加賀国編・第九話
加賀国編・第九話更新します。
今回は新年の評定(裏)になります。後はそれに付随する形での外交話です。
永禄三年(1560年)一月、越前国、一乗谷城、武田信玄――
評定の間から離れた俺は、予め決めておいた別室へと移動した。後ろには弟達が続いている。途中、二郎の娘である月が、火鉢の用意された部屋で乳母にあやされている声を耳にしつつ、別室へと入る。早く仕事を済ませて、孫娘の月をあやしたいが、それは我慢だ。まずは問題解決が優先よ。
この謀議に参加するのは、太郎(武田義信)、二郎(武田信親)、信繁、勘助、弾正(真田幸隆)である。
二郎の案内役であるゆきは退室した。此度の謀議の間は、月のいる部屋で待機だ。
「さて、始めるとするか。まずは二郎、其方が相談したいと申していた事について聞かせるがよい」
二郎が暮れにここへ来た際、評定の後で相談したい事があると告げたのだ。故にこうして時間を割く事にしたのである。
皆も、しっかり聞く態勢に入っている。実に喜ばしい。
「銭の問題です。結論から申しますと、単純に流通している明銭の数が足りていないので御座います。実際に町の商人や民に確認もしたのですが、銭が無い為に物々交換を行う時もあるとの事で御座いました」
「ふむ、それは厄介だな」
「なるべく交易を通じて明銭を入手しておりますし、流通させるべく使ってもおります。苦肉の策として、納税を物品にした事も御座いました。しかし、このまま放置し続けておいてよい問題でもございませぬ。何より、帝もこの問題には興味が御有りのようです」
帝が?どうして帝が銭に関わってくるのだ?
こう申しては何だが、ある意味、銭勘定とはもっとも縁遠い御方であらせられるのだぞ?
「どういう事だ?」
「情報元は目々典侍様です。以前、後奈良帝の御大葬の儀を始めとして、多額の献金を三好は行っております。我ら武田家も行っておりますが、問題は鐚銭の多さです。献金された銭を見て、帝が嘆かれたそうで」
「なるほどのう。確かに鐚銭ばかり献金されては、帝もお辛かろう。使えはするが、良い気にはなれぬであろうな」
もしかしたら鐚銭に衰えた朝廷の有様をお感じになられたのやもしれぬな。或いは日ノ本の現状か。どちらであれ、吉兆とは思えなかったのは間違いない。
チラッと見やれば、皆も思い思いに頷いていた。
帝の心中を慮ったのであろう。
「そこで神屋が加賀へ来た時に、理由を知っているか尋ねてみたのです。そもそも日ノ本で銭を作らなくなったのは何故なのか?その理由について教えてくれぬか?と」
「確かにそうだな。俺も和同開珎の名ぐらいは知っているが。何故、消えてしまったのだろうな。考えてみると不思議な話よ」
「仰せの通りに御座います。その理由は二つ御座いました。一つは銅の不足。最後に銭が鋳造された平安の御代は、銅の精錬技術が未熟であった為に、製錬可能な銅が枯渇したそうです。もう一つの理由は、銭に関する失政が原因との事です」
失政?そのような事が有ったのか?
それは是非とも、知らねばならぬ事だ。これには皆も興味を惹かれたようだ。
武田家が同じ轍を踏む訳にはいかんのだからな。こうして真剣に受け止めてくれる者達が、もっと家中に増えてくれると良いのだがな。
「和同開珎以来、皇朝十二銭と呼ばれる銭が作られました。問題は新しい銭が発行されると、その銭の価値は古い銭の十倍の価値を有するとされたそうです」
「それでは銭が普及する筈が無いわ。銭を融かして銅塊にするのは当然よ」
「まさに仰る通りの事が起きたそうです。結果、銅銭は民からの信用を無くし、大陸の銭が流通し始め、今に至る、という流れであるとの事で御座いました」
失政以外の何物でもないわ。どう考えても政の素人が決めたとしか思えぬ愚策よ。まさかとは思うが、問題解決の為に加持祈祷などしてはおらぬだろうな?
……やっていそうで怖いわ。
神道は万物全てに神が宿っているという考えだ。銭にも神がいるのだから、加持祈祷をすれば解決する、そう考えてもおかしくはない。
「そこで考えたのですが、帝の名のもとに皇朝銭と言うべき物を作るべきではないか、と。和同開珎は律令に基づいて作られました。故に過去の歴史となった皇朝十二銭に続く物を鋳造し、日ノ本全土に広めるのです。これにより朝廷の権威、存在感を日ノ本に改めて広めます」
「それは相対的に見て、幕府の権威が下がる事になるな」
「それも御座います。他には百枚鋳造したら十枚を朝廷に納めるようにするのです。そして鋳造は朝廷に命じられた者―かつて鋳銭司と呼ばれた令外官の一つが行います。まずは三好、六角、武田の三家が鋳銭司に命じられて鋳造を請け負います。そして材料は鋳造する御家が負担します」
ふむ、なかなか面白き案ではないか。三好は乗るだろうな、財源確保、公方の権威低下。どうみても旨味が多い。六角も噛んでおいて損は無いだろう。何より朝廷の収入が増える。
これは朝廷に対して大きな貸しを作れるな。
「名称は皇朝一銭。価値は流通している物と同じと致します。可能であれば皇朝十銭も作りたい所です。材料の銅の比率は考えねばなりませぬ。また鐚銭が出ぬよう、刑罰の規定も作らねばならぬでしょう。銭の鋳造を朝廷から命じられるという形式をとっているのも、そこに理由が御座います」
「なるほどな。だが二郎よ、其方がそれだけで済ませるとは思えぬがな?」
「はい。仰せの通りに御座います。ここから先は武田家のみの秘事となります」
それよ。それを期待していたのだ。我が荀彧、その智謀を見せて貰おうか。
勘助も信繁も弾正も、待ってましたとばかりに笑みを浮かべておるわ。やはり知恵者だけの事はある。
出来る事なら太郎にもそうなって貰いたいが、まあ太郎は今のままの方が良いかもしれんな。知恵働きは二郎に一任させ、太郎は家臣を引き付ける事に専念させるか。
「まずは他二家に知られても問題のない、囮と呼ぶべき策です。古すぎる銭や鐚銭を集めて鎔かし、他の金属を混ぜて嵩を増やし、それを材料として皇朝銭を作る。これは一番楽です、確実に三好や六角も真似をするでしょう」
「そうだな。だがそれは囮なのであろう?」
「はい。それを隠れ蓑として、真の策を同時進行で行います。武田家は銅鉱石を採掘して銭を鋳造します。その理由、それは銅鉱石精錬の際に生じる『金銀』の確保になります」
何だと?銅の中に金や銀があると言うのか!勘助を見たが、動揺しておるな。信繁や弾正も目を丸くしておる。どうやら、この三人ですら知らぬ知識か。
これは、まさに三好や六角に知られてはならぬ秘事よ!
三人に目配せするが、さすがは知恵働きを得手とする者達。俺の思惑に気づいたのだろう。しっかりと頷き返してきたわ。
「二郎、ちと訊ねる。明銭からも金銀は確保できるのであろうな?」
「残念ながら不可能に御座います。明では銅から金銀を取り出すのは当たり前なのです。その上で銭を鋳造しております」
「そうであったか。それは残念な事だわ」
それにしても銅から金銀が採れるとはな。そして明はそれを知っていた、という事か。
……待て。
「二郎。以前に商人から聞いた事がある。明は銅を高く買い取ってくれる上得意だと。まさかとは思うが」
「御考えになられた通りで御座います。日ノ本の銅の相場以上、採取出来るであろう銀の相場より下。この価格帯で買えば、明側が損をすることは無い。そういう事で御座います。故に御屋形様。他国で銅鉱石を売りに出した場合、それを武田家で購入する事も併せて献策致します。銭は金銀を搾り取った銅塊から、幾らでも作れます」
「うむ。これはしっかり対応しなければならぬな。分かった、銅の確保は任せよ。信繁、弾正、後で詳しい事について話をするぞ」
それにしても、知らなかった事とは言え、惜しい事をした物だ。明はさぞや笑いが止まらなかったであろうな。
だがそれもここまでだ。これ以上、金銀を明には流させぬ。
信繁には畿内を中心に銅を買い占める者達の編成、弾正には信濃・飛騨での有望な銅鉱山の探索を行わせねばならんな。
「確保した金銀は蓄えておき、ここぞという時に使います。出来れば、皇朝銭の上をいく高級貨幣を鋳造したい所で御座いますが」
「良き案よ。銅銭だけでなく金貨銀貨も鋳造すれば、武田家の影響力は確実に増す事になる。主上の覚えも良くなろう」
「仰せの通りで御座います。その上で一つ小細工を弄します。武田家が鋳造した銭については、側面に小さく武田菱を刻印し、金銀を採取する為の、再鋳造の必要が無い事の証と致します。出来れば他の二家が銅鉱石を率先して採掘して鋳造してくれれば、それを再鋳造して金銀を確保する事が出来ますが、こればかりは二家の状況次第。率先して銅の採掘に力を入れるよう、策はこれから考えます」
これは早急に話を進めたい所だ。銭不足を解決しつつ、金銀を確保する。将来的に銭が余ってくれば、相対的に金銀の価値が上がる事になる。貯えが大きいほど、強みを発揮するだろう。太郎を見るが、力強く頷き返してきた。信繁に勘助、弾正も賛成か。ならば問題は無かろう。
武田本家の重要事項として、俺自ら指揮を執るか。太郎は当主として戦場に立つことが多くなるからな。それを考えれば、俺の方が都合が良いかもしれん。
「次に要となる技術『灰吹法』について二つの献策を行います。一つは本家で管理する事。二つ目は戦で歩けなくなった、或いは歩行が困難になって生活に苦しむ者達に習得させる事に御座います」
「待て待て、少し考えさせよ……なるほどな、実に良き案だわ」
理由は二つ。一つ目は戦で生活の糧を稼げぬ者達への新たな仕事として提供する事。これは武田本家としても非常に有難い。傷病兵を手厚く遇する。間違いなく民の武田家に対する評判は向上する。
二つ目は技術漏洩の難しさ。歩けぬ者、歩行が難しい者を連れて行くのは、かなり難しい。加えて目立つ。つまりは武田家の外へ漏れにくい、という事を意味する。
仮に三好家や六角家が真の策に気づいて灰吹法の技術者を連れて行こうとしても、そう簡単にはいかないという事だ。
「ただ灰吹法には健康を損なう、という欠点も御座います。故に日に三刻ほどが限界になりましょう。その辺りの匙加減は、現場で管理をお願い致します」
「分かった。その辺りは何とかしよう。貴重な技術習得者を簡単に使い潰すのは愚の骨頂よ。それが武田家の為に名誉の負傷を負った者であれば、猶更だ」
これは良い。この話、是非とも進めねばならん。
金銀の確保だけでなく、常備兵達の忠誠も手に入れる事が出来る。
何かあっても武田家で新たな生活の面倒をみてくれる。その安心感があれば、兵は武田家の為に、より一層働いてくれるだろう。
「二郎、話を進めて参れ」
「心得ました。雪解け後に、両家に出向いて話を通して参ります。そして朝廷には御屋形様や大御屋形様から御祖父様経由で山科権大納言様を通して事情と思惑を説明。その上で三家合同で進言する形を取りたく存じます」
「良かろう、朝廷に関しては俺が動いておく。条件は先ほどのままで構わん」
三好に六角、我が荀彧の仕掛けた策、果たして見抜けるかな?
永禄三年(1560年)三月、摂津国、芥川山城、松永久秀――
三月となり、雪がかなり融けてきた頃。まさかの使者を迎える事になった。
時折、寒い風が吹きすさぶ中、武田加賀守信親殿が側室のゆき殿の案内を受けて、修理大夫(三好長慶)様を訪ねてきたのである。
今回はどんな思惑があるのやら。それは修理大夫様も同じであったのだろう。新年の挨拶もそこそこに、すぐに話を切り出された。
ただ切り出した話題は、全く別の物であった。
「やはり加賀守殿は無事であったな。昨年の秋頃だったか。加賀守殿が暗殺されたという噂が飛び交っておってな。そんな馬鹿な話があるまい、と思っておったのだ」
「ああ、アレで御座いますか。暗殺されかけたのは事実で御座います。実際、某の用意した囮に種子島を撃ち込まれましたからな。下手人はすぐに逃走。故に、殺したと思い込んで命じた者に報告。それが広まったので御座いましょう。噂の出処は石山では御座いませぬか?」
「何と、そこまで見通しておったとは。という事は下手人は石山であったのか」
「仰せの通りに御座います。杉谷善住坊とかいう石山の坊主らしいですな」
修理大夫様がわざとらしく手で目を隠し、大きなため息を吐かれた。
お気持ちはよく分かる。敵は皆殺し、を有言実行している加賀守殿だ。その加賀守殿暗殺に失敗し、なおかつ名がバレていては辿る未来は決して明るくはない。
馬鹿な事をした物だ、と呆れられたのだろうな。
「加賀守殿。先程は囮、と申されておりましたが、襲撃を予想しておられたのですか?」
「筑前守(三好義興)殿の仰る通りで御座います。某が主上の娘婿になる事が公になりました。であれば、某を弑するなら今の内。そう考える者がいてもおかしくありませぬ。特に某に恨み骨髄な一向衆は特に。違いますかな?」
「いや、真にその通り。さすがは今荀彧と謳われるだけの知恵者ですな」
修理大夫様の右側に着座されていた筑前守様が加賀守殿を褒められた。
そういえば修理大夫様は筑前守様にもうすぐ家督を譲られると仰せになられていたな。であれば筑前守様が外交の場で当主として受け答えする事も増えていく事になる。時には今のように煽てる交渉術も身に着けておくに越した事はないだろう。
問題は目の前の御仁に、それが通じぬ事なのだが。まあ何事も経験だ。後で修理大夫様が教えられるだろう。
「三好家当主として、加賀守殿の無事が確信出来た事を素直に喜ぶとしよう。それで加賀守殿、此度はどのような用件で来られたのかな?」
「はい。此度は三好家に一枚、噛んで戴きたい策があり、伺わせて戴きました」
「ほう?是非とも聞きたい。それで、どんな内容なのかな?」
ズズッと修理大夫様が身を乗り出される。それにしても、修理大夫様は加賀守殿の事をよほどに気に入っておられるようだな。
それだけ加賀守殿の力量と気概を買っておられる、という事なのだが。
「武田家、三好家、六角家の三家合同で銭の鋳造を行うのです」
加賀守殿の説明に、修理大夫様はもとより、重きを成す重臣の方々も重々しく頷かれた。
「なるほどな。確かに主上は日ノ本の荒れように、御心を痛めておられる。その事を考えれば、銭の鋳造は必要ではある。だがなあ……」
「無論、三好家にとっての利も考えて御座います。皆様方には、漏らさぬよう御協力をお願い致します。愚か者の耳に入ると、室町第が騒がしくなりますので」
ブフウッと噴き出す重臣一同。加賀守殿が愚か者と評し、室町第が騒がしくなるような存在は一人しかおらんな。
修理大夫様も思わず笑ってしまわれたようだ。
「相変わらずだな、加賀守殿は。まあ良いわ。どうやら面白い事になりそうだからのう?」
「期待にはお応えいたします。まず三家揃って、鋳造司の御役目を帝より直接、拝命致します。そして百枚鋳造毎に、十枚を朝廷に献上。材料となる銅は三家で自己負担。修理大夫様、三好家の利、お気づきになられましたか?」
「流石に理解出来たわ。帝からの信任。三好家の影響力の増加。一方で公方は蚊帳の外、という訳であろう?」
加賀守殿が頷かれる。これは見事な策。公方はますます諸国に対する影響力を失っていくだろう。
その一方で三好家は帝から信任を得られるのだ。
これは力の無い公方には、決して実行できぬ方策。是非とも一枚噛むべきだ。
「武田家としては領内の銅鉱山を開発して、本格的に鋳造を行うと大御屋形様は仰せに御座いました。三好家でも本格的に銅鉱山の開発に取り組まれては如何で御座いましょうか?」
「問題は鉱山師よ。開発するのは構わぬが、情報が漏れるのは困る。特に流れの鉱山師を雇った日には、な。加賀守殿、何か案は無いかな?」
「あると言えば御座いますが。武田家は甲斐時代から鉱山師を抱えて御座います。故に一つだけ条件を飲んでいただく代わりに、鉱山師を三好家へ送りましょう」
さすがに修理大夫様も考え込まれるか。
だが加賀守殿は即答を返された。これは、こういう事態を想定していた、という事になる。
となると、さすがにこちらが飲めないような条件を出してくるとも思えんが。
「どのような条件かな?」
「鉱山師の身の安全の保証。彼らは武田家を支えた功臣に御座います。それを粗略に扱われては、彼らに対して申し訳が立ちません。故に武田家の顔を立てる意味でも、彼らを厚く遇して戴きたい。勿論、鉱山の情報を流す様な真似をしたのであれば、話は別で御座いますが。例えその相手が武田家であったとしても、で御座います」
「ふむ、悪くはない条件よな……弾正(松永久秀)、どう思う?」
これは答えねばなるまいな。
「然らば。まず受け入れる事には賛成で御座います。条件としてもこちらにとって、大した負担にはなりませぬ。ただ気になる点は、武田家の利に御座います。あまりにも三好家にとって美味しい話。別に疑うつもりは御座いませぬが、少々、その点だけが気になり申します」
「武田家としては、三好家と今後も末永くお付き合いしていきたいと、大御屋形様は仰せになられました。今はまだ問題御座いませぬが、この先、どうなるか分かりませぬからな。弾正殿。こう申しては失礼かもしれませぬが、三好家と武田家と六角家、今は均衡が取れて御座います。しかし、その均衡が崩れる可能性が御座います。故に、予め友好関係の維持を目的として次の手を打っておく。ただそれだけで御座います」
「そういえば、少し前に観音寺城で騒ぎがあったと伺いましたが?」
加賀守殿は頭を左右に振りながら、小さな溜息を吐かれた。
これは六角家に不安有り、という事か。調べておいた方が良いかもしれんな。
修理大夫様もその事にお気づきになられたようだ。何度も頷いておられる。
「話は分かった。その条件を飲もう」
「心得ました。では武田家から鉱山師を数名、送らせて戴きます。彼等には今後は三好家を主として働くよう、しっかり念を押しておきます。今後も三好家と武田家、両家が共に栄える事を願います」
「うむ。こちらとしても武田家との全面衝突は望んでおらぬ。今後も仲ようしていきたいものだ」
これで話は成立、という所か。まずは一安心だが。
「ところで話は変わりますが、武田家は春になったら丹後へ攻め込むつもりでおります。息を合わせて、三好家は丹波に攻め込むつもりは御座いませぬか?」
「ほう?だが悪い話では無いな。丹波は波多野家といい国人衆といい、実にしぶとい。だが丹後が危ういとなれば、丹波北部の国人衆は動きに制約がかかるな。少なくとも背後を気にせず、とはいかぬか」
「某の見立てでは、一色家の援護の為に山名が介入してくると読んでおります。四職の一色家、山名家を倒せば室町の権威は更に落ちる。その為には丹波に背後を突かれたくない物で御座います。つまり丹波・丹後同時侵攻は双方に利が御座います」
確かに良い攻め手よ。以前、話に聞いた美濃・尾張同時侵攻を思い出す。
あの攻めは武田と六角の手で行われたが、もしかしたら発案者は加賀守殿かもしれんな。
だとすれば、加賀守としては十分に勝算あり、と見ているのだろう。
「分かった。その話、乗るとしよう」
どうやら修理大夫様もお気づきになられたようだ。
さて、こうなると先陣を務めるのは弟の甚助(内藤宗勝)になるか。
甚助も丹波に侵攻しては、何度も手を焼かされている。今までの分、名誉回復が出来るように知恵を貸してやらねばならぬな。
永禄三年(1560年)三月、近江国、観音寺城、蒲生定秀――
冬も終わり、梅の花が咲く頃、六角家の誰もが予想しえなかった客人が来られた。名は武田加賀守信親殿。かつてのように、側室のゆき殿に案内されての来訪である。
加賀守殿といえば昨年の秋頃に暗殺されたという噂が流れた事があった。
それを案じた御屋形様が次郎様を通じて文で安否を確認させた事を思い出す。その時はすぐに状況を説明した文が返ってきた為、六角家は噂に戸惑わずに済んだのだ。
そんな危機を乗り越えられた加賀守殿に、御屋形様(六角義賢)はすぐに会うと仰せになられた。と言うのも、以前の上洛の際の負目が有るからだろう。
謁見の間には上座に御屋形様。その右側、下座から見て左側に右衛門督(六角義治)様、反対側に次郎(六角義定)様が着座されておられた。
まだまだ寒さを感じる日も偶にあるが、今日は降り注ぐ陽光のおかげで実に過ごしやすい。そのせいか、この場に居られる方々は、皆表情が緩んでおられた。
「それにしても、まさか自ら来られるとは思わなかった。何か起こったのかな?」
「左京大夫様の仰る通りで御座います。とは言っても良き事なので、御心配はいりませぬ。武田家である策を講じましたので、六角家にも一枚、噛んで戴けぬかと考え、伺わせて戴きました。某が伺ったのは、発案者である為です」
「なるほどな。それなら話が早い。是非、伺うとしよう」
御屋形様はしっかり聞く態勢に入られた。次郎様も加賀守殿からの文で多くの事を学んでいるからだろう。御屋形様と同じく、しっかり話を聞こうとされておられる。
右衛門督様は、まあ話を聞くだけマシか。せめて顔に不満を浮かべるのは止めるべきなのだが……まあ良いわ。御屋形様が御健在の間に、より成長を果たして頂けばよい。
「此度の訪問は、武田家、三好家、六角家の三家合同で、新たな銭の鋳造を行うという物で御座います」
加賀守殿の説明に、御屋形様は真剣に考え込まれた。腕を組まれ、天井を睨みつけながら唸り声を上げられる。
「朝廷の台所事情の苦しさは有名であるからな。それをお助け出来るのであれば、主上の御心を少しは御慰めできるだろう。だが問題がある」
「お伺いいたします」
御屋形様はうむ、と頷かれる。
加賀守殿を高く買われているのが御屋形様だ。問題を解決する相手として、最良と判断されたのかもしれぬ。
「六角家領内では銅が採れぬのだ。こればかりは、どうしようもないわ」
「確かに、当てもなく探すのは時間の無駄に御座いますな。であれば、銅を買ってくるという方法になります。ここからですと備中の吉岡銅山でしょう。銅を買い取る、となれば喜んで売ってくれるでしょう」
「備中か……誰か、備中の現状について知っている者はおるか?」
御屋形様の仰せだ。儂が知っている事。そうだな、備中といえば守護は細川氏。だが守護代や有力国人衆が力を増し、今は三村家が治めていた筈だ。
「現在は三村家が治めております。確か毛利の後押しがあったという噂は聞いて御座いますが」
「但馬守(後藤賢豊)の話が事実であれば、三村家は所領拡大に熱心でも不思議はない、と言う事か。ならば銅を買い取ると言えば話ぐらいは聞くかもしれんな。少なくとも、門前払いはされんだろう」
戦には銭と米は必須になる。であれば、手元の銅を売る、という選択肢は十分に考えられる。それに鉄と違って、銅は戦に必要とは言い難い代物だ。銅を売った所で、自分が不利になる、という事は考えにくい。それも買い取る相手が、遠く離れた近江六角家となれば、猶更だ。
「御屋形様。鋳造した銭で米を安く買い上げ、それを銅と交換すると言う方法も御座います。幸い、隣国の南伊勢は戦も暫くなく、米の値は落ち着いていると考えられます」
「それも有りだな……分かった、加賀守殿の策に乗るとしよう」
「お待ちください。その前に一つだけ、確認したい事が御座います」
右衛門督様か。また妙な事を言い出さなければ良いのだが。
御屋形様も、微かに眉を顰められたが止められるつもりはないようだ。
「加賀守殿、此度の件、何故公方様を排除されたのですか?公方様を通じて朝廷に献上するのが筋では?」
「それをすれば、手元に残る銭は無くなるでしょうな。朝廷にも殆ど銭は献上されぬでしょう。先帝の御大葬から今上帝の御大典に至るまで、必要な銭を出し渋ったのが何方なのか、右衛門督殿も御存知の筈」
確かに加賀守殿の申された通りだ。公方様が朽木谷にいた頃、帝の助けに応じられたのは三好家であり、公方様では無かったのだ。
さすがに加賀守殿が申したような浅ましい真似をされるとは考えたくもないが、その疑いを持ってしまっては、公方様を通したい、とは思えなくなる。
それに六角家は先の上洛で、やっと公方様と縁を絶てたのだ。それをわざわざ蘇らせようなど、絶対にするべきではない。これ以上、公方様の良いように使われるのは御免だわ。
「右衛門督様、今、公方様と縁を繋ぐような真似をすれば、六角家は公方様の良いように使われて御家は滅びの一途を辿る事になります。今は御家存続を第一に考えるべきで御座います」
「……好きにせい!」
「義治!」
ああ、御客人の前で癇癪を起すとは、実に頭が痛いわ。
少しは次郎様を見習って欲しいものだ。
丁度、その時だった。その次郎様が発言をお求めになられたのは。
「父上、某も加賀守殿にお尋ねしたい事が御座います。発言をしても宜しゅうございますか?」
「ふむ……良いかな、加賀守殿?」
「構いませぬとも。それで次郎殿は何を尋ねたいのですかな?」
右衛門督様の時より、加賀守殿の声色が柔らかく感じる。文の遣り取りがある分、親近感を感じておられるのかもしれぬな。
次郎様が元服なされたら、武田家との窓口は次郎様に受け継いで頂くのも良いかもしれん。
「此度の件、三家合同にした理由で御座います。武田家単独の方が都合が良かったのではないのでしょうか?」
「確かに次郎殿の申される通り。正直に言えば、武田家単独で行っても構わなかったのです。ただそれをしてしまうと、要らぬ事態を招きかねない。そして三家合同で行えば、市中の足りない銭を早く補う事も出来る。帝の御心もお慰めし易くなる。ならば手は多い方が良い。違いますかな?」
「そういう事で御座いましたか。御返答いただき、忝う御座います」
悔やまれる、実に悔やまれる。
次郎様が嫡男であったのであれば。心の底からそう思う。
だが天は右衛門督様を嫡男とされたのだ。どうした物か。御屋形様が右衛門督様を廃嫡なされるとは思えぬし、やはり右衛門督様の成長を願うしかないのだろうか?
「武田家としても六角家には近江国の支配体制を盤石にして戴きたく存じます。此度の銭の鋳造は、その為にも使えましょう。某も忙しくなります。出来る事なら、体がもう一つ欲しいぐらいで御座います」
「それだけ大膳大夫(武田信玄)殿から頼られているという事ではないか。まさに嬉しい悲鳴ではないのかな?」
「左京大夫様。ここだけの話、大膳大夫様は人使いが荒いのです。某としては、もう少し娘を可愛がる時間が欲しいぐらいなのです。何度、あの綺麗に剃り上げて陽光を反射するほどにツルツルしている頭を、煙が出るほどに磨いて差し上げようかと思った事か」
加賀守殿の冗談に、御屋形様が笑われる。皆もそうだが、笑っていないのは二人。
一人は右衛門督様。まあこちらは言うまでも無い。
もう一人は次郎様。こちらは呆気に取られておられる。恐らく次郎様は冗談ではなく、不満と捉えてしまったのかもしれんな。
まあ御年を考えれば経験が足りぬのは当たり前。
この先、こういった冗談にも卒なく対応できるようになられるだろう。
「大膳大夫殿には内緒にしておこう。加賀守殿が排斥されては、六角家も困るわ」
「おや、これは弱みを握られてしまいましたかな?」
「何を言うのやら。そのような事、欠片ほどにも思うておらぬくせに」
御屋形様と加賀守殿が互いに笑いあう。
ああ、このような関係が次代も続けば良いのだがな。
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
まずは評定(裏)から。
目的は流通している銭の総数UP。ここで主人公、甲斐時代に研究させていた灰吹法(甲斐国編第八話)を追加して、武田家だけ金銀確保と言う利益確保に走ります。
ただ問題は、三好、六角にも銅の採掘をやらせたいけど、どうしようか?という点。
次は三好家訪問。
まずは主人公暗殺未遂事件から。三好家は『そんなんデマだろ』と取り合いませんでした。結果としては正解だったわけですけどね。
そして本命の銅確保。三好家には『鉱山師』譲るよ。だからこれからも仲良くね、六角は危ういからさ、と丸め込んでます。丹波と丹後も分け合いましょうよ、という所。国の価値としても丹波>丹後ですからね。それは三好家が噛んできても不思議はない。。
次は六角家訪問。
こちらは主人公暗殺未遂事件については、手紙で確認をとってます。
本命の銅確保。六角家には銅の採掘出来ないなら、備中で銅を買ってくれば大丈夫!銭は作れるし、という感じです。
これで両家の鋳造した銭を回収⇒鋳鎔かして金銀回収⇒再鋳造(武田菱刻印)の流れが見えてきました。鐚銭の再鋳造も有るので100%の回収率とは言えませんけどね。
話は変わって次回です。
次回は今回の続き。あとは北近江の事も少し書くかもしれません。
それでは、また次回も宜しくお願い致します。




