謀略編・第四話
謀略編・第四話更新します。
今回の舞台は駿河と但馬になります。
あとは新キャラ登場。割と有名な人です。
それとラスボス当て企画。思ったよりも盛況でした。
まだしばらく時間はかかるので、その時までお待ちください。途中でお披露目はすると思いますけど。
永禄四年(1561年)四月、駿河国、武田信親――
「船旅はやはり甲板で潮の香を嗅ぐのが醍醐味だな。実に気持ちが良い。船長、短い間であったが、役目、大儀であった。皆と一杯、楽しんでくると良い」
そういって金を渡す。友野屋の商船に同乗させて貰って小田原から帰ってきた俺は、慶次郎の代わりに案内役を務める奥村に先導されて船を降りた。
湊は賑わっているようで、騒がしい声が鼓膜を叩く。
次に船に乗れるのは、いつになるだろうな。
「……戦が無くなったら、船で旅をして回るのも面白いかもしれんな」
「加賀守様は船旅がお気に召されましたか」
「山国育ちだからかな?海に関わる物、全てが好みよ。さて奥村、疲れはあるだろうが、このまま久能山城へ赴いて、三郎(武田信之)に会っていくとしよう。ここまで来て会わずに立ち去ったら、五月の婚儀の時に睨まれそうだわ」
クスクスと奥村が笑う。本当に慶次郎とは正反対だが、非常に仲は良い。いずれは前田家に城と領地を与えてやりたいものだ。
そうだな、能登を落としたら誰かに城を任せるのも有かもしれんな。勝家も根は真面目な男だ。内政を得手とする者を与力としてつければ、五万石程度なら運営できるだろう。藤吉郎と光秀は、まだしばらく傍にいてほしいな。せめて二人の後釜が見つかるまでは、な。
竹中も城主にしてやりたい所だ。これまでの功績を鑑みれば、抜擢してやっても良いかもしれん。さて、どうしたものかな?
「鐘捲殿。某、馬を探して参ります。加賀守様をお願い致します」
「心得た」
今回の護衛役は二人。慶次郎と鐘捲だ。武芸大会で召し抱えた若者だが、護衛役としては非常に頼りになる。いずれは加賀武田家指南役として……ふむ。
「考えてみれば、加賀には冨田流と鞍馬八流がいるのだな。いずれは林崎の抜刀術、丸目の陰流もやってくる訳か。どうせなら毎年、四流派対抗戦でも催してみるか?」
「加賀守様が仰せなら、某は誰であろうとも戦います」
「別に強制ではない。あくまでも其方達に剣の腕を磨いてほしいからよ。俺は盲だ。我が身すら満足に守れぬ。傲り高ぶり、剣の腕が衰えてしまっては、俺の命も危うくなる。だからこその考えだ。勘違いはしないでくれよ?」
鐘捲は『心得ました』と返してきた。口数は少ないが、悪い男ではない。世渡りは下手かもしれんが、それは主である俺が何とかしてやればよい。
「御下がりください。どうやら某の御役目のようで御座います」
……は?ここは駿河だぞ?いや、十年前は今川領だったから、俺と言うか武田家を恨む奴がいても不思議はないんだが。だがまあ、折角の警告だ。後ろに下がるか。
「出てくるがよい。某が御相手しよう」
「お、お待ち頂きたい!こちらは危害を加えるつもりは御座いませぬ」
「ならば出てくるがよい、ゆっくりとな」
何やら足音が聞こえてくる。割と軽い足音だな、もしかしたら子供かもしれないが、先ほどの言葉からすると、元服したてかもしれんな。
油断だけはしないようにしないとな。
軽くつま先立ちになって、鐘捲に何か言われたらすぐに動けるよう、心構えだけはしておく。
「お初にお目にかかります。某、山内一豊と申します。生まれは尾張国。つい先日まで岩倉織田家家臣、山内盛豊の三男でありました」
「……どうやら其方は私の事を知って居るようだが、それはまあ良い。で、つい先日までと申したな?」
「岩倉織田家は先日、滅びました。父や兄は主、佐兵衛信賢様を守って討ち死。某は父に御家の復活を託されて落ち延びたのです」
……思い出したわ。確か信長を攻めた時に、さっさと降伏してきた奴が岩倉城の織田家だったな。名前は信安、だった?昔は信長とも仲が良かったらしいが、その時には仲が悪くなっていたとか。
そんなに大した奴じゃなかったから、その内滅びるだろう。そうすれば領地は直轄地に出来るなあ、と考えていたんだが、やっぱり潰れたか。
「ん?待て待て。岩倉の主は信安ではなかったか?」
「三年ほど前になりますが、御家で騒動が起きました。先代様は他の御子様方とともに岩倉を立ち去られております」
「……ああ、思い出したわ。確か朝倉を攻めた年だったか?大御屋形様の所に、代替わりで挨拶に来ていたな。すっかり忘れていたわ」
言い訳という訳では無いが、あの頃は忙しくてなあ。おまけに俺は盲だから、顔を見て覚える事が出来ないんだよ。
人の名前を覚える時、本当に困るわ。
「岩倉が代替わりしたのは思い出した。それで岩倉織田家か。何をやらかした?」
「無謀にも反旗を翻そうとしたのです」
「……馬鹿か?岩倉の石高など、せいぜい十万にも届かぬだろうに。尾張を預かっている右衛門大夫(一条信龍)叔父上に瞬時に踏み潰されるだろうが。おまけに叔父上は戦に関しては、父上が頼りにするほどの実力者だぞ?周りは誰も止めなんだのか?」
一豊は『父は止めましたが聞き入れられませんでした』と返してきた。これだから上が愚かだと下が迷惑を被るんだ。こうならないように、武田家は教育を始めとしてしっかりした統治体制を築かないといかんな。俺だって、いつまで生きていられるか分からんのだから。
少なくとも愚か者が権力を握れぬようにはしておかんと。
「加賀守様の事は常日頃から耳にしておりました。ここでお会いできたのも何かの御縁かもしれぬと思い、声をかける機を伺っておったのです」
「そこを鐘捲に察知された、か……一豊、正直に申せ。其方、年は幾つだ?」
「十六になります」
若いな。だが父が主に諫言できるほどの立場だったということは、それなりの立場にあった家だったのだろうな。加賀武田家で言うなら、部将や家老クラスといった所か。
「其方、戦の経験は?」
「ありませぬ。初陣すら、未だ御座いませぬ」
「鐘捲。剣士としての其方から見て、どうだ?忌憚なく申せ」
「事実で御座いましょうな。人を斬った経験も無いかと」
だろうなあ。岩倉織田家が武田に組み込まれてからかなり経つが、ここしばらくは、戦の手伝いを命じてはいなかった。初陣がまだでもおかしくはない。
「一豊、さすがに初陣もまだではな。何か出来る事はあるか?」
「領内の仕置でしたら、父や兄とともに行っておりました」
「ふむ、仕置か」
戦に出させず、ひたすら内政担当官として励ませるのも有かもしれんな。確かこいつ、秀吉の家来になる男だろう。与力として藤吉郎につけるか?
試してみるか。
「一豊、其方を試すとしよう、ついて参れ」
「は、心得ました」
「鐘捲、奥村が戻るまで待機だ」
奥村が馬を連れて戻ってきたのは、すぐだった。当然の如く、一豊について誰何される。
「私に仕えたいそうだ。ただ初陣もまだ、領内の仕置は手伝い経験のみという。だが若いからな。育てれば物になるかもしれん。故に試そうと思うのだ。奥村、内政の指南書を持っておるか?」
「加賀守様の書でしたら……こちらで宜しゅう御座いますか?農業の指南書に御座いますが」
「よい。しばし借りるぞ。一豊、これから加賀に戻るまでの間、この書をひたすら読みこむのだ。加賀に戻ったのち、其方の覚悟が本物か試す。それまでは奥村の下につくのだ。よいな?」
一豊は『必ずや!』と元気の良い返事を返してきた。数えで十六ということは実年齢十四歳。俺が二十で実年齢十八だから、一豊は中学生ぐらいか。そんな子供が家族も家も失って、御家復興だけを目的に、なんて聞かされた日には少しばかり仏心が出てしまう。
馬に乗せてもらい、久能山城へと向かう。俺は盲なので馬を走らせることは出来ん。蹄の音に眠気を誘われる。
今日の宿に着いたら、早めに寝るとするか。
そんな事を考えながら、俺は眠気を堪えながら馬に揺られていた。
永禄四年(1561年)四月、但馬国、此隅山城、山名祐豊――
「武田の動向は?」
「現在、駒返峠に武田の旗が翻っているという報告が入っております。兵の数は不明。その理由で御座いますが、武田は峠の向こう側にも兵を置いている可能性が有る、との事」
「面倒な事をしてくれるわ。だが武田が山名家の居城である、この城を目指して最短経路で攻めこんでくるという考えは、当たっていたという事だな」
もう十五年になるだろうか?駿河の今川家が武田家に潰されたのは。
その後、武田家は急速に勢力を拡大。瞬く間に広大な所領を有する、強大な御家へと発展していた。
そして武田家が矛先を向けたのは、この但馬国。
だが俺とて馬鹿では無い。武田が攻め込んでくるとしたら?
それを想定して、守りを固めていたのだ。
「駒返峠からここまで道なりに一里と半分。だが若狭城、万灯山城、安良城、福居城、鳥居城、そしてこの此隅山城と兵二千を配置してある。これに因幡からの応援三千と、尼子の助けが加わるのだ。城の守りも活用すれば、十分に渡り合えるわ!」
「しかし本当に宜しかったので御座いますか?」
「生野の事か?仕方あるまい、あの地は山名にとっての生命線。失う事は許されぬ」
懸念を口にしたのは垣屋光成。儂より十ほど齢は下。風貌も決して頼もしいとは言えぬが、大事なのは頭の中身。その実力故に、儂は目をかけてきた。
山名家中において、もっとも頼りになると言って良い。だからこそ、こうして傍に置いているのだ。
「仮に、だ。武田が三万を超える大軍勢で攻めてきたとする。だが駒返峠から下ってくる道は狭い。狭隘の地で迎撃するのは、兵法の基本よ。それが分かっているからこそ、武田も駒返峠を取ったは良いが、そこで足踏みをしているのだ」
「それは……仰る通りで御座いますが」
「敵は山頂に陣取っている。だからこそ、こちらから攻めかかるのは愚の骨頂。その上、狭隘の地が我らに牙を剥く事になる。油断さえしなければ良い。時間を稼ぎ、本願寺が懐で暴れるのを待てばよいのだ。それに公方様が越後の長尾家に働きかけているという情報も来ておる。ならばこちらは焦る必要は無い。武田の背後が煩くなるのを待てば良い」
武田は強い。それは事実。まともにぶつかれば、こちらが潰される。
であるならば、知恵を以て戦う他は無い。
「正直に言うとな、丹波方面の兵二千もこちらに回したくはあった。だが、分かるであろう?」
「はい。三好家は武田家と仲が良う御座います」
「そういう事だ。いつ雪崩れ込んでくるか分かった物では無い。もし三好が五千ほど応援を寄こしてみよ。間違いなく但馬は落ちる」
これが不安要素。解決できぬ問題点だ。
だから尼子を利用するしか無いのだ。
「光成、攻勢に出るのは尼子が来てからよ。我ら山名は、尼子と武田が派手にぶつかるように立ち回るのだ。尼子も所詮は敵。それも六分一殿とまで呼ばれた山名家の守護職を奪い取った輩だ。奴らを味方と思ってはならぬ。使い潰す駒と考えよ」
「はは!」
永禄四年(1561年)四月、但馬国、河梨峠、武田義勝――
「申し上げます!只今、山名家家臣、田結庄是義殿より鎌田城を確保した、との使者が参りました」
「うむ。見事な手柄である、その働きには報いよう、と伝えよ」
「はは!」
俺にとっては従兄弟に当たる御屋形(武田義信)様の指示に、近習の若武者が陣幕から走り去った。
この但馬侵攻において、もっとも重要と位置付けられていたのが、先ほどの報せのあった田結庄某とやらだ。正確には、そ奴が確保した鎌田城になるのだが。
「叔父上、これでやっと前に進めますな」
「うむ。山名の目は、駒返峠に向いている。今の内に狭隘の道を一気に移動し、鎌田城を拠点として大軍を展開する。義勝!」
「はは!」
「兵二千を預ける!鎌田城に入り、安全を確認!問題無ければ、青の狼煙を上げるのだ!」
父上からの指示に従い、常備兵二千を率いて一気に峠道を駆け下りる。
鎌田城までは道なりに約一里。だが半分以上が山と山の間という、狭い道なのだ。
父上が万が一を想定して、俺を先方として安全を確保させる気持ちはよく分かる。
幸い、父上の懸念は外れてくれた。
鎌田城では田結庄某とやらが出迎え、鎌田城の東、奥笹谷城も味方についた、との事。
おかげで仕事が一つ減ってくれた。
青い狼煙を上げると、半刻もしない内に河梨峠から武田勢二万が姿を見せる。
それを父上の差配により、鶴城、鎌田城、奥笹谷城に入らせた。
「叔父上、明日からの行動ですが」
「まずは目の前にある樋口ノ城を落とす。同時に周辺にある松尾寺城、馬路城、祥雲寺城も落とす。但馬の兵力は此隅山城周辺・生野・丹波方面の三ヶ所に分散しているという報告も来ている。飯富殿、久方ぶりに暴れて戴きますぞ?」
「勿論、励ませて戴きましょう。それにしても村雲党は良い働きをしてくれる。おかげで励みやすい事この上ありませんな!」
御屋形様の守役、兵部少輔(飯富虎昌)様が豪快に笑われた。あと五年程で還暦を迎えるというのに、老いてますます盛んとはよく言ったものだ。
……正面切って『老いて』等とは口に出来ぬがな。
「皆には言うまでも無いが、此度の但馬攻めは重要な意味がある。生野の銀山は後回しで構わぬ。最悪、失ったとしても構わん。銭など捨てるほどにあるのだからな!」
「御屋形様の仰る通り!甲斐にいた頃は、そんな事が言える日が来るとは、夢にも思いませんでしたな!」
ウンウンと感慨深げに父上が頷かれる。
確かにその通りだ。
甲斐は貧しい地。金山はあったが、それでも国を富ませるには全く足りなかった。
それを覆してのけたのは、盲目の従兄弟殿。今や武田家の筆頭軍師として、名を馳せている。此度の但馬攻めにおいても、兵糧の手配等を加賀からしてくれているのだ。
いつでも腹一杯飯を食える。こんなに有難い事は無い。
「価値があると言えば、此度の戦においてもっとも価値があるのは『時』だ。正直、国人衆にいちいち対応する手間も惜しい。故に本領安堵を条件とするならば、私に伺う必要は無い。其方達の裁量で認めて構わぬ」
「心得ました。まだ尼子や因幡の兵がおりますからな」
「そういう事だ。それに二郎が申していた。但馬に限らず、山陰の国々は石高も小さく、住んでいる民も少ない。そんな安っぽい土地の本領安堵で満足できるのなら、何食わぬ顔で認めてやれば良いのです、とな。本人の望みなのだから、どこからも文句は来ない、と」
言われてみれば、確かにそうだ。思わず笑ってしまった。
米の生産量も少なく、民も少ない。そんな土地、俺だって欲しくはない。
欲しいという奴にくれてやれば良いのだ。
「加賀守様は相変わらず辛辣で御座いますな」
「兵部少輔、二郎はまだ但馬の国人衆を味方としては認めておらん、という事だ。理由は分かるか?」
「国人衆の寝返りですな。しかし御屋形様、今の武田家から寝返るとは……」
そんな真似のできる輩がいるのだろうか?
尼子は……俺が生まれるよりも前に亡くなった先々代尼子家当主、謀聖・尼子経久ならば十分に考えられるが、死人に調略させるのは不可能だ。
「飯富殿。二郎が心配しているのは安芸の毛利元就。そしてその三男、小早川隆景。この両名でしょう。二郎が申すには、兄上と真田弾正殿がいるようなものだ、と申しておりました」
「加賀守様がそう判断されたのでしたら、間違いなく厄介な相手ですな。確実に国人衆を寝返らせようとしましょう。御懸念も理解できますわ」
「そういう事だ。だからこそ、弱みを見せる事無く短時間で但馬を支配しなければならぬのだ。但馬の支配体制を盤石として、来年の因幡侵攻へ繋げなければならん」
以前、盲目の従兄弟殿から聞いた事がある。
但馬や因幡は、石高では甲斐の七割程度しかない国なのだ、と。
そんな小さな国で、足止めを食らっている訳にはいかん。
「因幡からの援軍は、来たとしても四千程度だろう。尼子は万を超すと見ておくべきだ。だがその大軍勢故に足は遅い。連中が来る前に此隅山城を落とし、駒返峠の囮兵を合流させて迎え討つ態勢を整える」
「御屋形様の申された通り。まずは大軍を展開し、二郎から借りた『鏖』の旗も翻して山名側を揺さぶる。これで小身の国人衆はこちらにつく。寄らば大樹の陰、とも言うからな。その上で、万灯山城に入っている田結庄殿の一族をこちらに寝返らせる。こうなれば落ちるのは時間の問題よ」
「念の為、村雲党に因幡で一騒動起させるのも宜しいのでは?例え数日であっても、足止めが叶えば、これ以上の事は無い。失敗しても損はないと思うが」
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
まずは駿府での一コマから。
【友野屋の商船に乗船】
富士屋でないのは、富士屋との繋がりを北条家に悟られない為です。
【城主】
城主にしてあげたいけど、有能な奴らは傍に置いておきたいし、と嬉しい悲鳴をあげています。務められる人達は多いんだけどね。
今の所は小畠昌盛と柴田勝家の二名。どちらも国境に配備。
【山内一豊】
史実だと初陣は25歳。めっちゃ遅咲き。
妻の千代は、この頃は実年齢4歳前後。浅井家家臣説を取れば千代さん健在。美濃説だと微妙w遠藤家、安藤家、不破家と三つの出自説があるそうです。
でも殺しても意味ないしなあ。とりあえず保留。
【岩倉家取り潰し】
信安の長男・信賢がやらかしましたw見事に御家断絶。
裏設定として、美濃と通じてやらかそうとしたんです。それがバレちゃいましたwという感じ。
信安の『織田家の血筋は俺が遺すからな』という思いはどこかへ消えました。
まあ信安達は京にいるんですけどねw
次は山名家。
【駒返峠】
山名の居城である此隅山城へ丹後方面から攻め込むなら、本気で最短経路になります。途中の城も5つもない。
武田が攻め込むなら、ここだろうという読みは正しいと思います。
狭隘の地で迎撃。これも正しい。
【兵力分散】
丹波方面は、まあ仕方ないかもしれない。出来る事なら播磨の別所勢に丹波への牽制(公方の名を利用)をして貰って、全ての兵力を集めるのが正解でしょう。
生野銀山は間違いなく悪手。そんな物は後で取り返せばよい。国を失ってからでは手遅れ。
この点が山名祐豊さんの失策。
【尼子が来てから反撃】
これは正しいかと。問題は、それまでどうやって堪えるか?ですね。
最後は武田家視点
【武田義勝】
信繁叔父さんの長庶子。望月家に養子に入って望月信頼。第四次川中島直後に病死した人物。タイミング的に戦傷が悪化、と考えた方が良いかも。
弟が武田信豊さん。幼名が『長老』で有名な人w
【阿梨峠】
駒返峠から見て北北西方面にある峠。最短経路を囮として使って、迂回攻撃というのが武田家の戦略です。
【田結庄是義】
一応、山名四天王だそうです。ただし四天王同士で仲が悪いとか、所領を狙っているとか、碌でもねえわw軽く調べましたけど、あまり忠誠心高そうに感じなかったので、寝返って戴きました。
【拠点確保して軍勢展開】
山名さんにとって最悪の展開。真横にいきなり武田家二万が展開するようなもんです。
二万対二千(城有)。どう考えても無理です。ご苦労様でした。
【生野銀山】
義信兄ちゃんは後回しを選択。
これは正解ですね。銀山防衛の為に、遊兵を作るのは悪手。
戦時中に採掘できる訳でもないんですから。
【山陰は石高が低い】
但馬11万、因幡8万。ちなみに出雲18万で他は11万以下。
でも武田家にとっては侵攻経路の確保と言う意味で、取る必要が有ります。
三好に先んじて美作を奪えば、山陽にも抜けられますしね。
【中国三大謀将】
尼子経久、毛利元就、宇喜多直家。やべえ面子w
中国地方って蟲毒の壺だったんですかね?
今回もお読み下さり、ありがとうございました。
それではまた次回も宜しくお願い致します。




