雷鳴編・第四話
雷鳴編・第四話、更新します。
今回は豊後が舞台になります。
少しは喉がマシになりました。加湿器が手放せません。本当に乾燥した空気が天敵過ぎますw
永禄九年(1566年)七月、豊後国、鎧ヶ岳城、神屋紹策――
「……伯耆守(戸次道雪)様、かなりお疲れのようで……」
「さすがに、な。飢えに悩む事は無い点は安心できるが、眠れぬのは想像以上に堪えるわ。それでも儂が折れる訳にはいかぬが」
「仰せの通りかと」
左少将(大友宗麟)様への兵糧の売買停止を命じられて以来、初めての伯耆守様への御目通り。予想はしておりましたが、伯耆守様は以前に御目通りをした時よりも、更に険しい顔つきになられておりました。
戸次様の両目には、二間は離れていてもそれと分かるほどの隈が浮かんでいるのです。間違いなく寝不足。いつ限界を迎えてしまっても、おかしくない程です。心の御強い御方である事は私も知っておりますが、それでもここまで御強い御方であったのか、と思わず感心してしまった程でした。
とは言っても、頬、というか顔色は決して良くありませんね。大袈裟に言えば土気色、と言うべきでしょうか?まるで死期を迎えようとしているかのような……まあ、この御方であれば気合だけで三途の川から引き返して来られそうでは御座いますが。
この場に同席を許されている方々も、全員揃って似たり寄ったりと言った所。
寧ろ、伯耆守様に比べて明らかに危ない、と言った感じです。少し触れただけで、腰の物を抜き放ってきそうな雰囲気と言うべきでしょうか?文字通り、目が血走っているのです。
どう考えても寝不足が原因でしょう。伯耆守様は鉄と称して良い程に、強い御心を御持ちの御方。ただ、他の御方もそうか?と問われれば……その違いと申せましょう。
「此度の御目通り、大友家にとって厳しい御報告をしなければなりませぬ。先月、左少将様は肥後国隈本城を追われました。そして伊予守(吉弘鑑理)様は……恐らく、討ち死になされたものと思われます」
「……詳しい事は分かるか?」
「はい。まず伊予守様から御説明させて戴きます。隈本城に詰めておられた伊予守様に対して、攻め手の総大将である武田太宰少弐信之様は降伏勧告をなされましたが、伊予守様はこれを拒否なされました。その後、大筒による城攻めが開始。砲弾の一つが天守に直撃した、との事で御座います」
どよめき、そして悔しそうな声が漏れ聞こえてきました。
上座の伯耆守様はと言えば、体の向きを変えておられました。その体の向く先は、隈本城のある方向。そして静かに両目を閉じられ、そっと両手を合わせて合掌なされたのです。
誇り高く旅立たれた伊予守様に対しての礼儀。そういう事なので御座いましょうね。それを目の当たりにした近臣の方々も、同じように後に続いて伊予守様の御冥福を祈られ始めたので御座います。
「……うむ、続けてくれ、神屋」
「はは。隈本城が落ちた際、左少将様は他の御重臣の方々とともに、城の外で兵を集めておられたようで御座います。その為に一命を失わずに済んだようで御座いますが、あくまでも噂に御座います」
「噂、とは?」
真剣な顔つき。鋭い眼光で射貫くかのように、私に顔を向けられる伯耆守様。
最初から嘘を吐くつもりは欠片も御座いませんでしたが、もし、そのようなつもりであれば、きっと肝が冷え切ってしまっていたでしょうね。
想像でしかありませんが、閻魔様の前に立った罪人のように。嘘を見抜かれてしまう、隠しておきたい事を白日の下に晒されてしまうように。
「太宰少弐様より、今後、左少将様の下に赴く事を禁じられたので御座います。これ以上は許さぬ、と」
「……理由を聞いておるか?左少将様の御命に関わるような理由であれば……左少将様を御待ちするのではなく、一命を賭して賭けに出るしかあるまい」
「左少将様を降伏に追い込む為に必要な事であると、そう申されておりました。左少将様の御命を奪うような真似は決してせぬ、とも」
む、と呻く様な、押し殺すような一声を発した後、伯耆守様は両腕を組まれ、目も閉じて思索に入られました。
御考えになっている事は、十中八九、武田家の判断が真偽、どちらであるか?なので御座いましょう。
……言葉にこそ出しませんでしたが、私自身も左少将様の命乞いをさせて頂きました。それを太宰少弐様は受け容れて下さいましたが、あの場で嘘を吐く意味も御座いません。本気で左少将様を殺める御積りなら、隠す事なく、そうすれば良いだけなのですから。それを止める事の出来る者が、どこにいると言うのでしょうか?何より、左少将様の御助命その物は、加賀の太宰大弐(武田信親)様の策であると申しておられました。であるのなら、間違いないでしょう。
「……いかんな、どうにも考えが纏まらぬわ。神屋、其方から見て、その言葉は真偽どちらであると判断した?」
「真である、と思いました。真に無礼な事を口にする事を御許し下さい。左少将様を討ち取るにしても、虚言を弄する必要が無いからで御座います。それに太宰少弐様は、その心底は素直な方であると手前は御見受け致しました。それは手前に左少将様の下に赴く事を禁じると御命じになられた際、申し訳なさそうな御顔をなさっておられたからで御座います。こう申しては失礼かもしれませぬが、腹の探り合い、という点においては甘い御方なのではないかと……」
「……成程な……確かに一理ある」
伯耆守様は納得なされたように見えました。そのまま、脇に置かれていた白湯の入った湯呑に手を伸ばし、グイッと呷られました。
此度の戦は、武田家にとって圧倒的に優勢に進んでいます。であるのなら、武田家が虚言を用いる必要が無い事を、伯耆守様も御理解して下さったと言う事で御座いましょう。
ただ、全ての方が……という訳では御座いませんでした。伯耆守様の後継ぎであらせられる孫次郎(戸次鎮連)様が、口を開かれたので御座います。
「神屋。其方が騙されている、という事はあり得ぬか?」
「流石に断言は出来ませぬ。仮に太宰少弐様が手前よりも遥かに『狸』であったとしたら、手前はマンマと騙された、という事になりましょう」
「だと言うのなら、素直に受け容れる訳にはいかぬだろう」
私としては沈黙。それだけしか出来ませんでした。
詰まる所、私は商人の一人にすぎぬからです。戸次家や大友家の行く末に対して、決断を許される様な立場ではないのですから。
故にこそ、私は待ちました。そして孫次郎様は『父上』と急かすかのような口ぶりで、伯耆守様に向きなおられたのです。
「……孫次郎」
「はは」
「夜闇に乗じて、物見を肥後に送れ。左少将様の行方を調べさせるのだ。このような事は言いたくないが、まともに眠る事の出来る役目だ。希望者には事欠かぬだろう」
苦笑いされる伯耆守様。その顔に浮かぶのは自嘲の笑み。
孫次郎様は何か言いたげにされておりましたが、伯耆守様の御命令には素直に『直ちに』と従ったので御座います。
孫次郎様としては、上の御命令には嬉々として従うべし、という考えが有るので御座いましょうね。故にこそ、伯耆守様の珍しい冗談に不満を感じてしまわれたのかもしれませぬ。
「もし、左少将様の御身に危機が迫っているようであれば、その時は躊躇う事無く動く。城を捨て、左少将様がおられる場所に駆け付けようぞ。その時は、孫次郎を始め、皆の命を貰う事になるだろうが」
「は、はい!喜んで御供致します!」
「故にこそ、物見の役目は重要だ。中座を赦す、すぐに人を選べ」
伯耆守様に命じられ、すぐに激しい足音と具足のガシャガシャという音を立てながら、孫次郎様は席を立たれました。
確かに伯耆守様が仰せになられた通りです。城を捨てて駆けつけるにしても、どこに左少将様がおられるか?それが分からなければ犬死する事になるのですから。
ただ、伯耆守様はそのような事をなされる御方では御座いませぬ。伊達に雷神の弐つ名で呼ばれてはいないのですから。
「ところで、他の事についても聞いておきたい。九州の北と南、状況は?」
「現状維持に御座います。北部の海沿いの城は、砲撃で破壊されているようで御座いますが」
「そうか……」
毛利と有馬・龍造寺の戦いは一進一退。ただし海沿いの城が破壊されている事も有り、やや毛利側に優勢だと聞いております。
南の大隅国を巡る争い。こちらも一進一退。ただし島津側がジワジワと所領を増やしている、という話も御座いました。
薩摩島津家。加賀の太宰大弐様が、大層、警戒しておられましたね。やはり薩摩国にも攻め込まれる御積りなのでしょう、九州の商人として、この好機を逃がす訳には参りません。武田家の御要望には、全力で取り組ませて戴きましょう……そういえば御報告しておかないといけない事がありました。
「伯耆守様。以前、堺の納屋さんの件で、新しい船について御話して下さった事を憶えておられますか?」
「ああ、憶えておるとも。何が起きた?」
「納屋さんの船が、駿河の沖合で嵐に遭って沈み、僅かな生き残りが伊豆に流れ着いた、との事。沈んだ船は、いずれも新しく作った船ばかり。数までは分からぬそうですが。この話の出所は駿府に店を開いている友野屋さんに御座います。目と鼻の先ですから、間違いは無いかと」
沈黙。目を瞑り、思索に入られる伯耆守様。
以前、伯耆守様は絵図面に罠が仕掛けられているのではないか?そして、その罠が三好家に影響を及ぼす事も匂わされておられましたね。
そして船は沈みました。
「神屋。三好水軍に新しい船は入ってきていたか?」
「入っております。新造な上に、安宅船より大きゅう御座いますから、見間違う事は御座いませぬ」
「そうか……となると三好水軍は弱まるであろうな。確か毛利の村上水軍も内輪揉めで、手練れを失っていた筈。結果、瀬戸の海の支配権は泥沼状態になる、か」
思い出しました。確か村上水軍の中の一向門徒が、まだ当時は御存命であらせられた陸奥守(毛利元就)様の御判断に不満を憶えて、反旗を翻した一件を。
結果、村上水軍は粛清の嵐が吹き荒れ、手練れを失う事になったとか。それに乗じて三好水軍が勢いを強めた訳ですが、そこに今回の罠が牙を剥いたら?
つまり泥沼化。更に付け加えるなら、大友家の若林水軍も壊滅寸前にまで追い込まれましたし、その原因になった熊野の水軍も大損害を被ったのでしたか……え?
「伯耆守様、今気づいたのですが、至る所の水軍が弱まっておりませぬか?」
「……気づいたか。西においては、武田の水軍だけが健在よな。三好はまだ望みはあるが、な」
「もしや、ここまで全て太宰大弐様の策である、という事は……」
背筋に走る寒気。あり得ない、そう私の心は叫んでおります。
そこまで考えられるような者が、人である筈が無い、と。そもそも村上水軍が内輪揉めを起したのは、何年前だと思っているのだ、流石にその時々の状況を判断して、後付けで新たな策を仕掛けてきたのだろう、と。
そんな私を他所に、伯耆守様は東を睨んでおられました。恐らく、太宰大弐様の思惑を見抜こうとなされておられるのでしょう。決して諦めぬ、兵を出せずとも、知恵をもって左少将様を御守りするのだ、と言わんばかりに。
「重要なのは、この策を三好家に流す利が、当家に利となるかどうか、であろうな」
「流せば武田と三好の間で争いになるのでは?」
「ならぬ。神屋、あの船の絵図面、武田家から三好家に渡された物ではなかっただろう。確か堺の……何と言ったか忘れてしまったが、商人から取り上げたとは申しておらんかったか?」
そうでした!天王寺屋(津田宗久)さんが三好家の日向守(三好長逸)様に命じられて、無理矢理、取り上げられたとか何とか言っていましたね。その責任を取って、頭を丸め、死も覚悟して加賀まで謝罪に出向いた、と。
幸い、お赦しになられたそうですが……もしかしたら、そこまで織り込み済みだった?であるのなら、お赦しになられたのも当然と言えば当然。
……ますます寒気が……もう八月だと言うのに……
「流せば三好家が割れる。責任の擦り付け合いによって、な」
「では流す意味が無い、と?」
「畿内に武田の目を向けさせ、九州の攻め手を緩めさせる、という意味ならある。だが、左少将様を御救いするのに間に合うか?となると間に合わぬだろうな。それとも、他に使えそうな話があるか?例えば、武田領内での騒動とかであればな」
……有るには有りますが……
伯耆守様は『ギロリ』と言った感じで、私に視線を向けてきました。間違いなく、私が何か知っている、掴んでいるとお気づきになられたのでしょうね。
仕方ない。ここは素直に御伝えするしかない。そう覚悟を決めましょう。
「太宰大弐様が、再度、比叡の山を焼き払いました。それも、ただ焼き払うだけではありません。狗追物と称して、御山にいた老若男女全てを種子島を持った騎馬武者の練度を上げる為に使われたのです。しかも畏れ多い事に、その中には天台座主様もいたと専らの噂で御座いまして」
「何故にそのような事になった?」
「問題は、御山に寺を再建しようとした坊主達が、沙汰を無視した事から始まったので御座います」
私は知っている限りの事を伯耆守様に説明させて戴きました。伯耆守様は時折、御質問をなされながらも私の説明をしっかりと聞いて下さったので御座います。
その間、近臣の方々からは唸り声や呆れ声、或いは批判の声など、思い思いの声が上がっておりました。太宰大弐様の主張には一定の理解は出来るが、幾ら何でもやり過ぎだ、といった辺りでしょうか。
しかしながら、その顔には程度の度合いこそあれ、明らかに緊張が浮かんでおりました。この場に居合わせた方々、全てが武田信親恐るべし、と改めて気を引き締め直されたので御座いましょう。
「……猶更、流す意味が無いか。比叡山の一件も合わせれば、三好家当主派は武田に寄って、反当主派と争う事になる。すぐに戦になるなら流す意味は有るだろうが、まだその気配は無い筈だ」
「はい、仰せの通りに御座います。三好家内部で不和の気配は漂い始めているようで御座いますが」
「例の船の罠も考えれば、武田としてはぶつかるのはまだ少し先と見ておるだろうな。その方が都合が良い。となれば、今、三好家が割れたとしても、敢えて傍観。九州が一段落してから、というのはあり得る。それでも、というのであれば……」
考え込まれる伯耆守様。武田家の足を止めるには?その為の策を練っておられるので御座いましょう。正直、今の伯耆守様に出来る事は、策を練る事だけなのですから。
周囲の方々も、思索に耽られる伯耆守様を邪魔しないよう、只管に沈黙。妙に静かな時が流れます。
暫くの後、伯耆守様が両目を開かれました。
「神屋。例の船の罠の件、三好家反当主派に流すのだ」
「宜しいので御座いますか?」
「うむ、武田家の足を止める事は叶わぬが、頭を止める事は叶うやもしれぬ。そして頭を止める事が出来れば、もしかしたら足が縺れて歩みを止めるやもしれぬ。失う物はないのだ、打てる手は全て打つのみ……太宰大弐殿、我が策、躱せるかな?」
東に向かい、地の底から響いてくるような重々しい御声で宣言なされた伯耆守様。
そこには日ノ本一の知恵者に対する、様々な思いが混じり合っていたのは間違いありません。それこそ智謀や覚悟に対する敬意もあれば、伊予守様を討たれた事に対する怒り、左少将様の下にすぐに駆け付けられぬ悔しさ等々。
それでも一縷の望みに賭けての策謀。私は必ずや三好家に報せを届けよう、そう覚悟を決めたのでした。
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
豊後国。神屋紹策視点より。
【売買停止】
あくまでも宗麟さんの所だけが停止されてるので、こちらは継続状態です。
そして寝不足攻撃も継続中。そろそろ発狂する人が出て来てもおかしくありませんが、そこは雷神様の統率力。かろうじて持ち堪えております
【考えが纏まらぬ】
精神面は持ち堪えても、確実に思考・知恵に関しては寝不足の悪影響を受けています。
【城を捨て】
最初の頃は地の利を把握している自分の城に籠城して、宗麟さんが戻って来るのを待つ、という選択肢を採った雷神様。
ただ武田家というか主人公が一か八かの賭けに出てくるのを予期して、陣を強固にした為に、後から方針変更するのも難しくなりました。加えて、一度は奇襲も仕掛けているので、武田も油断はしていないだろう、と考えています。
それでも宗麟さんが討ち取られるような状況なら、雷神様は忠誠心故に賭けに出るでしょうが……問題は寝不足による思考低下。
【武田家の御要望】
相手が島津家なら、神屋的には躊躇する理由がありませんから、完全に武田家に就くでしょう。恩義ある大友家を敵に回す訳ではありませんし。
【三好家反当主派に流すのだ】
当初は意味が無い、と判断していた雷神様ですが、自分でそれを翻しました。
これが本当に意味があるのか、それとも思考低下による失策なのか。これについては暫くお待ち下さい。作者的にはしっかり考えておりますので。
ちなみにこの策、どっちに転んでも迷惑被る方がおりますねw文字通り、とばっちり。
それでは、また次回も宜しくお願い致します。




