稼ぐのなら、鉄の質はそれほど拘る必要は無い。
値の張る刀槍を百姓兵に与えよう、なんて考える奴はいないからな。
「伯耆守殿、弾正殿。これから関東は荒れる。長尾撤退後、北条家が支配権を取り戻す為に動き出すからだ。故に戦に必要な物資は売り放題となる。友野屋と相談して、上手く話を進めると良い。特に北条家は、北条家である為に荒れ果てた領地を立て直す必要がある。それも最優先に、だ。理由は分かりますか?」
「北条家である為……民の忠誠、で御座いますか?」
「正解だ。他家なら内政を放棄して、奪って富を蓄えるという手もある。だが北条家は初代当主北条早雲殿が四公六民を定め、雑税・公役を廃止された。そして不作の時には雑穀等を低利子で貸し出し、風土病対策に投薬を施した。更には不義不正を働く地頭がいたら訴えろ、自分が追放するとまで言い切っている。これは今も続く北条家の鉄則であり、基盤と言える考えだ。だからこそ、北条家は民を蔑ろには出来ないのだ」
おお、と下座から声が上がる。だがここで止まっては意味が無い。ここから武田の利へと繋げねばならん。
今荀彧の二つ名が伊達では無い事を示してやる。
「そこで友野屋を利用する。北条家の復興には多額の資金・資材が必要だ。それの返済や利子の代わりとして、友野屋の交易にかかる北条家への税――湊の使用料等を減らすように交渉する」
「何と、そのような事をお考えで御座いましたか」
「例えばだが、税が十減れば、それは友野屋に十の利益を齎す。そこでその利益の内から三~五程度を武田に納めさせるのだ。友野屋に北条家に対する減税措置が与えられれば、自然と交易回数が増えて友野屋の利益が増す。そして友野屋の本拠地は駿府。小田原とは近距離だ。遭難等の事故が起きる事も少ない」
下座から納得したような声が聞こえてくる。
だが甘い。俺の思惑はこの程度ではないんだ。
「三郎、これから私の申す事を良く聞いておくのだ。此度の策は、北条家を衰退させる策でもある事を心に刻んでおくのだ」
「兄上!?北条家を助ける為の策では無かったのですか?」
「甘いぞ?これから申す事を良く覚えておくのだ。まず此度の策によって、友野屋の交易回数が激増し、多くの利益を友野屋に齎すであろう。ならば、ここで問う。その時、損をする者を挙げてみよ」
『そうか!』と昌信さんが声を上げた。だが声のした方へ、俺は『静かに』というジェスチャーと、三郎を指さしてみせる。
三郎を鍛える為。その事に気づいてくれたのであろう。
昌信さんは『失礼を致しました』と素直に応じてくれた。
「助言をやろう。友野屋は武田にとっての御用商人だ」
「……北条家御用商人が損をする?……そうか!損をするのは当たり前ですね!」
「分かったようだな。色々な物資が武田家や友野屋から流れ込むのだ。減税を受けた分、少し安く提供すれば、皆が安い商品に群がる事になる。損をするのは『減税措置』を受けられない、北条家御用商人だ」
当然だな。北条家が友野屋に減税措置を許すのは、それが武田家からの物資提供や返済や貸付金の利息の代わりという見返りである為だ。
だから北条家は、この条件を飲んだ時には約束の遵守を求められる。
「北条家御用商人は、北条家に訴えるだろうな。このままでは店が潰れてしまいます!と。そうなったら北条家はどう出ると思う?」
「私なら、同じように減税措置を行います」
「当然だな。それこそ、私の用意した毒餌よ」
静まり返る下座。
見せてやるよ、今荀彧の策を。
「これによる北条家の損は二つ。一つ目は北条家の収入減少。これから戦続き、復興と色々必要になる。なのに減税しないといけないのだぞ?しかも北条領内は戦のせいで米も満足に採れぬ有様。北条家の懐事情は火の車と化すのは間違いない。武田家からの支援だけでは足りず、御用商人からも銭の借入を頼むだろう」
「言われてみれば、その通りですね」
「そこで二つ目の損。それは御用商人の不満。いずれ減税措置が解除された時、商人達は不満を訴えるだろうよ。何で北条家の為に銭を提供した我々の税を増やすのだ?と。例え減税が一時的な処置であったとしても、人は税が元に戻る事を不満に思うものだ。その上、友野屋に自分達の縄張りで荒稼ぎされているのだぞ?それも主である北条家の許可のもとで、だ。怒るのは当然だと思うがな」
『兄上、極悪です』と三郎が口にする。
安心しろ。俺は十分に自覚している。俺が『悪』である事をな。
「良いか?孫子の教えにある。戦わずして勝つ事が重要だ、と。確かに理想論ではある。だが私はこの教えに価値を見出している。策によって相手が弱体化すれば、それはこちらの被害を減らす事に繋がるからだ」
「は、はい!」
「焦る必要は無い。其方の家臣達が助けてくれるであろう。ところで伯耆守殿」
『はは!』と虎繁さんが応じた。後は任せて良いとは思うんだが、一応説明だけはしておく事にしよう。
「私が武田家として北条家に米の提供を約束している。売ったり貸すなりするなら、米以外にするように」
「心得ました!」
「後は友野屋を交えて相談すると良い。まだ時間はある。十分に準備をしてから実行に移すべきだろう。三郎、私からの助言はこんな所だ」
グリグリと頭を撫でる。いかんな、子供扱いしてはならぬというのに。
「いかんな、どうしても子供扱いしてしまう。悪い癖だ、すまぬな」
「いえ、嫌ではありませぬ。ところで、兄上は北条早雲殿の事も御詳しいのですか?先程、多くの事を口にされておられましたが」
「書物で読む程度には知っている。三郎、上に立つ者として、早雲殿が遺した早雲寺殿廿一箇条、今川氏親殿が作られた今川仮名目録、大御屋形様が作られた甲州法度次第、これらには目を通しておくのだ。何故かわかるか?」
うーん、と考える三郎。うん、それで良い。すぐに諦めずに考える。その姿勢が三郎にとって大きな財産となるのだからな。
……今更だが、俺って兄と言うより父親ポジションになっていないか?教育ママならぬ教育パパな気分だよ。
「治世の為に必要だから、では駄目でしょうか?」
「それでは足りぬな。まず早雲寺殿廿一箇条は家臣への教訓や統制、甲州法度次第は領国に秩序を齎す事を目的としている。一方で今川仮名目録は今川家当主の領国支配を強固なものとする事を目的としている」
「……甲州法度次第と今川仮名目録は同じように思えるのですが、違うのですか?」
そうだ。そこが重要なんだ。
この二つは似て非なる物なんだ。
「今川仮名目録はな、氏親殿が定めた初期の物と、治部大輔(今川義元)殿が追加された物から構成されている。追加分は主に裁定の基準が占めているのだが、ここで重要なのは氏親殿が定められた基本の方になる。この部分はな、嫡男・氏輝殿を愛する父親としての想いの結晶だ」
「どういう事ですか?」
「今川家に仕えていた者達なら知っているであろうが、今川氏親殿が亡くなる直前に今川仮名目録は制定された。その目的は若年であり病弱であった後継ぎ、今川氏輝殿の支配を盤石にする事を目的としていたのだ」
この中には今川家出身の者もいる筈。
筆頭軍師である俺が今川家の事を学びの対象とし、それを三郎にも教えている事を目にすれば、どう思うか?
三郎様は自分の旧主である今川家を軽んじたりはせぬ、と考えるだろう。
さすがに口に出す事は出来んがな。
「言うまでも無いが寿桂尼殿の意向も汲まれていただろう。我が子を守りたい、だが自分はもうすぐ死んでしまう。そう考えたからこそ、氏親殿は病床に伏してなお、仮名目録の制定に取り組んだのだ。後継ぎの手柄として今川仮名目録を世に出す方法を採らず、自らが世に出した。その理由は万が一にでも、欠陥を生みたくなかったからであろう。だからこそ内容に目を通すと理解出来る事がある。今川仮名目録は、その上に今川家当主が来る。つまり今川家当主は今川仮名目録の対象とはならない、という事だ。これは今川仮名目録によって当主は裁かれない事を意味している」
「……それは普通なのではありませんか?」
「ところが、だ。甲州法度次第は違う。甲州法度次第はな、大御屋形様であっても違反すれば法度によって裁かれるのだ」
『え!?』と三郎が驚いたように声をあげた。
若干遅れて、下座からも騒めきの声が聞こえてくる。
やっぱり知らん奴、と言うか聞いていても忘れたり、興味が無かったりする奴はいるんだよな。
しっかり覚えておけよ。信玄パパの苦労が無駄になるだろう。
「例えば、甲州法度次第には喧嘩両成敗という規則がある。三郎も知っておるだろうが、これは簡単に言えば喧嘩したら両方に罰を与えるぞ、という内容だ。ところで三郎、どうしてこのような喧嘩両成敗が必要になったと思う?」
「それは家臣同士の殺し合いを防ぐ為では無いでしょうか?」
「その通りだ。甲州法度次第が決まるまではな、鎌倉の頃に定められた御成敗式目を、室町になっても使い続けていた。それは甲斐国も例外ではなかった。ただな、ここに致命的なまでの問題があったのだ」
正直に言おう。この事を信玄パパから教えて貰った時、幼かった俺は思わず『鎌倉の連中は馬鹿ですか?』と問いかけてパパを笑い死にさせそうになった事がある。
あまりにも酷すぎる内容だったからだ。
「結論から言おう。法を守る奴がいなかったのだ」
「……なんですか、それ?」
「冗談ではないぞ?御成敗式目には追加法と呼ばれる物がある。これは後から出てきた問題に対処する為に、実務的な理由から追加された決まり事なのだが、何度も何度も似たような決まり事が制定されていたのだ。一例をあげるとな、編み笠を被って鎌倉の中を歩く事を、先日禁止したばかりである。ところが役人の怠慢により、禁止が徹底していない。故に今後は厳重に禁止する、という代物が本当にあってな」
三郎を含めて、皆が静まり返ってしまった。
気持ちはよく分かる。
『馬鹿?』と言いたい気分なのだろう。
「当然の事だが、大御屋形様は甲州法度次第を制定するにあたって、皆が法を守らねばならん、という事にいち早く気付かれた訳だ。だがどうしたら、皆が法を守ってくれるだろうか?そこを突き詰めた結果として、自らが法度に従うという範を示さねばならぬ、という結論に至った訳だ。例えば甲州法度次第の喧嘩両成敗は当事者全てが等しく裁かれる。もし範を示すのであれば、大御屋形様であっても喧嘩両成敗の例外ではない、という事になる」
「確かに、理屈の上ではそうなります」
「これはな、力による支配ではなく、法による支配を目指しているから必要な事なのだ。今川仮名目録は当主は例外であり、皆は今川仮名目録を基準に裁定を下す当主に従えという考えだ。甲州法度次第は当主も対象、皆は甲州法度次第を守れ、となる。事実、最初期に定められた五十五条には、大御屋形様も法度の対象となる事、必要に応じて法度も変えるから不備があれば申告しろ、だから法度に従え、と明確に書かれているのだ」
三郎は唸りながら、何とか咀嚼して飲み込もうとしている。
まあ戦国時代に法の支配なんて、難しい思想だとは思う。この結論に至った信玄パパがいかに統治者として有能だったか、思い知らされるよ。
「……恥ずかしながら、今まで知りませんでした、そんな大事な事が書かれていたなんて」
「私も大御屋形様に質問して教えて貰った事だがな、大御屋形様は其方が産まれたばかりの頃、信濃で戦に明け暮れていた。当然、家臣や民に負担がかかる。その負担を減らす為に法度を作ったが、それを守らせるにはどうするべきか?それを考えて五十五条を設定したそうだ。武田家は力ではなく、法によって領国を統治する、とな。分かるか?今川仮名目録は当主を守る為の物、甲州法度は武田家を守る為の物。似ているようで異なるのだ」
更に下座がざわめく。まあそうだろうなあ、そこまで読み込んでいた者がいたとも思えんしな。
だが今回の件で興味を持って、一から読み直す者達は必ず出てくる。
そういう連中は、将来に期待できるだろう人材だ。
何故なら、反省から学ぶ、という大切な事を実行できる人間だからだ。
「だから私は、五年ほど前に大御屋形様に法度を改定する事を進言したのだ。甲斐と信濃だけではなく、もっと広い範囲を対象としたものに改定すべきだ、とな。例えばだが隠田や年貢についての項目は削除されている。これは人頭税の導入が理由だ。他国への文も、初期と比べて緩和されている。仮に初期のままだったら私は裁かれているしな。浄土宗と日蓮宗の喧嘩禁止、宗教問答禁止もそうだ。全ての宗教は争いを煽動したり、政に関わる事を禁じるという内容に切り替わっている。問答自体は禁止されてはおらぬな。代わりに追加された物としては、甲州升ではなく京升を標準とし、升の製造基準や違反時の裁定について。武田家家臣の足軽大将以上の子弟は十二歳になったら学び舎に通う事。こういった事が追加されているのだ」
「兄上、私は学び舎で学んでおりませぬが」
「それはな、私が原因だ。私は本来、加賀ではなく武田家が支配する領国を回り、内政を施しては次の国に移る、という立場であった。私が甲斐から遠江へと移動したのが、良い例だ」
三郎が『はい』と頷く。
この辺りは武田家内部でも有名な話だから、多くの者達が知っている事だ。
「ここで問題となったのが、春齢女王様との婚約により私が加賀国に固定されてしまった点だ。これでは私が各国で内政を行う事が出来ない。それなら私の内政を子弟に学ばせ、各国で政策を行わせれば良いだろう、となった。いわば代替案だな。だがな、三郎や四郎は上に立つ者として『決定』し『責任』を負う事が役目だ。つまり適材適所な人材を配置する事が役目になる。であれば、別に学び舎で学ぶ必要は無い。故に法度から除外されている。法度にも『武田家家臣』と明記されておるしな」
「こう申してはなんですが、特別扱いされている気がいたします」
「良くも悪くもな。考えてもみろ。其方の年で二ヶ国の差配を任されるのだ。大きな権利を有する反面、その責任も大きくなる。一概に幸運とは言えぬだろう。辛い時、厳しい時、寂しい時もある筈だからな。どちらが幸せかは、誰にも断言できぬよ」
『そういうものですか』と三郎は複雑そうだ。まあこういう問題について深く考えた事も無かっただろうしな。時間をかけて考えればよい。
「師匠役として伯耆守殿に弾正殿がおるのだ、心配はいらん。かくいう私も政については大御屋形様に学びはしたが、軍略は虎盛から学んでいたしな」
「そうだったのですか!?てっきり道鬼斎(山本勘助)殿かと思っておりました」
「虎盛の方が比重は大きかったな。とは言っても軍配者に命じて丸投げしていたが」
これは甲斐時代から武田家にいる者であれば誰もが知っている事実だ。俺は盲だ、戦場を逐次見て状況判断を下すなど物理的に不可能。だから丸投げした方が安全だし確実なのである。
「話を戻すが、各国の御家ごとの支配法と呼ぶべき物は、色々な特徴がある。それを比較し、何故このような法があるのか?何故このような法は無いのか?そういった事を考えるのはとても大切な事なのだ」
「はい、わかりました!」
「急ぐ必要は無い。ゆっくりで良いから確実に進めると良い」
少し長話しすぎたな、この辺りで切り上げさせてもらうか。
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
【杉谷の件】
処置決定。詳細は次回。
【種子島】
職人移住政策。これは基本です。御家内部での移住なので、特に問題も無し。
種子島の数十丁。これは種子島の有用性を目にする機会が無かったからです。主人公が種子島で大戦果を挙げた、という戦がまだ無かったのも理由の一つ。
【スペイン】
この頃はフェリペⅡ世。スペイン全盛期です。特に南米とかでは悪名高い行為をやってますし。
【今荀彧の策】
北条家が長尾に圧し負けないようにテコ入れ。
これはあくまでも名目でした。長い目で北条家を弱体化させる経済政策ですよ、というのが真相です。現代で言うなら、食料輸入国が輸出国に強く出られないようなもの。或いは国内で最低限の産業は確立しておきましょうね?という物(日本でも現在進行形で問題になってますが)。こればかりは北条家に伝える訳にはいきませんw
さすがの幻庵さんも、ここまでは読み切れませんでした。
【御成敗式目補足】
御成敗式目:35条。
追加式目:16条。上二つ51条で御成敗式目。ここまでが教科書レベル。
追加法:実務的な理由で後付けで追加補足された物。たくさん。数不明。当時ですら把握している奴がいない。文字通り混沌。作中のように同じ事を繰り返す実例有り。
ちなみに御成敗式目51条は、憲法十七条にあやかって17の3倍で、という説もあるようですが、元は35条なので、どう考えても十七条とは関係ないですねw
※当時の裁判について行われた場所(手続き場所)
民事裁判:問注所
刑事裁判:侍所
鎌倉市中の民事裁判:政所
近畿より西:六波羅探題
ただし、採決は全て鎌倉で行われたそうです。鎌倉、マジでブラックw
【甲州法度・改】
あくまでも一例です。
隠田とか:人頭税だから意味が無い。削除。
他国への文:当主の許可を貰っていれば、当主に目を通してから送る必要は無い(報告も兼ねて後で提出は有り)。
浄土宗と日蓮宗の喧嘩・宗教問答禁止:問答したければやってよし。ただし殴り合いは許さん。打ち首が嫌なら喧嘩両成敗を忘れるな。あとはテロ行為や政治に関わるな。
桝:ローカルルールである甲州升⇒京升への変更。商人による経済活動のバックアップ狙い。
12歳で学び舎:これは必須。サボる奴は許さん。
今回もお読み下さり、ありがとう御座いました。
次回は加賀に舞台を移します。杉谷さん再登場回。
それではまた次回も宜しくお願い致します。




