暴嵐編・第六十八話
暴嵐編・第六十八話、更新します。
暴嵐編は今回で終了。次週から新章になります。
今回は近江が舞台になります。
永禄九年(1566年)七月、近江国、園城寺、秋月――
「随風!随風!」
ある日の事。何となく胸騒ぎを憶えた拙僧は、御寺(園城寺)の中を走り回りました。
周りは何事か?と誰何してくるような一人もおらず。冷たい目で拙僧を見るばかり。いや、そんな事はどうでも良い。拙僧の事より随風の事。
半刻ばかり走り回り、御寺の中の何処にも姿が見えない。一体、何処へ?拙僧の気のせいならば良いのだが、それでも悪い予感は消えてくれる気配は全く無い。
「これ、騒がしいぞ。秋月。いい加減にせぬか!」
「道増様!先程から胸騒ぎが収まらぬので御座います!随風は、随風は何処に!」
「随風?あれなら文を届けに御山へ向かわせたが?」
大きな溜息を吐きつつ、クイッと皺だらけの御顔を御山(比叡山)の方へと向けられる道増様。きっと拙僧の事を『面倒臭い奴だ』と思われているのだろうな。いや、それどころか『そんなにお気に入りなら、逃がさぬように抱き締めておけ』位の事を思われていても不思議はない。
……傍目に見て、拙僧と随風の関係はあり得ぬ事だからな。拙僧が昔の事を思い出して、理想に燃えている随風を支援している事は誰も知らぬ。その事を、拙僧は事更に吹聴している訳では無いからだ。それなら色故に、そう思われて当然だ。
案の定、道増様は肩を竦め……その御顔を凍り付かせていた。皺に埋もれた両目を限界まで大きく見開き、口はアングリと開けっ放し。
その異変に気付いたのだろう。周りで拙僧をあざ笑っていた者達も御山へと目を向け、同じように固まってしまったものがチラホラ。僅かな者達だけが、指を差して『あれは?』と声に出している。
拙僧も御山に目を向け、何が起こっているのか理解出来ず、暫くしてやっと意味が理解出来た。
境内から遥か遠くに見える御山。そこから立ち上る黒煙。かつて、加賀の太宰大弐(武田信親)様によって行われた焼き討ちを思い出してしまった。やはりこうなってしまったか、と思うと同時に、膝から崩れ落ちてしまう。
「ば、馬鹿な……」
聴こえてきた呟き。『俺』は『俺』に叱咤し、膝に無理矢理いう事を聞かせて立ち上がる。ここで崩れていて何の意味が有るのと言うのだ!ここで眺めていれば、随風が助かるとでもいうのか!
俺は周りを見回した。まずは気合を入れ直さねば!酒漬け同然の俺では、御山まで走り切れぬ。ならば、気合で何とかするのだ!そして目についたのは……
ザバアン!と大きな音をたてて池に飛び込む。夏であって助かった。冷たさを感じるが、それでも心が一瞬にして研ぎ荒まれたのを実感出来る!そして立ち上がる!
「秋月!何をしておる!気でも狂ったか!」
「……今ほど、狂っていたかった。そう思った事は御座いませぬ。俺は御山へ向かいます」
「秋月!?」
……どうやら俺は狂い始めたらしい。目の前の皺くちゃ坊主頭を見ても、何も思わなくなったからだ。それどころか、殴り殺してやろうか、そう考えてしまったのだから。
俺は何度も訴えた筈だ。加賀は甘くない、と。
全部、お前達で決めた事だろうが!お前達が大丈夫、もう許されたのだ、そう油断していただけだろうが!
「秋月!」
「黙れ、糞爺い!生まれが近衛家だか何だか知らねえが、まともに飯も食えねえ家の出は黙ってろ!邪魔するようなら殴り殺すぞ!」
「ひぐっ」
袈裟を乱暴に脱ぎ捨て……池の藻に塗れた袈裟を見て、ニヤリと笑ってしまった。直後、糞爺いの顔面に思いっきりぶつけてやる!
何やら悲鳴が聞こえてきたが、知った事か!もうこんな寺に用は無い!
まずは随風を救う!後の事は後で考える!
「随風!今行くぞ!」
俺は裸足で御寺の境内を走り出した。
永禄九年(1566年)七月、近江国、比叡山、武田信虎――
業火に呑み込まれ、黒煙を立ち上らせる御山(比叡山)。
火から逃れようと逃げてきた人影を遮る者は無い。ただし十町ほど離れた場所で、鉛玉を叩き込まれるだけ。老若男女、貴賤の別なく、公平に対応されるのだ。
それにしても、確か竜騎兵、と申したな。昔、まだ二郎(武田信親)が小さかった頃。初めて国友村を訪れた帰り道、二郎は種子島の使い方に関して色々と考えを持っていたようだが、まさかこんな使い方があったとはな。
「騎馬武者に種子島を持たせるか。考えてみれば、騎馬武者に弓矢を使わせていたのだ。出来ない筈が無いか」
誇り故に使わぬ、と言う者達はおるのだろうが……二郎の家臣は違うらしい。
確か竜騎兵を率いていたのは、二郎の守役であった山城守(小畠虎盛)の息子(小畠昌盛)だった筈。
山城守。本当に感謝しておるぞ。其方のおかげで、二郎は儂では足元にも及ばぬ程の男に育ってくれた。其方の息子も懸命に仕えてくれておる。親子二代に渡る忠義者よな。
『た、たす』
『子供だけは!この子』
『いやああ!』
『やめよ、儂は天だ』
『かかさ』
越後の軍神、上杉輝虎の使う車懸かりの陣を基本戦術とした竜騎兵によって、次々に命を落としていく者達。
燃え盛る御山から十町も離れた場所での狗追物。そこを選んだ事にも理由は有る。
御山に近すぎれば、燃え盛る御山から逃げてくる数は減ってしまうから。二郎はそう申していたな。狗が少なかったら、鍛錬にならぬ。狗を増やす為に知恵を絞るのが、己の役目である、と。
「ところで彦五郎(今川氏真)。やはり其方は公家の道に進んで良かったな」
「お、御爺様(武田信虎)、流石に惨くは御座いませぬか?」
「そのように甘い事を申しておるから、其方は武家に向かぬのよ。今後も公家として励むが良い。さすれば二郎は其方を頼りにしてくれよう」
地面に膝を着き、ゲーゲーしながら必死に頷く彦五郎。その顔は真っ青であった。
……まあ、彦五郎でなくても、この光景はきついかもしれぬがな。儂は平気だが、儂らを守っておる兵の中にも青褪めておる者もおるし。
腰に結わえていた瓢箪に手を伸ばす。ポンと音を立てて蓋を取り、グイッと呷る。ここに来る前に買い求めておいた焼酎。強い酒精が、実に心地良いわ。
「彦五郎や。儂は其方をここへ連れてきた。その目的は分かるか?」
「……広めよ、と言う事で御座いましょう?」
「それが分かっておるのなら良い。今は儂と其方で役割を分けておる。だが、いずれは其方がすべき事でもあるのだ。徐々にで良い、今の内から少しずつ慣れておけ」
コクコクと頷く彦五郎。泣き言は言わぬのだから、自覚は持っておるのだろうな。
それにしても、儂も甘くなったものよなあ。昔の儂なら怒声を浴びせて、無理矢理、言う事を聞かせていた筈。それが『徐々に』等と口にしているのだ。これも年を取った故、かのう?
ただ、彦五郎もいつまでも生きておられる訳でもない。であるのなら、いずれは儂の後釜になるような若者を彦五郎とともに鍛え……いや、それは気が早すぎるか。そもそも儂が決めるような事でもあるまい……む?
「……誰か、近くで何か起きておらぬか?何やら聞こえてきたような気がする」
「はは、直ちに調べて参ります!」
「うむ、頼んだぞ」
それはそれとして、狗追物が始まって半刻程。どうやら終わったらしい。徐々に静かになっていく。
それにしても殺し尽くした物よな。周りは骸、骸、骸……
これ程の大量の骸。二郎はどうするつもりなのやら。今から御山に放り込むつもりか?確かに楽ではあるが……
燃え盛る御山。だが数年前に一度、燃やされている事も有って、火の勢いは言うほど強くは無い。燃える物も下草に若木、後は建てたばかりの寺しかないからだ。
……とは言っても、流石に三度目は起きて欲しくは無いのも事実。二郎は悪名を被る事を躊躇う男ではないが、祖父としては自慢であると同時に複雑な物も有るのだ。
故に坊主には学んで欲しい所だ。武田家に逆らうな、と。
「左京大夫様、先程、御気にかけていた件で御座いますが、あの中へ飛び込もうとしていた坊主がおった、との事」
「ほう?物好きな事よな。で、そ奴はどうした?」
「好きにさせた、との事で御座いました。狗追物は終わっておりました故」
そうか、と返す。儂も気晴らしに散策してくるとするか。儂も暴君と呼ばれた身。偶には骸の中を散策するのも良かろう。彦五郎を守っておれ、と兵に命じておくと儂は単身で歩き出した。
隠居した当主が護衛を着けぬのは……二郎が知ったら説教してくるだろうが、儂の命を狙うような物好きはおらぬわ。二郎は儂を心配しておるのだろうが、あれは本当の己の事が分かっておらぬ。儂が討たれたら、二郎が復讐鬼と化す事をな。故に儂を狙う愚か者はおらぬ。それが分からぬ馬鹿は動くかもしれぬが、その時は返り討ちにするまでよ。
それに……二郎に叱られるのは嬉しいのだ。可愛い孫が儂を案じてくれるが故の行動なのだから。故についつい……二郎には言えぬがな。臍を曲げられて、説教されなくなるのは御免被るわ。
それにしても動く影はほとんどない。武田の兵がチラホラと見えるだけ。そして儂に気づくと、無言で頭を垂れてくる。
軽く手を挙げながら、儂は散策を楽しむ。この骸という存在が、二郎の成長を教えてくれるからだ。二郎は優しい心を押し殺して、これほどに厳しい決断を下せる男に成長してくれたのだぞ?と。
二郎が、孫が誇らしいわ。あれは知恵もそうだが、何より心が強い。そう思う度に、顔がにやけてしまうのを実感して……む?
「何故、ここにおる。秋月」
「……岩下(武田信虎)殿……」
「何があった?」
儂が気づいたのは、酔いどれ生臭坊主の秋月であった。比叡山の焼き討ちが再度、行われる事に気づいていた事も有り、その点は認めるに値したのだが……
その秋月は半裸の状態で、かろうじて腰回りだけ袈裟の残骸が巻きついている。全身から湯気が立ち上るのでは?と思うほどに汗を流しつつ、埃に塗れている。両目から止めどなく流れる涙の川は、生臭坊主の心中を雄弁に物語って来る。泥にまみれた足の裏からは滲む赤は、生臭坊主がどれだけ必死になっていたかも教えてくれていた。
そして腕の中には物言わぬ骸。その顔は見覚えのある若い坊主。生臭坊主が目にかけ、儂に後の事を託そうと頼んできた程、目にかけていた若者。その顔は両目をカッと見開き、苦悶の表情を浮かべていた。間違いなく、無念を残したまま逝ったのであろうな。
「随風は、随風は何も悪い事をしておりませんでした。それなら俺の方が、俺こそが裁かれるべきだった……俺が代わりに死ぬべきだった……なのに、なのに!」
儂からかけられる言葉は無い。儂はこれを為した二郎の側に与するが故に。
この年若い随風が、どうして御山にいたのか?それも儂には分からぬ。不幸にも居合わせてしまっただけなのか?それとも普段から寝起きしていたのかも。
ただ分かる事は一つだけ。理想に燃えていた若者は、命を落としたのだ。せめて冥福だけでも祈ってやろうか……その時だった。随風を抱えた秋月が静かに立ち上がったのは。
「岩下殿、今まで御世話になりました。もう二度と、お会いする事も御座いますまい」
「……」
「これより、太宰大弐様の陣中に怒鳴り込みに参ります。無礼者として討ち取られましょうが、もう生きている意味は無くなりました」
生臭坊主の目は、覚悟を決めた者のそれ。こういう目は、幾度か見てきたから分かる。こ奴は本気で申しておるのだ。
見捨てる事は容易い。二郎が害を加えられる事もあるまい。だが……やれやれ。些かなりとも縁が出来てしまったのだ。それとも、儂が甘くなっただけかもしれぬな。それでも意味はある筈だ。
骸とともに、背を向けていた生臭坊主。儂は頭を掻きながら、声をかけた。
「そのまま向かっても、本陣にすら辿り着けまい」
「構いませぬ」
「全く……ついて参れ。会わせてやる。加賀の総大将にな」
足を止める生臭坊主。その顔は驚きに満ちていた。然もありなん。こ奴は儂が武田家の者だとは知らぬのだからのう?
それに、二郎がどのように対応するのかも興味がある。二郎にとっては、良き試練となるであろうしな。
儂は生臭坊主に背を向けて歩き出す。足音から素直についてきている事を察し、儂は苦笑しながら本陣に向かって歩み続けた。
「岩下殿。貴殿は何者なのですか?」
「可愛い孫を自慢したいだけの、隠居した爺にすぎぬわ。前に申した事がなかったか?」
「……自慢したい、と聞いた憶えは御座いませぬが」
本陣まで咎められる事なく、一直線。生臭坊主も流石に訝しく思ったらしい。
まあ当たり前よな。止められるどころか、頭を垂れられる程なのだから。
ましてや肩に骸を担いだ坊主付き。普通なら、その場で斬り捨てられておるわ。そう思っている内に、ついに本陣の陣幕にまで辿り着いた。槍を手にした警護の者達がいるのだが、そやつらも頭を垂れて無言で儂を通す。中には儂の可愛い孫がいた。
「二郎や、ようやったな。祖父として鼻が高いぞ?」
「お褒め頂き、何よりで御座います。ところで、客人を連れてきたと聞いておりますが?」
「うむ。儂の知己でな。其方に恨み言を言いたいらしい。正直、連れて来るかどうか悩んだが、覚悟の決まり様につい、絆されてしまってな」
ほれ、と生臭坊主を引っ張り、前に出してやる。
目の前には鎧武者がずらり。そして真正面には眼帯をした我が孫。誰か言わずとも、分かって当然よな。
だと言うのに、呆気にとられた様子の生臭坊主。当然だが、動きが無い。おかげで妙に静かな時が流れる。
「……私が武田家筆頭軍師、武田太宰大弐信親である。坊主には皆殺しの信親、と名乗った方が通りが良いか?」
「……は?岩下、殿?」
「ああ、すまんな。岩下、は母の家の名でな、偽名じゃ。儂は武田左京大夫信虎。甲斐の暴君と呼ばれた男。そして、そこにおる二郎の祖父じゃ」
顎をしゃくって二郎を示してやる。それでも反応の無い生臭坊主。
二郎は事情を察してくれたらしい。大きめの溜息を吐く。同時に二郎の傍に控えていた山城守の息子が、御愁傷様とばかりに目を伏せた。
くっくっく、とつい笑ってしまった。だが直接、目通りの機を用意してやったのだ。文句を言われる事はあるまい。
「さて、言いたい事を言うが良い。討たれる覚悟を決めておったのだ。特別に罵詈雑言を浴びせたとしても、即座に無礼者と切り捨てるような真似はせぬ」
「信虎御祖父様?」
「二郎や、儂は其方がこの生臭坊主をどうするのか。それが見たいのよ」
儂の言に、再度、大きな溜息をついてみせた我が孫。首を左右に振り、肩を竦めた上で『好きに罵るが良い』と断言してみせた。
直後、儂の目に飛び込んできたのは、口を真一文字に結んだ表情。まさに真剣その物。うむ、それでこそ我が孫に相応しい。為政者たる者、己の信じる正しい道を進まねばならぬ。その結果として、犠牲は出る物だ。良い例が戦よ。
それでも上に立つ者として、その罪から目を逸らさぬ、誤魔化さぬ、覚悟を決めた二郎の在り方。実に好ましく文句のつけようも無い。が、二郎は生臭坊主をどう裁くかのう?それを儂は見届けたいのだ。
「……拙僧の名は秋月。園城寺の坊主に御座います。こちらは我が友、随風。友は穢れを知らぬ、清廉潔白な僧で御座いました。拙僧とはまるで違った男で御座います。その友を、何故に殺めたので御座いますか!」
……毒気を抜かれて少しは落ち着いたのかと思ったのだがなあ……あっという間に激高しおったな、この生臭坊主め。
生臭坊主の口から出る糾弾の叫び。眦は怒りで吊り上がり、口からは唾を飛ばしながら、言葉を己の刃として正々堂々、真正面から二郎を糾弾しておるわ。
一方で二郎は無言。何も言葉を発さず、ただ只管、沈黙を貫くのみ。傍目に見れば二郎が言い負かされているようにも見えるかもしれぬ。だが、あの二郎がそのように大人しい訳が無いのだ。となれば二郎は敢えて好きなようにさせておるのであろうな。
……どれほど時が過ぎたのだろうか?半刻とは経っておらぬ筈であるが。
生臭坊主は肩で息をつき、思う存分、吐き出した様子ではあるが、まだまだ言い足りないと言わんばかりに二郎を睨みつけておるな。それにしても、よくもまあこれだけ言い続ける事が出来たものだ。その点については感心するわ。
とは言え、流石に胃もたれがしてきたな。
「……そろそろ良かろう。これ以上は同じ事の繰り返しであるしな。故に沙汰を下すとしよう」
「殺すが良い!今更、惜しむような命では無いわ!」
「ならば、そうするとしよう。秋月、私が其方の命を貰い受け、死罪とする。並びに随風は放免とする。ただし私の草として働いて貰うとしよう」
ん?儂の聞き違いか?妙な事を聞いたような気がするのだが。
それは生臭坊主も同じらしい。言っている意味が分からんと、そういう表情だ。いや、こ奴を死罪にするという意味は分かる。だが、どうしてそこで死んだ随風が出てくるのだ?
二郎の思惑が分からぬ。だが二郎の雰囲気で儂には分かってしまった。二郎は本気であり、狂ってしまった訳ではないのだ、と。
「秋月の罪状は、私が下した沙汰を無視して、民以外から寄進を募った点に尽きる。それは私だけではなく、三好家の面目も潰した事になる。故に死罪は妥当である。そして今後、秋月は私の草の一人、天台宗の僧侶、随風として生きよ」
「そのようなふざけた真似、俺が認めると思ったのか!」
「認めて貰おうか。今後、其方が為した事は、全て其方の友の手柄となるのだ。それをもって、友への手向けとせよ」
……成程、そう来たか。
武田家としては、生臭坊主は殺さねばならぬ。それは沙汰に背いた咎人である為だ。更に儂が許したとはいえ、二郎に思う存分罵詈雑言を叩きつけた点もある。
だが随風は沙汰に背いた訳では無い。加えて、二郎に無礼を働きもしておらぬ。故に随風は無罪放免が可能になる。ただし、今後は草という裏の顔を持つ事になるだけだ。
生臭坊主は激高したまま。まあ、それは当然よな。いきなり、このような事を言われて頷ける訳も無い。何で友の仇に忠義を尽くさねばならぬ、と言った所だろう。
それは二郎も承知の上の筈。ならば、生臭坊主が受け容れざるをえない、そのような理由を用意してある筈。
しかし、どのような理由であろうな。この生臭坊主が受け容れるしかないような理由。どのような物やら……
「ハッキリ言ってやろう。私は坊主を殺す事に躊躇いは無い。だが坊主が武田家の下した沙汰を無視する度に兵を出すのは面倒臭いのだ。そんな真似をする位なら、内の事に専念したい、と言うのが本音よ。故に其方には、日ノ本全ての坊主を抑えて貰う。其方が断れば、日ノ本において第三の焼き討ちが起きるであろうな」
「脅す気か!この第六天魔王が!」
「別に断っても構わぬぞ?そうなれば其方は意味も無く死を迎えるだけ。其方の友は名も無き無名の存在として、誰にも憶えて貰えずに消えるだけ。いっそ、纏めて皆殺しにしてやるのも良いかもしれぬな。まずは園城寺から始めるとしようか。日ノ本から坊主が消えれば、私は内の事に専念出来るのだからな」
ああ、そういう事か。激情にかられている生臭坊主に哀れみを憶えてきたわ。
正直、儂にそんな資格が無いのは百も承知。それでも二郎の悪辣さには、褒め称えると同時に苦笑したくもなる。
……ひょっとして、ずっと罵声に対して無言であったのは、この案を考える為だったのかもしれぬな。二郎は一石二鳥を好む。であるのなら、こ奴という存在を、武田家の利に繋げようとするのは、二郎ならば当然の考えだ。
「決めよ。私はどちらでも良い」
「……俺に、何が出来ると言うのだ!」
「当面は日ノ本中の名を馳せた僧と文を交わし、知己を作るだけで良い。必要な物は、全てこちらで用意する。ただしもう一度言おう。全ては随風の手柄とするだけだ」
全身を怒りであろう感情で、細かく震わせる生臭坊主。二郎を射殺さんばかりに、鋭い視線で睨みつけておるな。
だが、背に感じる重みが、その激情を冷ましたのだろう。
小さくは有るが、ハッキリした声で『心得ました』と返したのだから。
「それからその骸は荼毘にふした後、遺灰は其方の手元で預かっておけ。いずれ、其方に寺をくれてやる。その寺に葬ってやるが良い。其方にとっても、都合が良かろう」
「……心得……ました……」
「良し、ならば荼毘にふした後、戻ってこい」
生臭坊主、いや随風は悔し気に歯噛みしながら陣を後にした。
それにしても、あの男に日ノ本の坊主を抑えさせる。そのような真似が、本当に可能なのだろうか?
本当に出来るのなら、確かに武田家にとっても利となるのは間違いないがな。
「如何でしたか?私の裁きは」
「妙案ではあるが、本当に出来るのか?アレが裏切りを働く事も考えねばなるまい」
「裏切ったら殺すだけです。敵は皆殺し、それが私のやり方です。それは向こうも分かっているでしょう。であるのなら、そう簡単に裏切れはしないと存じます。何せ、目の前で二度目をやられておりますからな」
……言われてみれば、その通りではあるな。
二郎は口元に笑みを浮かべておる。二郎としては十分に勝算有り、といった所か。まあ二郎は儂では及ばぬ程の知恵の持ち主。出来ると申すのなら、祖父として信じてやるだけか。
ただ気になる点がある。
「のう、二郎や。文の遣り取り、本当に大丈夫か?」
「問題は御座いませぬ。曹洞宗、日蓮宗、浄土真宗から始めさせましょう。ここで何が起きたのか?詳しく知りたい筈ですから。後は適当な所で延暦寺の再建を許可してやるつもりです。勿論、認めるに値する働きがあっての事ですが」
「……まさかと思うが……」
流石に儂とて口には出せぬ事もある。
例えば天台座主の地位に誰が着くのか?という事だ。
そして先程、二郎はこう申していた。いずれ寺をくれてやる、そこに葬ってやれ。これはその寺で暮らし続ける事を意味する。そして認めるだけの働きがあれば延暦寺再建を認める、と。
「随風。あれは八郎(宇喜多直家)とは違った意味で汚れ役を任せられそうだ、と判断致しました。日ノ本の僧侶を守る為、役立って貰いましょう。撥ねっ返りを抑える事が出来れば重畳。出来なければ……奴自身が決断を下さねばならなくなりましょうな。友の死を無駄にせぬ為にも」
「悪どいのう?だが筆頭軍師としては良き判断であると儂も思うぞ。ただ、随風の名では何というか格が軽いように感じるが」
「仰せの通りで御座います。故にあれには焼ける前の延暦寺で修行した、相応の坊主という過去をくれてやりましょう。そして機を見て、その過去に相応しい、仰々しい名をつけてやるつもりです」
本当に二郎は頼もしいわ。儂がいきなり持ち込んできた問題に対して、ここまで考えて対応してしまったのだからな。
だが、面白い。儂としても、あの生臭坊主の行く末を見てみたくなったわ。
それに仰々しい名という言い方。本当に二郎は神仏を信じておらぬな。故に儂は悪戯心を起してしまったのだ。どのような名にするのだ?と。
「……南光坊天海、に御座います」
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
近江国。秋月視点より。
【道増】
園城寺105代目長吏(住職)。父親は近衛尚道。要は二条御所で義輝君相手にキレまくってた太閤殿下の弟。
聖護院30代目門跡とか色々肩書はありますが、拙作では園城寺の住職として登場して戴きました。
秋月の事は寄付の件で認めてはいるけど、最近は酒に溺れ(本人的には逃避)ている為、やや厳しめ。
【御山】
史実では延暦寺の事ですが、拙作のこの時点では比叡山とします。
理由は延暦寺以外も建っているから。
【黒煙】
主人公的には火をつけて→逃げ道用意しておいて→逃げてきた狗を相手に狗追物。
なのでこの時点では第一段階開始と言った辺り。
【俺】
拙僧だったのが俺に変化。
緊急事態に吹っ切れた感じです。なので直後に池に飛び込み、酔い冷まして助けに向かうぞ!という流れに。
【糞爺】
近衛家の人間相手に糞爺呼ばわりw太閤殿下が聞いたら爆笑してくれるかな?
次も近江国が舞台。信虎祖父ちゃん視点より。
【天だ】
あーっ!って感じ。以後、消息不明扱いw
一応、筋は通して警告もしておいたし、それでも無視したんだから仕方ないよね?って感じです。
まあ主人公的には混ざっていたなんて知らなかったでしょうけど。
【ゲーゲー】
吐いちゃうのも仕方ないです。拙作の氏真君は初陣すらしておりませんので。
【兵の中にも青褪めて】
加賀の主力は九州出陣中。兵の大半は対越後の為に、残しておかないといけません。
でも竜騎兵だけでは数が少なく、手が足りません。
なので今浜で『兄上、新兵貸して下さい。五日ほど、鍛錬して返しますから』『おお、それは助かる。では頼んだぞ』と言う感じで新兵を借り受け、火付けをさせましたw
ちなみに義信兄ちゃんが割って入るのを防ぐ方法として主人公が考えたのは『拙速は巧遅に勝る』。仲裁に来る前に終わらせろ、という力づくの方針でした。
【広めよ】
氏真君も、それなりに揉まれて(信虎&寿桂尼)成長はしてます。ゆっくり確実に。
あと十年程すれば、それなりに頼りになる交渉担当になりそうです。
【大量の骸】
どこで硝石作ろうかな?
運ぶ役は新兵だけどw
【二郎に叱られるのは嬉しい】
可愛い孫にかまって貰いたい御年頃のお爺ちゃんです。
何せ孫は仕事中毒なので。
【拙僧】
信虎祖父ちゃんの悪戯心に、毒気を抜かれて一人称が拙僧に逆戻り。
でもすぐに感情が振り切れて俺に戻りますが。
【園城寺】
こうなると流石に考えざるをえないですからね。
主人公というか武田家視点としては、焼き討ちしたとしても、園城寺の坊主が沙汰に背いたからだ、と言い張れますからね。
【文の遣り取り】
久しぶりの顕如。顕如も第二次比叡山焼き討ちは詳細を知りたいでしょうからね。
日蓮宗は恵林寺の快川紹喜。武田家なので話を通すのは可能。
曹洞宗は永平寺。越前国は武田領なので、こちらも対応可能。
そこからコネを増やして、という感じですね。
【南光坊天海】
史実の天海は色々な出自説がありますが、その一つに『会津出身』『僧侶としての名前は随風』というのが有ります。拙作はそれは参考にしています。
つまり死んだ本物の随風が生きていれば、天海へと成長していた、というオチ。
でも拙作では死んでしまったので、秋月が随風(天海)として生きていく事になります。
ちなみに主人公は天海の出自は『明智光秀説』位しか知りません。その光秀が自分に仕えているので、天海の名前使っても問題無いよね?みたいな感じで考えてます。
それでは、新章も宜しくお願い致します。




