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今荀彧編・第十話

 今荀彧編・第十話、更新します。


 悪巧み書いてたら、いつのまにか文字数が……半分に割りたいけど、割れないやw

 って事で、今回は多めになります。


 では、上洛準備悪巧み編、始めます。

弘治三年(1557年)八月、尾張国、清洲城、武田晴信――



 「御屋形(武田晴信)様」

 「どうした、三条。何かあったか?」

 執務中、突然姿を見せたのは三条であった。俺の正室であり、ここ数年は婚儀を挙げたばかりの頃のように、仲睦まじい日々を過ごしている。

 お陰で三条も、俺と同じように毎日機嫌が良く、日々楽しく過ごしていた……筈なのだが、随分と表情が険しいな。何が起きた?


 「お人払いを」

 「……良かろう、皆、下がっておれ。それで、何があった?」

 「浜松のゆき殿から文が届いたのです。助けを求めております」

 皆が下がった所で、三条が小さく、絞り出したような声を出す。

 本当に、何があった?

 三条が差し出してきた文に目を通し……言葉を失った。

 全く気付かなんだわ!俺は二郎(武田信親)がここにいた間、一体、何を見ていたというのだ!


 「この文が事実であれば、二郎が危のう御座います」

 「分かっておる。確か甲斐忍びが献上してきた、眠り薬があった筈だ。それを飲ませて無理矢理眠らせるしかあるまい。しかし、あの二郎がなあ……恐らくは長島が原因であろうな。それにしても毎夜、眠れぬ程に己を責め立てておったとはな」

 「二郎は、本来は優しい子です。幼かったあの子が苦しむ民を救う為に、地獄へ落ちる覚悟を決めた事は伺っております。しかし、その覚悟と本来の優しい心が、折り合いをつけられなくなってしまったのでしょう」

 弱みを見せる訳にはいかぬと、己を戒めてしまったのであろうな。

 眠れぬ為に生じた隈を隠そうと、朝から酒を含んで顔色を誤魔化しておったとは。

 そんな生活を一月も続けておれば、体が壊れるわ!


 「誰か!誰かおるか!」

 「はは!」

 「至急、浜松にいる二郎の側室、ゆきにこの薬と文を届けよ!大至急だ!」

 近習の一人が、俺が急いで用意した返書と薬を手にして走り去る。その背中が廊下の向こうへと消えた事を確認してから、小さく安堵した。

 あの眠り薬は甲斐忍びが使っている程、効果があるのだ。適当に飲ませれば、一晩ぐっすり眠れるだろう。

 とりあえずは、これで様子を見るとするか。そう考え、俺は上座に戻った。


 「長島の民は、武田家に牙を剥いた者達だ。敵である以上、情けをかける事は許されぬ。それは二郎も分かっておる。覚悟も決めておった。だが、あまりにも『殺し過ぎて』しまった。それも逃げ出したかも、という僅かな望みすらも断ち切るほどに、決定的なまでに殺し尽くした。見つかった死体だけを数えても一万を超えたと聞いておる。海まで流された者達を含めれば、五倍に届いても不思議はないのだ。その結果、良心の呵責に苦しみだした、という事だろう……不器用な子だな」

 「御屋形様」

 「分かっておる。念の為に、徳本を浜松へ向かわせておくとするか。俺にとっても、二郎は可愛い息子なのだ。しかし、あれほど賢いというのに、まさかこんな形で手を掛けさせてくるとはな……まだまだ俺が必要だな」

 不謹慎ではあるが、親としての俺が求められるというのは嬉しくもある。

 非情に成りきれ、と命じるのは容易いが、それで解決できるような問題ではない。

 二郎は甘いのではなく、優しいだけだからだ。


 「甘いと優しい、は別物なのだ。甘いは短所。敵に付け込まれる弱み。優しいは長所。味方を増やしてくれる強み。此度の二郎の苦痛は甘さでは無い。非情の決断を下しておるのだからな。故に生来の優しさによって苦しんでいると判断すべきだろう。二郎が自分なりの答えを見つけるまで、親としては支えてやらねばな。そうであろう?」

 「はい。ですが、まさか二郎がこうなるとは思っても見ませんでした。あの子に対して、何か出来る事があれば良いのですが」

 「まだ夏だからな……体調を整える薬はどうだ?」

 二郎にとって救いとなるのは、人の心であろう。

 効果は二の次。自分を心配した母親が、自分の為に手配してくれた。

 そこに秘められた想いこそ、二郎にとって救いとなる筈だ。


 「それにしても、意外に幼い部分が残っておったのだな」

 「御屋形様。二郎は優しいだけで、幼くは御座いませぬ」

 「分かった分かった。そう怒るでないわ」

 やれやれ。だが、まあ良いわ。

 二郎には期待しておるのだ。堪えてみせるのだぞ、二郎。



弘治三年(1557年)十二月、尾張国、清洲城、三条の方――



 年明けに行われる新年の評定。それに参加する為に、少し早く尾張へやってきた二郎。

 夏に心配を掛けさせた我が子ですが、その顔色は自然の物に見えました。目元に隈も無く、血色も良い様に見受けました。

 二郎なりに折り合いをつける事が出来たのでしょうね。そう思うと安堵してしまいました。

 同時に、つい苦言が出てしまいましたが、そこは許して戴きましょう。


 「良いですか、二郎。其方が聡い事、母は良く知っております。けれども其方は優しい子。あまり思いつめてはなりませぬよ?親より先に逝くなど、親不孝の極みという物です。母を悲しませないで下さいね」

 「御心配をお掛けして、申し訳御座いませんでした」

 「それにしても、二郎が元気になってくれ、母は嬉しいですよ。ゆき殿、本当に感謝しております。今後も、二郎を支えてあげて下さいね」

 まるで二郎に倣うかのように、ゆき殿が頭を下げました。

 確かにゆき殿は側室。素性にも難は御座います。

 ですが二郎にとっては、間違いなく妻であり、得難い補佐役でもあるのです。ゆき殿がいなければ、二郎が此程までに才を発揮する事は叶わなかったでしょう。

 本当に、二郎は良い伴侶を得ましたね。


 「ところで御裏」

 「二郎?」

 「母上。本日は御迷惑をお掛けした御詫びの品を持って参りました。どうかお受け取り下さい」

 この子は……何度言えば、分かってくれるのでしょうかね?私は息子に御裏方(三条の方)様と言われて喜ぶような女では無いのですよ。

 ちゃんと母上と呼んで欲しいのです。

 傍に仕える者達も、それとなく気を遣って素知らぬフリをしてくれているのですから。


 「それで、何を持ってきてくれたのかしら?」

 「齲歯(虫歯)を防ぐ為の道具です。もし気に入って頂ければ、幾らでも作る事は出来ます」

 「あら?それは興味を惹かれるわね。見せて貰えるかしら?」

 差し出された物は、木で出来ておりました。先が刷毛のように見えますが、しっかり見てみれば木を潰して解してあると分かります。

 指で触ってみると、適度な弾力を感じとる事が出来ました。

 これは歯木に似ていますね。あれよりも大きくて、使い易そうですが。


 「これで食後に、歯を磨くのです。出来れば、塩や石鹸をつけて、磨いた後に水で口の中を濯ぎます。綺麗になったら、ほうじ茶で口直しを兼ねて、口内を清めて下さい」

 「ほうじ茶で良いのかしら?」

 「はい。齲歯を防いでくれる効果が、ほうじ茶には御座います。ほうじ茶はそのまま飲まれても構いません」

 これは良い話を聞きましたね。この道具も木で出来ているというのなら、簡単に作れるでしょう。

 子供達もそうですけど、御屋形様や実家にも伝えてあげなければいけませぬ。

 齲歯は本当に辛いのですから。痛みから逃れるには、歯を抜くしか御座いません。しかし歯が無くなってしまったら、人は食事を摂れなくなってしまいます。

 そうなれば、待っているのは死。

 だからこそ、齲歯は恐ろしいのです。


 「ところで、これは何という名前なのかしら?」

 「特に名前は決めていませんでした……そうですね、単純に歯磨き、でどうでしょうか?分かりやすいと思いますが」

 「分かりやすくて良いと思いますよ。早速、使ってみて良ければ広めるとしましょう」

 齲歯に悩む者は意外に多いのです。

 特に酒を好む殿方は、酒の甘みのせいか、齲歯にかかる者も多いと聞いております。

 幸い、御屋形様は齲歯とは無縁のようでは御座いますが。


 「あとは、柄の部分も使えます。ゆき、済まぬが説明を頼む」

 「心得ました。御裏方様、この歯磨きの柄の部分は、このように使います」

 ゆき殿が、少し曲がった柄の部分を使って、舌を軽く、何度か撫でてみせた。

 一体、これは?


 「二郎様が仰るには、舌についている白い物。これが口が臭くなる原因との事で御座います。これを毎日、少しずつとる事で口が臭くなるのを防ぐ事が出来るとの事で御座います」

 「そんな事まで!?それはとても大事な事ではありませんか!」

 「はい、御裏方様の仰る通りです。私も側室としての務めが御座います。その、二郎様を前にして恥ずかしくは御座いますが、もし私の息が臭かったら?と考えてしまうと」

 分かります。その不安、同じ女である私には、良く分かりますとも。

 ゆき殿を励ますかのように、何度も私は頷いて見せました。特に二郎は目が使えぬせいか、耳と鼻に優れています。他の者では気付かぬような臭いでも、あの子ならば気付いてしまうでしょう。ゆき殿の心労は想像に難く御座いませぬ。

 

 「ただ薬も過ぎれば毒となります。無理に行えば、舌が傷つき、食事が摂れなくなってしまいます。どうか、その点にはご注意をお願い致します」

 「分かりました。少し様子を見ながら、適度に行うとしましょう。良い手土産、感謝しますよ」

 これは良い品物です。早速、今日から使ってみると致しましょう。

 側室の者達にも教えてあげないといけませんね。



弘治三年(1557年)十二月、尾張国、清洲城、武田信繁―



 あと数日で新年の評定を迎えようとする頃。俺は甥の二郎から相談したい事があると言われて、登城していた。二郎は普段は遠江にいるため、こういう時でも無いと話すら出来ないのだ。

 幼い頃は盲故に心配し、その分、可愛がってやった物だ。だが天神様の寵愛を受けて以降、その身に眠っていた莫大な才が目を覚ましてしまった。

 以来、将来を期待しつつ、後ろから支えてやりながら成長を促した物だが、今の所、その方針に間違いはなかったと断言できる。

 そんな事を懐かしみながら向かってみた先には、太郎兄上(武田晴信)を筆頭に、後継ぎの太郎(武田義信)、信濃の弾正(真田幸隆)殿、兄付きの山本勘助殿、兄上が重用している民部少輔(馬場信房)殿、二郎と側室のゆき殿という顔触れが待っていた。


 「遅くなり申し訳ございませぬ」

 「構わぬ。俺も楽しんでいた所だからだな」

 楽しんでいた?どういう事だ?

 周りを見回してみるが、笑っているのは勘助殿、真田殿、二郎と言った所か。

 頭を使う事で相談していたようだな。


 「まあ座れ。誰か、典厩(武田信繁)の分のほうじ茶を持ってまいれ。あと皆にも熱いのを注いでやってくれ」

 「忝う御座います」

 「何、気にするな。俺は命じるだけだからな」

 兄上の言葉に、皆が笑い声をあげる。

 少し経つと香ばしい香りのするほうじ茶が運ばれてきた。今日は普段より冷え込むせいか、熱い茶は何よりもの御馳走だ。

 その熱さと香りを楽しんでいると、兄上が声を掛けてきた。


 「二郎から武田家家臣の子弟が学ぶ場所を作る計画が出来た、と話が有ったのだ。学ぶ期間は十二歳から四年間をかける。この案には俺も賛成だ」

 「理由をお伺いしても?」

 「俺は国を任せうる人材が欲しい。その為には、家臣全てが成長する必要がある。そこで二郎と話したのだが、その為には最低限の知恵が必要だと申すのだ。そこで広く浅く学ばせようと思ってな」

 なるほど。確かに一理あるな。

 厳しい言い方になるが、統治と言うのは馬鹿には務まらぬ。それは歴史を顧みれば良く分かる。

 どれほど国が強大でも、支配者が愚かでは容易く崩壊する物だ。


 「武田の者達は戦には強いが、国を動かす、となるとな。正直、それだけの事が出来るのはお前と弾正、二郎ぐらいだ。太郎や晴康はもう少し時間が必要。勘助は相談役として傍に置いておきたい。民部少輔はまだ部将だが、上に立つ者として見所はある。政の補佐役がおれば出来るだろう」

 「御屋形(武田晴信)様の仰る通り。某、戦なら自信は御座いますが、一国を任せる、となるとさすがに厳しく御座います」

 「まあそういう訳でな、おらんなら作ってしまえ、という結論に至ったのよ。今すぐは無理だが、十年先を見据えれば、な?それに成長した息子の意見ならば、頑固な親父も耳を傾けるかもしれん」

 良い考えだ。今まで気付かなかった己の不明を恥じる。上手くいけば、無理な代替わりをせずとも乗り切る事が可能になる。

 それに内政の重要さは、二郎が甲斐時代から示し続けている。

 兄上に与えられた僅か二百石の所領から、倍以上の利を生み出した話は、譜代の家臣で知らぬ者はいない。

 それが自分の所領で起これば?それなら頑固親父も話ぐらいは聞く気になるだろう。

 つまりは欲で考えを改めさせるという事だろうな。


 「そこで問題となるのが師匠役だ。俺としては勘助、其方、弾正、二郎とする。そして子弟達は一年毎に、四名のいる場所へ移動するのだ」

 「それは構いませぬが、御役目もございますぞ?」

 「まあな。故に指導方法は其方等に任せる。ざっと確認してみたが、弾正や勘助、二郎ではやり方も異なれば、教える内容も異なるしな」

 ほう?そこまで自由に教えて良いのか?

 だが、有難い事でもある。

 自分の信じる方法を教えて良い。自分の都合に合わせて教えて良い。これなら私にとっても負担が少なく、今後も長きにわたって続けていく事が出来るからな。


 「方法について教えて頂いても?」

 「構いませぬ。僭越ながら、儂は真っ当に軍略を教えるつもりです。幸い、時間はありますからな」

 勘助殿のやり方は受け入れ易いな。それに勘助殿は兄上付き。言い換えれば、兄上の差配は勘助殿の軍略の影響を受け易いとも言える。

 それは武田家における、正統派な軍略である事を意味するのだ。

 最初に教える事としては、最適であろうな。


 「某は真田流軍学を教えます。ただ調略も得意ですので、弁舌や諜報、ひいては他国を調べる事の大切さも教える事になるでしょう」

 「良い事ですな。硬軟両方出来るのは強みと言えましょう。そうなると二郎は何を?」

 「国の統治方法、つまり内政を教えます。浜松を見させて、お前だったら自分の領地をどうやって富ませる?と。それをひたすら考えさせて、試行錯誤を繰り返させる。一反程度の所領を貸し与えて、実際に収益を上げさせてみるのも面白いかもしれません。最終的には徴税からの予算配分ぐらいは出来るようにしたいかと」

 それも良い考えだ。兄上は国を任せられる人材を求めておられる。ならば、自分の領土ぐらいは遣り繰り出来なければ話にもならん。 

 だが、出来れば二郎の所には数年はいさせたい物だ。

 間違いなく、他所では教わる事の出来ぬ、得難い経験になるだろう。


 「そして典厩、其方には四年目の総仕上げを任せたいのだ。子弟が物になるかどうかは断言できぬがな」

 「いえ、是非ともお任せ頂きたく」

 久しぶりに楽しそうな仕事ではないか。これは二郎に感謝だな。良い献策をしてくれた物だわ。

 腕が鳴る。

 やはり若者を鍛えるというのは、遣り甲斐のある御役目だ。


 「では、各地に学び舎兼宿舎を建てる事を命ずる。対象は武田家の足軽大将以上の子弟を対象としよう。年は十二から。早速だが年明け四月から始める。それと十二歳以上でも、希望があれば受け入れるとしよう」

 「心得ました。では明日にでも該当者がどれほどにのぼるか、調べると致します」

 「うむ、済まぬが頼むぞ。十年後の武田家が楽しみだわ!」

 暮れは忙しい。だが、楽しめる仕事とあれば話は別だ。来月中には、報告できるようにしておかねばならんな。

 まずは場所の選定。寝泊まりする場所が無ければ話にならぬ。ただ余裕があるからな。場所についてはしっかり考えたい所だな。

 出来る事なら、広く作りたい物だ。出来る事なら、休みの日には馬術や弓術とかも磨けるような場所にしてやりたい物だ。


 「それと話は変わるが、二郎から質問があってな。本願寺について知っている事を教えてほしいそうだ」

 「本願寺で御座いますか?」

 「うむ。二郎は北陸進出の策を考えておるが、知識が足りぬらしくてな。知りうる限りの事を教えてほしいそうだ」

 甥は『仰せの通りで御座います』と頷いた。さすがの王佐の才も、詳しい事も知らずに策は立てられぬか。まあ当たり前の事ではあるが。

 だが可愛い甥の頼みだ。普段は自分で解決してしまう事を考えれば、珍しくもある。

 いや、初めてかもしれぬな。


 「二郎、其方が知っている事はどれぐらいだ?」

 「本来、石山本願寺は王法為本を基本とする穏健な立場である事。各地の一向衆は石山主導ではなく、各地で一向門徒の起こした一向一揆が成功してしまった結果として、成立してしまった事。その後、本願寺の跡目争いが発端となって起きた大小一揆の結果、石山本願寺による支配体制が進んだ事。その象徴として十年ほど前に、加賀に尾山御坊が建てられた事。加賀一向衆は昨年、越前朝倉家に侵攻し、一向衆側が優勢のまま和睦している事。越中においても一向衆は活動しており、神保家とやり合っている事。現在の石山の頂点である顕如は、某よりも年下である事。この辺りでしょうか」

 「それなら教えられる事があるとすれば……血脈相承を根拠として、一向宗は他の浄土系の教えを取り込んできた歴史がある、という事くらいか。要は浄土真宗開祖である親鸞聖人の末裔である、法主の下に集まれ、と言う事だな」

 北陸の一向衆は石山本願寺の支配下にあるのは間違いない。だが本当に一枚岩と言えるのだろうか?

 間違いなく、石山の支配権は確立されている。だが完全な支配下にあると言えるだろうか?どこでもそうだが、他所からやって来た輩が、上に居座れば不満を覚える物だ。

 二郎は暫く考え込んでいたようだが、やがて顔を上げた。

 そこに浮かんでいた笑みに、太郎兄上と勘助殿が面白そうに口の端を吊り上げる。


 「一向門徒達としては、自分達の行動を法主様に認めてほしい、という欲求がありましょう。北陸の指導者層はその勢力範囲を広げて、他国の民を救済しつつ門徒を増やしたいと考えているでしょう。それが越前攻めや能登、越中での一向一揆、つまりは一向衆の勢力拡大に繋がっている。そして石山は彼等を利用して、権威を高めたいと考えている。そうでなければ、わざわざ坊官を派遣する必要が無い」

 「二郎の申す通りだな」

 「ならば北陸の一向衆を意図的に動かすには、どうするべきか?それは彼等の望む方針が与えられれば良い。つまり越前を占領して、門徒を増やせ、という偽書を届ける」

 確かにそうだ。坊官達がそれを疑うことは無いだろう。何故なら、連中にとっては当然の事だからだ。

 北陸――特に尾山御坊の連中にしてみれば、石山が勢力拡大を行う指示を出してきた。それは越前侵攻という自分達の行動が認められたのだ、と歓喜するだろう。

 門徒にとっては、石山の法主様が自分達に期待している、何としても越前を獲らねばと思うだろう。


 「叔父上、そこに冷や水を掛けられたら、どうなると思いますか?」

 「……面白くは無かろうな」

 「同感です。そしてそれを煽ってやれば、北陸の一向衆と石山の間に亀裂が入る。同時に門徒も石山に対して不満を持つでしょう。何故、自分達が責められるのだ、と。つまりは石山と門徒を対象にした離間の計になります」

 弾正殿と勘助殿が笑みを浮かべたわ。確かに見事な離間の計だ。

 難業と思われた北陸進出。一縷の望みが出てきたな。


 「二郎、冷や水はどうする?」

 「やはり、それなりの御方からの命令による、顕如名義での強制停戦命令や、破門扱いと言った所でしょうか。そこで、ここは公方様を利用させて頂く事を提案致します。上洛の代価として求めるのです」

 「そういう手もあるな。だが武田は出来れば出しゃばりたくはない。後が煩そうだからな。可能であれば武田は目立たぬのが理想だが……やはり六角家を上手い事使うしかないな」

 方向性が定まって来たな。

 武田家の存在に気付かせず、その上で離間の計によって石山と門徒に亀裂を生じさせる。

 ここまでは良い。だがその後をどう詰めていく?


 「そこで調略をかけて、不満を持つ者を誘き出しましょう。ただし『朝倉』のフリをして、越前国へ」

 「えげつない事を考えましたな、二郎様」

 「二虎競食の計か。勿論、朝倉は何も知らない。のこのこやってきた加賀一向衆を、当然の権利として潰すだけ。だがその後は制御の利かない泥沼の争いが始まる。こうなれば石山の面目は潰れた挙句、北陸の一向衆は制御が利かなくなる。仲裁を命じた公方様の面目も丸潰れだな」

 「問題は朝倉家が上手い事、食らいついてきてくれるかどうか。そこについても考えておく必要が御座いますな」

 感心したような勘助殿、面白そうにその後の展開を考える兄上、更に注意を促す弾正殿。

 だが、三人とも二郎の策には賛成なのだろう。誰一人として、二郎の案に反対はしておらぬからだ。

 

 「今の朝倉家は一向衆に手を焼いて不本意な和睦状態です。そこへ加賀一向衆が石山からの指示を受けて再侵攻。公方からの命令で、やりこめられたまま不満を抱えて和睦を結ばされる事になる。その状態の朝倉を激怒させるなら、一向衆が和睦を再度無視して、攻め込んできたという状況にすればよい。つまり、先程の策です。そうすれば朝倉側は『和睦を再度、破棄した一向衆は許せん!』となる。一向衆側、特に尾山御坊は『朝倉が公方様の和議を無視して、我等を騙し討ちにした!』と判断して戦をしようとするでしょう。だが門徒がそれに応じると思いますか?『石山の法主様は、この前戦を止めさせたばかりだぞ?自分達はあれほど有利だったのに。和睦なんかするから朝倉が攻めて来たじゃないか!』とは考えませんか?」

 ……一人の叔父として言わせて貰えば、甥が悪巧みし過ぎるのは辛いものがある。兄上も落ち着いたのか、ちょっと複雑そうな表情をしておられた。民部少輔殿は目を閉じているな。勝手にしてくれ、と言った所か。


 「調略失敗の際は?」

 「適当に朝倉のフリをして領内を荒らしてやれば良いかと」

 「門徒が動き出してしまえば、止める事は出来ないでしょうな。ただこちらは中策にしておくべきでしょう。上策の方が門徒から信心を無くさせやすい。中策では身を守る為に自発的に戦いかねませぬ」

 これで朝倉が加賀に攻めこむのは確定となるだろう。

 つまりは朝倉家による加賀侵略戦の開始だ。

 和議を二度も破棄された後の復讐戦。さぞや、兵を投じるであろうな。


 「武田家の行動ですが、朝倉家が加賀に侵攻する機を見て、武田は飛騨から越前美濃街道を通って侵攻。道自体は飛騨の郡上八幡を起点に、白鳥を経由して越前九頭竜から一乗谷まで続いています。この際、本隊は一乗谷占拠の後に越前東部の支配を優先します。別動隊は越前と加賀の国境を塞ぎ、加賀へ侵入した朝倉勢が帰国できないように致します」

 「朝倉家にしてみれば、和議を二度も破られた訳だからな。朝倉と一向衆が和睦する事は無い、か」

 「はい、典厩叔父上の仰る通りです。武田家に攻め込まれた事に気付いても、自らが飢えぬ為、或いは越前へ帰国する為にも、朝倉勢は尾山御坊を落して背後の安全を確保しなければなりませぬ。下手に撤退すれば、背後を突かれますから。結果、門徒に見放された尾山御坊と孤立した朝倉勢は食らいあうしかない。そして両者が疲弊した頃合いを見計らって、武田家は加賀へ侵攻し、漁夫の利を得る」

 基本方針は決まったようだ。

 全ての門徒を離反させる事は叶わぬが、それでも、それなりの門徒が生き延びる事は出来るだろう。

 その後の始末は、二郎の手腕次第と言った所か。


 「二郎よ。仮に中策になった場合の事を想定して、武田領の状況――主に人頭税や賦役の免除についても噂として流しておいた方が良くはないか?それなら本拠地を武力制圧したとしても、門徒達に受け入れる余地が出来るかもしれん」

 「であれば、風に噂として流すように命じておきます。まあどう考えても、今の武田の税は恐ろしく安いですから、既に伝わっているかもしれませんが」

 下手をすれば二公八民かもしれんからな。米の相場にもよるが、間違いなく日ノ本で一番安いだろう。

 加えて、賦役や徴兵も無いのだ。普請は全て対価を払って人を雇う。ただ働きは絶対にさせない。

 それを支えているのが、二郎の案による油の専売や、芋飴・特産品による銭の確保だ。


 「あとは三好と六角にどこまで伝えるか、です。三好は一向衆を警戒している。現当主、筑前守(三好長慶)殿は父を一向衆に殺されています。であれば、表向きはともかくとして、一向衆弱体化は望む所。地理的にも三好家は石山を無視できない。ここは手の内を晒しても問題は無いでしょう」

 「であろうな。問題は六角だが」

 「六角の望みは近江の安定。一向衆が越前に出てくるのは望む所では無いでしょう。公方様については、当主である左京大夫(六角義賢)殿は距離を取りたがっている印象を受けました。公方から上洛を命じられるのも、本音としては嫌だという雰囲気です。であれば、公方様を三好に押し付けるという形で六角に動いて貰う事を提案すれば良いのではないでしょうか?」

 上洛は武田が筋書きを用意する。

 三好は一向衆の弱体化による背後の不安要素減少と敵対中の公方様の面目を潰せる事。

 六角は一向衆の越前侵攻という不安要素解消と、公方様との手切れ。

 武田は加賀・越前の確保。越前を取ることにより畿内進出が見えてくる。


 「決まりだな。三好と六角に使者を出して詳細を詰めさせろ。それと勘助、偽書の準備だ。本願寺から糾弾の文が届いていたから、それを利用しろ」

 「心得ました」

 「六角と三好、公方への使者は二郎に任せる。先ほどの条件で決めるのだ。出来次第、上洛を行う。表向きは先代が管領代であった六角家が公方を奉じる、という形でな。武田はあくまでも助力するという立場だ」



弘治三年(1557年)十二月、尾張国、ゆき――



 暮れに行われた密談。それを終えた私は二郎様と共に割り当てられた部屋へと戻ります。

 部屋には待機を命じられていた岩鶴丸が静かに私達を待っておりました。

 「岩鶴丸。伊勢に使者を送る手配をせよ」

 「はい。用件は如何なる物で御座いましょうか?」

 「伊勢の桑名に住んでいるという刀匠の村正に文を届けよ。武田二郎信親が直接仕事を頼みたい、と言っていたとな。依頼内容は太刀を五十振り作る事。一振り一貫文が相場と聞くが、引き受けてくれるなら一振り十貫文出す。制作期限は四月までだ。そう伝えてくれ」

 「五じゅ……分かりました。では今から使者を走らせます。直ちに文を用意いたします」

 まさかの依頼。確かに村正の太刀は三河侍を中心に、人気の高い太刀だと聞いております。

 急ぎ仕事で御座いますから相場の十倍を出したのでしょうね・・・そうか、上洛に間に合わせるおつもりなのですね?それなら納得も出来ます。

 岩鶴丸が文を認める為に席を外しました。伊勢の刀工、村正。一揆のドサクサの中で死んでいなければ良いのですが……


 「二郎様。鎧はどうされますか?」

 「無論、手配する。だが個人で大きさが違うからな。日を決めて城に集まって貰い、各自の寸法を計測して貰う必要があるだろう。それと一般兵用の胴丸と刀、槍も新調だ。神屋に頼んでおいてくれ。新しい制度となった武田領は、これほど裕福なのだという事を見せつけてやる」

 二郎様は上洛を利用して、旧制に拘る者達の心を攻めるつもりなので御座いましょう。何となく、で反対している者達も、上洛を舞台として見せつけられれば、さすがに考えを改めるかもしれませぬ。少なくとも、やっておいて損は無いのでしょう。

 それはともかく、最近、体調が悪い気がしますね。特に熱は無さそうですが。今宵の御勤めは事情を話して、御辞退させて戴きましょう。


 今回もお読み下さり、ありがとう御座います。


 まずは二郎君復帰話。長島で殺し過ぎて、ちょっとメンタル病んで不眠症に悩んでました、というのが前回からの流れです。拙作の主人公は、現代人の価値観というか道徳観を捨てきれず、でも冷酷非情になるんだ!という性格なので、こういう事も起こったりします。


 ちなみに歯磨き。これは江戸時代に造られた、房楊枝です。忘れている方は多いかもしれませんが、主人公はサバイバル知識を貯めこんで悦に入るタイプでした。そうなると、馬の尻尾を使った歯ブラシのプロトタイプよりは、房楊枝の方が良いだろう、との判断です。


 学び舎。要は江戸時代の藩校を参考にして、学校作りましょう、という物です。

 もしゲームなら、智謀や政治(上限100)が最低40以上に補正されます、戦馬鹿を矯正します、と言った感じ。御家全体でそうなったら、後方の生産力が凄い事になります。やはり人材は宝ですよ。新人教育、これ重要。

 ちなみにリアルでも、年功序列式の頃は人材育成はどこでもしっかりやっていたそうですよ。

 成果主義に切り替わると、多くの所で疎かになったそうですがw

 営業職が良い例ですよね。2日や3日で研修、終わらせてんじゃねえよ、って感じ。

 上司曰く『生き残りを育てるんだよ』・・・全滅させてるから、人が増えないんでしょう?


 上洛準備悪巧み編。単に上洛するんじゃなくて、北陸進出も見据えた上での上洛戦。表向きは武田・六角連合軍(従属:浅井、松平。織田は欠席)VS三好家。でもボンバーマンと蒲生さんと二郎君で、ちゃんと落しどころは用意しましょうね、という物。


 悪巧みって、書いてて楽しいですね。

 これが、また次回も書けるかと思うと、楽しみで仕方ないです。


 それでは、また次回も宜しくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] ゆきの調子が悪い。これはアレですね。鯛を振る舞わないと
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