加賀国編・第十三話
加賀国編・第十三話更新します。
今回は忠勝君の金沢城下見学ツアーになります。
永禄三年(1560年)四月、加賀国、金沢城城下、本多忠勝――
武田家から通達のあった、学び舎での家臣の子弟育成制度。陪臣のような直臣でない立場でも参加が許されるとあって、三河松平家から私が向かう事になった。
ただ歳を二歳偽って参加している。
というのも、加賀守(武田信親)様が気を利かせてくださった為だ。
『蔵人佐(松平晴康)殿、忠勝を十二歳と偽って、学び舎一期生に入れさせるのだ。これから先、年が経てば経つ程、武田家はより遠方で戦を行う事になる。結果、指導役も不在がちとなり、代理の者が教える事になる。それは教わる内容がどうしても劣ってしまうという事だ。だから今の内に、忠勝を送りこんでしまえ。幸い、俺の近習を務めていた河田という者も一期生に入る予定だ。一緒に動いていれば、孤独を感じる事も無いだろう』
加賀守様の文を読まれた殿(松平晴康)は、一も二も無く賛同なされた。補佐役の酒井殿も『確かに加賀守様の仰る通り』と同意された。
結果、私は二年早く、学び舎に通う事になったのである。
私は陪々臣という立場であったが、加賀守様がご紹介して下さった河田殿は、実に頼り甲斐のある兄のような御方だった。河田殿は頭の方も優れており、私は何度も分からぬ事を河田殿に質問した物だ。
最初の年は道鬼斎(山本勘助)様による軍略漬けの日々を過ごした。槍働きに憧れる者達からの評判は非常に高かった。私も随分と楽しい日々を送った。
二年目は信濃の真田弾正(真田幸隆)様に教えを受けた。真田様は調略等の搦め手も教えて下さった。私も含めて、幾らか納得できない者達もいた。それは事実だ。
ただ真田様はその事について何も言わなかった。何故か。
『武田家随一の武勲を挙げた御方は、槍働きを苦手とする御方だからだ。加賀に向かえば分かるだろう』
そうなのだ。三年目の師は加賀守様。俺の名『忠勝』を与えて下さった御方であり、河田殿を見出された御方だ。盲目でありながら、智謀の限りを尽くして戦う武田の今荀彧。長島攻めの一夜二国越えの奇襲攻撃は、日ノ本に住まう者なら誰もが知っている伝説だ。
人質の家来でしかなかった、幼かった私にも優しく接してくれた。書物攻めには閉口したが、きっと殿や私の事を案じてくれていたのだろう。それぐらいは分かる。
そんな加賀守様がどんな事を教えて下さるのか。私は楽しみにしていた。
『まず本日から明後日まで、この金沢の町を隅々まで見て回るのだ』
私達の指導役?らしい小畠三郎太(小畠虎貞)様の命に従い、私は町に出た。私は陪々臣という立場である為か、仲の良い者達があまりいない。加賀守様の御厚意で親しく接して戴いている、河田殿一人だけだ。
加賀武田家が出自や身分をあまり気にせぬ家風というのは、昨日の種子島騒動で分かっている。だがそれはあくまでも加賀守様の御膝元だから許される事なのだ。
そんな河田殿が、今、隣にいない理由。それは河田殿が遠江時代に御世話になっていた方々に、挨拶回りを行う為だ。
河田殿は学び舎を出た後は、この加賀武田家で奉公する身。その時に困らぬよう、礼儀は尽くさねばならない。
その為、今日一日は別々に行動する事にしたのだ。そして私が有望な場所を見つけたら、翌日にそこへ一緒に赴こう、と。
私は独りで町中を歩いて回っていた。最初に思ったのは、この金沢は賑わっている、という事だ。
「石川(石川数正)様が仰っていたな。浜松は栄えている、と。この町のように人が多いのだろうか?」
町中では何やら大掛かりな工事が行われていた。一体、何を作っているのだろう。
少し気になる。幸い、周りには多くの見物人がいる。誰か一人ぐらいは知っているだろう。
「ここでは何を作っているのでしょうか?」
「ああ、用水路を作っているんだ。あの高さに水を流すだろ?そうすれば必要に応じて水が流れ落ちてくるから、楽に水が手に入る、という仕組みだそうだ」
これが石川様が仰っていた用水路だったのか。それにしても高い所を流すのだな。しかしどうやって水を汲み上げているのだ?
用水路の先を見てみるが、町の外にまで続いている事は分かった。だが、それも途中までしか見る事は出来ない。遠過ぎるからだ。
これについては、日を改めて調べよう。あくまでも町の中、としか言われておらんからな。
改めて町を見て回ってみて、ふと気付いた。
「妙に歩きやすいと思ったが、通りが碁盤の目のようだな」
道が真っ直ぐなのだ。敵に攻められた時の事を考えておらぬのか?そういえば石川様が浜松もそうだと仰っていたような気がするな。
城も決して堅城とは言えぬ気がする。確かに立地は良いように思えるが、もっと守りに金をかけた方が良いと思うのだが。
そう思いながら、更に歩いてみる。小畠様が町を隅々まで見て回れ、と仰っていた事を思い出し、隅の方へ向かってみた。
ちょうど向かいから歩いてくる兵の集団。あれは常備兵だろうか?
「申し訳ありませぬ。教えてほしい事があるのですが」
「ん?何かな?」
「小畠様から町を隅々まで見て回る様に、と言われたのですが、必ず見ておいた方が良い場所はありますか?」
私の質問に『ああ、学び舎の』『大将が何か言ってたな、逃げてえ、とか』『あるある。うちの大将、めんどい事は嫌がるもんな』という声が返ってきた。大将、小畠様の事で良いのだろうか?
「まあ、いいや。それなら向こうの方に向かうと良い。珍しいものを作っているからよ。赤い屋根の家だ」
「忝い」
「良いって良いって。それじゃあ勉強、頑張ってな」
教えて貰った建物はすぐに見つかった。赤い屋根、とても目立っている。
建物の前には門番?らしい二人組が直立不動で立っていた。
「申し訳ありませぬ。ここは何でしょうか?」
「ここは工房だ。何か用か?」
「はい、実は」
と事情を説明。すると一人が中へ入り、すぐに戻ってきた。
「入って構わない、とさ。ゆっくり見ていくと良い」
翌日、河田殿と再訪問する筈だったのだが、まあ良いか。とりあえず先に中を見させて戴くとしよう。
河田殿と一緒に来て中を見てみた後で、見に来た意味が無かった、では申し訳ないからな。
中は『工房』と言われた通りだった。色々な道具が置かれ、多くの職人達が忙しそうに働いている。
「おお、初めてのお客様ですな」
掛けられた声に、慌てて顔を向ける。そこには、こう申しては失礼ではあるが、猿のような顔をした男が立っていた。
体は痩せ気味、あまり強くも無さそうだが。
体も小さい私が言う事では無いのかもしれないが、腰の太刀が非常に不釣り合いだ。何というか、太刀が重そうに見える。
「某、ここを預かっている井伊藤吉郎と申します。宜しくお見知りおきを」
「丁寧な御挨拶、忝う御座います!某は三河国松平家家臣、本多平八郎忠勝と申します!」
「ひょっとして、加賀守様が名前を授けられた御方ですかな?西三河の動乱の際に」
まさか知っている人がいるとは思わなんだ。卑下する訳ではないが、私は陪々臣だぞ?
「間違いなく、その忠勝に御座います」
「やはりそうでしたか。いや、以前に古参の御方から話を聞いたのですよ。加賀守様が初めて名を授けられた方だ、と」
そうだったのか、今まで知らなかったが光栄な事だ。
ならば、この忠勝という名に恥じぬ侍にならねばならぬ。そうでなければ、殿はおろか加賀守様の面目まで潰す事になるのだから。
「それで本多殿は学び舎の件で加賀にお越しになられたのですかな?」
「その通りに御座います。金沢を隅々まで見て参れ、と」
「ああ、加賀守様の宿題で御座いますな」
ん?宿題とはどういう事だ?私は何も聞いておらんぞ?
改めて昨日からの記憶を思い出してみるが、やはり宿題など命じられた記憶はない。
「ひょっとして、何も聞いておりませぬか?」
「……はい、特には御座いませぬ」
「では加賀守様が金沢で何を教えようとしているのかも?」
何も聞いていない。そもそも町を隅々まで見てこいと仰せられた理由も知らないのだ。
しまったな。これは命じられた時点で、その理由について訊ねるべきだったのかもしれん。
河田殿なら、きっと気付かれただろうに。こういう事が有ると、自分と河田殿との差を嫌と言うほど思い知らされる。
「学び舎ですが、加賀守様の仰せによれば、政略・戦略・戦術の違いを理解させる事が始まりになると伺っております」
「どういう違いがあるのか、教えて戴いても宜しいですか?」
「構いませぬとも。まず戦術は実際に戦場で兵を操って戦う事。戦略は戦場にする場所や兵数、兵糧の確保や進軍する経路を決める事。政略は誰を敵にするか、どんな物を作るのか、どれぐらいの兵を用意しておくかを決める事。某はそのように伺っております」
初めて聞いた事だが、それぞれ違う事だというのは理解出来た。
確かに井伊殿が仰った通りだ。戦場で兵を指揮する事と、国でどんな物を作るのか決める事が同じである筈がない。
誰を敵にするか?それは三河なら殿が決断される事。少なくとも、配下の一武将が決めるような事では無いのだから。
「山本道鬼斎様は戦術、真田弾正様は戦略、加賀守様が政略と自然と分担されたそうです。加賀守様は兵糧攻めに水攻めと、事前の準備が必要な攻めを使われますからな。それに町造りのような内政を好まれる御方です。つまり政略に関しては、武田家の第一人者と言って良い程で御座います」
「兵糧攻めに水攻め。長島や美濃で御座いますか」
「はい。それに加賀守様はこう仰っていました。政略的視点以上に重要な物は無い、と」
どういう意味なのだろうか?このような事、三河では教えて貰った事が無い。
先達の御方や叔父上から兵法や礼儀作法は学んだが、それらの知識の中に、このような教えは無かった。
「戦術や戦略とは違い、政略には『運』の要素は絡んでこない。事前に入念な準備を行い、私的感情を排して冷徹に判断する事だけが出来ればよい、と。兵を集め、鍛錬を施し、武具を準備する。その為に銭―つまり税が必要となる。税を増やすには民を増やし、国が富まねばならん。国を富ますには産業を振興したり、民を移住させる必要がある。それらのどこに『運』が絡む?全て己が考えねばならぬ事よ、と」
「……仰ることは理解出来ない訳では無いのですが……何と言うか銭勘定をしている気がします」
「某も同感でした。口に出したら大笑いされましたな。正にその通りだ、と。国主とは国という名の大店を切り盛りする店主なのだ。家臣は番頭や手代、丁稚といった従業員なのだ。同業の他店を出し抜く為に、戦という名の商売をしていると考えよ、と」
言われてみると納得できる部分はある。商人共も、生き延びるために他のお店を出し抜こうとしているのだ。それは武器として扱っているのが銭か武器かの違いでしかないのかもしれない。
「戦術止まりの武士はせいぜい部将、戦略止まりなら城主、政略まで辿り着けば国主を任せられる。それが加賀守様の御考えのようですな。加賀守様は政略――町造りを出来るようになってほしいのでは御座いませぬか?其方は自分の領地をどれだけ発展させられる?一人でも兵を増やす為に、金や米をどれだけ生み出せる?と。その為に自分の手掛けた町を見て回ってこい、そう仰せになりたいのではないでしょうか?」
「……そうだったのですか」
「加賀守様が甲斐を任せられた時、最初に取り組んだのは民が飢えぬ事だったと聞いております。飢饉から逃れるために、米を捨ててサツマイモや葡萄、雑穀の栽培を奨励されたそうです。その後で銭になる油菜栽培や治水、常備兵制度や農地開拓と順序良く進めた、と。某も治水工事を現場で指揮しましたが、国造りとはこうも大変なのかと思い知らされたものです」
だが、私は殿の槍でありたいのだ。難しい事は酒井様や石川様のお仕事。だが、それは違うという事なのか?
私は所詮、陪々臣の身。国主等、望めるような身分ではない。
「本多殿。良い物を見せて差し上げましょう」
井伊殿が連れて行って下さったのは、一つの竈だった。数名の職人が、師匠と思しき男の指示を受けて働いている。
その男の話す言葉は、私には理解出来ない異国の言葉だった。隣にいる通詞らしい男が、その言葉を聞き取り、日ノ本の言葉で説明している。
「これは焼き物の窯です。ただし大陸の焼き物――磁器になりますが」
「普通の焼き物とは違うのですか?」
「触ってみれば分かるでしょう」
試しに焼き上げたらしい試作品を渡される。すぐに分かったのは、手触りが全然違うという事だ。非常に表面が滑らかなのである。家の茶碗や湯飲みとは別物だ。
何なんだ、これは!?
「加賀守様はこれを加賀の特産品にしようと考えています。けれどもそれだけでは終わりませぬ。竈の上にある物です」
「……あの筒のような物で御座いますか?」
「はい。あの中を煙が通ります。さあ、ついて来て下さい」
井伊殿に従った先は屋外で、数本の木が植わっていた。その木の傍を、見覚えのある鉄の筒が通っている。
鉄の筒は少し先まで続き、先端らしい部分から、黒い煙が立ち上っていた。
「煙は熱い。その熱を使って、加賀守様はこの木を温めようとしております。本多殿はこの木が何か分かりますか?」
「これは……桑?」
「正解です。加賀守様は真冬でも養蚕が行えるようにしたいと考えておられるのです」
真冬に養蚕!?そんなことが出来るのか?
虫は冬になると寒さでいなくなる。そんなのは常識だ。
しかもここ、加賀国は雪で閉ざされる地だというのに!
「勿論、この筒だけでは出来ませぬ。他にも色々な物が必要となります。ですが、考えてみてください。冬は大雪に埋もれる加賀の地。何も出来ない真冬に養蚕が出来たら、民がどれだけ潤うのかを」
「想像もつきませぬ」
「でしょうな。実を言うと、某もハッキリとは分かっておりませぬ。ですが、雪で覆われた真冬の間に、銀と交換できる程の物を作ることが出来れば、民は喜びましょうな。少なくとも望んで一揆を起こそうと考えたりはしなくなる」
それはよう分かる。殿が人質だった頃、三河衆は今川に支配されていた。幼かった私は覚えていないが、その結果として三河衆が酷い扱いを受けてきた事は聞かされた事がある。それでも爪に火を灯すような貧しい生活をしながら、力を蓄えたのだと。そんな時代に、真冬に生産できる絹が有ったとしたら?間違いなく、皆が喜んだであろう。
「これらの知識や技術は『運』ではありませぬ。材料がどこに行けば入手できるのか?それは調べたからです。技術は書物で調べたり、明から人に来てもらって教えを乞うているからです。煙の利用は知恵を巡らせたからです。分かりますか?」
「はい、井伊殿の仰る通りで御座います。特に冬の寒い時期に、このような方法を使おうなど考えもしませなんだ」
「時間があれば、町の外も見て回るべきでしょうな。塩田に揚水施設、こちらも見応えがありますぞ」
ん?何やら外が騒がしいような。
「井伊殿、外が騒がしいようで御座いますが」
「ああ、出陣です。越中で一向一揆が起きた為、越中の神保家と挟み撃ちにしようという話になっておりましてな」
「では加賀守様も?」
フルフルと首を左右に振る井伊殿。
どうやら加賀守様は御出陣はなされないようだ。
「援軍の総大将は明智殿と聞いております。火部隊二千と常備兵一千だそうです。加賀守様は明智殿を買っておられるようで、いずれは軍配者に取り立てたいとお考えのようで御座いますな」
「井伊殿は物知りで御座いますね、そのような事まで存じて居られるとは」
「いやいや、たまたまです。某、色々な方と話す機会が多いので耳に入るのですよ」
他の方と話す。それだけで、こうも色々な事を知る事が出来るのか。自分には無理そうだが、文であれば出来るかもしれぬな。
駄目で元々、試してみるか。
「井伊殿、某はいずれ三河に戻ります。その後で結構ですので、文をお送りしても宜しいですか?殿の為に出来る事をしたいのです」
「構いませぬとも。金沢城の井伊藤吉郎宛に送って貰えれば大丈夫ですよ。加賀守様には某からお伝えして、許可を戴きましょう。それにしても良い事です。他国の方と文を交わして情報を集めるのは、加賀守様も七歳の頃からされておられたそうです」
「七歳!?それは真に御座いますか?」
「聞いた話ですが、北条駿河守(北条長綱)殿、長尾弾正少弼(長尾景虎)殿、三好家の松永弾正(松永久秀)殿、足利公方の細川兵部大輔(細川藤孝)殿、六角家の蒲生下野守(蒲生定秀)殿、毛利家の小早川左衛門佐(小早川隆景)殿、大友の戸次伯耆守(戸次鑑連)殿、それと今は消滅しましたが、朝倉家の名将である故・朝倉宗滴殿との文の遣り取りは武田家中でも有名だそうです」
北条長綱殿、長尾景虎殿、朝倉宗滴殿は俺も知っている。北条家の長老に越後の軍神、越前の名将だ。蒲生下野守殿、松永弾正殿は名前程度しか知らぬ。他は……初めて聞いた名だ。
どんな人物なのか、さっぱり分からない。
そもそも、何故九州や山陽と文を遣り取りしたのだろうか?当時の武田家は、まだ信濃攻めの最中だった筈だが。
「それにしても毛利に大友で御座いますか。西国の情報がどうして必要なのか、お伺いしても宜しゅう御座いますか?」
「あちらの情勢の把握が目的で御座いましょう。例えば九州ですが、今は大友家の一強体制であり、かつての九州探題は面影すら残っておらぬと伺っております。それに明との貿易窓口でもあり、更には耶蘇教が教えを広めつつある事も教えて戴きました。特に明の情報は重要で御座いましてな。加賀守様が仰るには明もそれほど長くはないそうです」
「なんと明が!理由を聞いても宜しゅう御座いますか?」
「理由は二つです。十年ほど前から、元寇の原因にもなった北方の騎馬民族が頻繁に戦を仕掛けているそうです。つまり領内へ侵攻されているという事で御座いますな。これでは戦のために重税を課された民も不安で仕方ないでしょう。二つ目は内側の問題です。明はどれほど高官であっても、皇帝の機嫌を損ねれば、即死罪が当然という国家なのだそうです。朝は水杯で別れを惜しみ、帰宅時は無事を喜び合う。そのような内憂外患を地で行く国が本当に続くと思いますか?」
それは……続かなくて当然だな。私もそのような国には住みたくはない。
確かに武士として、主に忠義を尽くすのは当然の事だ。仮に殿が私に『死んで来い』と命じられれば、私は死んでくるだろう。
だが、いつ死刑になってもおかしくない。そんな国に仕えたいとは思わない。
「しかし不思議で御座います。明では下剋上が起きないのですか?家臣や民には不満が相当溜まっていそうなものですが」
「恐怖心の方が強いのかもしれません。ですが一揆は頻繁に起きているようですな。国軍も敗北を喫する事があるそうですし。明の商人達も不安を抱えているからこそ、日ノ本や南方へ進出しているのかもしれません」
「井伊殿。質問したい事が御座います。明の情勢が不安定なのは理解出来ました。しかし、それがどうして加賀で重要になるのですか?」
井伊殿が破顔された。良い所に目をつけた、というところだろうか?
「例えばの話ですが、明は南蛮との貿易において絹や磁器を輸出しております。ここで質問ですが、明が不安定になれば貿易はどうなりますか?」
「色々と困った事になります」
「そうです。問題は絹や磁器の輸出量が減少するという点です」
確かにその通りだ。量が減るのは当然だが、質も低下するのは間違いない。
南蛮も欲しいものが無くなる訳だ。そうなれば他に目を向け……
「それで加賀、で御座いますか!」
「加賀は『偶然にも』絹と磁器に着手しておりますな。特に磁器は日ノ本でも加賀だけの産業。明が滅ぶ前に、南蛮の者達が満足できる質にまで発展させるのは不可能ではありませぬ」
大友家からの情報を元に、そこまで先を読まれておられたのか。確かに『運』など関係はない。事前に情報を集め、冷徹に判断する。そして明が倒れれば、加賀は南蛮を相手に荒稼ぎが出来るだろう。
これが国を差配する御方に必要な『政略』なのか。
その為の第一歩が町造り。
自分の領地をどれだけ富ませられるか?その為に必要な情報はあるのか?知識や技術に当ては有るのか?
殿は石川様を遠江に遣って、色々と学ばせてきたと聞いている。これも同じ事だったのだ。
「井伊殿、領内の発展に必要な知識や技術というものは、書物で学べるのでしょうか?」
「可能ですとも。例えば農業書であれば、加賀守様が家臣に命じて試行錯誤させた情報を纏めた指南書が御座います。某も写本を持っておりますが、相当な知識量ですぞ?作物によって肥料にも相性があるなど、某は知りませんでしたわ」
古いので良ければ差し上げましょうか?と言われたので素直にいただくことにした。背面に造られた年だろうか?弘治二年二月と書かれている。
「加賀守様は各村に一冊ずつ、それを配っておられるのです。そして三年から五年毎に内容を改めたり、追加記載したりしております」
「そこまでしているのですか」
「民を飢えさせる者に上に立つ資格は無い。加賀守様の口癖で御座います。某も尤もだと思いました。例え戦に強くても、食う物が無ければ戦えませぬ故に」
正直、政を甘く見ていた。政とは、ここまで奥が深く、大切なものだったのか。
「井伊殿、誠に感謝致します。某、金沢の町をもっと見て回ってこようと思います。某には足りないものが多過ぎまする」
「それが宜しいでしょうな。では某も失礼致します」
井伊殿に背を向け、工房を出る。まず何から見て回るべきか。不謹慎かもしれないが、どこか心の奥底でこの時間を楽しんでいる自分がいる事に気付いた。
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
今回は忠勝君視点での金沢城下見学ツアー&藤吉郎回。地味に忠勝君の人脈がとんでもない事になりつつありますw
まず補足から。
Q:忠勝と同年代の榊原康政は?
A:本来、まともに入学可能な清正(兄:2歳年上)は病弱と言う情報があったので、入学を辞退したという設定です。本人については、主人公との関りが無かった為。徳川家康の人質時代の同行者については、榊原康政の確定情報無し。結果、西三河動乱においても主人公と巡り合う事が無かったとしています。ちなみに安祥・岡崎譜代衆の中での入学可能な人物も探してみましたが、特にいなかったので忠勝君は単独入学となりました。
Q:藤吉郎の口調が、忠勝に対して丁寧。
A:藤吉郎は基本、誰に対しても丁寧に接するようにしています。これは自分が妬まれてもおかしくない事を自覚している為。それが忠勝に対しても、自然と口に出してしまっている感じです。
冬の養蚕計画。現在は実験段階というか、試行錯誤の段階。必要な材料(要はビニールの代用品)がまだ出来ていない為、先に熱源確保の方法を確認中という所です。
越中一向一揆。越中一向衆は先手を打って加賀へ攻め込む予定でしたが、先に越中国内で武田家から情報提供を受けていた神保家とぶつかっております。武田家はこれから出陣して、一向衆の背後を突こうという所。武田家としては飛騨と加賀を繋ぐ街道を確保できれば万事OK。またこの後の越前の展開も考慮しているので、全軍出陣とはなっておりません。
そして忠勝君と藤吉郎。文通仲間に。主人公は忠勝君に思い入れが有るので、ちゃんと手続きを取って文通できるように手配をします。一応、武田家と従属相手の松平家なので問題は無いと思いますが、念のため、と言った所。
そして忠勝君の教育の為に、明の情勢を説明する藤吉郎。
一体、誰が明の情報を彼に話したのかwまあ主人公辺りがやったんだと思います。人たらしの藤吉郎は、拙作においても健在です。同僚間での情報共有量は間違いなくトップクラスです。
今回は以上です。次回は近江国六角家を舞台に話を進めます。浅井賢政の策に六角義賢がぶつかります。
それでは、また次回も宜しくお願い致します。




