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甲斐国編・第六話

 甲斐国編・第六話投稿します。


 拙作を読んで下さり、ありがとうございます。今回は文字数が五話より短めになります。


 ただし番外編という訳では無いですが、甲斐の貧しさを数字で表した物を作ってみました。興味のある方は、補足資料・其の一をご覧ください。

天文十八年(1549年)一月、甲斐国、躑躅ヶ崎館、武田二郎――



 年が明け、新年のご挨拶も無事に終える事が出来た俺は、館内の適当な部屋へ勝手に入って思索に耽っていた。

 まず俺が昨年の内に仕掛けたお米暴落大作戦は、七割がた成功と言う上々の結末を迎える事ができた。

 商人達はほぼこちらの思惑通りに米を持ってきて、お互いに山梨という狭いシェアを食い合う事になったのだ。


 ちなみにお米の販売価格だが、信虎爺ちゃん曰く『豊作の時は一石一千三百文、飢饉の時は三千三百文ぐらいした』との事だった。信玄パパにも確認してみたが、やっぱり同じぐらいだった。そして昨年末に京へ赴いた際、ついでに堺の商人さんに聞いてみた所、その時は一石当たり五百~六百文との事。

 いや、歴史ゲームで米転がしが儲かる理由がよく分かったよ。


 話を戻すが、半年ぐらい前にお米暴落大作戦について提案した時の信玄パパ、すごい悪い顔してた。『さあ十倍返しだ』みたいな感じで。そこに知恵者な勘助やらチート爺ちゃんこと幸隆さんやらが『あとはお任せ下さい、二郎様』とパパに悪知恵を吹き込んだのである。

 躑躅ヶ崎に帰ってから教えて貰った事だが、この時のお米の相場は一石辺り三百九十七文まで大暴落したそうである。もう一文単位まで交渉って、パパなにやってんの、って感じだったよ。まさに武田家始まって以来のコースレコード樹立の瞬間であった。

 友野屋さん、顔色真っ青だったそうである。何せ友野屋一店なら強気交渉も可能だが、はるばる遠方から来た連中にとっては、妥協してでも米を売るしかない。そうしないと材木を転売して利益を挙げられないのである。


 そんな俺の作戦を乗り越えてきたのが一人いた、と後で教えて貰った時には驚いた。

 それは博多の神屋紹策さん。商売人としての勘が働いたのか、米ではなく塩や豆を持ち込んできたそうである。

 これには信玄パパも驚いたらしいが、すっかり気に入ったらしく言い値で買ってあげたらしい。その代わり今後も付き合え、と条件づけたらしいが。転んでもタダでは起きない信玄パパ、流石だわ。


 次に俺の領地十石だが、非公式のまま二百石=二百反まで増えていた。何で?って思ったんだが、お米暴落大作戦のご褒美だそうだ。正直、これは有難かった。二年後に鉄砲鍛冶を俸禄で召し抱えるつもりなので、領地は大きいほどお金を稼ぎやすい。

 だから今は、その事も計画中だ。まずは人、これに尽きる。まずは領内にいる孤児、或いは親に売られそうな子供達を優先して迎え入れる。彼等には読み書き計算と武術を身に着けてもらう。

 

 武術を身に着けるのは盗賊対策だ。ここに餓鬼がたくさんいます、食料有ります。どう考えても襲ってください、でしかない。なので虎盛さんに師匠になって貰おうと考えている。それに成長して手練れになれば、子供達の出世の糧にもなる。

 最初は罠とかも併用すべきかもしれないな。ネットとか落とし穴なら、子供でもなんとか利用できそうだし。

 考えてみれば、対猪、対鹿といった害獣用の罠も落とし穴で併用できそうだな。落ちた奴を槍で殺せば動物性たんぱく質ゲットだ。

 あと人数はとりあえず十人。領地の内十石ほどを彼らの食料生産地とする。十石は住居兼雑用作業地だな。とりあえずはサツマイモと麦を中心に栽培を行っていくつもりだ。

 

 残り百八十石ほどをまず等分にして、それぞれを仮にAとBとする。まずAで木綿を植えて夏というか盆ぐらいに収穫。少ししたらアブラナ植えて春に収穫。その後Aは一旦休養と言う名の放置。勿論、ただ放置する訳じゃない。これも考えはある。

 その間は、放置されていたBで木綿を植えて……以下A→B→A→B繰り返し。

 で、収入の見込み。これ重要。

 菜種油は一反辺り四十五升取れるそうだ。一升で二百文らしい。となると概算で四十五升=九千文=九貫文。紐を通した永楽通宝九本と言った所か。こちらは油絞り機を作れば、素人でも油は採れる。

 その油絞り機だが、使うのは子供だ。だから岩を使う玉絞め式だと、力が足りなくて使いにくい。だから岩ではなく、水を入れる容器を岩の代わりに設置。バケツリレーで水を入れて、使えるように改良しようと思っている。排水路もつければ完璧だろう。できれば、このバケツリレーの部分も改善したいが、良い案が無い。仕方ないから妥協する。


 木綿は綿布二十二反分に必要な量が取れるそうだ。ちなみに布一反は大人一人分の和服を仕立てるのに必要な量になる。つまり大人二十二人分という事だ。布の状態で合計一貫百文。ただ子供に綿布作りは難しいかもな。当面は綿布作りを指導して貰いつつ、収穫した綿花はそのまま販売する事も考えるべきかもしれん。

 そうなると、綿花のまま販売だから減益となる。

 この時代の日雇いの人工代や商売人の利益を考慮すると、良いとこ二割。二百文か。

 仕方ない。だがなるべく早く自分達で綿布を作れるようにして、利益を確保する。


 「そうなると、土地一反で最高九貫文の収入というか売り上げになる。仮に九十反で栽培して販売したとすると、概算で八百十貫文。最初は不慣れだし、失敗も考慮して六掛けで考えても、四百八十貫文を超えるぐらいになるな。これの利点は栽培している百姓が少ない点だ。値崩れが起きにくく、相場が安定し易いというのは強みだ。それに油も木綿も需要が期待できる」

 忘れないように、しっかり記憶して……ん?これは筆?ひょっとして……おや、硯もあるじゃないか。紙も有る。ラッキーだな、使わせて貰おうか。メモメモ、と。

 紙に顔が触れるぐらい近づけて、間違わないように書きつける。


 「甲斐だとお米が一反から二俵ぐらい取れるが、それはあくまでも収穫が多い年だ。となると1反の土地から最大で三貫文の収入になる。裏作で麦を作っても四貫文には届かない。仮に百八十反全てを米と麦にしても、最大で七百二十貫文。子供だけだと不慣れだろうから、こちらも六掛けで考えると、約四百四十貫文。だが天候不順で収穫量が悪化する可能性は非常に高い。何より飢えた近隣の村人達に食われてしまう可能性だってある。となればやはり安定性を採るか」

 「しかし十人で二百石を耕すのはきつくありませぬかな?」

 「ああ、そういう問題もあるな。二百石ということは、単純に考えても村一つ分はあるもんな。村人十人の村なんてあり得ない。ただ実際に農地として使うのは九十反だ。残り九十反は別の目的で使う。農作業従事者が最低でも二十名は必須。そうなると別口で炊事とかしてくれる人を雇うか。未亡人とかなら、俸禄次第で引き受けてくれそうだしな」

 うんうん、と頷く。そうなるとやはり孤児は二十名で考える必要があるな。

 あとは賄い担当や、農作業指導担当と言った所。ちゃんと払う物を払えば、希望者は集まるだろう。


 「よし、最初は孤児二十名から開始だ。餓死者を減らすと思えば悪くない。そうすると子供達用の自給自足分食料生産地として十石だと足りなくなるかもな。予備の十石は住居地と肥料生産地以外に、農地にも使うべきか。人手が足りない時は、応援依頼を近隣にかけよう。報酬を約束すれば、嫌とは言わないだろう」

 「ふむ、それは良き考えかと」

 「そうなると何を作るかだな。なるべく手間暇をかけない物が理想だが。いや、ここは発想の転換をしてみるか。畜産とかも良いかもしれん。木曽馬を九十石相当の畑で、いや、これは無理か。育てたのが素人の子供じゃあ、質が期待できん。足元を見られて安く買い叩かれる。それに育ちきるまで時間がかかりすぎる」

 頭をガシガシ掻きながら考える。考えろ、何か良い案がある筈だ。

 そもそも金稼ぎも重要だが、最重要なのは子供達を飢えさせぬ事だ。となると、販売するより半永久的に採集できる物が理想的。その上で、農地の休養を手助けできるような物。


 「……そうだ!牛と鶏だ!」

 「鶏ですと!?あの神聖な鳥を食べるのですか!?」

 「ああ、食う。何、神罰があるというなら、俺が全て引き受ける。北野社へ誓ってやっても構わない。鶏の抜けた羽根は矢の材料に使えるだろう。卵は言うまでも無い。餌は地中の虫や野菜の切れ端で十分いける。飼育の手間はほとんどかからんな。それから牛は畑を耕す際の労働力になる。何より乳だ。牛の乳を食料として扱うのだ」

 「牛の乳を飲むのですか?」

 俺にしてみれば当然の知識だ。ガキの頃は大きくなりたくて、毎日牛乳を飲んでいたな。毎日紙パック一つ空けていたら、祖母ちゃんに飲み過ぎだと叱られた記憶がある。


 「牛の乳は体に良いのだ。考えてもみろ。赤子は母親の乳を飲んで大きくなる。そこで質問だ。赤子はどうして、僅か一年であれほどまでに大きくなれるのだ?それは母から与えられる乳に、必要な物が全て含まれているから。そうとは思わんか?」

 「……確かに、言われてみれば」

 「その恩恵を受けるのだ。骨が太く、血肉が作られる。これほど理想的な食料源は無い。それにな、以前知った事だが、元寇で攻めてきた元――大陸の騎馬民族は知っているな?」

 『知って居りますとも』という返事が返ってくる。こうして相槌を打たれると、こちらとしてもテンポよく話をしやすいな。

 こういう人を聞き上手と言うんだろうな。人気者になるのも分かる気がする。


 「あの騎馬民族は本来は定住することなく、遊牧しながら生活していたのだ。当然、農耕などは一切無し。その騎馬民族が主要な食料源としているのが馬乳酒。馬の乳から作った酒だ。つまり我らにとっての米になる。これを一日に七回飲んでいたらしい」

 「なるほど、そう聞きますと乳が食料として優秀なのも理解出来ますな」

 「サツマイモと牛乳、鶏卵を生産して主要な食料とするんだ。同時にゲンゲも撒いておくか。上手くやれば蜂蜜も採れそうだしな。あとは休耕地の一画をサツマイモにして、芋飴を作るか。確かアク抜きは木灰で出来たはずだからな。鶏肉は保存食にして戦争用携帯食、蜂蜜と芋飴は換金。材料の麦芽は裏作で大麦作っているから、それを買い取れば作成できるな。よし、これなら貴金属に頼らず金銭を得る事が出来る……ん?」

 何となく違和感を感じて振り返る。弱視故に、そこには影があるようにしか感じられないのが困ったところ。

 コテン、と首をかしげる。誰だ?


 「誰?」

 「勘助でございますよ、二郎様。あとは御屋形様と山城守殿もおられますぞ」

 「何で!?」

 ええ、どうして!?


 「どうしてだ?誰もいない静かな部屋だと思ってたのに!」

 「二郎よ、儂の部屋なのだから、誰もいないに決まっておるだろうが」

 「……御尤もでございます、御父上様」

 瞬間、軽く脳天に衝撃が走る。まあ痛くは無いし、信玄パパも笑い声を出していたから、怒っている訳ではないのだろう。


 「二郎、説明してみろ。俺を納得させたのなら、銭を出してやる。お前の領地で成功したら、真似させて貰うがな?」

 「それなら、説明します」

 結論。石高二百石の領地で換金作物により毎年約五百貫文の売り上げ発生。加えて戦用の保存食チキンジャーキー作成と、芋飴と運が良ければ蜂蜜で追加売り上げ発生。


 「ちょっと待ってください。良い事、思いついた。勘助、筆と紙を」

 「はいはい、こちらで宜しいですかな?」

 「ありがとう。えっと木綿の代わりにサツマイモにして、それを芋飴にすると仮定。九十反の土地からサツマイモを収穫するとして」

 確かサツマイモは一反の土地から、不作でも二千五百㎏収穫出来た筈。あくまでも西暦二千年代の日本という条件だが。だがサツマイモは肥料をあまり必要としない。水も基本的には植え付けたばかりの頃は必要だが、乾燥にも強いという利点がある。ならば収穫量は七掛け程度で見ておくか。となると、最低でも一千七百㎏という事になる。それを芋飴に加工したら、約三割の飴になるから五百㎏。単位換算としては、この時代の一斤は六百ℊだから。大雑把に計算して、八百斤になる。


 「勘助、砂糖ってどれぐらいの値段だ?」

 「一斤辺り二百五十文で御座いますな」

 「となると四斤で一貫文。それが八百斤あれば二百貫文。砂糖より質は悪いから、相場を六掛けにして百二十貫文と仮定。それが毎年九十反分……いちまんかんもん?いや、待て待て、慌てるな。こういう時は落ち着くんだ。落ち着いて深呼吸だ……よし、まず本来考えていた収入と比較して……じうろくばい?」

 ヤバい。俺は今、とんでもない物を思いついてしまったぞ。そして今更ながらではあるが、芋飴は戦国時代において凄まじい価値を有する筈だ。米なんぞ目じゃないレベルで。そして芋飴なら原材料は食料として増産予定。そしてあろうことか、信玄パパに聞かれてしまった。笑うしかないわ。

 俺は今、間違いなく歴史を変えてしまった。

 史実の織田信長は津島の税で軍勢を整えていたが、これからの武田家は芋飴の販売利益で軍勢を整えていく事になるだろう。

 

 「父上、今更ながらですが宜しいでしょうか?」

 「何だ、改まって」

 「金山、要らないですね。山ほど芋飴作れちゃいます。しかも芋飴、保存性にも優れています。いっそ足軽とかの携帯食にしてしまうのも手かも。あとは相場維持を目的として、浪費しないといけなくなるかもしれません。これ、思いついてはいけなかった考えかもしれません……聞かなかった事にして頂けますか?」

 瞬間、勘助がブフウッと噴出した。どうやら笑いが止まらないらしい。虎盛さんは『二郎様、本気で仰ってるのですか!?』と悲鳴じみた声を上げていた。


 「だって、僅か九十反の土地から毎年一万貫文相当の芋飴作れるんですよ?甲斐国って全体で十五万石。つまり十五万反の農地があるという事です。この内、九十反で一万貫文の収入が発生するんです。五百反ほど芋飴製造に使用すれば、たった三百分の一の領地で五万貫文を得られます。調子に乗って作り過ぎれば、間違いなく相場は大崩壊します。生産量を考えないと、拙い事になります」

 「……二郎。賄い方の者に作らせることは可能か?」

 「はい。麦芽が有ればできます。大麦が芽を出した物、それを乾燥させた物です」

 「誰か、誰かおるか!賄い方の者を呼べ!すぐに確認したい事があると!」

 結論。試行錯誤の末に一月後に出来ちゃいました。いや、さすがに雑味はあるし、甘みタップリとはいかないけど、十分に飴だわ。素人の手造り飴って感じ。

 信玄パパ大興奮。三条ママや太郎兄上、弟の三郎君も大喜び。さらに諏訪御寮人こと勝頼ママも喜んでくれた。まだ歯も生えてない四郎君にも、いずれ食べさせてあげたいと言ってくれたよ。

 家臣の皆さんもびっくりしていた。まさかサツマイモと大麦から、こんな物を作ってしまうとは思わんかったらしい。

 もう信玄パパ、笑みが崩れて怖いです。こっち見ないで、ってレベルで。保存食兼嗜好品って、我ながら反則だとは思うけどさ。


 ただ問題はパパから生産止められた事。理由は単純で、生産量を調整しつつ武田家の独占販売にしたいそうだ。

 代価として毎年の資金提供は追加で約束して貰えたが、計算が狂ってしまった。とりあえず芋飴の代わりを考えるか。それまでは切り干し芋にしつつ、当初の計画通り木綿と油菜栽培を行うとしよう。


 

天文十八年(1549年)二月、甲斐国、武田二郎――



 俺に与えられた領地だが、信玄パパの資金援助もあって幸先の良いスタートを切れた。初期資金が豊富になってしまったので、孤児三十名でスタートに変更したのである。

 孤児を集める前に、寝起きする住居を長屋形式で建設。トイレは汲み取り式。後に肥料にしたり、硝石の材料にしたりと考え中である。特に硝石は鉄砲鍛冶を招聘するから、絶対に自作しておきたい所。

 で、目星がついたところでスカウトを始めた。


 悲しい事ではあるが、人材に困ることは無かった。あっという間に甲府周辺だけで、確保できてしまったのである。

 甲斐の抱える闇を、こういう形で体験する事になるとはなあ。

 ここへ連れてこられて、すぐに振舞われた焼き芋を貪り食う子供達を見ていると、罪悪感すら感じてしまう。


 「さて、皆に集まって貰ったのは他でもない。皆にはここで生活してほしい。畑は見ての通り、ここに用意されている。皆で協力すれば、飢える事無く生きていけるはずだ」

 子供達の反応は鈍い、というか無に限りなく近い。目を向けてくれるだけ、まだマシだが。

 思わず怒鳴ろうとした虎盛さんの気配を察し、咄嗟に腕を出す。


 「二郎様?」

 「そう怒ってやるな、虎盛。皆、辛い思いをしてきたのだ。今まで助けてあげられなかった、我らにも非はあるのだ」

 素直に引き下がってくれる事に感謝しつつ、俺は視線を戻した。


 「俺も皆と同じだ。ある意味な」

 「……どうして?」

 少し小さな声で反応があった。これは女の子だろうか?こういう時、目が見えないと不便だな。


 「皆は生きる事が出来ないから絶望した。食う物が無い、家族に捨てられた、或いは家族が消えた、いなくなった。そうだな?」

 「うん」

 「俺はな、目が見えん。生まれた時から暗闇の中だ」

 その言葉に視線が刺さった事を実感する。

 俺が目を閉じているのはわざとじゃない。これが俺にとっての当たり前なんだ。


 「俺の目、触ってみろ。開かないから」

 俺に反応してくれた女の子だろう、瞼に触り、確かめた。


 「……お目々、開かないの?」

 「ああ、そうだ。俺はずっと暗闇の中にいるんだ。目の前が分からずに生きないといけないんだ。それでも生きる為には、足掻くしかないんだよ」

 女の子の頭を撫でる。手の位置から、俺より少し下かとアタリをつける。

 

 「お前、名前は?俺は二郎だ」

 「……ゆき、そう呼ばれた」

 「ゆき、生きたいか?」

 コクンと頷いた気配がする。

 そりゃそうだ。こんな幼い子が、自ら死にたいなんて考える訳が無い。


 「皆はどうだ?この地獄から抜け出したくないか?腹一杯の飯を毎日食いたくないか?」

 どうやら顔見知り同士で話を始めたらしい。うん、良い傾向だ。生き延びたいという気持ちが無ければ、俺が助けても全く意味はない。

 意見は様々。乗り気な奴もいれば、そうでない奴もいる。

 でも構わない。少なくとも、俺の話を聞くつもりがある事だけは断言できるからだ。


 「……俺達に何をさせるつもりなんだ?」

 「とりあえずここで農作業だ。作り方、世話の仕方はこちらで教える。後は皆に学んでもらう。文字の読み書きや計算をな」

 「そんな事をして、何の意味があるんだ?」

 「武田家で侍に取り立ててやる」

 一斉に静まり返った。

 これは予想外だったんだろうな。せいぜい、ここで百姓として暮らしていく。それだけだと思っていたんだろう。


 「俺の名は武田二郎。武田家当主、武田大膳大夫晴信の次男。巷では神童なんぞと呼ぶ者もいるが、しょせんは盲な八歳の小僧だ。だが約束する。侍になりたいなら取り立ててやる。他の仕事、例えば職人とかになりたいなら師匠を紹介してやる。どうだ?皆、俺と一緒に生きないか?」

 


天文十八年(1549年)三月、武田二郎領地、三吉――



 俺は三吉。この妙な集まりの中で最年長として纏め役に選ばれた。年があけて十二になる。俺はいわゆる口減らしだ。上の二人の兄ちゃんは問題なかったが、俺と妹であるゆきは売られた。

 そこを買い取る形で引き取ったのが、この辺りを治めている二郎様だ。


 はっきり言うが、二郎様は妙な人だ。

 まず目が見えん。正確には物凄く目を近づければ見えるらしいが、普通の生活では役に立たんと言っていた。外へ出る時も、かならず小畠様といういかつい鬼みたいな爺さんがついているほどだ。


 そうかと思えば、おつむの出来は凄いらしい。小畠様に訊ねてみたら『二郎様は天神様のお弟子様なのだ』と返ってきた。神様の弟子って、そりゃすげえ。

 実際、俺達が食べている甘い芋――サツマイモというらしいが、それを取り寄せたのも二郎様だそうだ。こんな甘い芋が毎日食べられるなんて、思ってみなかった。妹のゆきなんて、毎日喜んで食べている。

 ただ旨い話ばかりじゃない。ここに住まわせてもらっている以上、やらないといけない事はたくさんある。


 「では本日の読み書きを始めるぞ」

 まずは勉学。二郎様から『のし上がりたいなら身に着けろ』と言われた読み書きの時間だ。ここにきてもう一ヶ月になるが、ひらがな、カタカナは全て覚える事が出来た。ただ複雑なのは、ゆきはそれを十日ほどで覚え終わっていた事である。なんでだ?ゆきはまだ七つなのに。兄貴として悔しい。

 そして教えてくれる人だが、また奇妙な人だった。

 片目に眼帯をあて、怪我をしているのか片足を引きずって歩いている人である。

 『儂の事は道鬼と呼ぶがよい』

 初めて会った時にそう言っていたので、皆から道鬼先生と呼ばれている。本人も満更でもなさそうだった。


 「では本日教える事だが、漢字を教えていこう。まずは簡単な所からだ。これを見るがよい」

 道鬼先生が用意してきたのは、文字の書かれた紙。つまりお手本だ。

 「これは順番に、壱から拾までを表しておる。隣の列は百、千、万だ。まずはこの文字を練習するのだ」

 皆の前には練習用の物体――二郎様が考えた『灰板』が置かれている。作りは簡単で、平たい板の四方を細い木材で囲い、中に竈の灰を入れてあるだけだ。ただ練習には便利で、箸みたいな木の棒で灰に文字を書いた後、それを均せばまた書き直せる。墨はともかく紙は高いから、練習には使いにくいそうだ。それで、こんな物を考え付いたらしい。

 

 「道鬼先生、この前、二郎様が教えて下さったアラビア数字と言うのとは、どう違うんですか?」

 「よき質問じゃ。アラビア数字は二郎様が言うには、お釈迦様で有名な天竺の向こう側にある、暑さと砂に支配された国で使われている、数を表す文字だ。今日教えたのは、この日ノ本で使われている、数を表す文字よ。意味は同じ。ただ国が違うのと、使い方が違うだけなのだ」

 で、実際、書いてみたんだが。

 

 「道鬼先生、どうしてこんなにたくさんの文字を使うんですか?」

 壱万弐千参百肆拾伍とか、書いていて訳が分からん。12345じゃダメなのかよ?


 「確かに不便ではある。だが日ノ本ではこれが普通。どこへ行っても、この漢字を用いたやり方なのよ。アラビア数字は二郎様が最近になって普及し始めた物だからな。漢字を用いた方法を覚えておかねば、後々、困る事になるだろう」

 「はい、わかりました」

 「それにしても天神様の知識とは凄い物じゃ。こんな便利な物があったとはのう」

 道鬼先生もアラビア数字の便利さは認めているみたいだ。頭の悪い俺でも、アラビア数字の方が便利なのは凄く分かる。実際、簡単だし。

 ちなみに計算については二郎様が教えてくれた。アラビア数字は簡単だったから、全員すぐに覚えてしまった。俺も含めて。

 それからその日の内に足し算、引き算も覚えられた。+、-、=を使った計算だ。意外と簡単だったから、俺でも覚えられた。記号の意味が分かれば、苦戦する理由も無かったしな。

 次に来る時は掛け算を教えてくれるそうだが、どういう物なんだろうか?


 「お主達も励むのだぞ?二郎様はお主達に期待しておるからのう」

 道鬼先生はその後も俺達の事を見て、帰っていった。夕方にまた来ると言っていたので、またすぐに会う事になるだろう。それはともかくとして、入れ替わりにやってきたのが、近くの村で百姓をしている茂さんだ。


 「みんな元気そうだな。じゃあ今日は畑の世話だ。麦の手入れの仕方を教えてやる」

 風が吹いて寒いが、我が儘は言えねえ。この麦は俺達の食料なんだからな。

 二郎様の説明によれば、サツマイモと麦を交互に栽培するそうだ。 

 麦は初夏に収穫するんだが、収穫が終わったら、暫く休み。その間は、こことは別の畑で作物を栽培する。

 そうする理由だが、ずっと栽培していると畑も疲れてしまう。だから肥料が必要だ。お前だって走り続ければ疲れるだろう?そう言われたら納得できたよ。ずっと動いていれば、休みたいし、腹も減るからな。


 「じゃあ今日は病気の確認だ。しっかり覚えておくんだぞ」

 ああ、これって父ちゃん達がやってた奴だな……父ちゃんと母ちゃん、元気でやってるかな?俺とゆきは運良く二郎様に救われたけど、今更、家に戻っても居場所なんてないからな。

 俺がゆきをしっかり育てないと。


 「これをやらないと、麦が収穫出来ないぞ?じゃあみんな、やってみろ」

 「ゆき、兄ちゃんと一緒にやろうな」

 「うん」

 手を繋いで一緒に確認していく。三十人もいるからあっという間に終わるが、次に麦を育てる時は、俺達だけでやる事になる。しっかり覚えねえと。


 「じゃあ次は小屋作りだ。若様の希望通りの物を作るぞ」

 茂さんが言うには、二郎様から頼まれた物らしい。作る場所は畑のど真ん中。百八十石ほどある畑は東と西に分けられていて、その境に作るそうだ。

 出入り口は二ヶ所。東西に一つずつ。大きさは結構大きい。

 皆で協力して、建物はあっという間に出来た。高さは茂さんの頭より少し高い程度。中は俺の膝ぐらいの位置に板が据え付けられ、所々に穴が開いている。


 「茂さん、これ誰が住むんだ?」

 「若様が言うには住むのは人間じゃねえそうだ。ここには鶏が住むらしいぞ」

 「鶏!?」

 訳が分かんねえ。鶏なんて、どうするつもりだ?


 「まあ頼まれた物は作ったんだ。あとは若様にお任せすればええ。さあ、中食が待ってるぞ?」

 皆がワイワイ言いながら元来た道を戻る。ここに来るまでは、毎日が食うだけで精一杯。いや、それすらも無理な日が続いていた。

 なのに、今は朝も夜も、それどころか昼も食べさせてくれる。

 ゆきも最近は顔色が目に見えて良くなった。家にいた頃とはえらい違いだ。


 「なつ母さん、今日は何?」

 「今日は稗を味噌で煮た御粥よ。たくさん食べて良いからね」

 なつ母さんは、ここで炊事洗濯をしてくれる人だ。毎日、交代制で来てくれる。

 いつもは近くの村で百姓しているが、旦那さんが病で亡くなったそうだ。女手一つで子育てしないといけない、でも畑は一人じゃ広すぎる。そんな時に二郎様の呼びかけに応じてくれたのだ。

 なつ母さんはここで働く限り俸禄が支払われる。それがあれば、畑を減らしても十分に食っていけるらしい。ついでに若様は、少しぐらいなら自分の子供達用に握り飯とか作って持って行っても良いぞ、と言ったそうだ。なつ母さん達、みんな泣いて喜んだそうである。


 「そういえば、もう少ししたら貴方達のお友達が増えるみたいよ?若様が賄いしてくれる人がいたら紹介してくれ、と仰っていたわ」

 「そうなの?」

 「同じぐらいの土地を御屋形様が増やしてくれたから、同じようにする予定だそうよ。その時が楽しみね」

 すげえな、もうここって一つの村になりそうじゃないか。でも子供だけの村か……ちょっとワクワクしてきたぞ。


 「さ、お腹いっぱい食べなさい。この後は小畠様から剣術を教わるのでしょう?」 

 「うん!」

 そういえばそうだった。侍になるなら剣術・槍術・弓術は必須。それでなくても、ここに食べ物があると知れ渡れば、飢えた連中が襲ってこないとも限らない。だから自衛手段は身に着けておくように、って二郎様が手配してくれたんだよ。


 「小畠様、すっごい怖いんだよな」

 「それはそうでしょう、三吉君は知らないでしょうけど、あの御方は御屋形様にお仕えする方々の中でも、四天王と呼ばれるほどの御方なのよ?」

 「そんな凄い人だったのか?」

 初めて知った。いや、二郎様のお付きだから偉いんだろうな、とは思っていたんだが。まさかそこまで凄い人だったなんて。

 ただのおっかない爺さんだとばかり……


 「本当なら二郎様にも教えて差し上げたいのでしょうけど、ねえ?」

 「そっか、二郎様は目が、だもんな」

 目が見えない。それでは武器を振るう事などできんだろう。いや、振るだけならできても命のやり取りは無理だ。敵がどこにいるかすら分からんだろうな。


 「それでも二郎様、毎日木刀の素振りは欠かさないそうよ。いつか役に立つかもしれないって」

 二郎様、本当に俺より年下なのか?信じらんねえんだけど。


 「お、小僧ども、腹いっぱい食っておけよ。今日は面白い物を用意してきたからな」

 そう言いつつ入ってきたのは小畠様だ。背中に妙な袋を背負っている。何か飛び出しているが、あれはなんだ?


 「小畠様、ご苦労様です」

 「おお、気にする必要は無い。中食を優先してくれ。さて、半刻したら外へくるようにな」

 小畠様が持ってきたのは、竹で作られた『竹刀』という物であった。二郎様が作ったものだそうだが、当たっても怪我しにくい、というのが特徴である。

 おかげで男を中心に、剣術が盛り上がったのは言うまでも無かった。


 「皆、揃っておるな。山城守殿にコッテリ絞られたようじゃな」

 床板で伸びていた俺達を見て、道鬼先生が笑いながら入ってきた。そういえば、何をするつもりなんだろう?疲れて勉強どころじゃないんだけど。


 「まあ気を楽にすると良い。今からするのは勉強ではない。其方達の身を守る為の罠。その計画を立てるのじゃよ」

 「罠?」

 「そうじゃ。三吉、其方達の中で、お主は一番強い。だが、野盗が十人ほど攻めてきた時、お主は何とかできるか?」

 無理に決まってる。幾ら俺がみんなの中で強くても、大人には勝てん。だから素直に首を左右に振った。

 道鬼先生に『情けない!』って叱られるかな?と思ったんだが、先生は満足そうに頷くだけだった。


 「うむ、己の力量を把握するのは、生き延びる為の第一歩よ。話を戻すが、そういう時に身を守る為の落とし穴を作っておくのよ。不埒者が這い上がってくる前に、槍で突いたり礫を投げたり、或いは遠くまで逃げてしまえば良い。分かるな?」

 「それなら何とかなる!」

 「そういう事じゃ。落とし穴は畑の傍に作る事で、サツマイモ目当てに寄ってきた猪や鹿への対策にも使える。つまり飯が増えるという事じゃ。やる気が出てきたであろう?」

 夕飯の前だからな。空きっ腹にそんな話を聞かされたら、みんな興味を惹かれるだろう。おまけにみんな、飢えを経験しているんだ。飯を増やす為なら、みんな全力で取り組むぞ?


 「投網は基本じゃが、他の罠も有りじゃな。設置場所を決めたり、色々と考える事がある。この家に踏み込まれた時の対策、例えば子供だけが逃げられる、狭くて小さい通路とかもな。其方等は弱い、だが、弱いからと言って奪われる事を良しと出来るか?」

 「嫌だ!」

 「その通りじゃ。では集まれ。皆で考えるのじゃ」

 よし、みんなで考えるんだ。ゆきもみんなも、絶対に守り切るんだ! 


 「ちなみに二郎様も案を出しておられたぞ?偽物の倉庫や二重の入り口を作って、そこに落とし穴を作るのはどうか?と申しておられた。他にも野犬を餌付けして、番犬として活用するのも良いだろう、とな」

 「二郎様、頭良いなあ」

 「さすがに落とし穴に油壷を投げ込んで松明を投げ込むのはどうかと思うがのう?」

 二郎様、怖いなあ。でも、こっそり準備だけはしておくか。油の代わりに、乾燥させた草の束でもいけそうだよな?


 今回もお読み下さり、ありがとうございます。


 今回は二郎君内政物語初級編&オリキャラ登場編でした。というのも、作者はマイナー武将に詳しくないので、オリキャラで穴埋めが必要になるからです。今回はその布石と言う奴です。設定としては十名ほど、名前や年齢も決まっています。


 それでは、また次回も宜しくお願いいたします

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― 新着の感想 ―
[一言] 三吉の妹の「ゆき」がひらがなとカタカナの箇所がありますが、なにか意味を込めてるんですかね?
[良い点] ランキングからきました。 読みやすく、おもしろいです。 特に主人公が慎重で行動の理由付けが納得のいくものが多く好感が持てます。 武田信玄は作品によって書かれ方がまるで違うのでその辺も楽しみ…
[一言] アラビア数字の解釈間違ってますよ? 正確にはインドからアラビアを通ってヨーロッパに伝わった数字です。 発祥はインドですよ、ついでに言うと0(ゼロ)を生み出したのもインドです。
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