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甲斐国編・第五話

 甲斐国編・第五話投稿します。


 拙作を読んで下さり、ありがとうございます。ブックマークや評価も増え、モチベーションも上がっております。本当に嬉しいです。


天文十七年(1548年)十二月、山城国、京、武田二郎――



 俺は今、京にいる。名目上の理由は北野社への当事者(俺の事な?)直接の御礼言上と言う奴だ。

 同時に朝廷工作も行っていた。以前から文を交わしていた山科言継さんと母方の祖父である三条公頼祖父ちゃんに協力して貰った。武田家は、澄酒を献上致します。今後も献上したいのですが、帝への献上酒として取り扱いをお許し願えないでしょうか?という内容だ。


 この言い回しが重要なのである。献上酒として取り扱う=献上品限定という意味ではない。今後も献上を続けたいから、献上品に指定して下さいね?という意味なのだ。

 つまり『この澄酒、献上品としても取り扱われてますが、一般販売してますよ?ちょっとお高めですけど』という事である。

 要は他社商品との差別化、それも高級志向―ブランド作戦だ。従来の高級酒である僧房酒とはまた別の物として取り扱ってもらいたいのである。


 澄酒の製法はいずれ外部へ流出する。それを見越しての対策。だからこそ、誰もがそこで思考を止めるだろう。誰も想像しないだろう。このブランド戦略が、金儲けではなく今川滅亡への重要な一手となっている事を。そしてそれこそが主要な目的である事を。

 この為に、信玄パパには大盤振る舞いをして貰った。山科さんだけでなく五摂家も味方につける為、相応の金銭を礼として支払ったのである。

 予め根回ししておいたおかげで、話はトントン拍子に進んだ。山科さんからも献上品指定された事が伝えられ、武田家の目的は十分に果たし終えたのである。

 そう思ってすっかり油断していた。


 「ぜひ、我が主、管領代様が二郎殿にお会いしたいと望んでおられるのです」

 大変失礼な話ではあるのだが、京の滞在中に宿泊先として利用させて頂いている三条邸へやってきたのは、南近江を支配する六角定頼さんの配下、蒲生定秀さんであった。

 正直、断りたかったが断る理由が存在しない。


 まず立ち位置的に向こうが上。幕臣としては六角定頼は管領代、立ち位置としては室町幕府事実上の最高権力者に対して、こちら武田家は田舎の守護大名に過ぎない。

 第二に朝廷の位階を見ても、向こうは従四位下。対する俺は無冠だし、信虎祖父ちゃんですら従五位下だ。

 第三に、ここで断ったら、二度と文のやり取りもして貰えないだろう。貴重な情報源を潰す訳にはいかない。

 最早、白旗上げて無条件降伏しかないのである。


 「御祖父様、御挨拶に伺いましょう」

 「まあそうだろうな。下野守殿、左大臣様に理由を説明してくるので、しばしお待ち戴きたい」

 そんな訳で、急遽、観音寺城一泊二日の旅行が決定となった。



天文十七年(1548年)十二月、近江国、観音寺城、蒲生定秀――



 少し前から文のやり取りをするようになっていた武田家の次男が京へ来ている。そう聞いたのは数日前の事であった。情報元は馴染みの近江商人であり、商売仲間から噂を聞いてきたというのである。

 二郎殿との文のやり取りは、主である管領代様の御承認の下に行われている。六角家には三雲殿の甲賀忍びがいるが、こちらは主に近江から堺辺りを重点的に調べており、東方面は調査を行っていない。

 そういう意味でも、二郎殿との文のやり取りは貴重な情報源として認められたのであった。そして件の子供は、祖父とともに本日、観音寺城へとやってきたのだ。


 正直に言う。俺は二郎殿が八歳というのは嘘だと思っていた。あの奇麗な字も、祐筆が書いていると思っていたのである。

 初めて三条邸であった時には、目を丸くした。まさか事実だったとは、と。


 「管領代様。お連れ致しました」

 観音寺城、謁見の間には主である管領代、六角弾正少弼定頼様を中心に、俺以外の六角六人衆と呼ばれる者達と、次期当主である左京大夫(六角義賢)様がお待ちになられていた。

 管領代様は満面の笑みを浮かべておられる。以前、文に『管領代様のようになりたいです』 と書かれていた事を覚えておられるのだろう。幼子に自分のようになりたいと言われて、機嫌が良くならない訳がないのだ。

 そんな二郎殿はといえば、祖父、左京大夫(武田信虎)殿に手を引かれて謁見の間へと入られた。これはもう仕方のない事だ。目くじらを立てる者はいない。


 「お二人とも、お呼び立てして申し訳なかった。儂が六角弾正少弼定頼と申す。宜しくお願いいたす」

 「お初にお目にかかります、管領代様。先代甲斐国守護、武田左京大夫信虎と申す」

 「甲斐国守護、武田大膳大夫晴信が次男、武田二郎と申します」

 「丁寧な御挨拶、痛み入る。まずは周りの者達の紹介をさせて頂く」

 一通りの紹介が進む中、二郎殿は必死に耳を澄ましておられるようであった。二郎殿は声だけで、相手が誰かを判別せねばならんのだ。尋常な事ではない。こればかりは少し融通させて頂くか。俺が行動に移せば、周りも気を使ってくれよう。


 「管領代様、お話を遮って申し訳ございませぬ。二郎殿は見ての通り、目が使えませぬ。今回だけは話しかける際に、名乗る様にすべきかと考えます」

 「ふむ、確かに必要そうだ。よし、そうするとしよう。皆もそう心得よ」

 全員がハッと頭を下げる。同時に左京大夫殿が儂に軽く頭を下げてきた。恐らく、感謝と言う事だろう。これで良い。俺は二郎殿を見世物にしたい訳では無いのだ。


 「では改めて管領代である。二郎殿とは下野守(蒲生定秀)を通じての文のやり取り、とても感謝している。貴重な東国の情報は日ノ本、ひいては公方様の治世の為に重要な物だ。特に東国は関東公方殿を戴く北条家、甲斐守護武田家、足利家御一門である今川家の安定が第一。その事が確認できる事、真に喜ばしく思う」

 「そのように仰せられると、恥ずかしゅうてなりませぬ。今だ元服もせず、学ばねばならぬことが山ほどある身。下野守様とのやり取りは、とても学び甲斐のある物に御座います。こちらこそ御礼言上申し上げねばなりませぬ」

 「そのように言われると、こちらとしても有難い。今後も文を交わしていきたいものだ」

 出だしとしては問題ないだろう。管領代様も二郎殿も、とても和やかな雰囲気だ。このままいけば、問題が起きる事もあるまい。


 「学ぶのは素晴らしい事である。だが、それを活かせねば知識は意味が無いのも事実。二郎殿の成長を願って、敢えて意地悪な事を口にするやもしれぬ。その点は理解して戴きたい」

 「管領代様の用意した試練とあらば、挑戦いたしとう御座います」

 「うむ、準備は良さそうであるな。では始めるとするか」

 管領代様が目配せを為される。

 この点については、事前に打ち合わせ済。各々が順番で問いかけていく事になる。


 「二郎殿、進藤山城守にござる。我が主、管領代様は十年ほど前に法華一揆を御鎮めになられた。この事をどう思われますかな?」 

 「必要な事であると存じます。そもそも宗教とは民にとって心の救い、苦しい時の拠り所となるべきものであると考えます。しかしながら法華宗はその事を忘れておりました。御仏や日蓮上人の教えを忘れ、自ら戦に加担した。これでは御仏を盾に自身の欲望を叶えようとする外道と言われても仕方ありませぬ。故に、私は管領代様の為された事を正しい行為であると判断いたしております」

 「分かり申した。某の問いは以上にござる」

 山城守(進藤貞治)殿は満足そうだ。同時に二郎殿の宗教に対する考え方を理解出来たのは非常に大きい。ある意味、管領代様に通じる所がある。


 「次は某、目賀田摂津守がお尋ねいたす。我ら武士は百姓を支配している。奇麗言を申す者もいるが、それは真実。そこでお尋ねする。百姓が苦しみの果てに一揆を起こした時、二郎殿はどうなされる?」

 「滅します」

 即答か!?正直、驚いた。問い掛けられた摂津守(目賀田綱清)殿は言うまでも無いが、皆も驚いておるわ。左京大夫殿は……笑っておる?


 「何故か。甘い顔をすれば、更なる惨劇を招きましょう。他国による蹂躙、一揆参加者の増加、更にその結果として荒れ果て実りを期待できなくなる田畑。誰一人として幸せにはなれぬでしょう。ならば私は最小の犠牲で、他を守ります。悪鬼と罵るならば、好きなだけ罵ればよい」

 「くっくっく、我が孫は優しくはあれど、甘くはござらぬぞ、摂津守殿」

 「いやいや、見事な御覚悟。感服致しました」

 どうやら摂津守殿は素直に引き下がるようだ。いや、その気持ちは理解出来なくも無いが。実に見事よ。


 「二郎殿、次は平井加賀守がお相手致す。仮に二郎殿の父、大膳大夫(武田晴信)殿が政を顧みず、酒色に溺れたらどうなされる?」

 「まずそれが事実かどうかを調べます。事実であれば、問答無用で父上を病気に見せ掛けて暗殺。新たな当主には兄上を立て、その後見を典厩叔父上にお願い致します。その後周辺諸国勢力の侵略を防ぐ為に、家臣一同の結束を見せつけるべく兄上の下に武田家が一枚岩である事を見せつけます。その後、朝廷に願い出て」

 「お、お待ちあれ!御父君を弑するのですか!?」

 これには管領代様も絶句したようだ。目を丸くしておられる。左京大夫様に至っては、口をポカンと開けておられるわ。

 加賀守(平井定武)殿は自らの質問なのに血相を変えておられるし、他の方々も言葉も無いようだ。

 そして左京大夫殿に至っては、腹を押さえて……爆笑し始めた!?


 「見事な覚悟ぞ、二郎よ!」

 「守護職たるもの、民を慈しまなければなりませぬ。それが出来ぬのであれば、守護職として相応しく御座いませぬ。しかしながら我が父大膳大夫は、そのような酒色とは無縁の男。民の生活を楽にする為、自らは質実剛健な私生活を送り、常に民の事を考えておられます。加賀守様の心配は御無用にございます」

 「かっかっか。加賀守殿、我が孫は二代に渡る甲斐の虎の血を引く男。眼こそ見えねど、牙は既に生えておりますぞ?」

 加賀守殿は頭を左右に振りながら、元の位置に座り直した。次は対馬守(三雲定持)殿だが。


 「管領代様、申し訳御座いませぬ。あまりの衝撃で問うべき内容が頭の中から消えてしまい申した」

 「対馬守殿、その気持ち、痛いほどよく分かりますぞ」

 隣にいた加賀守殿が気を遣うように声を掛けられた。いや、その気持ちは理解出来んでもないが。どうやら管領代様も理解出来たのか、無言で頷くばかりである。まあ咎められる事にはなるまい。


 「では、某の出番で御座いますな。後藤但馬守と申す、二郎殿にお尋ねしたい事は、二郎殿が天神様の御寵愛を受けておられる、という点に御座います。これは如何なる意味で御座いますかな?」

 「私には飛梅先生という師匠がおります。三年ほど前、高熱で三日ほど昏睡していた時、夢の中でお会いした御方です。先生からは様々な事を教わったのですが、目を覚ました後にその事を伝えた所、父上と母上からその御方は北野の天神様だと教えて戴きました」

 「……そうなのですか?」

 「はい。しかしながら、その後もたまに夢の中で先生にお会いしているのですが、私には神仏には見えぬのです。先生も自分の事は先生と呼ぶように、としか申されません。この前は酒の肴について教えられた事が御座いました。酒も飲めず、自ら調理も出来ない私はどうすれば良かったのか、困った覚えが御座います」

 但馬守(後藤賢豊)殿は頷く事しかできずにおるようだ。何というか、先程までと違い過ぎる。

 だが言っている事には筋が通っているようにも感じる。

 少なくとも、嘘をついているようには思えん。まあ嘘を吐く必要もないだろうが。


 「二郎や、儂も詳しく聞いた事は無かったが、他にはどんな事を学んでおるのだ?」

 「例えばですが、大陸の国々の興亡の歴史とその原因。それらの国々の法制度の利点と欠点。技術や知識。天竺の向こうにある土地の地理や気候。変わった所だと太刀の鍛ち方も実際に教えて戴きました。何事も経験するべきだ、と」

 「なんと、太刀作りですか。それは珍しい。武士は太刀を振るう事はあっても、自ら作る事は無いですからな」

 「さすがにこの目ですので、後ろから手を取られて少しだけ鍛ってみる、という程度でしたが。興味があれば本格的に教えてやろうとは言われました」

 北野の天神様。確か菅公、菅原道真公が祀られていた筈だな。賢人として名高い御方だが、刀鍛冶についても見識深い御方だったのだろうか?それに非常に穏やかな性格のようにも思えるな。一度、古書の類を調べてみるか。


 「父上、某からも二郎殿に質問しても宜しいでしょうか?」

 「構わぬか?下野守」

 「はは。某は文でやり取りしておりますので」

 問いの機会は左京大夫様に譲るとしよう。気になる事があれば、文で問えば良いだけだ。何も問題は無い。


 「二郎殿。六角左京大夫義賢と申す。二郎殿がとても年齢とかけ離れている事に正直、驚いておる。そこでお尋ねしたい。二郎殿は何か特別な事を経験されたのかな?」

 「……はい。左京大夫様は間引き、という言葉をご存知ですか?」

 ゴクッと唾を飲む左京大夫様。

 管領代様は無表情であったが、皆は軽く目を見開かれていた。


 「勿論、畑の事では御座いませぬ。甲斐国は貧しい。某からすれば、この近江は極楽のように感じられます。ですが甲斐はこの世の地獄です。生まれてくる子が、生きる事を許されぬ。生まれてきた事を祝福されぬ。私は初めて城の外に出た時、その事実を理解致しました」

 静まり返る。チラッと左京大夫殿を見ると、目を閉じて重々しく頷いていた。甲斐の虎と言われた御仁にとっても、心の底に刻み込まれた光景なのだろう。


 「私は目が見えませぬ。間引かれた赤子が川を流れてくる音を頼りに、私は冷たくなった赤子を拾い上げました。不思議でした。何故この赤子の二親は、このような事をして何とも思わぬのかと」

 「何とも、思わぬ?いや、罪の意識とかは?」

 「ありませぬ。管子の言葉に衣食足りて礼節を知る、という言葉が御座います。それは事実です。衣食が無ければ、人は道徳観や善悪、人が人たる大切な物、心を失うのです。赤子の二親は、ただ作業のように赤子を間引いていたそうです」

 二郎殿が受けた衝撃はどれほどの物だろうか。俺には想像する事しか出来ぬ。だが間違いなく言えるのは、その時の体験が二郎殿の根底を作り上げているのだろう。


 「私は冷たくなった赤子に『愛』と名をつけました。今度こそ、親に愛されて生まれてこいと願って。この手で土を掘り、粗末な土饅頭の墓を建て、卒塔婆の代わりに花を植えました。つくづく思いました。この世に神仏などおらぬのだと。ならば人の手で民を救わねばならぬ。それが幸運にも、盲でも生きる事を許された私の歩む道なのだと。それが私を変えた体験にございます」

 「二郎殿、お辛い話をして下さり感謝に堪えぬ。いずれ近江守護六角家を継ぐ身として、この話は終生忘れぬ」

 左京大夫様が頭を下げられた!これは……いや、良き兆候かもしれぬ。こう申しては何だが、左京大夫様には管領代様の後継者としては、物足りぬ所があったのは事実。それが今回の話で少しでも埋められるのであれば、これ以上の幸運は無い。

 管領代様も満足そうに頷かれておられる。管領代様も二郎殿の体験が、左京大夫様に良い影響を与えた事をご理解なされたのだろう。


 「二郎殿、左京大夫殿。本日は観音寺城までお越し戴き、誠に感謝申し上げる。せめてもの御礼に心ばかりだが酒食を用意させて戴こう。それまで、別室にてゆっくりされて戴きたい。下野守、お二人をご案内いたせ」

 「はは、それではお二人とも、どうぞこちらへ」

 俺の先導に、左京大夫殿が二郎殿の手を引いてついてこられる。今更ながらに甲斐の暴君とまで呼ばれた男が、光を持たぬ孫を可愛がる理由が良く理解出来た。

 天神様の御寵愛、そんなどうでもよい理由ではない。

 これほどまでに懸命に生きている孫を、どうして見捨てられようか。

 そして間違いなく、生まれ持った才は莫大だ。

 本当に、この幼子は日ノ本の行く末を変えうるやもしれぬな。



天文十七年(1548年)十二月、近江国、国友村、武田二郎――



 俺と信虎祖父ちゃんは、首尾よく京への帰路についた……の前に、別の所に寄る事になった。

 実は、近江国坂田郡国友村へ向かったのである。

 目的は火縄銃の鍛冶職人。

 今回のご褒美として何か希望はあるか?と問われたので、国友村の種子島の鍛冶職人が欲しいです、と言ったら『この手紙を持っていくと良い』と紹介状をくれたのである。


 信虎祖父ちゃんは首を傾げていたのだが、もう数年経てば理解出来るだろう。

 戦国最強武田騎馬軍団に種子島が加わったらどうなるのかを。

 ただ、残念ながらすぐに勧誘とはいかなかった。


 「申し訳ございませぬ。管領代様の御紹介とあらばすぐにでもお伺いしたのですが、いかんせん、人手が足りないばかりに」

 「そうなのですか?あんなに凄い種子島、新弟子希望者が殺到しているとばかり思っていたのですが」

 「……そうなのですか?」

 逆に問い返されてしまった。え、違うの?種子島ってどう考えても革命的な武器でしょう?単純に考えても、砦や馬防柵を使って一方的に攻撃できるんだし。何で、誰もその強みに気付かない?弓矢ほどベテランを育てなくても良いんだぞ?


 「とにかく、私としては種子島を高く評価しているのです。今すぐとは言いませぬ。二年後ぐらいを目途に、新弟子を甲斐まで派遣して戴けませぬか?玉鋼もある程度は確保できると思いますので」

 「なんと、種子島に玉鋼が必要な事まで御存知だったとは。噂には天神様の御寵愛を受けておられるとは聞いておりましたが」

 「近江まで広まっていたのですか、その噂」

 愛想よく頷く鉄砲職人国友善兵衛さん。日本の歴史上、初めて種子島を完コピしてのけたお人だそうだ。鍛冶師と聞くと気難しい印象があるんだが、この人、だいぶ柔らかい印象を受けるぞ。


 「では二年後にまた伺います。この盲な両目を覚えておいて下さい。これが本人証明になると思いますので」

 「いえいえ、天神様の御寵愛の方が遥かに保証になりますとも。では再訪問される前までには、弟子を送り出せるよう仕込んでおきます」

 「ええ、その時はまた先触れを送りますので。ではまた」

 国友村を離れ、一路、水路で京への最短ルートを取る。淡海乃海と呼ばれる琵琶湖は、水上交通の要であるそうだ。船主さんが「あの船は○○、こちらの船は××」と色々なお店の名前を教えてくれたからである。


 「それにしても、二郎や。あの種子島、本当に役に立つのか?隙だらけに思えるが」

 「単発では役に立たぬでしょう。基本は集団戦術、及び城砦防衛戦が主役になるかと。あくまでも普通に使えば、ですが」

 「また何か面白い事を考えておるな?」

 ニヤリと笑う信虎祖父ちゃん。いや、それなりに一緒にいるけど、この爺ちゃん、好きだわ。何というか一緒に悪戯して遊んだ悪ガキを思い出す。


 「腹案は色々と。ですが最初は普通に生産ですね。まずは職人を増やしながら、数を揃えないと。改良はその後になります」

 「改良?」

 「あれ、既に南蛮では型遅れになりつつありますから」

 信虎祖父ちゃんが『何じゃと?』と声を上げた。まあ驚くのは当然だろうな。だが事実なのだから仕方がない。日本に種子島が伝わった頃、雨天でも撃てる種子島は既にヨーロッパでは実用化されているのだ。

 ただ問題なのは、日本では質の良い火打石が手に入らないという点だ。となれば、代案を考えるしかない。妥当な所では火縄の改良だろうな。

 尤も、俺の考えている改良はその程度じゃないけど。


 「雨の中でも使えるように改良された代物が、既に三十年ほど前に作られているそうです。南蛮由来の最先端と思っていれば、きっと足元を掬われるでしょう。御祖父様、南蛮は信用できると思いますか?南蛮が国盗りをしていないと、本気で思いますか?」

 「……ふん、そういう事か。喜び勇んで大量に揃えれば、それを上回る新型種子島が、と言うのは有り得なくもない」

 「南蛮の動向も調べるべきですね。大友や毛利なら情報も掴みやすい筈。今度、文に書いて尋ねてみます」

 しかし、後世の歴史を知っているからこそ分かるんだが、レオナルド・ダ・ヴィンチって本気で反則級の天才だろ。何でホイールロック式を思いついたんだか。俺なんて、未だに仕組みすらよく理解出来ねえぞ。



天文十七年(1548年)十二月、山城国、京、左大臣三条公頼邸、武田信虎――



 「お初に御目にかかる。朝倉照葉宗滴と申す。以前から直接会いたいと思っていた」

 「有難い御言葉です。私は武田二郎と申します。この度は越前からお越し下さり、大変嬉しく思います」

 「いやいや、それは儂も同じ。折角、直接会える機会。むざむざ見過ごす事は出来なかったのでな、左大臣様にお願いしてご訪問させて頂いたのだ。それにしても今年で八歳、年が明ければ九歳と聞くが、そうとは思えぬわ。背筋も真っ直ぐ、顔もこちらに向けられている。礼儀作法という意味では、この歳では十分すぎる程にしっかりしている」

 朝倉宗滴殿。越前朝倉家の家宰にして真の支配者。加賀一向衆三十万の軍勢を、僅か一万の軍勢で打ち破った稀代の名将。そして越前朝倉家を繁栄させた為政者でもある。儂の親と同世代の武将としては、間違いなく一・二を争う男だ。

 その男も既に七十を超えている。いつ亡くなってもおかしくない歳だが、眼光からはそのような気配は微塵も感じさせぬ。敵には回したくないわ。


 「それにしても左大臣様や左京大夫殿が羨ましいですな。二郎殿は礼儀も言葉遣いもしっかりされている。だが何よりも肝の座り様が好ましい。自慢では無いが、初めて儂と会った時に、こうも堂々と対応できた幼子には会った事が無い」

 「有難う御座います。ですが、私は肝が太い訳では御座いませぬ。宗滴様に会えて嬉しいだけで御座います」

 「なるほど、それは嬉しい言葉だ。以前から戴いている文。とても興味深く拝見している。読みやすく理解しやすい楷書の文。儂も御役目の際には楷書を採用したほどだ。お陰で家中からも理解しやすいと声が挙がっている」

 なんと、二郎の文から学んだ、という事か。この歳で未だに学び、採り入れるという姿勢を貫き、実行する。なかなか出来る事ではないな。柔軟な思考の持ち主だからこそ、出来る事なのだろう。


 「宗滴様。質問をしても宜しゅう御座いますか?」

 「ほう?構わぬとも」

 「国を動かす。その為に正道は必須。であれば政が一番重要で御座いましょう。私は国を富ませる事が政の基本と考えますが、宗滴様であれば政の基本は何であるとお考えになられますか?」

 宗滴殿が笑みを浮かべた。やはり政についての質問をしたからだろう。これが戦についてであれば、また違った反応をしたかもしれぬな。


 「それは民の忠誠心に他ならぬ。如何に国が富んでいようとも、民の信頼を失えば国は滅びるのだ。次に治水。水を制する事は、国を制する事だと儂は考えておる。新田開発や築城に力を入れるのは、その後だな。だがこれはあくまでも理想。状況次第で優先順位が変わる事はあるだろう。例えば農地があまりにも少なければ、新田開発が優先されるであろうしな」

 「民の命を預かる責任。それを考えての決断。私には足りぬ物で御座います」

 「二郎殿はこれから経験を積んでいくのだ。今は足りずと誰も責めはせぬ。着実に経験を積まれると良かろう。ところで二郎殿、儂からの質問だ。二郎殿は政こそが最も重要であると考えているように感じた。如何かな?」

 『はい』と二郎が返した。二郎の体験、儂も管領代様の所で聞いたが、昔の経験を思い出したわ。何故、甲斐は地獄なのだろうか?甲斐の民に罪は無いというのに。


 「私が思うに、内政とは凡人でも極める事が可能であり、国家において足腰に当たる部分である。その様に考えております」

 「これは面白い事を申すものだな。凡人でも極める、それはどのような意味かな?」

 「例えばですが、戦においては刻一刻と変わる状況に対応しなければなりません。それは本当に僅かな時間が勝敗を分けます。極端な事を言えば、この場で宗滴様が私に太刀を振るったと仮定いたします。その時、私は咄嗟の判断を下さねば死んでしまいます。これがより正確に、より早く決断を下す為には、普段からの修練以外にも、生まれ持った才が大きな意味を持ちます。いわば、天才でなければ辿り着けぬ領域があると考えます。しかし、政は違います」

 宗滴殿は実に楽しげだ。二郎の話に食い入るように耳を澄ましておられるわ。


 「内政は時間をかけて、正解を探す事が可能です。決断できなければ、情報を集めてから決断しよう、書を読んでから決断しよう、と言った具合に。例えば、領内の川で治水を行おう、と考えたと致します。この時、治水その物が必要か否か、費用はどれぐらい必要か、時間はどれぐらいかかるだろうか、このような事を即断する必要はありません。失敗しないよう、しっかり準備が出来ます。つまり咄嗟の判断を下す必要は無い。それは才を必要としない事を意味すると考えます」

 「うむうむ、実に興味深い。確かに言われてみれば、思い当たる事もある。外交交渉なら話は別だが、内政であればじっくり考えるのは当たり前よ」

 「はい、仰る通りです。調べても分からなければ、周りに確認するという手もある。故に内政には才は不要。だから凡人でも極める事が可能。結果、国を富ませる事で相手よりも多数の兵を用意できる。とても重要なものと考えます」

 「見事な物よ。二郎殿は真に八歳であるのか?正直に言おう。儂は二郎殿が、儂と同年代の男のように思えたわ。いやいや、天才という者は本当にいるのだな。本当に、二郎殿が朝倉家に生まれなかった事が残念で仕方がない。儂も朝倉家で生を受けた子供達を教育したものだが、この手で育て上げてみたいと思ったのは二郎殿が初めてよ」

 何度も頷きながら、宗滴殿は大笑なされた。この言い分からして、二郎は間違いなく宗滴殿の眼鏡に叶ったのであろう。他家の子供相手に育ててみたい、そう言わせるとは、これ以上ない程の誉め言葉だわ。


 「二郎殿、他にも訊きたい事はあるかな?」

 「では少々、失礼な質問をさせて戴きます。宗滴様は過去に、加賀一向衆と矛を交わしております。ですが加賀を押さえぬまま、畿内や近江の争いを調停する為に、軍を派遣しておりました。何故、加賀を放置されておられたのでしょうか?」

 二郎め、また思い切った事を質問しおったわ。左大臣様が目を丸くしておられるぞ?一つ間違えれば、批難と受け取られてもおかしくないからのう。まあ宗滴殿は面白そうに笑っておられるが。


 「確かに。儂は四十年に渡って越前朝倉家の差配を行ってきた。その間に加賀へ攻め込む機会は幾度もあった。それを実行しなかった最たる理由は地の利と兵数の差よ。二郎殿は二十年ほど前に、儂が能登畠山家と加賀を挟み撃ちにしようとしたが、途中で断念して退き返している事は知っているかな?」

 「いえ、初めて聞きました」

 「簡単に説明するとな、我らが加賀の手取川を目前にする所まで進軍した所で、能登畠山家の軍が壊滅してしまったのよ」

 宗滴殿が白湯を口に含む。苦々しい敗戦の経験。思い出すのは屈辱であろうな。

 だがその事をわざわざ口に出して下さるのだ。それも他家の子供を相手に。

 どれだけ二郎が気に入られたのが、よく分かるというものだ。


 「二郎殿。戦というのは少数で戦うものでは無い。相手より多数の兵を用意して戦うのが正道なのだ。儂は九頭竜川で三十倍の敵を撃退したが、それは相手が儂を舐めていたからよ。儂はまだ将として名を馳せていなかった。加えて戦場が地の利を把握している自国領という強みもあった。だから夜襲により、兵数差を覆す事が出来た。だが、あの時は違っていた」

 瞑目し、静かに口を開く宗滴殿。二郎は相槌すら打たずに熱心に聞いている。うむ、良い事だ。


 「加賀で起きた一向宗の権力争いに乗じて、儂は兵数差を補う為の能登との挟み撃ちに出来る状況と、賀州三ヶ寺、名目上とは言え加賀守護である富樫家も味方にした事で勝機を感じた。だが本願寺側は能登畠山軍を最初に潰し、挟み撃ちの危険性を排除した。その時、儂は理解したのだよ。本願寺は儂に油断していないのだ、と」

 「隙を突けなければ、兵数差を逆転出来ない。故に断念したという事で御座いますか?」

 「然り。まさにその通りよ。手取川を盾に迎撃に専念するとしても、兵は川に沿って薄く伸びる事になる。それは数の暴力で攻める本願寺側の得意とする戦いに引き込まれる事になる。加えて手取川まで取ったとしても、民の忠誠心は期待できない。背後で暴れる可能性は十分にある。そうなれば、全滅するのはこちらよ。だから撤退した。多数の兵を用いるのが難しい、国境を固める事に専念したのだ」

 悔しかったであろうな。将としては間違いなく宗滴殿は名将だ。だがその差配をもってしても、指揮官など碌にいない烏合の衆を相手に撤退を余儀なくされたのだ。


 「加賀は難攻不落よ。門徒達に信心有る限り、あの地は落とす事は叶わぬ。如何なる名将と言えども、正面きっての激突で数の暴力は覆せぬ。奇襲で相手の兵を削るのは良いが、毎回やっていれば、何れは痛い目を見るだろう」

 「では、仮に宗滴様が加賀を落とすとしたら、どのようにされますか?」

 「腐るのを待つ。それは儂が死んだ後になるだろうが、それしかない。信心が失われた時こそが、加賀に攻め入る好機であろうな。あとは門徒の目をどこに向けさせるか、も重要であろう。門徒達は一度動き出すと制御が利かぬからだ。そこを突ければ或いは……まあ言うは易く行うは難し、よ。儂に言える事があるとすれば、まともに攻め込むな、という所か。奇襲をするにしても、一度で終わらせたい所。奇襲は諸刃の剣。決して乱用すべきではない」

 実に金言だ。加賀だけでなく、あらゆる戦場で役に立つ訓え。相手より多くの兵を揃え、地の利を把握し利用する。それが出来る者は実に少ない。少数による奇襲攻撃に酔う者は多いのだ。

 二郎にはそうなって欲しくはない。


 「そうなりますと、宗滴様にとっては、源平合戦における九郎判官殿の戦い方は好ましくないという事で御座いますか?あの御方は奇襲を繰り返しておられますが」

 「いや、あの御方は違うな。兄である蒲冠者殿が大軍を率いて敵の目を引き付けていた。その隙を突いての奇襲だ。十分に勝算はあっての行動であろう。だが、儂は加賀でそのような戦いを行う事が出来なかった。それが悔しゅうて叶わぬわ」

 「……やはり難しゅう御座います。私は国を富ませ、相手より兵を増やす。それが勝利に繋がると思っておりました。ですが加賀にはそれが通じぬ。いえ、恐らくは一向門徒の支配する地に共通なのでしょう。やはり普通の大名家は全ての百姓を兵とは出来ぬのに、一向門徒は御仏の名の下に全ての百姓を兵として動員できるという差で御座いましょうか?」

 「まさに二郎殿の申す通り!であれば、どうするかな?」

 これは宗滴殿の試しか。確かに二郎は聡い。手堅い手を採る。だがそれが通じぬならどうするか?それを考える為の知恵を磨く機会よ。宗滴殿には感謝しか無いわ。


 「弱点は兵糧と、一度動いたら止まれぬ指揮系統の弱さにあると考えます。例えばですが、前者は田植え前に攻め込んで、田植え時期も戦闘を強行。その後に撤退して、冬を米無しで過ごさせる。後者は虚報や偽書で混乱させたり、他所へ動かしてしまい、その間に拠点を奪い取る、或いは狭隘の地で迎撃するというのが考えられます」

 「兵糧と指揮系統。良き目の付け所よ。儂もそれが正解と見ている。いかにその二つを攻めるのか?それが対一向衆の鍵となるであろうな……見事だ」

 どうやら二郎は宗滴殿の試練に合格したようだな。実に満足そうに頷かれている。顔を見れば一目で分かるわ。


 「左京大夫殿。儂はそう長くは生きられぬだろう。良かったら二郎殿の生き様を儂の分まで見届けて戴きたい。お願い出来るかな?」

 「構いませぬとも。もしあの世というのが存在するのであれば、土産話を肴に一献酌み交わしましょうぞ」

 「それは良い。その時が楽しみだわ。二郎殿、本日は実に有意義な一時を過ごす事が出来た。感謝する」

 「私こそ、貴重な経験を積ませて戴きました。誠に感謝いたします」



天文十七年(1548年)十二月、山城国、京、左大臣三条公頼邸、武田信虎――



 「この度は武田家の為、左大臣様にご協力を戴き、誠に忝う御座いました」

 深々と頭を下げた儂の前で、この屋敷の主である左大臣様がホホホホと笑い声をあげていた。実に満足そうであり、上機嫌であるとすぐに分かる。

 それはそうだろう。三条家の帝に対する影響力が強まったのだから、機嫌が良くなるのは当然だ。加えて実の孫である二郎の評判も影響している。

 天神様の御寵愛を受けた神童。名将朝倉宗滴の眼鏡に適った天才児。それが京の町における二郎の評価である。


 「左京大夫殿、そう堅苦しくされる必要はあらしゃいまへん。頭を上げて下しゃれ」

 隣の二郎はと言えば、目は見えないながらも左大臣様へ顔を向けている。感覚が鋭敏なのは知っているが、よくもまあ間違えることなく顔を向けられるわと感心する。

 そんな二郎に向かって、あろうことか左大臣様が直接歩み寄られた。


 「二郎殿。其方は本当に賢い子だ。麿も祖父として鼻が高い。どないかこれからも元気でいてくだしゃれ」

 「はい。二郎は御祖父様とのお約束を必ず守ります。ですから御祖父様も末永く元気でお過ごし下さい」

 「本当に二郎殿はええ子だ。左京大夫殿、どないか二郎殿の事を御頼み致すでおじゃる」

 『必ずや』と頭を下げた。同じ子を孫に持つ祖父として、この約束は果たさねばならん。そう改めて己に誓う。

 左大臣様はわざわざ門まで見送りをして下された。有難い事である。

 最後に別れの言葉を交わし、儂と二郎は堺へと向かった。そこから船で駿河まで向かい、甲斐から迎えに来ているであろう信繁と合流。信繁に二郎を託した後、儂は京へとトンボ返りをせねばならん。


 儂には武田家の為に出来る事があるのだから。


 今回もお読み下さり、ありがとうございます。


 今回はプチ上洛編。文の遣り取りのある六角さん家の蒲生さんと、朝倉さん家の宗滴さんが登場しております。本来ならボンバーマンも登場させたかったんですけど、今回は断念。ちょうど、この頃って三好家は戦の真っ最中みたいだったので。個人的に戦国武将の中で一番好きなんですけどね。


 それでは、また次回も宜しくお願いいたします。

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