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今荀彧編・第十五話

 今荀彧編・第十五話更新します。


 今回は上洛による公方・三好・武田・六角の動向になります。

永禄元年(1558年)七月、山城国、京、室町第、細川藤孝――



 「あの盲が主上の娘婿になっただと!?」

 「公方様、声が大き過ぎます。まだ公表されておらぬのですから」

 「……む……」

 ドサッと音を立てて、公方様が腰を下ろされた。

 なんでも武田二郎信親殿、いやもう加賀守(武田信親)殿と呼ばねばならなかったな。兎に角、昨日行われたばかりの主上と加賀守殿との謁見の事だ。そこでの話が権大納言(山科言継)様を通じて知らされたのである。

 曰く『武田加賀守信親殿と、春齢女王様が御婚約なされたでおじゃる』と。

 重要なのは、権大納言様の思惑。どうして、公表前にこちらに報せてきたのか?


 私はこれを、言外に『公方様と加賀守殿の仲を修復せよ』と受け取った。

 此度の一件は、足利将軍家にとっては、ある意味凶報とも言える。

 何故なら、公方様が当事者である加賀守殿を嫌っておるのは、周知の事実であるからだ。

 

 「公方様。これは由々しき問題で御座います。主上も娘を持つ親で御座います。その可愛い愛娘の婿。敢えて言うまでも御座いませぬが、主上は何かと御気に掛け、出来る事をしようとなされましょう」

 「まあ、それは当然であるな。加賀守の官職を授与なされたのも、その一環なのであろう?」

 「仰る通りで御座います。ですが、ここで問題が御座います。公方様は加賀守殿と距離を取ろうとされております」

 公方様がソワソワし始めた。どうやら御分かり戴けたか。

 加賀守殿を遠ざければ、それは主上の娘婿を遠ざけるという事になる。それが主上の御不興を買うのは、道理であるとも言えるのだ。

 主上と公方様とでは、敢えて言うまでも無い事であるが主上の方が目上の御立場である。そのような御方との仲が拗れるような事になれば、まさに百害あって一利無し、だ。


 「ど、どうせよと申すのだ、兵部大輔(細川藤孝)!」

 「されば、武田家に守護職を追加されるべきかと存じます。特に加賀守殿は遠江の差配を任されております。であれば、遠江の守護職は最低でも必要になるかと」

 「遠江の守護職か。兵部大輔、武田は他にも支配している国があるであろう?それはどうするのだ?特に駿河と伊勢だ。駿河は東を北条、伊勢は南を北畠が治めておる」

 公方様の疑問は尤もだ。

 ここで選択を誤れば、別の問題を引き起こす事になってしまう。故に私は少し考えた後、公方様の御下問にハッキリと御答えさせて戴いた。

 

 「まず駿河で御座いますが、北条家は守護職を望んできた事は御座いませぬ。事実、支配下にある伊豆、相模、武蔵、全て守護職を有しておりませぬ。であれば、北条家は特に抗議もして来ないと存じます」

 「ふん、気に食わぬ事ではあるが、其方の申す事にも一理あるな」

 「続いて伊勢で御座いますが、こちらは北畠家が伊勢国司と守護を兼任しております。故に、伊勢は外すのが得策で御座いましょう」

 北畠家を敵に回しても、足利にとっては何の利も無い。特に不利益も被っておらぬのだから、わざわざ不快にさせる必要も無い。

 故に、伊勢は外すべきなのだ。

 与えるとすれば、遠江、三河、尾張、飛騨。この四ヶ国。信濃は除外だ。公方様は気付かれておられぬようだが、信濃にはまだ越後の長尾殿が与しておられる村上家が存在している。にも拘らず、信濃守護職を与えてしまっては、長尾殿が面白くないだろう。


 「加賀守殿には御婚約の祝いという名義で、遠江の守護職を与えれば宜しゅう御座いましょう。加えて尾張守、三河、飛騨についても大膳大夫(武田晴信)殿と越前守(武田義信)殿に御与え為さるべきと存じます。大膳大夫殿に予め伝えておけば、向こうの心証も改善されるかと存じます」

 「……分かった。あくまでも此度の祝い、という名目だ。それは決して外してはならぬぞ。兵部大輔、手筈を整えよ」

 「心得ました。直ちに取り掛かります」

 さて、これを足掛かりとして、何とか武田家との距離を縮めていかねばならぬな。

 筑前守(三好長慶)殿はともかくとして、三好家の他の者達は公方様に対して、何やら含む所が有るように思えるからだ。

 ここで武田家まで敵にする訳にはいかぬわ。

 


永禄元年(1558年)七月、山城国、京、勝龍寺城、三好長慶――



 儂が最も信頼する家臣、松永弾正久秀。その正室である保子殿の実家、広橋家より急使が来たのだ。

 その報せを受けた弾正は、慌てて儂に面会を求めてきたのである。

 『武田加賀守信親殿、春齢女王様と御婚約。吉日をもって公表する』

 この場に居合わせた者達は、互いに顔を見合わせていた。

 まさに何と言ってよいのやら。困惑、ただこの一点に尽きる。


 「まずは祝いの使者を送らねばならぬな。これを顔見知りの弾正(松永久秀)に頼むのは当然の事ではあるのだが……弾正、此度の一件、其方はどう見る?」

 「されば、主上は武田家を朝廷に引き込みたいと御考えなのではと。無論、証拠は御座いませぬ。全ては某の推測に過ぎませぬ」

 「分かっておるとも。だが単に引き込むだけなら、御年九歳の女王様でなくても良かろうな。であれば、何か理由はある筈だ」

 確か姉君がいた筈……いや、数年前に亡くなられておったな。

 そうなると、春齢女王様しか娘はおられぬのか。

 となると、本気で武田家を引き込む気でおられるのか?


 「此度の一件が三好家にどう影響を与えるか、それも考えねばならぬ。まずは朝廷と武田家の結びつきが強くなる。相対的に、当家と朝廷の結びつきは弱くなるな」

 「仰せの通りに御座います。ただ朝廷が武田家を引き込もうとしても、当主である大膳大夫(武田晴信)殿や加賀守(武田信親)殿はおいそれとは靡かぬでしょう。向こうも三好家と全面衝突など、望んではおりませぬからな」

 「互いに御家が大きいからこそ、ぶつかるのを避ける、か。となれば、現状維持という事になるか?」

 儂の問いに、弾正が頷く。周りを見れば、大叔父上を始めとして、皆も納得したように頷いていた。

 であれば、警戒はしておくが、過剰に恐れる必要は無いという所か。

 隙を見せぬ。これが肝要であろう。


 「次に公方だ。公方と武田家がどうなるか、だ。確か公方は、加賀守を嫌っておるのであったな?」

 「はい、愚か者呼ばわりされた事が、余程腹に据えかねた様で御座いますな」

 皆が笑いながら頷きあった。

 上洛戦の際に観音寺城で起きた、加賀守殿が公方本人に対して愚か者呼ばわりした一件は儂の耳にも入ってきている。

 最初聞いた時は、思わず大笑いしてしまった。

 本人に言うかと、半ば呆れた事も思い出す。


 「しかし、こうなれば公方も方針を変更せざるを得ないでしょう。距離を取り続ければ、主上の御不興を買います故」

 「だが、あの公方ではなあ……まあ大膳大夫殿を通じて、といった辺りが落しどころであろうな。あの愚か者が頭を下げるとも思えぬわ」

 「そうなりますと表面上は関係修復、内実は今まで通り、と言った所で御座いましょう」

 恐らくは弾正の見立て通りであろうな。であれば、公方が擦り寄って武田家を操ると言った事態にはならぬだろう。尤も、大膳大夫殿や加賀守殿が、そんな真似を許す訳も無いだろうが。


 「周辺に与える影響も重要だ。まずは一向衆だ」

 「第六天魔王呼ばわりした相手が、主上の娘婿ですからな。石山の法主は気まずくは御座いましょう。しかし、武田家は」

 「分かっておる」

 武田家は北陸進出を考えておるのだ。三好としても越後の長尾勢を武田家が壁として受け止めてくれる配置になるのだから、十分に利はある。

 長尾は戦上手として有名な男だからな。そのまま関東で暴れているならば問題は無い。

 だが公方が動き出すと、万が一が起きるかもしれぬ。故に、武田が壁になってくれるのは有難いのだ。


 「若狭国は本家である甲斐武田家に擦り寄りましょう。今も嫡男である越前守(武田義信)殿を総大将として、若狭国の一揆を鎮めております故」

 「そうだな。本家が朝廷と結びつきを深めたとなれば、更に頼りにするのは当たり前の事だ」

 「はい。若狭武田家に何かあれば武田本家が出張る。武田家が北陸に出れば、その可能性は考えねばなりませぬ。その前に若狭国を奪えば話は別ですが……」

 そうはいかぬというのが現実だ。今の三好家は公方と和して、足利政権内部で権力を握った立場。その立場にある者が、正当な若狭守護武田家を武力で食らう事は許されぬ。

 かと言って実力不十分として、守護職と国を剥奪するのも問題だ。

 出来なくはないが、若狭の後任が三好家では、誰も認めんだろう。どう考えても若狭が欲しくて領地を強奪した、としか見ないであろうな。

 

 「伊勢北畠家はどう見る?」

 「あそこは元々、南朝の北畠家ですからな。足利家よりは朝廷寄りの御家。そして長島を奪って勢力拡大した武田家が、朝廷と結びつきを深めた……武田と手を組み、半島南部経由で紀伊へ、と言うのも考えられなくもありませぬ。他に攻め込むにしても、南伊勢では某の大和国か或いは伊賀国しか御座いませぬ故」

 「となれば、三好としては南伊勢に勢力を伸ばす選択肢もあるな。そうすれば摂津、大和、南伊勢の三方向から紀伊を攻めるという戦略も出てくる。まあそれも北畠が欲を出した場合に過ぎぬが」

 南伊勢までの移動には難があるからな。それに先程は紀伊を挙げたが、実際に北畠家が紀伊国に侵攻するのは難しいだろう。あまりにも山道が続くからな、行軍には不向きすぎるわ。となれば、北畠家は外には出ずに様子見に徹するかもしれぬな……ならば、北畠は後に回すか。それよりも三好家としては懐――摂津の石山本願寺、紀伊と河内の尾州畠山家に力を注ぐべきだ。

 しかし南伊勢は民が多いという利点もある。となると、三好家としては出来れば押さえておきたい所ではあるな。

 隙を見せれば、一気に奪うとしよう。


 「あとは尼子で御座いましょう。山名の方が近くは御座いますが、危険度は尼子の方が大きいと判断致します」

 「尼子の足を止めるなら、武田と三好の結びつきを見せるべきであろう。逆に割れれば、好機と見て動くであろうな。尼子・武田連合軍等、対峙したくもないわ」

 「真に仰せの通りで御座います。となれば、六角も攻める訳にはいかぬ以上、当面は紀伊に狙いを絞るべき、となりますな」

 そうでなくても戦続きだからな、

 民を慰撫し、力を回復させ、紀伊まで所領とすれば南方面の守りに割いている兵を移動させる事も可能になる。

 となれば、まずは河内。その後で石山、次いで紀伊。もし隙を見せたら北畠。

 まあそう上手く行くとは思えぬが、好機を見逃す事無く、計画だけは練っておかぬとな。

 


永禄元年(1558年)七月、山城国、京、武田信虎邸、武田晴信――



 二郎が六角家の蒲生殿と接触した翌日の夜。親父の屋敷に、主だった者達が集っていた。

 板敷の上に腰を下ろし、月明かりに照らし出された顔触れは俺、勘助、次郎(武田信繁)、親父、二郎(武田信親)といった顔触れだ。

 親父と同居している彦五郎(今川氏真)には、席を外して貰っている。


 「さて、二郎。三雲の家臣だが、何故、返してやったのだ?こっそり首を斬れば、事件は表に出てこない。結果として、北陸侵攻を邪魔される事も無かったであろうに」

 「はい、父上の仰る通りで御座います。ですが、こちらの手で殺すのは中策。より良い結果を生み出す為に、上策として返してやりました」

 「ほう?上策があると申すのか。聞かせてみせよ」

 それは興味を惹かれるな。確かに六角に返して恩を着せるというのは、俺も一つの案として考えてはいた。

 だが、それ以上の価値があったというのであれば、それは聞いておきたい。


 「此度の件、確実に下野守(蒲生定秀)殿が左京大夫(六角義賢)殿に報告を致します。六角家当主としては、全てを晒す訳にはいきません。真実を共有するのは六人衆まで、という扱いになりましょう。そして六角家の耳目である、対馬守(三雲定持)殿が責任を取らされ、腹を切る。その為に、春齢女王様の事を伝えて、言外に朝敵扱いとなる危険性について教えました。結果、三雲家は強制的に代替わり。六角家は今後の情報収集において後れを取るようになるでしょう」

 「なるほどな。六角家の動きを鈍らせる、か」

 「はい。加えて、六角家が武田家に今まで以上に近寄ってくる事も、計算しております。実行犯を引き渡したという貸し、朝敵扱いされる危険性という情報の提供。これにより、六角家を武田家側に更に引き寄せ、三好家が欲に駆られて暴発する事を未然に防ぎます」

 ふむ、確かに三好家と武田家の関係性は割と良いと言ってよいだろう。だが武田家はこれから北陸へ勢力を伸ばしていく。

 それは隙を見せる、という事でもある。或いは、越前侵攻時に三好が漁夫の利を狙って攻め込まぬ、という保証は何処にも無い。この乱世、何が起こってもおかしくはないのだ。

 その時、武田家側に六角家がついていればどうなるか?三好家としては、そう簡単に武田家を敵に回そうとは言えなくなるであろう。

 まあ筑前守(三好長慶)殿や松永弾正(松永久秀)が、そこまで愚かとも思えぬがな。しかし、万が一を考えておくのは悪い事ではない。

 

 「そして本命は六角家内部に御家騒動の火種を燻らせる事にあります。此度の一件を左京大夫様は六人衆に周知するでしょう。そこで当然の疑問が出てきます。何故、対馬守殿はそんな事をしたのだ?と」

 「確かに当然の疑問で御座いますな、二郎様」

 「勘助とてそう思うだろう?対馬守は答える訳にはいかぬだろうな。腹を切る事になっても、沈黙を貫くだろう。仮に正直に話したとすれば、真の首謀者が跡取りの右衛門督(六角義治)である事を六人衆が知る事になる」

 二郎の推測通りだろう。対馬守は言う訳にはいかんのだ。左京大夫殿にしても、口には出せんのだ。そんな真似をすれば、跡取りを廃嫡せねばならなくなる。

 間違いなく、六角家を揺るがす大騒動となるであろう。ましてや跡取りを廃嫡しようものなら、六人衆で収めるどころか家中全てが廃嫡の理由について疑念を抱く。例え六人衆に緘口令を敷いたとしても、だ。

 確かに隠し通せれば問題は無い。その手段として廃嫡に関しても、適当な理由をこじつけてやれば良いのだ。だが、一方でわざわざ危ない橋を渡る必要も無い筈。となれば……対馬守はそこまで考えて腹を切っても不思議は無いか。

 全ては己の責である、と。


 「逆に沈黙を貫いた場合、残りの六人衆は知恵を出し合って相談致しましょう。そしてすぐに気付く筈。対馬守に命令できる者は二人しかおらぬという事に」

 「なるほどな。左京大夫殿がそんな真似をする訳が無い。其方との仲の良さは、六人衆も知っておるからな。となれば、残るは一人」

 「はい。右衛門督に対する評価は、間違いなく落ちましょう」

 そういう目論見であったか。確かに、これは首を斬って事件その物を無かった事にしては得られぬ状況だ。そして親父の左京大夫は、暴走した息子を諫め、再教育しようとするだろう。

 だが太郎(武田義信)によれば、跡取りは不安で仕方ない、との事であった。言葉を濁しておったが、ようは馬鹿息子という事であろう。

 馬鹿息子にしてみれば、きっと面白くない状況だ。不満が溜まり、親父との間に距離を取り始めるであろうな。


 「結果、私と文を交わしている、次男の次郎殿の評価が相対的に上がっていく。六角家当主の座を巡って、御家騒動が起きるのは必然となりましょう。特に次郎殿が下野守殿を頼りとするように、それとなく仕向けておりましたから」

 「えぐい真似をするな、其方は」

 「誉め言葉として受け取らせて戴きます。話を戻しますが、今はこれ以上の干渉は不要であると判断しております。近江で勝手に燻ってくれるでしょうから。下手に手を突っ込む危険を冒す必要は御座いません」

 良き策だ。この策を潰すなら、左京大夫殿が馬鹿息子を廃嫡し、適当な理由もこじつける。その上で六人衆に緘口令を敷く他無いだろう。

 だが左京大夫殿に、その決断が出来るとも思えぬな。あくまでも父親として、そして六角家当主として、馬鹿息子が当主としてやっていけるように、ありとあらゆる手段を尽くすだろう。

 だが、それは皮肉な事に、次男が有能な男に成長すればするほど、無意味な行動となっていく。馬鹿息子にしてみれば、弟は当主の座を奪う敵にしか見えぬだろう。


 「いずれ武田家が近江と美濃を獲ります。ですが、今はその時では御座いません。実が熟すまで、ゆるりと待つのが上策で御座います」

 「御家騒動か。そこに攻め込むか?」

 「出来る事なら、戦をせずに取り込みたい所では御座いますが。六角家の兵は百姓兵。戦になれば、勝利しても生産力が減少致します」

 二郎の申す通りだ。ならば、焦る必要は無い。

 今は六角家を盾としつつ、北陸へと勢力を伸ばす。越前・加賀を獲るのだ。そうすれば、武田家は西へと進む事が出来る。

 さて、筑前守(三好長慶)殿は、武田家の思惑を読む事が出来るかな?



永禄元年(1558年)十月、尾張国、清洲城、武田義信――



 上洛戦は終わった。私自身は弟の三郎(武田信之)と共に若狭の一揆鎮圧を行った。三郎にとっては良き経験になっただろう。

 そして帰京した所、私に越前守従五位上が授与された事を知った時には驚いた物だ。私はまだ家督を相続した訳でもないからだ。

 問題はその後だ。そこで知らされた事が、武田家中に公開される事になる。


 開け放たれた扉から、涼しい風と温かい陽射しが入り込んでくる。家臣達もその気持ち良さを堪能しているのか、満面の笑みを浮かべて上座にいる私達に顔を向けていた。

 上座中央には父上。そして隣に私、反対側やや下座寄りに二郎(武田信親)。その背後に叔父上(武田信繁)。そして下座には三郎や家臣達。いつも通りの配置だ。

 「まず此度の上洛戦、御苦労であった。武田家当主として改めて礼を言う。その上で、皆に伝える事がある。心して聞くのだ」

 皆が居住まいを正す。これから話す事を知っているのは、家臣では勘助殿だけだと聞いている。


 「まず吉日をもって、武田家当主の座を我が子、越前守義信に譲る。儂は隠居し、信玄と号する」

 どよめく家臣達。当然だ、父上は三十七歳、私は十九歳。隠居するにはまだ早過ぎるだろう。だがそれでも実行しないといけなくなってしまったのだ。


 「安心せい。あくまでも当主の座を譲るだけだ。俺は太郎(武田義信)を次期当主に相応しい男へと育て上げる。その為に後見となるのだ。同時にこれから進めていく加賀国の攻略完了をもって、二郎を新たに創設する分家『加賀武田家』初代当主とする」

 「御屋形(武田晴信)様。真に失礼ながら申し上げます。そこに至った理由について御聞かせ願えぬでしょうか?」

 「美濃守(原虎胤)の申す事は尤もだ。理由は武田家を内部分裂させぬ為よ。京でな、俺や二郎ですら予想できない事件が起こった。結果として、二郎を次期当主としなければならなくなる不測の事態が起きてしまったのよ。故に苦肉の策として、家督継承を行うのだ」

 上洛戦の際、二郎の与力から本家家老へ復帰する事を通達された美濃守殿が、居住まいを正した。美濃守殿としては二郎の傍に居たかったようだが、主命では仕方ないだろう。

 これから先、大戦が何度も起きる。それを制するには其方の力が必要だ。父上直々にそう言われては、美濃守殿に断る術は無かったのだ。

 そして父上が改めて家臣達を見回す。しっかり話を聞いているか確認しているのだろう。


 「二郎が正室を拒んでいる事は皆も知っておるな?だが正室を娶らねばならなくなってしまった。そしてそれを拒む事は出来ぬ。なぜなら、御相手は今上帝の姫君、春齢女王様であるからだ」

 ……鬼美濃とまで謳われた豪胆な男がポカンとしているな。いや、皆、似たり寄ったりか。それはそうだろう。誰もこんな状況、想像できる訳が無い。

 そんな家臣達の間を縫うかのように、少し涼しい風が吹き込んでいる。

 何故だろうな。彼等の顔がどことなく煤けて見えてしまうのは。


 「二郎は京の警邏中に一人の童女を保護した。その童女がお忍びで御所を抜け出ていた女王様であられた。二郎は見捨てる事も出来ず、傍仕えの者達が来るまで一緒にいたのだ。そこに長島の残党が襲い掛かり、二郎は女王様を守り続けた。そして女王様をお返しした。そこで終われば問題は無かったのだ……二郎に惚れ込んでしまった女王様が輿入れしたいと我儘を言い出さなければな。分かるか?家督相続を急ぐ訳が」

 「……理解致しました。そういう事であれば、この美濃守、これまでと変わらぬ忠誠をもって、御屋形様と越前守(武田義信)様、そして武田家を支えて参ります。そして二郎様、慶事、お祝い申し上げます」

 「……ああ、ありがとう」

 二郎が眉間を押さえながら礼を言う。きっと素直に喜べぬのだろう。気持ちはよく分かる。

 家臣達を見てみれば、何というか複雑そうな表情だ。それはそうだ。二郎は何一つとして間違った事はしていない。加えて、皆は知らぬが一度は帝相手に断っているというのだ。

 私が二郎の立場だったら、断るどころか素直に頷いていただろうな。

 さて、気を取り直さねばいかんな。私も確認しておきたい事があるのだ。


 「父上。二郎が分家当主となるのは良いのですが、そうなると最初の頃に考えていた、二郎を色々な国に赴任させて国を富ませるという方針は如何為されるので御座いますか?」

 「廃案にせざるを得んだろうよ。幸い、代案は用意されておる。それによって生じる遅れは取り戻せば良いだけ。心配は不要だ」

 


永禄元年(1558年)十月、遠江国、浜松城、ゆき――



 もうすぐ出産という頃に、二郎様は御帰りになられました。それを出向かえる事も出来ず、申し訳ないと思っていたのですが、まさか二郎様が私の前で土下座をされるなんて欠片ほどにも思いませんでした。


 「二郎様、一体何が!?」

 「すまぬ、ゆき。正室を娶らねばならなくなった!」

 事情を教えて戴いたのですが、これを責める事など出来る訳が御座いませぬ。

 そもそも二郎様ほどの御方であれば、御正室がいて当然。寧ろ、義務と言うべきで御座います。寧ろ、今まで御正室を娶らぬ事を許されていたのがおかしかったと申すべきなのです。

 それに私の出自は百姓に過ぎませぬ。どこをどう見ても、私に文句を言う権利はありませぬ。


 「お願いですから頭を上げて下さい。二郎様は誤った事など、何一つしてはおりませぬ」

 確かに嫉妬が無いか?と問われれば断言はできませぬ。それは認めましょう。しかし、それはホンの僅かな気持ちに過ぎませぬ。その僅かな気持ちだけで、心の全てを塗り潰す様な真似を致したく御座いませぬ。

 二郎様を御支えする身として、醜い嫉妬の念に身を焦がされる訳には参らぬのですから。


 「二郎様、気持ちを切り替えましょう。私は二郎様と共にいられるだけで満足しております」

 「ありがとう、ゆき」

 さあ私も気持ちを切り替えよう。二郎様不在の間の事について報告すべき事があるのですから。

 孤児達の中から選抜した新たな者達、留守中の財務状況、研究開発報告等々、報告すべき事は山程あるのです。

 これだけの報告、そう簡単には終わりはしない……ん?

 何か足が冷たいような…… 


 「い……痛い……」

 「ゆき!?どうした!」

 「う、産まれます!」

 「だ、誰か!ゆきが産気づいた!」

 この日、待望の第一子が産まれた。名前は月。可愛らしい女の子であった。



永禄元年(1558年)十月、近江国、観音寺城、後藤賢豊――



 空を見上げると、今にも雨が降ってきそうな雨雲に埋め尽くされていた。

 見ているだけで気が滅入るようなドンヨリとした雲。

 思わず溜め息を吐いてしまった。だが、御役目を放棄する事は許されぬ。誰かがやらねばならぬ事なのだ。


 重い足を引きずり、御屋形(六角義賢)様の元へ向かった。

 肝心の御屋形様は、数ある部屋の一つにいた。部屋の造りは他の部屋と同じなのだが、御屋形様はここから見る事の出来る庭の光景が好みらしい。

 何かあると、ここで気持ちを落ちつけておられるのだ。


 「御屋形様」

 「但馬守(後藤賢豊)か、辛い役目を済まぬな」

 「いえ、某は大丈夫で御座います……御報告をさせて戴きます」

 庭を眺めていた御屋形様が、居住まいを正して報告を受ける姿勢になられる。

 若い頃はこうした事にも無頓着であったのだが、今は違う。御屋形様は己を省みて、成長されたのだ。

 その爪の先の欠片程でも良い。せめて右衛門督(六角義治)様にも、見習って戴きたいのだが……

 

 「三雲対馬守定持殿。昨夜の内に腹を召しておりました。嫡男、新左衛門尉(三雲賢持)殿から文を預かっております。御屋形様へ渡すよう、最後に命じられた、と」

 「うむ、これは読まねばなるまいな」

 私が手渡した文を、御屋形様は両手で受け取ったが、すぐには目を通されなかった。

 最初に目を閉じ、何かに祈るかのように軽く頭を下げられる。

 分かっておられるのだろう。対馬守(三雲定持)殿の忠義を。だからこそ、最後の文を軽々しく扱う事が出来なかったのだ。

 この謙虚さ。これがどうして伝わらなかったのだろうか?


 「……対馬守は無念であっただろうな。せめて御家に関しては、新左衛門尉が継ぐ事を儂の名において認めよう」

 「はは。亡き対馬守も喜びましょう」

 「そうであれば良いがな。倅の暴走に気付けなかった、不甲斐ない儂を恨んで居ったとしても、不思議はない。いずれあの世で、愚痴を聞いてやらねばならんだろう」

 まだ四十前と働き盛りの御屋形様が、一気に老け込まれたように感じられた。

 それもそうだ。最悪、六角家が朝敵扱いされる寸前にまで至っていた事に、家中の者は誰一人として気付けなかったのだ。

 加賀守(武田信親)殿と下野守(蒲生定秀)殿が内密に手打ちをした事で、表沙汰にならずに済んだだけに過ぎない。

 本当に運が良かっただけなのだ。


 あの日の夜。加賀守殿に呼び出されて深夜に出向いた下野守殿が宿泊先である大徳寺に戻ってきた。そして、就寝中の御屋形様を叩き起こしてまで報告しなければならなかった事実。

 御屋形様は即座に大徳寺の本堂に六人衆を集め、加賀守殿を襲った事件と、その事件に巻き込まれた、あるやんごとなき姫君の事を口にされたのである。

 報告を持ってきた下野守殿は、眉を吊り上げて激怒されたままであった。加賀守殿との友誼を考えれば、それはある意味、自然な事ともいえる。

 六人衆も、皆、似たり寄ったりだ。

 唯一の例外が対馬守殿。対馬守殿は言い訳もせず、ただ非難の言葉を黙って受け止めておられた。

 私はそれを黙って見ていた。だから気付く事が出来たのだ。


 『対馬守殿。お命じになられたのは、右衛門督様で御座いますか?』

 

 私の問い掛けに、皆、黙ってしまった。

 苦楽を共にしてきた対馬守殿が、声を殺したまま、その両目から雫を流していたからだ。

 忠義故に、口に出せない。それを皆が察してしまったのだ。


 「誰か、義治を叩き起こして連れて参れ。衣服などどうでも構わぬ、直ちに来い!と」

 初めて見た。灯りに照らし出された御屋形様が、激怒している姿を。

 若い頃は雲光寺様の御威光に隠れ、頼りない印象しか無かった御屋形様。

 加賀守殿との初めての出会い以降、己を磨くようになった御屋形様。

 だが、このような怒りの表情は、終ぞ見た事が無い。あの御屋形様でも怒る事があるのか、と驚いた事を覚えている。


 「義治!其方、武田家の二郎殿に長島の残党を刺客として差し向けたのか!」

 「な、何を仰るのですか!」

 「この、大バカ者が!」

 寝間着姿でやって来た右衛門督様は否定しようとしたのだろう。

 だが、その表情を見れば嘘だと分かる。

 故に、御屋形様は激怒なされたのだ。

 立ち上がった御屋形様が、真正面から右衛門督様を殴り飛ばした。


 「ち、父上!何をするのですか!」

 「其方の行動が、六角家を朝敵呼ばわりされる事態へ追い込んだのだぞ!良いか、其方が差し向けた刺客はな、今上帝の姫君、春齢女王様まで襲っていたのだぞ!二郎殿が守っていなければ、天下を揺るがす一大事になっておったわ!」

 右衛門督様が呆然とされておられる。

 それはそうだろう。まさか、こんな事態になるとは、欠片程にも思っていなかったのであろうな。

 武田家の軍勢の中に、お忍び中に迷子になっていた女王様が保護されていた、なんて想像できる筈もない。


 虚を突かれた右衛門督様が、自身の行動を説明したのは、そのすぐ後であった。

 確かに言い分にも一理はある。六角家が武田と三好、双方に囲まれてこれ以上の勢力拡大を行えない、という主張は確かに正しいからだ。

 だが、それならそうと口に出して主張されれば良かったのだ。そうすれば、このような事態にはならなかったというのに。


 その後、右衛門督様は『監視の兵』と共に観音寺城へ即座に送り返された。そのまま謹慎を申し付けられたのである。

 対馬守殿も同じく謹慎。本人は『腹を切らせて戴きたい』と涙ながらに訴えたのだが、御屋形様はそれを許さなかった。

 『其方の罪を問う理由が無い。其方は命に従ったまでだ』

 

 その後、御屋形様は非公式に加賀守殿に謝罪をしたり、朝廷の人脈を辿って事件の事が帝や殿上人の間で問題になっていないかを調べたり、色々と忙しい日々を送られた。

 そして上洛が終って近江へ帰還。

 それから半月後の事だった。

 三雲家の跡取りから『父が腹を切った』という報せが入ったのは。


 開け放たれた障子から差し込む陽の光の中で、御屋形様は対馬守殿の遺書を沈黙したまま読まれておられた。

 そして読み終えたのか、顔を上げ、私に語り掛けてきた。

 いつになく、優しい声で。


 「対馬守の献策を実行に移す」

 「如何なる策で御座いますか?」

 「対馬守が此度の責を全て背負って腹を切った、という事にする。それを義治にしかと理解させるのだ。其方の軽挙妄動によって、対馬守は死んだのだぞ、と」

 対馬守殿も、右衛門督様を頼りなく思っていたのだろうな。だからこそ、己の死を最後に役立てて貰おうと考えたのだろう。

 対馬守殿、貴殿は真の忠義者だな。

 貴殿の分まで、私が六角家を守る。雲光寺様と共に、どうか見守っていてくれ。


 今回もお読み下さり、ありがとうございます。


 まずは公方陣営。

 思いっきり主人公を嫌った所に『主人公と女王様が婚約したよ、とっとと関係修復しなさいよ』という山科さんからの御報せが舞い込み『やっべ、どうすんべ』という状況が公方陣営w

 それでも細川さんが頑張って、出来る限りの事をしております。


 次に三好陣営。

 こちらはボンバーマンの嫁さんの実家経由でお報せが舞い込みます。

 ただこちらは至極冷静。この状況が周りにどんな影響を及ぼすか?と思案に耽って、紀伊→石山、隙を見せたら北畠、と決断。

 全盛期の長慶さんは伊達じゃあない。


 次は武田家。

 こちらは同行よりも、二郎が素直に実行犯を返した理由についての説明会。武田は恩を着せて六角家を盾にして北陸出るぞ、という再確認の御話になります。

 上洛終了後は、婚約のお披露目話。誰も悪くないのに、どうしてこうなった、な感じ。

 そして人事異動発表。

 義信兄ちゃんが当主に。パパはこれ以降、武田徳栄軒信玄を名乗る様になります。みんな同じみ坊主頭の信玄さんです。

 次に鬼美濃(原虎胤)さんが本家復帰。今まで主人公の常備兵管理と、攻城戦担当ご苦労様でしたって感じです。

 そして、ゆきは良く出来た御嫁さん、と言う話で〆。


 最後に御通夜モードの六角家。

 義賢パパ、真実を知って大激怒状態。みんな大好き義治君がぶん殴られるという事態に。

 パパ駄目だよ、殴っちゃ。義治君のファンは大勢いるんだからねw

 そして三雲さんの最後の献策。義治君は改心するのか?

 そんな一縷の希望を踏み躙るかのように、後藤さんに立ってしまったフラグwフラグ回収はいつ頃かな?それとも未回収のままになるかな?


 ここで話題変更。

 次回から加賀武田家編になります。

 

 ぶっちゃけ、戦についてはすっ飛ばします。碌に留守居部隊もいない越前侵攻と、門徒に見放された尾山御坊と攻め立てている越前朝倉軍を、蹂躙するだけの殲滅戦を書いてもつまらないから、と言うのが理由です。なので、戦についてはアッサリ終わらせる予定です。


 それでは、また次回も宜しくお願い致します。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 月ちゃんようこそ世界へ! お誕生日御目出度う! [一言] 三好さんが婚約話の裏をめっちゃ深読みしようとしてるのに笑ったw まぁ、誰も予想できないよ。『おてんば姫が運命の出会いを果たしたから…
[良い点] 何処の歴史物でも義賢は治る事も有りますが義治は…治ら無いんですねw(予定調和)もうある種のノルマかも知れん義治がアレなのは。 [気になる点] さて義治君の最後はどうなるのか?       …
2021/09/12 18:54 反義治連合
[一言] 次回から越前編ってことは、暫く義治君の出番はなしか。 寂しいですねぇ
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