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甲斐国編・第四話

 甲斐国編・第四話投稿します。

 拙作を読んで下さり、ありがとうございます。今回は少しだけ文字数が多めになりました。更新分だけで、一万四千。推敲してたら、四千ぐらい増えていました。


 もし面白いと思って頂けたら、ブックマークや評価をお願いします。

 割と意欲に直結するなあ、と言う事を今更ながらに自覚しましたw


天文十七年(1548年)七月、駿河国、臨済寺、太原雪斎――



 春から、この寺に居候が増えた。

 名は武田二郎。隣国、武田家の次男坊。この寺にある書物を書き写させてほしい、という理由で滞在している。

 この話を御屋形様(今川義元)はいとも簡単に引き受けてしまわれた。

 少しは警戒心をと苦言を呈したのだが、向こうはまだ八歳。大したことは出来まい、と気軽に答えられる。


 確かに私の考えすぎかもしれん。たった八歳。しかも極度の弱視。書物に目を通そうとする際には、まるで犬のように顔を書物に近づけている。

 その様を陰で揶揄する坊主を見るたびに、頭痛がして堪らぬ。

 よく考えてみろ。お主等が八歳の時に、漢字交じりの書籍を読む事が出来たのか?内容を把握出来たのか?あまつさえ書き写す事が出来たのか?

 一度、写本を見させてもらった事があるのだが、実に奇麗な字であった。至近距離で顔を見て分かったのだが、アレは奇形の一種であろう。両の瞼の縁がくっついていた。あれでは眼を開く事はできまい。自分の瞼の左右を指でつまんで試してみたが、視界の狭さに唸り声を上げる事しかできなんだわ。


 それだけではない。

 毎日、来る日も来る日も同じ内容を延々と繰り返す。幼児に出来る事ではない。寧ろ、妖の類、幼児ならぬ妖児かと思ったものである。

 御屋形様に報告した所、どうやら興味を持たれたようで、一度、連れてきてほしいと言われてしまった。

 仕方あるまい、と思ったのだが……

 

 「邪魔しておりますぞ」

 まさか、甲斐の虎がいるとは思わなんだわ。武田左京大夫信虎。先代武田家当主。今は今川家に居候中の男。確か五十前後の筈だが、その眼光には聊かの衰えも感じられん、油断すれば、一息に食い殺されるような危うさすら感じられる。


 「左京大夫(武田信虎)殿がいらっしゃるとは思いませんでしたな。二郎殿にお会いに?」

 「うむ。今日は素振りを見てやろうと思ってな」

 そう告げた虎の脇には、木刀が置かれている。どうやら素振りの鍛錬に付き合っていたようだ。


 「お帰りなさいませ、雪斎様」

 「いつも丁寧なご挨拶、痛み入る。今日は何を写しておられたのですかな?」

 「本日は農作に関する指南書にございます。甲斐の地は厳しいですから」

 この妖児は主に農業の指南書や技術書、薬草関連の書物を中心に写本を行っている。つくづく思うが、手当たり次第ではなく、明らかに狙っているのだろう。正直言って意外である。私はてっきり、四書五経や六韜三略辺りを狙ってくるとばかり思っていた。

 だが、その事実が恐ろしい。この年にして、政の基本は内政にある、と言う事を理解しているように思えるからだ。

 左京大夫殿がこの妖児を気に入ったのも、そこに要因があるやもしれぬ。

 この男、暴君という評判はあるが、決して無能ではない。若い頃から内政にも辣腕を振るっていたのだから。


 「そういえば今日は付き添いの者達は?」

 「外で稽古中です」

 この妖児、目が弱い為に身の回りの事も他者の助力を必要とすることが多い。それ故にいつも付き添いの者らしい少年が二人いる。だが今日は外で稽古中だと言う。


 「写本は退屈に感じられるのでしょうな」

 「それは仕方ございませぬ。向き不向きは人それぞれですから」

 ……物分かりが良すぎる小僧だわ。何と言うか不気味さを感じてならぬ。まあ哀れみを感じないか?と問われれば、正直に言えば感じるだろう。年に見合わぬ落ち着きと知性、目さえ無事なら兄を差し置いて後継者となり得たであろう逸材だ。この手で育ててみたいという欲を感じる事もある。


 「ところで二郎殿。本日、我が主である治部大輔様より言伝を預かりましてな。一度、二郎殿とお会いしてみたい、との事なのです。明日、よろしいですかな?」

 「はい、大丈夫です」

 「それなら儂もついていこう。孫の手を取り歩くのは、爺の特権なのでな」

 ええい、しゃしゃり出てくるな人食い虎。だが言い分には一理ある。この爺が孫を気に入っているのはよく分かる。気に入らぬ、或いは見所が無いと分かれば、即座に切り捨て目もくれぬだろう。それが無い、と言う事は、つまりはそういう事だ。


 「では御祖父様、今日は一緒に寝ましょう。御祖父様のお話を伺いたいです」

 「おお、可愛い事を言うてくれるではないか。よいよい、幾らでも聞かせてやろう。済まぬが、一晩泊まらせて頂きますぞ?」

 「ええ、構いませぬとも。それでは、また夕餉の時に」

 用件を果たし終え、廊下に出る。自室に向かう途中、小坊主が一人駆け寄ってきた。


 「今日はどうだった?」

 「いつも通り、何も御座いませぬ。朝餉の後は、厠と鍛錬以外は写本をしておりました。左京大夫様も隣で黙って見ておられるだけでございました」

 「分かった。戻れ」

 監視役の小坊主を下がらせ思索にふける。分かってはいた事だが、やはり異常だ。御屋形様が同じ年頃の頃は、もっとヤンチャをしていた記憶がある。

 それにしても会ってみたいとは……おそらく御正室の於豊様のおねだりであろう。あの御方は武田晴信殿の姉であり武田信虎殿の娘。つまりあの妖児は甥。それも極度の弱視とあれば、庇護欲をそそられるのも仕方あるまい。

 実際、甲斐では実母である三条の方様から、非常に可愛がられていると聞いている。であれば、近況について文で知らされていてもおかしなことは無い。そうなれば感情移入するのも自然な事ではある。


 「いかんな。考えるだけ無駄だと分かっておるのに、ついつい考えてしまう。悪い癖だ」

 夕餉の時間になるまで、少し休憩するか。白湯でも飲めば、気分も落ち着くだろう。



天文十七年(1548年)七月、駿河国、臨済寺、武田信虎――



 徐々に遠ざかる足音。少しして、二郎が硯の真上に筆を横に置いた。

 筆を横に置く。これは符牒だ。初めて会った頃に決めた合図。即ち『近くには誰もいない』。


 「やれやれ。あの糞坊主め、いたいけな幼子をここまで警戒せんでもよかろうに」

 「私、普通とは大分ズレてる自覚は御座います。警戒されるのも仕方ないかと」

 「それについては否定できぬな。儂も次郎(武田信繁)から説明は受けておったが、ここまでズレておるとは思わんかったわ。最初は化生の類かと思ったぞ」

 豪快に笑う儂に、二郎がクスクスと笑う。儂はいかつい顔とキツイ雰囲気もあって、幼い子供には敬遠されがちだ。子供に泣かれた回数なら、日ノ本一という自負があるほどに。にも関わらず、この二郎は何とも思わんらしい。正直、珍しいと思ったものである。


 「それにしても、其方は鋭敏な感覚を持っておるの。儂より鋭いのではないか?」

 「多分、目がまともに使えない為に、耳と鼻が敏感になったのだと思います」

 「なるほどな。確かに一理あるわ」

 改めて、孫を見直す。正座しているその姿、全くケチのつけようもない。背筋の伸ばし方も文句が無い。目さえ見えておれば、本当に勿体ない。

 なまじ才覚があるから、余計にそう思うのだろう。


 「ところで御祖父様。以前から考えていた事が御座います。私は目が見えませぬ。その為に兵法を身に着けても、それを活かす事は叶いませぬ」

 「そうじゃな」

 「そこで思ったのですが、独自の兵法を磨こうと考えたのです」

 お?これは予想外の言葉だ。身に着ける意味が無い、なら分かるが、独自の兵法とは。だが悪い考えではない。あとは理屈倒れにならないかどうか、だな。


 「いっそ、防御を捨てて攻撃に特化。文字通り一撃必殺。殺られる前に殺れ、躱される前に打ち込め、受けられたら力でごり押せ、を考えているのです」

 「二郎、其方本気で言うておるのか?」

 「はい。この目では二合どころか一合と打ち合えませぬ。なら先手必勝一撃必殺しかないかと」

 言いたい事は分かる。理屈もよく分かる。確かに二郎が己を守る事のみを考えるなら正解だろう。間違いなく、他の者には不向きだろうが。


 「しかし、面白い。よし、儂も力を貸してやる。で、腹案はあるのか?」

 「はい……という物を考えているのですが」

 「であれば、刀は少し短めにして反りのある物の方が良いだろう。よし、時間を作って、儂が見立ててやろう。いずれ其方が大きくなったら、その時の其方に相応しい太刀を用意してやろう」

 うむうむ、実に先が楽しみよ。出来ぬ事なら代わりを用意する。諦めぬ姿勢は、実に儂好みだ。素直なのも実に良い。次郎を思い出すわ、太郎(武田晴信)は……あれも昔は素直だったのだがなあ。何故、ああも捻くれたのやら。

 あとは肉をつけねばな。特に腕力だ。下半身も鍛えなばならん。素振りも少し工夫を考える必要がありそうだ。



天文十七年(1548年)七月、駿河国、駿府城、今川義元――



 「舅殿。お元気そうで何より。この分ならひ孫の守が出来るぐらい長生き出来そうですな」

 「それは嬉しい事ですな。何年後かは分かりませぬが、先が楽しみでなりませぬな」

 目の前で呵々と大笑したのは妻の父、つまり舅にあたる武田信虎殿。一代で甲斐の国を統一してのけた猛将でありながら、俺にとって義弟にあたる息子に放逐された男。

 四方全てを敵に回した結果、この駿河を含めた全ての近隣国から物資を止められ、当時の甲斐の国は大混乱に陥り、民の怨嗟の声が沸き起こった。

 義弟殿は状況を理解していたが、父を放逐するのは消極的だったと聞く。それを後押ししたのは老臣達だ。


 目の前の男は知るまい。

 矛先を信濃に向けろ。そうすれば塩も融通してやる。

 それを条件に老臣達は放逐に向けて動いていた事を。


 実際、義弟殿は舅殿を放逐する際に、今川に対して隠居料を払っているのだ。本気で親父を嫌っているなら、対価も払わず野垂れ死にさせるだろう。少なくとも、俺ならそうする。

 まあ今川としては美味しい話だ。矛先を向けられる事無く、無限に手に入る塩を高値で販売し、甲州金を入手できる。今後も良い付き合いをしていきたいものだ。


 「ところで、本日は孫、二郎に会いたいとの事で」

 「そうそう。於豊が甲斐の義妹殿から文を読んで、一度だけでも、とな」

 「父上、私の我が儘をお許しください」

 「何を申すか。其方にとっては実の甥なのだ。会いたいと思う気持ちのどこに不思議があるというのか」

 この男、身内にはどうも甘いようだな。考えてみれば、義弟殿にも悪意を持っておらぬようであるし……まあ良い、今は件の小僧だ。雪斎は随分、気にしていたようだが。


 「二郎殿。余が今川治部大輔義元である。隣が余の妻で、其方の伯母になる於豊じゃ」

 「お初にお目にかかります。今川治部大輔様、お姉さま」

 思わずポカンとしてしまった。いや、それは俺だけではない。居合わせた家臣達はおろか、妻ですら呆気に取られておる。うむ、俺がおかしい訳では無いようだ。

 

 「これ、二郎。於豊は伯母上様であるぞ?」

 「はい、それは知っております。ですが以前、若く美しい女性に対しては、お姉さまと呼んであげなさい、と教わりました」

 思わず噴き出した。いや、我慢が出来ぬ。家臣達も失笑するしかない。隣にいた於豊も口元を隠しながら、面白そうに甥を眺めている。

 まさか甲斐の田舎に、このような冗談を解する者がいたとは思わなんだわ。


 「舅殿、甲斐には意外と冗談を解される者がいるのですな。正直、驚きましたわ」

 「いやいや、お恥ずかしい。一体、誰が教え込んだのやら」

 「あら、父上。私としては嬉しい呼び方ですのに。娘の事を年増扱いされるのですか?」

 「おいおい、そのような事は微塵も思うておらぬわ。いつまでたっても、其方は儂の可愛い娘ぞ」

 広間の笑い声は徐々に大きくなる。良い意味で雰囲気が和んだのを理解した。いや、これは予想外の展開だわ。妻もすっかり甥を気に入ったのか、いつになくにこやかな笑みを浮かべておる。


 「二郎殿、会えて嬉しいですよ。皆、優しくしてくれますか?」

 「はい。とてもお優しいです。父上も母上も、某が話しかけるといつも耳を傾けて、頭を撫でてくれます」

 「それはようございます。二郎殿が幸せで、私も嬉しく思いますよ」

 於豊はすっかり甥の事が気に入ったようだ。ふと思い立ち、チラッと視線を脇へと向ける。そこには雪斎がおったのだが、いつになく厳しい視線を目の前の幼児に向けておった。

 どうやら気に食わないらしい。というより、あれは警戒だろうか?

 ……ふむ、試してみるか……


 「そういえば舅殿。最近、府中で澄酒という物が出回り始めましてな。試しに一献、いかがですかな?」

 「ほう?噂には聞いておりましたが」

 「舅殿なら僧房酒は飲んだ事があるでしょう。南都諸伯は有名ですしな。だが澄酒は明らかに今までとは違う。ごく僅かしか作れぬらしくてな」

 パンパンと手を叩いて、準備しておいた澄酒を小姓に用意させる。


 「では失礼ながら……これは、水のように透明なのですな」

 「驚きましたかな?味の方も、また格別ですが」

 「ふむ。香りも爽やかで、これは期待できそうですな。では」

 グイッと呷る舅殿。やはり旨かったのだろう。感心したかのような唸り声を上げる。


 「旨いですな。これは癖になる」

 スッと杯を伏せる。傍若無人に見えて、意外と自分を律する男なのだ。旨い物でも摂り過ぎれば毒になる事を理解しておる。だからこそ、甲斐の国主でいられては困ったのだが。

 

 「二郎殿もいかがかな?」

 「婿殿。二郎はまだ幼い。さすがに御戯れが過ぎますぞ?」

 「御祖父様、大丈夫です。一献、頂きます」

 杯を手にして軽く目を伏せる。舅殿も仕方あるまい、と額に皺を寄せながら自ら一杯注ぐ。

 注がれたそれを、盲の甥っ子は躊躇う事無くグイッと呷った。

 随分とまあ、思い切ったものだ。酒は初めてだろうに。

 香りを楽しむ余裕はなかったようだが、度胸は間違いなくあるようだ。


 「どうだったかな?」

 「……大人がどうしてお酒を好むのか、理解出来ませぬ」

 素直な感想に、一同がドッと笑う。さすがに子供の舌に合う事はあるまい。それは分かっていた。だが見たかったのは、その反応よ。とりあえず年相応の部分は持ち合わせておるようだ。

 

 「二郎殿も大人になれば、いずれ理解出来よう。ところで二郎殿。其方は雪斎のもとで写本を行っておると聞いたのだが、どうかな?」

 「はい。昨日も農業の指南書を書き写させて頂いておりました」

 「そこよ。二郎殿は好んで技術書の類を写本していると聞いておる。だが何故かな?確か寺には孫子もあった筈じゃ。武士ならば、嗜みとしても必要だと思うが?」

 正直、その点が気になっていたのだ。何故、兵法書を無視するのかと。この乱世を生き抜くのであれば、兵法を身に着けるは必須。それも当主の息子であれば、猶更だ。


 「兵法書に関しては、躑躅ヶ崎に置いてありました。ですので、写本する必要が無かったのです」

 「……そういえば、昔、取り寄せた記憶があるのう」

 「父上も同じ事を仰っておりました」

 なるほど。既にあるなら、改めて写本の必要はないか。俺が同じ立場なら、確かにそのような無駄はせん。


 「臨済寺に来てから、何冊ほど書き写されたのかな?」

 「恐らく百は超えたかと」

 「それは大したものだ。寺には書物がたくさんある。思う存分、学ばれると良かろう。ところで、二郎殿に頼みたい事があるのだ」

 さて、どう出るかな?


 「二郎殿は、その年にしてすでに漢字を解されていると噂に聞いた。よろしければ、この場で見せて頂いても宜しいかな?」

 瞬間、舅殿が眉を吊り上げる。やはり反応するか。


 「分かりました。臨済寺で学ばせて頂いているのです。その対価と思えば、容易き事に御座います。墨と筆、それから紙を御願いいたします」

 「ふむ、良かろう。誰ぞ、持ってまいれ」

 予め用意されていた墨・筆・紙が準備される。


 「では失礼して」

 まず紙を切った。この時点で大きく違う。周囲も驚きでどよめいた。

 次に懐から布を取り出し、板敷に敷く。そこに切った紙を置いた。

 そして顔を硯に近づけ、筆に墨をつける。そのまま紙に顔を近づけながら、筆をユックリ動かしていく。

 その様は確かに犬だ。雪斎がその事を渋い顔で儂に報告していたが、確かにこれは犬に見える。寺の坊主どもが揶揄したのも仕方はあるまい。

 舅殿が怒りを感じたのも、その事があったからだろう。


 事実、家臣達の中には声にこそ出さぬが、蔑みに満ちた視線を送る者もいる。感情を表に出さぬ弁えた者達は……片手で足りるな。別の意味で頭が痛くなってくるわ。あとで雪斎と話をせんといかんな。そんな雪斎は、いつになく厳しい視線を向けておるわ。

 隣に目を向ければ於豊は哀れみの表情だ。これはまあ、仕方あるまい。


 「こちらで宜しいですか?」

 鼻の頭を黒くした二郎殿が、書き上げた物を掲げる。そこには武田左京大夫信虎、と書かれていた。一文字一文字が読みやすい、奇麗な字で。


 「ほう舅殿の名前か。実に読みやすい字だな」

 「はい。どうしてもスラスラと流れるようには書けませぬ」

 「良い物を見せて貰ったわ。二郎殿は将来が楽しみだ」

 ああ、本当に将来が気になるわ。この小僧、博識を持って家を支えるやもしれぬ。戦に出る事はないだろうが、それでも欠けてはならぬ存在となるだろう。

 ……正直、隣の舅殿の視線が痛い。お気に入りの孫を見世物にされたのだ。怒る気持ちは分からんでもない。


 「二郎殿、これを受け取られよ。良い物を見せて貰った礼だ」

 以前、友野屋が入手して献上してきたもの。俺には意味がなく仕舞い込んだままであったが、盲であれば有用やもしれぬ。そう思い、蔵に仕舞われたままであった物を引っ張り出しておいた物だ。


 「これは……眼鏡、でございますか?」

 「ほう、良くご存じだ。いかにも、その通り。二郎殿の抱える負担、少しは減るかと思ってな」

 「誠に感謝致します」

 眼鏡を受け取り、頭を下げる甥っ子。舅殿も少しは落ち着いたのか、素直に感謝の言葉を口にしてきた。

 どうやら機嫌を直してくれたようだ。


 「さて、舅殿。宜しければ於豊の為に時間を割いて頂けませぬかな?於豊ももう少し、二郎殿と話をしたいであろう?」

 「ええ、勿論ですとも。父上、庭の花でも見ながら四方山話でも」

 「喜んで。二郎、爺とともに参るとしよう」

 孫の手を引きながら、甲斐の虎が退室する。於豊も侍女に連れてこさせた子供達とともに後を追って退室した。

 家臣達からは、二郎殿を侮る声が多く聞こえてきた。やはり原因は、あの書き物の姿勢だろう。虎の子は犬畜生かと評する者もいる。

 実に頭が痛いわ。


 「雪斎」

 「御屋形様はどうご覧になられましたか?そのご様子では、拙僧の懸念をご理解して頂けたように見受けられますが」

 「少なくとも尋常の子では無いわ」

 同意したのは岡部に由比、朝比奈しかおらんとは。相手を子供と侮ると痛い目を見るやもしれぬのに。


 「盲であろうと、虎の子は虎よ。それも知恵ある虎だ。先代は戦を得手とする猛将、当代は家中をまとめる名将、そしてその子は知恵に優れた知将となりそうだ」

 「高く評価されましたな」

 「気づかぬ訳があるまい。あの小僧、こちらを油断させようと間抜けを演じておったではないか」

 それには気づかなったのか、岡部達が目を見張った。一体、どういう事ですか?という問いが返ってくる。


 「鼻の頭につけた墨よ。雪斎、あれはそのような失策、したことは無いはずだ。特に、あの書き方で慣れているのならばな」

 「ご賢察の通りに御座います」

 「で、あろうな。わざと失策をしたのであろうよ。周りは己を侮っている。ならば後は今川義元の目を欺くのみ。そんな所かのう」

 澄酒を手酌で注ぎグイッと呷る。


 「小賢しい真似をしてくれるわ。だが、そのおかげでアレを注視すべきという事も実感できた。雪斎、今後も寺で寝起きする間は坊主に監視を続けさせてくれ」

 「心得まして御座います」

 「現状はそんな所か。甲斐の義弟殿は間違いなく、あの子供の価値を見抜いているであろう。であれば、こちらを不愉快にさせてくるような真似はすまい」

 再びグイッと澄酒を呷る。喉を流れ落ちる清涼感がとても好ましい。濁り酒では味わえぬ爽やかさよ。


 「当面は今川は甲斐・相模と争う暇はない。こちらに矛先を向けてこなければ、それでよし。下手に機嫌を損ねぬように配慮は怠るな」



天文十七年(1548年)七月、駿河国、駿府城、武田信虎――



 「二郎殿、私が拭いてあげます。こちらを向きなさい」

 鼻の頭についた墨。それを娘の於豊が拭いてあげていた。


 「ごめんなさいね」

 「私は気にしておりませぬ。私の事を知れば、本当に字が書けるのか?と疑うのは当たり前ですから」

 しかしなあ、於豊。確かに二郎は素直で真面目な良い子だが、いくら何でも涙ぐむ事はなかろう?聊か、気にかけすぎではないか?

 そこへ於豊の息子の龍王丸が儂に近寄って来た。


 「御爺様、二郎殿はまだ八つと聞きました。なのに、どうして難しい書物を読めるのですか?」

 「二郎は必死になって文字を覚えたと聞いたわ。それから書物を手当たり次第に読んで、文字の知識を増やしたと聞いておる。龍王丸、其方も励むがよいぞ?」

 「はい」

 龍王丸。今年で十になる儂の孫。そして今川家の次期当主。才はあると聞いたが、儂から見ると、どうも芯が細い気がする。もっと心が強くならねば、この乱世を生き抜くのは無理であろうな。

 そんな光景から視線を逸らすと、孫娘に当たる松や福が二郎に構っていた。松は二郎より年上、福は同じぐらいの年頃。遊び相手になるには丁度良いか。


 「ほれ、其方も遊んで来い」

 「はい!」

 於豊が近づいてきた事に気づき、龍王丸を遊び相手として送り出す。そういえば儂は二郎が遊んでいる所を見た覚えがない。たまに昼寝をしている所は見た事があるが。

 遊び方を知っていれば良いのだが。


 「父上。二郎殿は良い子ですね。太郎(武田晴信)もさぞや可愛がっておるのでしょう」

 「次郎(武田信繁)が申すには、かなり可愛がっておるそうだ。ただ溺愛ではないし、二郎も甘えたりはしておらん。そもそもあの年で、親元を離れて寺暮らしを平然と行うぐらいだからな。親離れをするのも早いかもしれん」

 「あらあら。太郎も三条殿も寂しく思うでしょうに」

 母親の三条が、二郎が臨済寺で寝起きする事に対して猛反対した事は儂も聞いている。公家の姫らしいと言えば、らしいが。


 「三条は泣いて反対したというぞ?それも二郎が説き伏せて、毎月一度は帰郷する事を条件にして認めさせたそうだが」

 「それはそうでしょう。まだ八つなのですよ?しかも盲目。母として心配する気持ち、私にも分かります。太郎は何故、止めなかったのでしょうか?」

 「太郎には太郎なりの考えがあるという事だろう。それに二郎が自ら、臨済寺で写本生活を送る事を望んだと聞いておるからな。儂としては、特に責める気は無いが」

 二郎は幼いながらも、自立心が強いように思える。いや、自立心ではないかもしれない。二郎は『写本』という目的の為に、寺生活を望んだのだ。

 まあそれだけでは無いようだがな。次郎もそれについては口を噤んでおった。恐らくは太郎の指示だろう。一体、何を考えておるのやら。


 「それにしても、儂も日々の生活に張り合いが出てきたわ。二郎を鍛えてやるのが楽しみでならぬ」

 「父上、あまり厳しくなさらぬようにお願いしますね」

 「何を言うか、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす、と言うではないか。さすがに怪我を負わせるような事はせぬが、甘えは許さぬ。もっとも、二郎が儂に甘えてきた事など無いがな」

 孫達は輪になって遊んでおる。今は、お手玉をしておるのか?二郎が目を使えぬ為に、激しい遊びは出来ぬからな。


 「寺の食事は質素だが我が儘ひとつ言わぬ。清掃は免除されているが、その間も自室で写本。剣の素振りも毎日行う。あれほど幼いのだ。菓子の一つもねだってくるかと思っていたのだがな。ついついあれの教育に夢中になって、用意しておいた饅頭を無駄にした事があったわ」

 「あらまあ。父上も可愛がるつもりだったのではありませぬか」

 それを言われると、何も言えなくなる。チラッと娘を見れば、口元を抑えながら笑っておった。やれやれ、こんな爺を揶揄って何が楽しいのやら。儂にはサッパリだわ。

 ただ儂も武田家先代当主。さすがに武田家の情報を無節操に流すのは、誇りが許さぬ。寺の陰険爺が知っている事なら何度でも話してやるが、掴んでおらぬ情報を流すつもりはないのだ。

 例えば、二郎が独自の兵法を儂と鍛えている事とかだ。剣の素振り程度なら、寺の坊主も目撃しているから知っている。だが、その剣がどのような意図で鍛えているかまでは分からぬだろう。


 「ただこうして今川家と繋がりが深くなるのは、武田家として悪い話ではない。そうは思わぬか?」

 「はい、私もそう思います」

 しかし分かっている事とは言え、後で婿殿が於豊から二郎の事を訊きだすのだろうな。全く、乱世とは嫌な物だわ。



天文十七年(1548年)七月、駿河国、武田信虎――



 孫、二郎が独自の兵法を身に着けたい。そう申した事から、まずはあらゆる兵法の基本となる足腰の鍛錬を積ませるべく、日課に山の上り下りを取り入れる事にした。

 さすがに儂が手を引く必要はあるが、それでもこの年とは思えぬほどに心が強い。弱音を吐かぬとは、それだけでも評価に値する。

 小さな山だが、頂まで登って降りれば、朝出て昼過ぎになる。それなりに時間はかかるのだ。

 そして何よりの利点は、小煩い監視の目がない事よ。


 「そう言えば昨日、次郎(武田信繁)の使いが儂の所に来たわ。京の権大納言(山科言継)様からでな、いつでもお越し頂きたい、だそうだ」

 「有難い事です。でもそれが終わってしまうと、御祖父様と離れてしまうのが寂しゅうてなりませぬ」

 「おうおう、愛い事を言うてくれるわ」

 恐らく、儂の目尻は下がっておるであろう。だが構わん。二郎が可愛いのは事実だ。

 盲な両目を見るたびに思う。この子こそが武田を継ぐに相応しい、と。だが後を継ぐ事に一番興味が無いのは当の本人なのだ。太郎(武田晴信)の心中、複雑であろうな。


 「二郎や。其方、武田家を継ぎたいとは思わぬのか?」

 「御祖父様。私は兄上を追いやるような真似は致しとう御座いませぬ。私は優しい太郎兄上が大好きなのです」

 「そうかそうか、二郎は良い子じゃ」 

 本当にあの捻くれてしまった太郎の子とは思えぬわ。こっそり次郎が教育でもしておったか?いや、まさかとは思うが、次郎の種ではなかろうな……さすがに考えすぎか。


 「それに私は甲斐の民を助けると誓いました。神仏は人を助けてくれぬ。その事を私は間引かれた赤子――愛を弔った時に理解したのです。だから私は一生をかけてでも、誓いを果たします。それが私の望みです」

 「……うむ、これからも文武に励むがよい」

 はい、という元気な返事に満足する。二郎は真面目で優しい子だ。間引かれる赤子という現実に、妥協ではなく抗う事を選択したのだ。赤子を憐れんだり、目を背けたりするのではなく、犠牲者を増やさぬ事を決めたのだ。褒めてやりたくなると同時に、残念にも思う。不思議な気分だ。

 頂につくと、小腹を満たす為に行動する。

 基本は水菓子――その辺りに自生している物を適当に食べるが、運が良ければそれも増える。今日のように、な。


 「ほう?今日は四尾も入っておったか」

 我が孫は川に仕掛ける罠の知識も持ち合わせておったのだ。竹を使い、魚が中に入ったら外へ出てこられない罠。山を登る途中の川に沈めておくだけという簡単さゆえに、罠猟に関しては素人の儂でも使える代物だ。

 平たい石を俎板代わりに、刀子で手早く捌いて腸を取り出す。その一方で、二郎はそこらの乾燥した枝木を集めて火起こしの準備を整え始めた。こちらに心配かけぬよう、すぐ近くで集めておる。

 捌いた魚を孫に任せると、儂は火打石を取り出して種火を作る。集めてくれた枝木はすぐに燃えだした。


 「二郎?」

 「串に刺し終えてあります」

 「うむ」

 割とまっすぐな枝を刺した魚を受け取り、それを火で炙る。味付けは持ち歩いている塩だけだが、それで十分よ。別に贅沢をしたい訳では無いのだからな。


 「焼けたぞ。食べるがよい」

 「ありがとうございます」

 素直に礼を言う孫の姿に、満足感を感じる。儂も食べたが、いつ食べても旨い物だ。


 「ところで二郎、京へはいつ頃向かうとするかの?」

 「私は秋から冬の頭が宜しいと思います。手土産が腐りにくいですし、何より、新年の祝い事にお使い頂けます。先方も都合が良いとお喜び頂けるでしょう」

 「言われてみればそうじゃな。よし、帰ったら次郎に伝えて、準備をすすめさせるとしようか」

 手土産になるのは澄酒。先日、義元が気に入って飲み始めていたあの澄酒は、太郎の手の者が手を回した者達によって作られている。どうやら婿殿は献上までは頭が回っておらぬようだわ。

 まあ良い。儂が今川の為に動く義理は無いのでな。


 ふふ、面白くなってきたわ。次郎が申すには、甲斐の国は少しだが食料に余裕が出てきたそうだ。加えて、新しい米の栽培方法の導入も近々、決定するらしい。今年の収穫量を比較して、問題なければ導入するそうだ。

 それを提案したのが我が孫であるという事実が末恐ろしい。何でも天神様の御寵愛を受けているそうだが、確かにそうとしか思えぬわ。

 京の北野社からは、ぜひ、二郎に来ていただきたい、という旨の文が届いたとも聞いている。


 「そういえば二郎や。其方、色々な所に文を送っておるようだな。塩梅はどうかな?」

 「はい、思ったよりも反応は良う御座います。先日、帰国した際に安芸国毛利家の小早川又四郎隆景殿、豊後守護大友家の戸次伯耆守鑑連殿からも文を戴きました。すぐに返書を用意して友野屋に託したのですが、やはりこちらの情勢は気になるようで御座いました」

 「そうであろうの。やはり遠い地の情報は、気軽に集められぬからのう」

 逆に、すぐに関わらぬからこそ、情報のやり取りも制限が緩くなる事はあるかもしれん。極端な話、今、大友家で内部分裂が起き始めたとしても、甲斐から侵略出来る訳では無いのだからな。


 「まず毛利家です。小早川殿が申されるには、毛利家当主陸奥守様の亡き御正室である妙玖様の御実家、吉川家で御家の問題が発生。当主は隠居に追い込まれ、新しい当主に陸奥守様の御次男が就かれる事に決まったそうです」

 「荒れておるようだのう。御家の問題ほど、害しか生まぬものは無いわ」

 「陸奥守様はその点について御腐心されておられるようです。常々、亡き御正室妙玖様の事を口にされ、家族の結びつきを強調されておられる、と」

 毛利陸奥守元就。なかなかの傑物のようだのう。噂では、もとは小さい国人領主であったらしいが、その力量は桁外れだったのであろうな。


 「陸奥守(毛利元就)様は、今に至るまで御側室も持たれておらぬそうです。そのせいもあってか、御兄弟揃って、側室は持たれておらぬようです」

 「この乱世にあって、珍しい。血を残すのも当主の役目であろうに」

 「周りも薦めておられるようです。近々、側室を迎えるかもしれない、と小早川殿も申しておりました」

 御家の為とあらば仕方あるまいが、毛利元就、夫婦仲は良かったのであろうな。


 「大友家も問題が起きていたようです。家臣の秋月某という御仁が疑われ、戦になった、と」

 「大友といえば、確か大内とやりあっておった上り調子の家であろうに。そこから離反しようとは、な。それにしても、その戸次鑑連という男はどのような男だ?」

 「元服前の十四で初陣。二千の兵で五千の大内軍に勝利。その後、病没した父の跡を継いで元服後に家督相続。人となりについてですが、とにかく家臣を大事にする方であると感じました」

 ほう?家臣を大事に、のう。


 「武士に弱い者はいない。もし弱い者がいれば、その人が悪いのではなく、大将が励まさない罪による。我が配下の武士は言うに及ばず。下部に至っても武功の無い者はいない。他の家にあって後れをとる武士があらば、我が方に来て仕えるがよい。見違えるような優れ者にしてやろう。そう申しておられました」

 「確かに家臣にとっては仕えやすい主であるように受け取れる。新規召し抱えであっても戦働きを厭わぬであろうな」

 「御祖父様の申す通りです。一方で軍規についてはとても厳しい方でもあられるようで。正直、敵に回したくはないと思いました」

 二郎の言葉に、それは間違いないと素直に頷いた。今の説明を受けただけでも、戸次鑑連という男が有能である事はよく理解出来る。


 「あとは、父上と同じく孫子をよく用いる方だそうです。私にも奇正相生について学びなさい、と教えてくれました」

 「儂もその教えは知っておる。だが言うは易く行うは難し、じゃ。馬謖にならぬよう注意せよ、二郎」

 「はい。孔明の弟子の馬謖ですね?」

 おや、三国志にも目を通しておるのか。我が孫ながら、ようもたくさんの書物に目を通しておるものだ。


 「そういえば、其方の方からはどのような事を文に書いて送っておるのだ?」

 「この前書いた内容は、私が雪斎禅師の寺に居候して写本三昧の生活を送っている事。甲斐は今年も不作である事、です」

 「よく太郎が許したな。弱みを見せてどうするつもりだ?」

 これには怒りを通り越して呆れを感じたぞ。太郎め、弱みを見せてどうする!


 「これは父上や勘助と相談してわざと書き込みました。目的は甲斐の米の値段を下げるのが目的です」

 「何故、そうなる?」

 「この情報、確実に博多の大商人である神屋、島井に流れます。特に島井は大友家の御用商人。ここぞとばかりに甲斐に米を売ろうとするでしょう。ですが駿河には友野屋がおります。友野屋、神屋、島井が互いに甲斐へ米を売ろうとすれば、どうなりますか?」

 笑った。おおいに笑わせて貰った。確かにその通りだ。弱みを逆利用してみせたか。大量の米が駿河に集まれば、間違いなく価格は下がる。下手をすれば暴落するだろう。今川も友野屋も、顔を青ざめさせるだろう。


 「父上には安値で米を買い付け、備蓄以外の余った米で澄酒を造って販売するように提案しました。父上も乗り気でした。これで甲斐の金を回収できると」

 「二郎、まさかとは思うが、他にも流したのではあるまいな?」

 「はい。堺にも。三好家の松永弾正殿を通じて」

 笑い死ぬかと思ったわ。あくまでも教えるのは甲斐が不作だという事。ただそれだけだ。それをどう判断するかは商人次第。たまたま商人同士が駿河や甲斐でかち合うだけ。

 そして貧しい甲斐にとっては、米の相場は暴落してくれた方が有難いぐらいだ。そうすれば、どれだけ大量の米を備蓄できる事か。

 ……ふむ、二郎を試してみるか。


 「二郎よ。其方に訊ねる。米の価格が暴落する。そうなると家中の者が米を売って銭を得る際に不利になるな?その点は考慮したか?」

 「はい。問題御座いませぬ。米の価格が暴落するのは、米が有り余っている為です。それを買い占めて蔵に収めてしまえば、米屋の蔵から米の在庫が減る。その結果、米の価格が上がりだす事になります。父上達とも話しましたが、予想では冬に入る前に暴落し、年明けから上がりだすだろうと申しておりました。私も同じように考えております」

 「それまでの間はどうするつもりだ?」

 「そこは武田家から銭や甲州金で補填致します。米を売るのは春まで辛抱だ、と。補填に使用する甲州金や銭は、先ほどの澄酒を造って販売する事で、時間をかければ十分に回収は可能です。時間だけは山ほど御座いますから」

 なるほど、確かに考えておるようだな。仮に米の価格に不満があるなら、売らずに持ち帰ればよいのだ。別に文句は無い。それでも例年通りの価格のままなのだからな。武田家が損することは無い、か。


 「それに友野屋には父上が材木を売る様に依頼をしております。当然、商人達はその事を聞いているでしょう。そして友野屋が甲斐の材木販売を事実上独占するであろう事も。その状況を他の商人達が是と認めるでしょうか?」

 「もうよいわ。二郎、ようも考えたものよ」

 全く。我が孫ながら末恐ろしいわ。だが、この才は今までの武田家には無かったものである事は間違いない。噂に聞く山本勘助や真田幸隆、今川で辣腕を振るう生臭坊主ともまた違う才だ。


 「京へ向かうのを秋の収穫頃にした理由の一つでもあります。そのままいれば針の筵状態になりますから。武田の子倅からの文で、甲斐が不作だと聞いて米を売りに来た。そんな事を多くの商人に言われては、余計な事をと考えるでしょう」

 「なるほどな。それで上京を口実に自然といなくなるか。いなければ文句のつけようもない」

 「はい。なのでそれまでに写本を全て終わらせるつもりです」

 楽しみだ、実に楽しみだ。こうも孫の成長を楽しみにする日が来るとは、夢にも思わなかったわ。


 今回もお読み下さり、ありがとうございます。


 今回はちょっとした策略回になります。本編を呼んで頂ければ分かりますが、一つは甲斐のお米相場大暴落大作戦の仕込み。もう一つは・・・気づいた方は凄いと思います。ヒントは出ているんですが、ネタバレは少し先になります。良かったら考えてみてください。


 それでは、また次回も宜しくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 魚を捌くには脇差では大きすぎるような気がします。 小柄か刀子の方が無難に思います。
[一言] 〉いや、まさかとは思うが、信繁の種ではなかろうな……さすがに考えすぎか。 思わず茶を吹くとともに「確かに」と思ってしまったwww
[良い点] 今更ですが信虎お爺ちゃんに一つ。信玄があー成ったのは絶対あんたのせいだよ!
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