表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/283

今荀彧編・第七話

 今荀彧編・第七話更新します。


 今回は長島攻めになります。今回の攻略方法、それほどしっかり検証しておりませんので、多少の穴は勘弁してください。


 あと作中の地図は適当に書いた物です。おおよそ、こんな感じだよ、という程度の物だと考えて下さい。なろうに他サイトの地図、貼ってよいかどうか、分からんかったのでw

弘治三年(1557年)六月、美濃国、松倉城、ゆき――



 私達は、昨年十一月に降伏した美濃国におります。

 美濃の顛末で御座いますが、国人衆や家臣達の大半が、斎藤家当主である義龍殿を見限り、主を討ち取って首を差し出しての降伏という終わり方であったと聞きました。

 美濃国は約定通り六角家の支配下となり、御礼の使者が二郎様と尾張の御屋形様の元を訪れたそうで御座います。二郎様の元には、顔見知りの蒲生殿が、直接お越しになられました。


 蒲生殿が仰るには、来年までは城代として蒲生殿がお入りになられるとの事で御座います。これは長島攻略の協力を兼ねての処置であると伺いました。それほど二郎様が為される事に興味があるという事なのでしょう。

 そして詰めの協議が先月に行われ、いよいよ決行の時となったので御座います。

 先陣を切る遠江勢、即ち武田二郎信親隊は三手に分かれております。


 一部隊は木曽川を担当。残り二部隊は揖斐川と長良川を担当致します。兵力の九割は木曽川に配置されました。普段は戦場に出る事のない林部隊百名が、部隊を半分ずつに割って、揖斐川と長良川の所定の場所に陣取り、御役目を果たしている真っ最中で御座います。

 天候はシトシトと降る小雨の日。時刻はもうすぐ夜になる頃。雲が無ければ、星が煌めき始める頃合い。そして小雨はここ数日続いている状態で御座いました。


 「皆の者、長らく待たせたな。これより伊勢長島攻略戦を開始する。準備はよいか?」

 遠江から信濃へ向かい、木曽川上流から川を下り、堂洞城に集まった火部隊二千と常備兵二千の軍勢。そして柴田(柴田勝家)殿が鍛えられた兵二千五百も木曽川の上流で合流している飛騨川経由で、川を下ってこの場にくる予定で御座います。


 「火部隊の者達は知っているだろう。俺は孤児であるお前達に約束した事がある。共に生きよう、と。だが今回は、それに反する事になる。代わりに俺も対価を支払う。俺もお前達とともに先陣を切る!俺も、お前達とともに死のう!」

 どよめく家臣達。

 当たり前です。盲目の二郎様が先陣を切るなど、有り得ぬことだからで御座います。しかし二郎様は、今回ばかりは自分も命をかける必要があるのだと仰せになられました。

 ならば私もついていくのみ。死出の旅路も、二人ならきっと楽しゅう御座いましょう。あの世に旅立ったとしても、案内役は私だけの特権で御座います。


 「此度の戦は、日ノ本の歴史に名を刻むだろう。それこそ鵯越の逆落としにならぶ偉業としてな。故に、九郎判官に俺も習う。命を惜しむな、名こそ惜しめ!」

 火部隊を中心に、鬨の声が上がりました。それは徐々に大きくなっていきます。こうなってしまっては、もう止まる事は無いのでしょう。

 そこへ物見が姿を見せました。


 「申し上げます!柴田様と思しき筏の群れが上流に確認できました、間もなく到着致します!」

 「よし、我らも行動に移る!全員、乗船せよ!」

 次々に筏に飛び乗る。準備は万全で御座います。


 「川並衆!其方らに我らの命を預けるぞ!」

 「特等席で見物させて貰いまさあ!野郎ども、死んでも長島まで送り届けるぞ!」 

 蜂須賀殿の檄に応え、川並衆もまた鬨の声を上げました。


 「行くぞ!各自、作戦に従って行動せよ!」


挿絵(By みてみん)

 

 亥の刻が近くなった頃合い。筏で川を下った私達は、長島が存在する中州へと辿り着きました。

 暗闇で辿り着けたのは何故か?理由は簡単です。長島には複数の砦が御座いますが、警備の為に夜になると篝火を焚いているのです。その明かりを目指せば、目的地にたどり着くのは当然の事であると申せましょう。

 こうして中州の上流側に私達は上陸出来ました。ここからは時間との勝負。割り振られた役割に従い、迅速に行動を開始。朝までに事を終わらせねばなりませぬ。


 最重要拠点である長島城は山城守(小畠虎盛)様が火部隊二千を率いて攻め込まれます。副将は竹中道祐(竹中重元)殿だ。

 小田御崎砦は美濃守(原虎胤)様が常備兵二千の内、千を率いて担当されます。落とした後は南の大島砦へ向かわれます。

 加路戸砦は孫次郎(小幡昌盛)様が、兄上(小幡虎盛)を副将として常備兵五百を率いて向かわれます。

 殿名砦は明智(明智光秀)殿が常備兵五百を率いて向かわれます。

 松ノ木砦は柴田殿が常備兵千五百を率いて担当。落とした後はそのまま願証寺に攻め込まれます。

 押付砦、篠橋砦は柴田殿の配下の方が、各五百を率いて攻め込みます。


 奪い取った拠点も、使わない拠点からは持ち運べない分の兵糧は焼き払い、井戸に毒だけ投げ込んで放置するという徹底ぶり。この時点で、すでに砦を奪還されても問題が無いように、策で制する事を二郎様は目論んでおられる事が良く分かります。

 特に篠橋砦と加路戸砦は拠点自体を完全に放置する事が決まっております。ここには武田兵を一兵たりとて置く事はしないとの事。これは東側から攻め寄せてくるであろう連中が、拠点として使う為に奪還する事を見越しての罠として使う為で御座います。


 同時進行で先導役の川並衆は筏を解体して、馬防柵へと作り変える役目を与えられております。それを陰部隊が手伝い、松ノ木砦、小田御崎砦、押付砦の川岸に沿って設置していきます。

 より早く、この作業を終える為の工夫もなされて御座います。筏の材料である材木自体が、予め寸法を計測し、先端を尖らせたり、刻みや印をつけられている代物なので御座います。それらの意味を理解していれば、図面すら必要御座いませぬ。正しい組み合わせで柵を作り、縄で補強するだけで済むからです。

 これにより、朝までに武田家防衛拠点を築き、総兵力六千五百で籠城戦を展開。主に松ノ木砦(柴田殿率いる常備兵二千)、小田御崎砦(二郎様、山城守様、美濃守様、明智殿率いる火部隊二千と常備兵千五百)、押付砦(孫次郎様、兄上率いる常備兵千)が最前線となる。ここまでが第一段階となります

 そして二郎様に届いた報告によれば、各砦はこちらの策通り人影は殆ど無かったとの事。本来なら砦にいなければならぬ坊官ですら、ほとんどいなかったと言うので御座います。恐らく、二郎様の策にかかって越中に向かった為であると考えられる、との事で御座いました。

 二郎様の策、それは飛騨での練兵と六角家との同盟隠蔽。更にそれを裏付けるような尾張での高札と、津島からの定期的な兵糧運搬。そこへ商人から伝わってきた夏まで兵糧を買ってくれる、という儲け話。これにより長島一向衆は『武田は夏に越中狙い』と判断したのです。

 戦が終った後で知った事で御座いますが、門徒の中には『秋の実りを焼き払うつもりか!』と激昂した者達もいたとの事。


 普通なら、そこまで過剰反応はしなかったでしょう。しかし、二郎様は本願寺公認の第六天魔王。加えて三河で皆殺しをした御方で御座います。こちらの想定以上に、感情的になったようで御座いました。

 しかも感情的になったのは門徒だけではない。坊主達も感情的になっていたのです。

 坊官に鼓舞され、越中の同胞を助けようと決めた信仰心篤い門徒兵は、長島からは姿を消しておりました。その数、およそ三千。さすがに一向衆と敵対中の飛騨・武田領や越前・朝倉領を流民や旅人のフリをして通過するには、それぐらいが限界であったので御座いましょう。

 だが、それだけ消えれば十分で御座いました。


 この策の目的は二つ御座います。

 一つ目は中州の占拠を滞りなく進める事。万が一、拠点内部に多くの兵がいては面倒な事になる。最悪、組織だった徹底抗戦を行われた挙句に、占領できずに朝を迎える事にもなりかねない。そんな万が一の事態を避ける為、各砦から坊官や常駐している者達を極力減らしておく必要が有りました。加えて、潜伏中の風の者には、決行当日は門の閂を開けておくように指示も出して御座いました。その結果として、一晩で各砦を陥落させる目途をつける事が叶ったのです。

 二つ目は敵戦力の中でも戦慣れした者を減らす事。戦に慣れた門徒兵や坊官が、長島の地から越中へと出向くのは必定。それは長島全体における指揮系統と兵力の弱体化を意味します。系統だった指揮が失われれば、組織だった反撃を行えず、感情のままに動く散発的な反撃を繰り返すだけになります。それは御味方の被害減少へと繋がると同時に、長島全体の占領を早める事にも繋がると申せます。


 あとは同士討ちを避ける事に注意しなければなりませぬ。僅かな間で砦を落とす為の奇襲攻撃の際に、松明などを使っている余裕は無いからで御座います。その為、武田軍は両手に白い布を巻いております。それを頼りに敵味方の判別を行うのです。

 夜中、奇襲を受けた側は堪った物では御座いませぬ。得意とする数の暴力による攻めが通じなければ、蹂躙されるだけになるのは自明の理で御座いました。

 しかし、本番はここからで御座います。


 「負傷者の手当てを忘れるな!それと携帯食を食べたら、外の連中を手伝うのだ!柵を作り上げるぞ!」

 山城守様の檄に、皆がキビキビと応じておられます。

 一方的な勝利に酔う事も無く、更なる準備に余念が御座いませぬ。これからが本番である事をしっかり理解しているからで御座いましょう。何せ、ここから予想されるのは、長島周辺に住んでいるであろう、門徒達の逆襲なのですから。準備が甘ければ、そこから攻め込まれるのは当然で御座います。

 一方で二郎様は小田御崎の一室で腰を下ろしておられました。


 「ゆき、川の外側の拠点に異変が見られるか、物見に見させておけ」

 「すでに手配済です。まもなく戻ってくるかと」

 「そうか、戻ってきたら教えてくれ」

 二郎様は直接戦った訳では御座いませぬ。

 ですが、暗闇での筏による川下りでは先陣を切られたのです。御目が不自由な分、その緊張感は一際強かったので御座いましょう。

 微かに船を漕がれておられました。


 「お休みくださいませ、私がお守り致します」

 「……済まぬな、四半刻したら起こしてくれ」



弘治三年(1557年)六月、伊勢国、小田御崎砦、ゆき――



 翌朝、改めて言うまでも御座いませぬが、周囲は蜂の巣を突いた様な大騒ぎになっておりました。

 長島城を含む主要拠点全てに武田の旗が翻っているのです。武田菱に孫子の旗。更には二郎様が今回の為に用意された御自身の旗、瞳の絵が描かれた旗と、鏖と書かれた旗。

 どのような馬鹿であっても理解できるでしょう。長島には三河で一向衆を皆殺しにした第六天魔王がいるのだ、と。それも一晩で全ての城砦を奪いとったのだ、と。


 中州に居を構えていたが、昨晩の襲撃に気づく事無く眠りこけていた門徒達が、朝早くから鍬を手に集団で突撃してきました。城を奪い返そうというのでしょう。

 だが、明智殿の指揮下に戻った種子島四百名による城内からの一斉射撃が出迎えました。彼らは一瞬で皆殺しにされます。その発射音は、間違いなく伊勢長島全てに響き渡るほどの轟音で御座いました。

 それだけでは御座いませぬ。


 一斉掃射された百姓達。その首を斬り落とし、馬防柵の先端に次々と突き刺していくのです。これも全て二郎様の策。

 敵対者は皆殺し。一切の偽り無し。それを意味する敵対宣言なので御座います。

 周囲はどう出るでしょうか?折れるか、それとも歯向かうか。


 昼過ぎになるまで、門徒の攻撃は散発的に続きました。ハッキリ言って統率も何もない。ただ向かってくるだけ、である。

 それでも数だけはおります。倒れた死体の数だけでも、四千は下らないと思われます。遺体は老若男女の別なく、地面に倒れ伏したまま。彼らは中州に住んでいた一向宗門徒達ですが、周囲の門徒を含めれば、長島全体の門徒の数はどれほどになるのでしょうか?

 しかし、地の利はこちらに御座います。わざわざ中州の外に住んでいた門徒兵の中には、果敢にも攻めて来た者達もおりましたが、彼らは川の流れに足を取られ、馬防柵に取りつく事も出来ずに、武田家の一方的な攻撃の前に川底に沈んでおりました。


 それはともかくとして、二郎様のお考え通りであるのなら、そろそろ一向衆に協力する国人衆が姿を見せ始める筈なのですが。

 お預かりした遠眼鏡を使って、砦のもっとも高い場所から周囲を確認致しました。

 長島を囲むように、旗がチラホラ見える。だが、これは……

 二郎様の御傍に戻ると、二郎様はすぐにお声を掛けてこられました。


 「ゆき、門徒の様子はどうであった?」

 「門徒と思しき民は、川向うでこちらの様子を伺っております。攻め込みたいのは山々ですが、切っ掛けを掴めずに躊躇っているのではないのかと存じます。国人衆についてですが、怯えているのでしょうか?集まりが悪うございます」

 「……周囲の主要拠点は?」

 「松ノ木砦、押付砦からは、悪い報せは届いておりませぬ。篠橋、加路戸も同様で御座います。風の監視によれば、井戸の毒が効いたらしく、砦から動こうとする素振りも御座いませぬ」

 二郎様は腕を組みながら、唸り声を上げられました。

 余程にお困りなのか、頭を掻かれてもおられます。

 その理由は私にも分かります。門徒達の動きが鈍い。攻めあぐねているか、或いは判断がつかないか。どちらにしろ、この状況はこちらにとってマズイ事になる。

 長期戦は、こちらにとって都合が悪いので御座いますから。


 「ゆき、生け捕りにした坊主を外に出せ。張りつけにしてな」

 ああ、二郎様が冷酷になられました。

 門徒達が大激怒して、こちらに襲い掛かる様に仕向ける御積りなのでしょう。


 「直ちに」

 兵に指示を出して暫くすると、生け捕りにされた坊主が張りつけにされた状態で外に出されたのが窓から見えました。

 あれだけ高い場所に磔にされているのです。きっと対岸からも良く見えるでしょう。


 「第六天魔王が!地獄に落ちろ!」

 あれは願証寺の住職、証恵ですか。

 いわば長島の頂点に位置する男。

 隣には、同じく張り付けられた若い坊主もおります。恐らく、息子の証意でしょう。そういえば占拠してから分かった事で御座いますが、石山本願寺からは特に派遣されてきた坊官はおりませんでした。


 「ゆき、案内を頼む。俺が盛り上げてやらんとな」

 「承知いたしました。こちらです」

 私達が到着した時には、準備は終わっておりました。

 足元には薪が置かれております。これから起こる事が理解出来ているのでしょう。二人の顔色は悪くなっておりました。


 「さて、生臭坊主ども。そろそろ人としての罪を償うべき時が来た。古来より、炎は罪を浄化する存在。俺が特別に其方らの罪を浄化してやろう」

 「こ、この罰当たりめが!」

 「御仏の教えを盾に、民を戦場へ駆り立てる罪人如きに、この世での居場所はない。まずは証意、其方からだ。親父にのたうち苦しむ姿を見せつけてやれ」

 「や、やめろ!」

 証恵が叫ぶが、火は無慈悲に放たれる。

 その光景は対岸からも丸見えになっておりました。


 「やめろ!息子に手を出すな!」

 「罪人を処罰するだけだ。苦しみのたうち回って死ぬがよい。虎盛!」

 山城守様が前に出る。そして腹の底からの大音声を上げられました。


 「見るがよい、邪教を信じる一向門徒共!これがお前達の辿るべき明日だ!地獄の業火に焼かれて、のたうち苦しみ回って死ぬがよい!次はこの中州にいる門徒どもの女子供を焼き尽くしてくれようぞ!」

 直後、罵声が対岸から上がりだします。


 「所詮、其方らは犬畜生よ!寺の坊主どもも、震えあがって出てこぬではないか!侍共も出てこぬではないか!さあ、こいつが死んだら、次は親父の証恵が炭になるぞ!お前らは死ぬまで這いつくばっておれば良いのだ!」

 一際大きな怒声が上がった。

 門徒達が一斉に動き出したのだ。その数、少なく見積もっても二万はくだらないでしょう。明らかに、それ以上おります。


 「二郎様、動き出しました!」

 「よし、狼煙を上げろ!それと全将兵に伝えろ!指示があり次第、水から離れて応戦しろ!巻き込まれるな、とな!」

 中州に陣取った武田軍約六千五百と長島一向一揆推定二万以上による攻防戦。地の利は武田家、数は長島側に有利。

 しかし明智殿の種子島、常備兵達による弓による遠距離射撃、竹中殿の馬から降りた弓騎兵部隊の爆裂筒によって、門徒達は次々に川下へ流されていく。しかし、それをかき分けるようにして、襲い掛かってくる門徒達。

 その顔は、まさに悪鬼羅刹だ。憤怒と殺戮に支配されております。私の背中にも、僅かに走る寒気。あの門徒と直接対峙している兵達の感じている寒気は、どれほどの物なのか想像も出来ませぬ。


 「虎盛、用意しておいた秘密兵器、其方に任せる。使い時と感じたら、俺に構うな。遠慮なく振舞ってやれ」

 「心得ました」

 それから半刻ほどした頃でしょうか。ふと視界の片隅によぎる物に気づきました。

 遠眼鏡で確認してみます。それは二筋の狼煙でした!


 「二郎様、狼煙が二筋上がりました!」

 「策はなった!虎盛、今こそ歴戦の用兵術をみせてやれ!」

 「お任せ有れ!勝利を捧げましょうぞ!」

 山城守様は馬防柵から決して出るな、と改めて命じられます。同時に、他の二つの砦にも報せる為、ここからも赤い狼煙が上げられました。

 山城守様の狙いは時間稼ぎ。二郎様の最後の策を決める為に必要な、最後の仕上げで御座います。

 更に長島側の理性を完全に失わせるため、証恵にも炎が放たれました。

 目の前で証恵に炎を放たれて、激昂する門徒達。そこに山城守様の大音声が轟きました。


 「お前達にも振舞ってやろう!地獄へ落ちろ!」

 馬防柵作り以外に出番のなかった陰部隊が動き出しました。その手には、壺を持っております。

 それが次々に門徒達へ投じられ、甲高い音とともに砕け散ります。

 そして眉を顰めるような臭いに気づいたところに、今度は火矢が放たれました。


 瞬間、一斉に門徒達が炎に飲み込まれました!続いて絶叫と怒声が戦場に響き渡ります!

 壺の中身。それは一年ほど前、二郎様が相良の井伊直親殿に探させた、燃える水――臭水で御座いました。

 この炎はそう簡単には消えは致しませぬ。それどころか水面を漂う油に引火して、川は地獄絵図と化しました。

 そこへ最後のトドメが来ました。

 地の底から響くような振動音。


 「全軍、引き上げろ!間に合わぬものは高台に避難だ!」

 山城守様の御下知に従い、武田兵が一斉に引き上げます。戦場ではありえない、敵に背中を見せての逃走。

 まともな指揮官が存在しない門徒達は、咄嗟の事に事態を理解出来ずに呆け、次に川上を見て悲鳴を上げました。

 

 「「「鉄砲水だ!」」」

 これが二郎様の用意した最後の奇策で御座いました。長島に流れる三本の川。私達は木曽川を下りましたが、残る揖斐川と長良川は、水攻めの為に用いておられたのです。

 美濃領内で水をせき止める。時期は梅雨。時があれば十分に水は貯まります。あとは狼煙で機を報せて、堰を切るだけ。その為には、門徒達には突撃してきて貰う必要があったの御座います。

 濁流に飲み込まれ、海へと流される者達。馬防柵にしがみつく、或いはその場に踏みとどまるも、武田家の遠距離攻撃の前に倒れる者達。流される同胞に、裾を掴まれ巻き込まれる者達。咄嗟に逃げようとする同胞に、背後から踏み倒される者達。阿鼻叫喚の地獄絵図で御座います。


 ですが、一つだけ断言出来る事が御座います。

 理由は違えど死ぬことに変わりはないのです。

 それとほぼ機を同じくして、最後の総仕上げが行われました。


 津島周辺で待機していた、武田太郎義信様率いる武田騎馬隊の存在で御座いました。

 上流で堰を切った事を報せる二筋の狼煙を確認後、川の手前で待機。そして水計が猛威を振るった事を確認後に、突撃を開始する手筈になっていたので御座います。

 目的は長島外周部の砦や寺院の占拠。数の暴力が不可能になっている以上、あとは質の独壇場。そして武田家次期当主、太郎義信様配下の方々は猛者の集まりで御座います。その中には国を失ったばかりの織田信長率いる一党もおりました。

 そして中州でも、川を渡り切って逃げ込んできた一向衆の残党狩りが開始されます。


 「伏兵が外周部の占拠に動きました」

 「よし、これで終わりだ。油断だけはしないように、交代で休息をとらせろ」

 「はい」


 今回もお読み下さり、ありがとうございます。

 

 ではネタバラシ。


 長島攻めはこんな感じでした。飛騨から柴田勢が飛騨川経由で木曽川を下って、松倉城(岐阜県各務原市)で合流。そのまま川を下って長島へ。木曽川は川並衆の稼ぎ場所。情報操作さえしっかりしておけば、わずか一晩で飛騨から伊勢長島へ移動して奇襲したように見える、という物。これを読み切って、城に百姓兵を待機させておくのは、かなり無理難題ではないかなあ?と考えました。

 水計は長良川と損斐川(両方、美濃国内で堰き止めておく)を利用。どちらも長島北部で木曽川に合流。なので川下りした後で水計を使っても問題はありません。

 長島の百姓兵については、数を減らすのも重要ですが、それ以上に統率力を無くすことに主眼を置いています。坊官(指揮官や侍大将、足軽大将クラス)を越中へ向かわせる為に、飛騨・信濃・遠江・三河で年明けから戦支度を派手に行わせ、危機感を煽っています。神屋については言わずもがなですが。

 

 主人公は今回の策を秀吉の墨俣一夜城から思いつきました。一夜城は美濃・木曽川の上流部で木材を切り出し、川に流して~という流れです。だったら藤吉郎を通じて川並衆を味方につければ、木曽川降って奇襲できない?飛騨から長島まで川で繋がってるよね?というのが発端です。


 次回は、長島攻めの後日譚になります。

 

 それでは、また次回も宜しくお願い致します。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 先日送った 本来なら砦いなければならぬ は 本来なら砦にいなければならぬ が正しいと思います のメッセージですが およそ全体の5分の2あたりの場所の そして二郎様に届いた報告によれば…
[気になる点] 本来なら砦いなければならぬ は 本来なら砦にいなければならぬ が正しいと思います
[一言] どっかの孫策とか孫堅書いてる人が他サイト使ってるし行けると思いますよ
2021/08/28 20:49 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ