加賀国編・第二十四話
加賀国編・第二十四話更新します。
今回は新年の評定後の宴会(評定を舞台にするのは止めました)と、金沢城での一コマとなります。
今回で加賀国編は終了です。
永禄四年(1561年)一月、越前国、一乗谷城、武田義信――
新年の挨拶と評定も無事に終わった。今は毎年恒例、無礼講の宴会だ。
別の部屋では母上達が、大きくなってきた月や、懸命にはいはいをする六郎(葛山信貞)を可愛がりながら騒いでいるようだ。その声がここまで聞こえてくる。
ふと、婚約破棄に至った娘の園の事が脳裏に浮かんでくる。
園自身も此度の婚約破棄には、言いたい事があったようだ。もしかしたら表向きの理由である疱瘡で痘痕面になった、という言い分に対して不満があったのかしれん。
だが、あの婿殿では父親としても、武田家当主としても不安極まりないのだ。
俺が父親としての情から、二郎が筆頭軍師としての理屈から説き伏せて、何とか園にも納得させたのだが、それにしても厄介な話し合いであったと今更ながらに思う。
やはり親として、我が子には幸せになってほしいのだ。
婚約と言えば、三郎(武田信之)の婚儀だ。正式に福姫を正室に迎える事になった。時期は五月の予定。ここで式を挙げた後、二人揃って駿河へ向かう事になる。
そして園と新九郎(浅井賢政)殿の婚儀は来年春の予定。婚約発表自体は今年の夏頃を予定しているが。
六角家――正確にはもうすぐ正式に当主を継ぐ右衛門督殿が、最初は婚約破棄を告げられて激昂していたと二郎から伝え聞いた。やはり己の面目を潰されたと思ったのだろう。俺が次期当主殿の立場なら、同じように考えるだろう。だが今回ばかりは自業自得な面もあるからな。
ただ六角家中は、最後は婚約破棄を受け入れたという。左京大夫殿も六人衆も、武田家と矛を交える訳にはいかぬ事に気づいたのだろうな。
問題は二郎の思惑に気づいているかどうかだが、正直、俺には分からない。こういう腹の探り合いは苦手なのだ。
そんな二郎はと言えば、普段ならゆき殿が隣にいるが、今日は母上の元にいる為に不在。代わりに件の新九郎殿と三河の次郎三郎(松平晴康)殿がいて、三人で話をしているようだ。
特に次郎三郎殿は二郎の事を昔から慕っていたせいだろう。今もゆき殿が不在の間、二郎の目の代わりとなって周りの事を手伝っておる。自身も片足が無くて不便であろうに。
新九郎殿は武田のやり方に従い、楽市楽座、人頭税、常備兵も自ら主導して導入する事を誓って来た。その上で二郎に『税制や内政に詳しい方に教えを乞いたい』とまで口にしたのである。
そして弟である政元殿を人質も兼ねて、武田の学び舎に通わせたいという旨を伝えてきたのだ。政元殿は十二歳。資格は十分にあるので認めるつもりでいる。
当の二郎はと言えば、釘を刺す事だけは忘れなかった。
『人質など不要。敵になるなら俺が殺すだけだ』
いわば皆殺し宣言という事だ。この発言には新九郎殿も思う所があっただろう。肝に銘じておきます、という無難な発言に留めていた。だがまあ、心配は不要だろう。婿殿がそこまで頭が悪いとも思えない。それに園との婚儀を機に、父上の名から一文字を戴いて政玄と改名する事を約束している。六角とは縁を切る、という事を強く証明したいのだろう。それだけ武田家の中で生きる覚悟が強いという事だ。
少し、話しかけてみるか。
「三人とも、盛り上がっているようだな。どれ、注ごうか」
「御屋形様、忝く存じます」
「今は無礼講だ。兄呼びで構わん。こういう時ぐらいは、どこにでもいる兄弟として接してくれ、二郎」
二郎が差し出した杯に、澄酒を注ぐ。次いで次郎三郎殿と新九郎殿にも注いだ。
クイッと呷る三人。だが、俺はしっかり気づいていたぞ?
「やはり酒は苦手か、二郎」
「どうも駄目で御座いますな。幼い頃の『不味い!』という記憶が強烈なようで」
「そればかりは仕方あるまい。だが眉間に皺を寄せて酒を飲むのは、日ノ本でも其方ぐらいであろう」
俺にも覚えがあるからよく分かる。小さい時に刻まれてしまった記憶は、成長しても後を引くものなのだ。二郎の場合は、酒がそうだというだけの事。目くじらを立てるような事でもない。
それに才に溢れた弟に、そういう弱点が少しぐらいあっても良いではないか。
二郎は神仏では無いのだから。
「ところで、大分盛り上がっていたようだが、何を話しておったのだ?……おっと、それぐらいで良いぞ」
次郎三郎殿が杯に注いでくれたお返しを一息で呷る。
ふと、弟は幼い頃から俺を慕ってくれていた事を思い出す。だがあまり一緒にいた時間が少なかった。そのせいだろうか、こういう時は無性に話をしたくなってしまうな。
「今は産業振興の事を話しておりましたな。北近江なら何が良いか、と」
「ほう?何が良いと思った?」
「迷いますな。淡海乃海を利用すれば、京は至近距離。ならば京周辺で取引の多い物が良かろうと」
確かに二郎の申す通りだ。淡海乃海を利用するなら京での販売だろう。堺だとやや離れすぎだろうな。
だが京にしろ堺にしろ、人が多いというのは強みだ。
「となると身近な生活必需品になります。まずは食料や綿花に御座います。特に綿花は水運に関わる者達にとっても必要な資材。作れば作っただけ売れるでしょう。逆に高級品は京ではあまり売れぬと見ております」
「あまり口にしたくはないが、公家の方々も生活は厳しいからな」
「おかげで目々典侍様からは感謝されて御座います。御実家の飛鳥井家、権大納言(山科言継)様、三条家、そして朝廷からも」
典侍様と飛鳥井家については二郎の加賀武田家が。権大納言様と三条家、朝廷については武田本家が支援をしている。どこからも感謝されているのは事実だ。
ただ贅沢三昧とまでは言えないのも事実。支援と言っても限度はあるからな。
とは言っても、本当に贅沢三昧された日には、堪った物では無い。本当に厳しければ支援額を増やす事も考えるが。
「話を戻しますが、高級品を売るなら、堺か敦賀になりましょう」
「まあそうだろうな。ならばどうする?」
「浅井領では麻が有名と聞いた事があります。麻と言えば越後上布が有名ですが、近江上布もかなり有名と聞いております。これを主軸に据えるのが宜しいのではないかと存じます。次に重要な点は販売先の開拓。麻は布として使われる消耗品。であればたくさん人が住んでいる場所で売るのが正解。ただ長い目で見ると、いずれ麻は木綿に取って変わられる。その点を懸念して御座います」
どうやら新九郎殿にとっては聞き流せぬ話らしい。食い入るように二郎を見ておるわ。
気持ちはよく分かる。己の家が傾くぞ?と言われるような事なのだからな。
「理由は簡単で、同じ量の布を作るのに時間が十倍違うというのが理由に御座います。逆に考えれば、同じ時間を費やしても出来上がる布の量には十倍もの差が生まれる、という事になります。」
「それだけ違うとなると、さすがに作る方も考えるであろうなあ」
「仰せの通りに御座います。それでも麻の優位性を挙げるとなると、まずは実でしょうか。漢方薬として使われるほどに滋養分が豊富と聞いております。他には紙、でしょうか」
『紙?』と新九郎殿が目を見張った。俺も意表を突かれた。紙とは楮から作る物では無いのか?
「紙は基本的にどんな植物からでも作れるものなのです。楮が使われるのは、生産しやすいからに他なりません。ですが歴史を遡れば、麻から作られた紙は高級紙として取り扱われていたほどでした。ただ表面が凸凹している為に、廃れてしまったのです」
「それを解決できれば、という事か?」
「はい。しかし時間がかかるでしょう。故に某としては当面は麻で銭を稼ぎつつ、その間に他の収入へ切り替えていくのが上策ではないかと考えます。あとは麻がらを炭にして、比較的近い京で販売する、という所で御座いましょうか。特に冬直前に炭を売るなら、相応の需要はありましょう」
新九郎殿は唸り声を上げながら考え込んでいる。まだ元服して一年ほどと聞いているが、この真面目な姿勢は好ましい。
娘婿としては、意外に当たりだったかもしれんな。
「他の強みとしては、麻は痩せた土でも育つという点に御座います。暑さ寒さにも強く、栽培の場所に拘りが無い。雑草や害虫にも強いというのも特徴で御座います。ですので、米などを作れぬ土地、急勾配の傾斜地、使いようの無い土地で麻を作り、上布や炭、実を販売する。或いは麻の糸を撚って丈夫な麻縄や麻袋を作る、というのも有りかもしれません」
「大変参考になりました。感謝致します、加賀守様」
「そう言って下さると有難い。今後も良き付き合いを御願いしたいものです」
武田で随一の内政家は二郎だからな。その二郎と親しいという事は、助言や手助けを受けやすいという事。浅井領は間違いなく発展するだろう。
「それから新九郎殿、次郎三郎殿。御二人には戦で手柄を挙げて貰わねばなりますまい。某が補給を受け持ちますので、兵糧については心配はいりませぬ」
「それは有難い事で御座います。松平殿もそう思われませぬか?」
「然様に御座いますな。ですが残念な点を挙げるとすれば、加賀守様の差配を間近で見られぬ事。加賀守様は越中を攻めると伺いました」
確かそう言っておったな。暮れに長尾と武田で三年の同盟が締結された。代わりに相互不可侵は消滅。さらに関東侵攻後には上洛して公方様に謁見。これは公方様が主導したと聞いている。
その思惑は、以前に二郎が考えた通りなのだろう。だから二郎はそれを逆利用するつもりだ。まずは情報を北条に流した。ただし公方様主導による武田・長尾の三年の同盟締結と、加賀武田家が越中一向衆を春先に全滅させる予定でいる事。伝えたのはこの二点だけだ。
関東侵攻について流さない理由を尋ねたが、二郎が申すには『あくまでも個人的な推測にすぎない』事である為、と言われた。だが先の二点だけでも伝えれば、北条家なら十分に対応できるとも言っていた。そして二郎には北条家に対する強力な伝手がある。北条家の長老である幻庵殿との文のやり取りだ。最近はこちらから上方を、向こうからは関東の情勢について教え合っているそうだ。そこに一文を書き加えるだけで済む。今頃は、北条家において長尾景虎の関東侵攻に対する評定を開いている頃だろう。
「そういえば二郎、越中の一向衆勢力は強いのか?」
「甘く見るつもりはありませんが、弱体化はしております。しかし石山から信心深い門徒が越中へ向かったとも聞いております。正確な数は不明で御座いますが、かなりの数になる、と。恐らくは秋の祭りの高札に触発されたので御座いましょうな。お陰でやり易くなりました」
「お話し中、失礼致します。兵が増えるのは悪手と存じますが、違うので御座いますか?」
次郎三郎殿の言葉は、俺も疑問に思っていた事だった。新九郎殿も同じ思いのようだ。訝し気に二郎を見ておるな。
「全て計算づくです。秋の内に神保家と協力して、市中に出回っている越中の米は購入しておきました。戦の噂を聞きつけて、一向衆勢力も兵糧を搔き集めたでしょうな」
「はい、仰る通りだと存じます。門徒が増えたとしても、食い扶持で困ることは無いでしょう」
「そこで質問だ、次郎三郎殿。越中は冬になると雪で閉ざされる。徒歩で移動する程度ならともかく、物資の運搬など不可能だろう。そこで蔵の米が燃えたら、どうなるだろうな?」
なるほど、そういう狙いか。二人も理解出来たのか、なるほど、と頷いておるわ。
「冬の北の海は荒れる。加えて陸は雪で身動きが取れぬ。慌てて兵糧を買おうにも、それは不可能だ。そこへ加賀から雪融けに合わせて進軍を開始する。神保も港で一向衆への兵糧輸送を確実に止めつつ武田と挟み撃ちだ。さて、一向衆は内部崩壊を起こさずに俺に対する事が出来るかな?」
「難しいでしょうな。運よく一枚岩になれたとしても、それなりの犠牲は出る筈です」
「俺もそう思う。恐らく、石山勢力と北陸勢力の間で争いが起こるだろう。互いに不満の捌け口を欲してな。あとは適当に邪魔者を潰すだけ。万が一があるとすれば、越中一向衆が能登畠山と手打ちして援軍を求めるか、或いは能登一向衆が攻めてくるか、だな」
二郎の事だ、既に手は打っているのだろう。神保と組んだのも、能登への守りを気にして全戦力を投入できなかったからだろうな。
だから神保が大幅に所領を増やすのを認めたのだろう。所領を増やした神保は椎名相手に有利に事を運ぶようになるはずだ。
椎名がこの機に乗じて神保を攻めるのは、まず無いだろう。椎名は長尾に寄っている。この度の戦いは一向衆を潰して長尾にとっての背後の安全を高めるという利がある。加えて武田と長尾は同盟国。長尾からも椎名に制止が入っていなければおかしい。
仮に椎名が攻め込んできたら、二郎が非情な決断を下す事になるだろうな。
「まあ越中については心配は要りませぬ。それよりも某は対山名の方が心配で御座います。兄上、山名はしぶとく強い。加えて尼子と手を組まれては厄介な事になります。可能な限り、後方を攪乱しておくべきです」
「それについては任せろ。幸い、当てはあるしな」
丹波村雲党。彼等の一部が武田に仕えてくれたのだ。今は若狭村雲党として、若狭領内に領地を与えられてそこに定住している。靡かなかった者達は、皆、三好家の猛攻の前に波多野家に対する忠義を貫き散っていった。
二郎からの提案で、遺体こそ無いが戦死者の葬儀を俺の名で行った。村雲党の者達が感謝していたと伝え聞いている。今は飯富の下で、情報収集に励んでいるだろう。
「次郎三郎殿、新九郎殿、今回の戦で必ず手柄を挙げられよ。そして兵を増やすのだ。俺の予想通りなら、ここ数年の内に大戦が起こることとなる。武田の主敵は尼子・毛利・本願寺になるだろう。長尾・北条は様子見だろうな」
「心得ました。ところで加賀守様は六角家はどうなると見られますか?」
「……一言で言えば危ないな。亡き雲光寺様は俺も幼い頃にお会いした事がある。大御屋形様に匹敵する偉大な支配者であった。それを継いだ左京大夫(六角義賢)様は遅咲きながら、雲光寺様の期待に応えてきた。六角家は人に恵まれた。だが、な……次は危うい。偉大な祖父、堅実な父と比較された事による不満だろう。家臣達が必死に支えようとするだろうが、どこまで保つか。気は進まぬが、場合によっては食わねばならなくなる。園殿との婚約破棄を進めたのも、それが頭にあったからだ。出来る事なら時間をかけて調略で取り込む。それが理想だったのだが、そうはいかなくなりつつある」
確かに。西を攻めてる間に近江が危うくなると厄介になるな。
俺は決して賢くはない。だが二正面作戦が愚の骨頂である事ぐらいは理解している。
その為に西国攻めは俺が、近江の監視は父上と役割を分けているのだ。だが出来る事なら、六角家は調略で取り込みたかったな。
流れる血の量は増やしたくないのだが。
「二郎、父上は御存知なのだな?」
「はい。その際には御二人にも協力して貰うでしょう。できれば、そのような事にはなってほしくはありませぬが、まあ無理でしょう」
二郎の目が新九郎殿を見ている。婿殿が何かしている、という事か?
まあ良いわ。何かあるなら、二郎が報告してくれる。
「そういえば二郎。秋の催しだが、何名か融通してやったと聞いたぞ?どんな思惑があったのだ?」
「林崎甚助と丸目長恵、この二名の事で御座いますな?林崎は出羽最上家の武芸師範に基礎を師事したとの事。ならば出羽最上家と間接的に繋がりを得る事が叶います。いずれ長尾家と戦う際には、最上家に後ろで動いてもらう、という選択肢も生まれてきましょう。丸目は上野の長野家に仕えている、兵法家として名高い上泉秀綱の門人で四天王の一人とされております。この者には二つの利が御座いました。一つ目は上泉秀綱と繋がりが出来る、という点に御座います。場合によっては上泉一門を取り込めるという可能性が生まれますので」
「ほう?詳しく聞かせよ」
「長野家は北条家と敵対し、関東管領に与している御家。当主業正は名将と呼ばれるに相応しい男で国人衆の信頼も篤い。大御屋形様ですら、戦に持ち込もうとはしないほどに御座います。しかしながら、病がちで年も取っている。恐らく、先が長くは無いのでしょう。息子の業盛は優秀ではあるが父親には届かぬようです。であれば、戦うよりは取り込みたい所。特に上野を獲れば、信濃は安全となります」
確かにな。だが北条や長尾の事がある。だから武による侵略はしたくないのだろう。できれば長野が自発的に、という所か。
「話を戻させて戴きます。某としては、兵法家である上泉一門を取り込みたい所。丸目には武芸大会は今度は越前で行う。仲間と共に参加すると良い、と伝えておきました。であれば、個人的に繋がりを作る事で、一門全てとまではいかずとも、ある程度は引き抜けるのではないでしょうか?」
「そうなると、あとは俺や父上の役目という事か。分かった、それはこちらで進めるとしよう、感謝するぞ、二郎」
「これからは身の回りを守る事が今まで以上に必要となります。来年は志願者も増えるでしょう。人材を得るには又とない好機になると存じます」
確かに父上も俺も、身の安全は最重要課題だ。戦で勝てなければ暗殺を。そう考える者は必ず出てくるだろう。
だからこそ、個人としての武に特化した者達も、必ず必要になる。上泉一門門下生であれば、十分にその責は果たせるだろうな。
「二つ目の利は、丸目の出自。丸目は九州・肥後国の生まれ。先導役としての役割も期待できますが、いずれ武田家が九州において大友家とぶつかる際には、丸目の縁が意味を持つ事になりましょう」
「背後、だな?」
「然様に御座います。仮に大友相手に役立てずとも、使い道は幾らでも御座います」
長い目で見れば、丸目は役に立つ。いずれ九州に出る事を考えている武田家にしてみれば、丸目という男は大きな価値を持つ事になるだろうな。
そんな事を考えていると、二郎が次郎三郎に顔を向けた。
「次郎三郎殿。参加者の中に三河出身者がいましたぞ。惜しむらくは冨田勢源殿とぶつかった為に十六強止まりでしたが、なかなかの強さであった、との事」
「真に御座いますか!?」
「確か奥山と名乗っておりました。亀山城主奥平貞能の家臣の七男で通称は孫次郎。幼い頃から剣術を磨き、付近では敵がいないほどだと評判。忠勝も槍の部門で奮闘しておりましたが、この奥山殿もまだ三十五才で働き盛りとの事。埋もれさせておくには惜しいと思いましたが、次郎三郎殿の面目を考えますと、な?」
そういうことか。次郎三郎に取り立てさせようと考えたのだろう。それにしても、次郎三郎も御膝元にそれほどの腕前の男が埋もれていたとは露ほどにも思わなかったのだろうな。
「今は七男という立場故に、奥平家ではあまり厚遇されておらぬ様子。引き抜くなら好機ですぞ?」
「心得ました!必ずや直臣として取り立てましょう!」
「それが良い。奥山には褒賞を与えて、正月に次郎三郎殿に存在を伝えておくと申してあったので、これでこちらの肩の荷も下りました」
最初からそのつもりだったのだな。だから褒賞で止めておいたのだろう。奥山と申す者も出来れば故郷で名を挙げたかったのだろう。だから次郎三郎に伝えておくという言葉を受け入れたのだろうな。
「御二人とも、もし六角が崩れれば、自然と北畠とも争う事になる。北畠は当主具教を筆頭に剣豪揃いの強敵。万が一、少数で剣豪と呼ばれる者達と対峙せざるを得なくなった場合の対策について、考えておくべきでしょう」
「……確か左京大夫様の姉君が北畠当主の御正室に収まっていましたな。すっかり忘れており申した。感謝致します。万が一は考えておきます。ところで参考までにお伺いしたいのですが、加賀守様であればどのように致しますか?」
「数で囲めるならそうしますが、無理なら手当たり次第に物を投げさせますな。或いは砂で目つぶし、投網を被せるというのも有でしょう」
そう来るか。確かに効果は出るだろうな。
永禄四年(1561年)一月、加賀国、金沢城、井伊藤吉郎――
「藤吉郎、精が出るのう」
「これは山城守(小畠虎盛)様、お出迎えもせずに申し訳御座いません」
「気にせずとも良い。其方が多忙なのは良く知っておるのでな」
俺に与えられた執務室に入ってこられたのは、留守居役を任された山城守様であった。
御年の方も今年で七十歳。軍配者の座を明智殿に譲られて以降、あまり表に出てこられなくなったのだが、それでも加賀守(武田信親)様の信頼は非常に篤い。こうして留守居役を任されているのが良い例だ。
「どうぞ掘り炬燵へお入りください。加賀の冬は寒う御座いますから」
「おお、では入らせて貰うぞ……おお、温いわ」
「おかげで某も執務が捗っております。あまりに寒いと、指がかじかんで文字を書けなくなってしまいますから」
掘り炬燵のお陰で、体の芯から温まる事が出来る。
本当に有難い事だ。
「ところで藤吉郎。其方の耳には届いておるだろうが、不審者を捕えたそうだな?」
「もう山城守様の御耳に届きましたか。仰せの通りに御座います。捕らえたのは一昨日になります。加賀守様が狙撃されやすいように用意していた、廃寺の跡地におりました。今は風の者達の住まいになっているのですが、何度も何度も姿を見せていた為、常備兵に報せが届いたので御座います」
「なるほどのう。で、そ奴はあの杉谷、とかいう糞坊主で間違いないのか?」
やはり山城守様なら激昂なされると思ったわ。加賀守様を一際、大切になされておられる御方だからな。
できれば御耳に届いて欲しくは無かったのだが。
「今は牢屋に入れて御座います。少々、気になる点が御座いました故」
「……何があった?」
「結論から申し上げますと、杉谷という坊主は種子島を持っておらなかったので御座います。その点が気になりまして」
おかしいのだ。杉谷善住坊は種子島の使い手として有名だ。そんな男が種子島を手放すだろうか?
「例えるなら前田家の慶次郎殿から槍を、明智殿から種子島を手放させるような物で御座います」
「となると偽者か?」
「身体を調べさせましたが、十中八九、杉谷であろう、との報告で御座います。種子島の使い手に特有のタコ、肉づき。体に染みついた、微かな硝煙の臭い。加えて牢内では、座禅を組んで瞑想をしている、との事。少なくとも食う物を求めて牢内に入ろうとする、愚か者では御座いませぬ」
ふむ、と唸り声をあげる山城守様。件の不審人物を殺す事は容易いが、本当に殺して良いのだろうか?という俺の不安に気づかれたのだろう。
だから俺は牢内に留めておくという判断を下したのだ。
ふと、視線を外に向ける。すると松の枝に積もっていた雪の塊が、ドサッと音を立てて落ちた所だった。
「殺すのは拙速であろうな。確かに怪しいわ」
「仰せの通りに御座います。故に加賀守様が戻られた後に、指示を仰ぎます」
「其方の判断で間違いあるまい。もし其方の判断にケチをつける者が出てきたら、儂の名を出せ。儂が味方に付く」
「忝う御座います!」
これは有りがたい仰せだ。山城守様の発言権は非常に大きい。この件で俺に不満を持つ者もいるだろうが、山城守様が賛同されている、というのであれば話は別だ。
加賀守様がお戻りになる前に、愚かな行動に出ようとする者は防げるだろう。
「藤吉郎。其方は出自と、加賀守様からの信頼故に、妬まれる男だ。身辺を守る者をつけるようにするがよい。冨田殿や川崎殿であれば、信頼できる門下生を紹介してくれるであろう」
「ははっ。仰せに従います」
「うむ。其方がいなくなったら、加賀守様が更に御多忙になられてしまう。その事を皆が理解すれば良いのだがな」
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
まずは一乗谷城での宴会から。
【主人公の言葉遣いと義信兄ちゃんの『殿』づけ】
まず主人公ですが、意識して丁寧な言葉遣いをしております。これは浅井と松平を武田本家により近づける為の演技のような物と思ってください。立場的には多少、ぞんざいでも問題ないですけどねw
義信兄ちゃんの場合は、基本的には相手を『殿』をつけて呼びます。温厚な兄、冷厳な弟という組み合わせなので、こちらも意識していると思ってください。
もしかしたら、以前の話で『殿』をつけ忘れている事があるかもしれませんがw
【浅井新九郎政玄】
読みは『せいげん』。園姫と婚儀を挙げて、諱を変えるという流れです。弟も人質に出します、政策に従います、と殊勝な態度。
それでも主人公は釘をさす事は忘れないw
【浅井領の発展】
当面は近江上布(麻布)頼り。ただそれだと頭打ちになるので、麻からある程度脱却しましょう、と言った所。
炭にするなら種を収穫後になるので、色々と旨味も有ります。麻って、馬鹿みたいに大きくなるので、炭の材料にはもってこいなんですよね。ちなみに消臭能力は備長炭や竹炭より上だそうです。
【北条への情報譲渡】
主人公からの情報により、北条家は準備に余念がありません。春先に越中一向衆潰すからね、という報告から、長尾の関東侵攻は春以降と考えるでしょう。北条家も来るなら来い、と言った所でしょうか。
【冬の兵糧焼き討ち】
雪国です。海は大荒れです。領内の米問屋の蔵の在庫はほぼありません。
この状態で兵糧焼かれたら、とんでもない事になりますね?しかも石山からの増援と言う、穀潰しがいるんですよ?
とりあえず雪融けまで必要な兵糧以外は焼いてしまえば無問題。潜入している風は逃げれば良いだけなのでw
そして雪って、水だけど消火作業には不向きですからね。捗りますねえ?
【新九郎をジーッ】
主人公にはバレてますw義治君の評価を下げる為の流言工作。ただ武田家にとっても利は有るので見て見ぬフリ、という所。
【身辺警護】
重要ですよねw外国ならカエサル(シーザー)とか有名ですから。
【奥山公重】
史実では徳川家康に剣術を教えた人。上泉さんが長野家が滅亡後、諸国を流浪していた時、甲府で弟子入りしたようです。ただし拙作ではそれよりも前なので、新陰流門下生ではありません。このまま松平家に仕官する事になるでしょう。
【虎盛さん】
今年で七十歳。史実では、この年に亡くなります。
ただ史実よりも食生活は恵まれているので、もう少し生きられるでしょうw
【杉谷さん入牢】
藤吉郎との知恵比べ。杉谷さんにしてみれば、藤吉郎と言う存在はノーマークであったのは間違いありません。
【藤吉郎に対する嫉妬】
これは仕方ない事ですね。柴田勝家・明智光秀は藤吉郎を認めているので、寧ろ擁護する側に回ります。虎盛さんは主人公の為に働く者であれば、擁護してくれます。割と世話好きなお爺ちゃんですw
今回は以上。同時に加賀国編は終了。
次回からは謀略編を開始します。それではまた次回も宜しくお願い致します。




