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雷鳴編・第五話

 雷鳴編・第五話、更新します。


 今回は摂津国が舞台になります。


 ちょっと私的な事を報告。


 ①年始早々更新延期しておりましたが、どうも治りが悪いので病院で検査しました。

 『喘息ですね』

 ……マジですか?とりあえず薬漬け生活の始まりですw


 ②最近、同人作品の銀河うまぴょい伝説にハマりました。

 押しは

 ☆LEDトリューニヒト(名前出さないと誰か分からんw)。

 ☆可愛いカレンちゃんにお兄ちゃん呼びされてる石器時代の勇者と、ライス嬢に『おじさま』呼びを強制されてる自分を比較して、ガチでショックを受けてるヘテロクロミア。

 ☆マーちゃんのトレーナーになってしまったヴェスターラント出身の無名の男(カイザー暗殺しようとした方)


 ちなみにナリタタイシンのトレーナーはルイ・マシュンゴ准尉が良いと思います(最終巻でユリアン守って死んだ護衛の黒人青年)。

永禄九年(1566年)八月、摂津国、野田村惣道場、顕如――



 静かな、そして小さな村。だが、そこに住む者達は、額に汗水垂らして、日々を懸命に生きている。

 そしてかくいう私も、その一人として生きている。

 かつての石山とは比べようも無い程に小さな寺。その広さは、かつての石山にあった無数の部屋を二つか三つ、くっつけた位。更に付け加えるなら、その広さが寺の敷地全ての広さであるのだ。


 かつて石山に寝起きしていた頃の私を知っている者が見れば、どういう反応をするだろうか?指を指して嘲笑するか、それとも怒ってくれるか……

 正直、私には分からぬ。ただ、こう思うのだ。嘲笑してくれる方が、どれだけ気が楽だろうか?と。

 何故か?答えは簡単だ。私を嘲笑する限り、誰も私を神輿に担ごうとはしない。それは御仏の教えに忠実な門徒達の命を守る事に繋がる。そう考えれば、私が周りにどう思われようとも、それで良いではないか、と思えるようになったのだ。


 私の思いが通じたかどうかは分からぬが、私の周りは静かなままであった。

 この日も小さな畑を手ずから耕し、額の汗を破れかけている手拭いで拭い、フウッと一息いれる。

 ……何と無しに掌に視線を落とす。ここにきて三年、鍬を持つ手からは痛みは消えてしまったな、と改めて気づかされた。初めの頃は肉刺が爆ぜ、痛みに顔を顰めていたと言うのに。ただそれに気づく事が出来たのも、全ては石山を失ったからこそでもある。


 お天道様が中天に差し掛かる頃合い。

 これからが最も暑くなる。水を飲んで畑を耕すのも良いが、そればかりにかまける訳にはいかぬ。何故なら私は住職でもあるからだ。

 暑さが和らいでくる未の刻までは、住職としての責務を果たす。それが私のやるべき事。忙しくは有るが、民に交わって生きていくなら他に選択肢は無い。この寺の中でふんぞり返って日々を過ごしていれば、間違いなく私は門徒達から見限られるだろう。


 その事を敢えて言わずとも、祖母(慶寿院鎮永尼)は察してくれた。祖母も私のように、『出来る事は自分が』と食事や掃除を率先して請け負ってくれているからだ。

 最初は祖母に出来るのだろうか?と考えたりもしたのだが、すぐにそれが誤りであると思い知らされたものである。祖母も最初は苦労していたようだが、信心深い門徒達から教えて貰う事で、あっという間に手際よくこなすようになってしまったのだ。

 本当に有難かった……暮らしは厳しいが、孫として、何とか祖母には幸せな余生を過ごさせてやりたい。それが今の私のささやかな願いでもある。


 そして下間(下間頼資)の遺児二人。名は兄が頼純、弟が頼賑。

 この二人は寺の畑を耕すには人手が余る為、日々、色々な事を熟している。

 畑を耕す手伝いをする時もあれば、新たに畑を増やす為に開墾に汗を流す時も有る。或いは山へ山菜を採りに行く事も有る。苦労も多く、何より父(下間頼資)を失った心の痛みを思えば、二人にも幸せになって欲しい。そう御仏に願っているのだが……どうか御仏には御聞き届け戴きたい物だ。


 そんなある日の事、私は客人を迎えたのだ。


 「御初に御目にかかります、本願寺顕如殿。拙僧は天台の坊主で随風と申します」

 「ただの顕如で構いませぬ。今の拙僧には、本願寺という名は荷が重すぎます故。ところで随風殿、此度は如何なる御用件で、こちらに?」

 「はい、顕如殿と知己になりたい。そう考えて伺わせていたきました」

 随風殿は年の頃は五十程か。目につくのはこけた頬に血色の悪い肌。あまり体を労わっているようにも見えぬ。こう申しては何だが、そう長くは生きられぬであろうな、と思えてしまう程に。

 そして首から下げているのは……桐の箱に納めた骨壺、であろうな。

 家族が知人かまでは分からぬが、相当に思い入れがあるのだろう。墓に入れぬ訳までは分からぬが、そこを突いた所で誰も幸せにはなれぬ。ならば私が口に出す必要も無いだろう。その程度の事が分かる程には、私も聡くなったつもりだ。


 「知己になる事自体は構いませぬが、今の拙僧にそのような価値が有るとは……」

 「御座います。これから口にする事は、全て事実に御座います。拙僧は天台の坊主と申しましたが、それは建前に過ぎませぬ。拙僧は加賀の草になった、とある寺の生臭坊主に御座います」

 「……何やら訳有りのようで御座いますな。詳しい事を伺っても?」

 本当ならお帰り願いたい所であった。ただ向こうは馬鹿正直に加賀の草を名乗って来た。それには訳が有るのだろう、そう思うとつい仏心が湧いてしまったのである。

 そして真剣その物な随風殿から伝えられた真実。

 ……成程。そういう事なら、ただ何も考えずに追い返す訳にはいかぬだろうな。それに近江の事や加賀の事が分かるのは、私にとっても悪い話ではない。力を失った身であるが、それでもかの地で暮らしているであろう門徒達の事を思えば……


 随風殿は湯呑に注がれた井戸水を一息に呷ってしまった。

 暑さもあって喉も渇いていたのだろうが、それ以上に心の荷が重いのであろうな。

 それも当然だ、日ノ本全ての坊主の命を、無理矢理、その肩に載せられたのだ。小さな寺に移された私と、荷を背負わされた随風殿……この身が幸運に恵まれていた、そう思えてしまうわ。


 「そういう事情であるなら、受け容れましょう。ただし、拙僧は二度と政に関わろうとは存じませぬ。故に、そちらの御期待はしないで戴きたい」

 「それは当然の事であると存じます。拙僧としても、顕如殿を巻き込むつもりは御座いませぬ。ただ、拙僧との文の遣り取りを通じて、門徒達が妙な事を仕出かさないよう、目を光らせて戴きたいだけに御座います」

 「心得ました。ただこちらは見ての通り、日々の暮らしにすら窮する有様。こちらから文を頻繁に出すような真似は出来ませぬ。故にそちらが届けに来たら、その場で返答を書いて送らせて戴く。このように対応させて戴きたい」

 これは私の本音だ。確かに頼純や頼賑を使いに出す事は出来るが、随風殿の下まで行って帰ってくる為の銭を捻出出来ないのだ。

 石山にいた頃には、欠片ほどにも考えられなかった今の暮らし。

 随風殿も私が事実を口にしている事は悟ってくれたらしい。『ではそのように』と妙な条件を付ける事も無く、静かに受け容れてくれたのだ。


 ……暑い。私も湯呑に手を伸ばし、水を飲む。

 冷たい井戸水が喉を通っていく清涼感とささやかな幸せ。改めて考えてみると、このような事も石山にいた頃は味わった事が無かったな。

 石山での暮らしには、何一つとして不自由は無かった。それは間違いない。ただ、それが幸せを意味するかどうかは別の話と言うだけの事。このように私は、この地に来る事で多くの事に気づく事が出来たのだ。


 かつての私は、御仏の名の下に門徒達を戦場に送り出していた。

 それが罪深い行為である事、今の私には理解出来る。本願寺の苦難の歴史を考えれば、本願寺を守る為には、必要な事ではあっただろう。

 問題は、その罪を背負うという自覚が私には欠けていた事だ。それが加賀の御仁(武田信親)との決定的な差でもあった。あの御仁は非情な決断を下すが、それはそれとして人として苦しみもする、という噂を聞いた事がある。それでも歩みを止めないのだ、と。だからこそ家臣達が必死に支え、民は信じてついていくのだ、と。


 「……話は変わりますが、他の宗門はどのような状況なのか。その事についてお伺いしても宜しゅう御座いますか?」

 「まず曹洞宗はこちらに伺う前に立ち寄り、協力を取り付けております。日蓮宗は今浜の御屋形(武田義信)様を通じて協力を得られております。御山(比叡山)に寺を建てていなかった事については、あくまでも『寄進が思うように集まらず、必要な銭を集め終える前に今回の一件が起きてしまった』という体裁を整えたようです。加賀の御方も、その件については深く問い質すつもりは無いようで御座いますな」

 「妥当な落とし所ではありますな」

 ここで永平寺や久遠寺に『上が責任を取れ』と兵を差し向けた場合、その後にどうなるか?それを考えての決断なのであろうな。

 もしやれば、全ての坊主を日ノ本から殺し尽くさねばならぬからだ。何故なら、御山に寺を建て終えていた、他の宗門はより罪が重いからだ。だと言うのに罪の軽い永平寺や久遠寺は焼き討ちして、より罪の重い他の宗門は赦す、というのは筋が通らぬだろう。

 故に皆殺しとなるが……やる訳が無い。あまりにも労が多いのに、それで得られる物はあまりにも少ない。何より御仏に縋る民という存在を忘れる訳にはいかぬだろう。だからこその落とし所。代わりに随風殿に全面協力しろ、という所か。


 「臨済宗は、同じ禅宗繋がりで永平寺から御紹介頂く段取りをつけております。出来れば顕如殿にも、浄土宗本寺の知恩院への御紹介を戴きたく存じます」

 「それは構いませぬが、今の拙僧の文に如何ほどの効果があるか……そこまでは分かりませぬが、構いませぬか?」

 「構いませぬ。後は拙僧が責任をもって話をつけます故。浄土宗に話が通れば、そこから時衆の無量光寺に話を通します」

 まあ、あくまでも紹介程度なら問題は無いだろう。ここでごねた所で、何か意味がある訳でも無し。何より随風殿を困らせる意味も無いのだ。

 墨を擦り、ササッと知恩院への紹介状を認める。内容は本当に分かり易く、簡潔にと言った所。余分な事は一切書かずに、随風殿への協力を御願いする物だ。

 ……これで良し。後は随風殿と、加賀の御仁の悪名次第と言った所だ。知恩院自体は三好家が支配している、京のすぐ東にある。故に武田家が攻め込んでくる事も無いだろうが、問題は武田領である近江国のすぐ傍でもあると言う事。それを考慮すれば、堂々と反旗を翻すような事はせぬだろう。それ位は期待したい所だ。


 書き上げた文を渡す。

 随風殿は一通り中身を検めた後『忝う御座います』と頭を垂れた後、丁寧に文を懐へ仕舞われた。

 後は随風殿次第。知恩院には賢い判断を期待したい所だ。


 他に大きな所と言えば天台宗と真言宗、他の南都の宗門辺りか。

 天台宗は……流石に天台宗の坊主を謳っているのだ。園城寺に伝手位は持っているだろう。真言宗や南都は、恐らくは権大納言(山科言継)様を頼って、と言った感じか。

 あの御方も災難よな。ただ日ノ本中の坊主を抑える為、というのであれば軽々しく拒否は出来ぬだろう。


 「顕如殿。此度は突然の訪問にも関わらず、丁寧に対応して下さり、改めて感謝申し上げます。これ以上、日ノ本の僧侶が殺されぬようにする為、この随風、一命を懸けて参ります」

 「その御覚悟は真に御立派な物と存じます。しかしながら、あまり御無理はなされませぬよう、お気をつけ下さい」

 「忝う御座います。御言葉、肝に銘じます」

 そう言うと、随風殿はまるで桐の箱を宝物のように抱きかかえたまま、寺から静かに去ってしまわれた。このまま知恩院にでも立ち寄っていくつもりなのだろう。

 ……非業の死を遂げた、心優しき友の死を無駄にしたくない。その為に自分は草になった、か……

 私は無言のまま、御仏の前に座り直した。そして敢えて真正面に置かれている二つの位牌に手を合わせる。


 一つは私を逃がす為に、囮となってくれた下間頼資の位牌。

 もう一つは無名――敢えて法名を書かずにいる位牌。私が気づいてしまった、卑怯者の汚名を着た忠臣を弔う為に、私が手ずから用意した物。

 そのせいで見栄えは悪いが、それでも自分なりに一生懸命に作り上げたつもりだ。其方を罵倒して悪かった、其方の心意に気づかぬ私が悪かったのだ、すまない、そして守ってくれて有難う、と。


 「……其方ら二人はどう思う?皆殺しの信親を、間接的に手伝う私を責めるか?それとも仕方ないと割り切ってくれるか?」

 ……答えは聞こえてこない。私の問いに、位牌は応えてくれない。

 当たり前だ。死者は何も言わない。ただ、死んだと言う現実を突きつけて来るだけ。答えを探すのは、今を生きる者達の役目なのだから。

 そして私は選んだ。ただそれだけの事だ。


 「……南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏……」

 極楽浄土から見守っていてくれ。

 私は日ノ本中の僧侶を守る為に、随風殿に手を貸した。

 それが正しい事か、間違っている事か、それは今の私には分からない。それでも、見殺しにするのは間違っている、そう考えたのだ。それが正しかったかどうかは、いずれ分かる事になるだろう……


 今回もお読み下さり、ありがとうございます。


 摂津国。顕如視点より。


 【顕如】

 ここに来てから約三年。

 最近は名乗る際に本願寺をつけなくなった、という設定です。

 色々と苦労してきた経験、門徒と直接交わる中で、思う所が有って変化した、という感じです。


 【慶寿院鎮永尼】

 史実においては寺生まれ。ただ、それなりの立場だったので割と苦労知らずだった、という設定にしてみました。

 顕如共々、ここに来てから近所の門徒に教えて貰いながらコツコツ励んでいる感じです。


 【遺児二人】

 顕如の弟子という形式で、ここに住んでます。

 基本は食糧確保がメインの雑用係。畑が小さい為、まずは食糧確保が第一。まるでリム・ワールドw

 それはともかくとして、ボンバーマンは『敢えて』支援していないので、全部自分達でやってます。


 【加賀の草】

 馬鹿正直に名乗ったのは理由が有ります。

 主人公が口止めしてなかったから。ただそれだけです。

 というのも主人公の目的は『これ以上、坊主が馬鹿やるのを防ぐ事』です。そこで随風は自分なりに考えて、『加賀の草』と名乗る事で主人公の狙いに信憑性を持たせようとした感じです。皆殺しの信親から『面倒臭いから馬鹿を押さえろ』と命じられて渋々草になったんだよ、お願いだから協力してくれ、と。


 【銭を捻出出来ない】

 石山陥落後、一度だけ京に来ていた事はありますが、その時はそこまで現金に関する注意力が無かった感じです。なので意味も無く京に来て、風に見つかり後をつけられ、ボンバーマンに連絡されてしまった、という失態もやらかしてました。まあ、ボンボンだったしね。

 ただ三年の厳しい暮らしの中で、現実を直視。そういう意味では成長しました。


 【時衆】

 時宗の事。当時は衆の字を使っていたそうです。


※時宗についての補足。

 時宗自体が、浄土宗の孫的な位置づけ。ちなみに浄土真宗は浄土宗の子供的な位置づけ(親鸞さんは、あくまでも浄土宗の一派という立場だったそうです。法然さんも、それを是としていたとの事)。 

 時宗三世他阿智得亡き後、時宗は二派に分裂。三世の智得の弟子である内阿(当時の鎌倉幕府執権北条高時の支援有り)を受けた当麻派(こちらも遊行派を称する事も有りますが、今回は分かり易くする為に当麻派表記)と、時宗二世他阿真教の弟子である呑海の遊行派。


 無量光寺:時宗当麻派の本寺。鎌倉幕府滅亡に伴い、当麻派は一時衰退。1513年に後北条氏の支援を受けて再建。1590年の後北条氏滅亡により不振。その後は浄土宗(鎮西派)の傘下に入るような形に変化していく。

 清浄光寺:時宗遊行派の本寺。結果として後北条家と敵対関係になった為、相模の寺領(現在の神奈川県藤沢市)を失い、駿河→甲斐→越前と本尊を移動。1591年に三十二世の他阿普光に佐竹家に招かれて常陸の水戸に本拠移転(後の神応寺)。1607年に清浄光寺再建。1631年に江戸幕府に時宗総本山に認定。1665年に本尊が帰還。


 【知恩院】

 というか、すぐ東で狗追物やってたので、ビクビクしてたと思います。


 【真言宗や南都】

 山科さん頼る、というのはあくまでも顕如さんの考え。

 実際には主人公がボンバーマンに『これ以上、馬鹿が暴れないように適度に手綱を御願いね?』と貸しを返して貰う形で頼んでます。この時点ではボンバーマンに委任状態。随風も奈良には向かいません。

 ボンバーマン的にも三好家内乱の時に、足元で暴れられたら危険なので二つ返事でOK。それに主人公に難癖付けられる可能性も減らせますからね。加えて、随風が文の遣り取りすると、ボンバーマンの御膝元の情報が流れる可能性も有ります。諸々考えて、こうなった感じ。


 【無名】

 顕如は気づいたけど、それを証明する証拠が無い。

 ボンバーマンは答えを教えないまま立ち去っている。

 なので無名の位牌。設定的には、顕如は自分が亡くなるまで、ずっと無名の位牌を傍らに置き続けました、という感じです。

 ちなみに今はまだ彼の分だけ。この後、更に成長した後、この位牌に本願寺の為に戦ってくれた、全ての名も無き門徒達も……と考えていく事になります。


 それでは、また次回も宜しくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
ばたばたしていてリアタイで読めませんでした。 こういう回は好きです。 で、メインは前書きについて。 喘息はアレルギーの一つです。知らない人結構多い様ですが。 私、子供時分より喘息持ち(小児喘息ではな…
とりあえず、アイゼナッハが放送事故にならなかったのが良かったですw 顕如は「人間」「坊主」として成長しましたね。 純粋に住職をしていれば、主人公もさり気ない支援ぐらいはしてくれる、かも・・・
 (*´・д・)? うま、ぴょい?  命の重さ、人の有り難み…大切に出きるようになったなら『坊主』として成長できたということですね。
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