今荀彧編・第五話
今荀彧編・第五話投稿します。
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今回は尾張侵攻編。ただし主人公はお留守番になります。あと新キャラも登場します。今回はみんな知っている有名人です。
弘治二年(1556年)四月、遠江国、浜松城、武田信親――
俺はゆきと岩鶴丸、源五郎とともに、城から出陣していく信玄パパ率いる一万二千の兵と、工作部隊である直属の陰部隊百名を見送った。兵の内、二千は甲斐から出向していた者達ではない。遠江で雇用された新兵達。訓練を経た上で、初陣として送り出されたのだ。
向かう先は尾張。率いているのは虎盛、その下に息子である孫次郎がついている。娘婿の虎貞こと三郎太は留守番だ。火部隊の臨時責任者を任されている。
本来なら常備兵を纏めるのは美濃守(原虎胤)の仕事だ。だが美濃守は信玄パパと冷戦中の為に、俺の所に避難している。その状態で、パパと一緒に戦に出向くのは嫌だったらしい。その気持ちは理解できなくもない為、俺も無理強いはしなかったのだ。
結果、小畠父子が臨時の纏め役になったのである。
そして、この一万二千の軍勢、三河でも援軍が入る。竹千代君こと松平晴康率いる西三河勢三千と東三河勢千五百の援軍だ。合計約一万七千もの軍勢になる。
今回の名目は、西三河一向一揆を目論んだ事に対する織田家への報復、だ。事実かどうかなど関係はない。大いに利用させて貰うだけだ。
俺が留守番をしているのは、信玄パパに提案した補給部隊による補給路の構築を行う為だ。物資集積所は浜松城。浜名湖から船で三河まで運び、岡崎城を最前線に近い物資集積拠点とさせて貰った。ここから陸路で各前線部隊に糧食や弾薬を運んでいくのである。
帰る時は、戦場で放棄されている、刀や槍を回収してくるように命じておいた。これは遠江で鎔かして、種子島の材料にする事が目的だ。鉄は幾らあっても困る事は無いし、何より買うと銭がかかるし、基本的に踏鞴鉄だから用意するのにも時間がかかるという難点がある。それなら再利用した方が良いだろうと思いついたのだ。だから、必要なら地元の農民を雇って集めさせたり、売り込みに来た物を買い取らせても構わんと許可を出している。
話は変わって、肝心の敵陣営についてだ。尾張は案の定、内紛状態に陥っている。岩倉と清州の間で不可侵の約束が成立した為、信長は矛先を東に向けたという話だ。先手を打って実弟・信勝を騙し討ちにしてクーデターを未然に防いだのである。
賢い選択肢であるし、実に有効な策だ。だが可愛い息子を殺された土田御前の感情が収まる筈もなく、旧・信勝勢力は信長への協力を拒否、完全無視の状態になっているという。どうやら信長は、旧・信勝家臣団の反感を買ってしまったようだ。
守護である斯波義銀、岩倉の織田信安の動向はまだ不明。風の追加情報待ちである。ただし、一番危険な信長が、完全に一枚岩と言えるだけの勢力を築けていないのは有難い。各個撃破のチャンスだ。他は返す刀で討ち取って終わりだ。
美濃は道三と息子の義龍の間が険悪との事。確か道三が義龍に討たれる事件があった筈。そろそろだったのかもしれない。義龍は盆暗では無いみたいだし、道三が信長の支援に向かえば、クーデターを起こす可能性はある。もしかしたら御家の存続を考えて、クーデターは我慢して親父に協力するかもしれん。まあどのような結果になろうとも、街道を封鎖して兵糧攻めの準備をしておくまで。飛騨を武田に取られて警戒はしていただろうが、どれだけ兵糧を蓄えていたんだろうな?
俺の常備兵と真田の常備兵、合わせれば三千はある。そして六角が美濃領内で暴れる内に、南は陰が砦を作り、北はチート爺ちゃんが同じく砦を作る。最悪、百姓兵は帰しても十分に対応可能だ。
美濃は塩無し、食料無しで耐えねばならない。それも兵士だけではなく、国の民全てが、だ。兵糧攻めの最中に、義龍がクーデターを起こす可能性も低くは無いだろう。
それと藤吉郎の家族だが、こちらは運を天に任せるだけだ。
電話の無いこの時代では、リアルタイムで情報を得る事は出来ないのだから仕方がない。さすがに信長もドル箱である津島を戦場にしようとは思わないだろうが。
そんな事を考えながら、俺は視線を軍勢から外した。
と言うのも、俺個人にも補給網の指示以外にやらないといけない仕事があるからだ。馬鹿どもをリストラする為に、作らねばならない物がある。パパが来た時には、ただの増築中の建物にしか見えなかっただろうが、これがあれば準備は完璧だ。嫌でも俺の策に溺れて貰おうか。
「ゆき、皆の下に案内を頼む。俺が直接頼まねばならんからな」
「……お辛いのでしたら、代わりますが」
「これはケジメだ。岩鶴丸、源五郎、其方達は席を外せ」
二人とも、素直に席を外す。そういえば岩鶴丸を祐筆見習いとして召し抱えて気が付いたのだが、この子はかなり聡い。しかも真面目で努力家だ。これは良い拾い物だったと、岩鶴丸を見つけてくれたゆきに感謝した物である。
元服した後は、俺の直臣として取り立ててやりたい所だ。
後見人がいないのが難点だが、それは遠江では珍しくも無い事だ。そもそも俺の家臣には、孤児が多い。結果、後見人を持たない連中が多くなるのは必然と言える。
「向かうぞ」
「はい。御案内致します」
予め決められた場所へと向かう。城内の一室には、都合三十名ほどの女性が俺を待ってくれていた。
年の頃は俺より十代後半から二十代半ばまで。希望者の中から、見目の良い者達ばかりを取り揃えさせた。
皆、風に所属する元・孤児達である。
「よく志願してくれた。改めて、感謝する」
頭を下げる他無い。
彼女達の役目は二つに分かれる。メインはハニートラップによるお家乗っ取り。もう一つはそれをカモフラージュする為の、まともな男達の一夜限りの相手をして貰う事。
言葉は悪いが、どちらも女の体を利用した策だ。幾ら自ら望んでくれたとは言え、俺の頼みだからという理由で、自分の心に折り合いを付けた者もいるだろう。それを考えると、自分が汚れてきた事を嫌でも自覚させられる。
だからと言って、中断する訳にはいかないんだがな。
「すでに聞いているだろう。皆にはこちらが指定した男達の夜の相手をして貰う。男についていく者達は正室や側室の立場を手に入れるのだ。武田家としての目的は御家存続にある。皆には、男達の子を産んでもらい、立派な跡継ぎへと育て上げて貰いたい」
「二郎様。皆、承知しております。私達は元を辿れば、皆卑しい出自の者。それでもそれなりの御家に入る事が出来るのであれば、これからの生活は約束されます。私を含めて皆が納得致しております」
「……済まない。だが忘れないでくれ。俺は皆と約束した、共に生きよう、と。その約束を忘れた事は一度足りとてない」
御家の為に女を道具として使う。自分のやっている事に嫌悪感を覚える。だが、やらねばならないのだ。
俺自身が汚れる事を拒否して、決めた事を否定する事は許されない。
……今ほど目が見えない事を恨んだ事は無い。せめて彼女らの顔を見て頼むのが筋だと思うのに。
「ただお尋ねしたい事がございます」
「申せ」
「我らの産んだ子が後を継げぬ場合です」
当然の質問だな、そこはしっかり約束せねばならん。
その場合の事はちゃんと考えてある。俺も襟元を正し、気を引き締め直してから口を開いた。
「跡を継げない子供達は、俺の家臣として取り立てる。複数の子がいる場合もだ。正直、俺も家臣は必要なのでな。一夜限りの相手で孕んだ場合も、俺が責任をもって面倒を見る。だから安心しろ」
俺の冗談じみた口調に、僅かだが場が和んだ気がした。
「将来的には武田家の子弟達を鍛える学び舎――其方達が生活していた施設を武士専用として特化した物を作る事を考えている。其方達に息子が生まれたら、そこで学べるように取り計らおう。御家の行く末という舵取りを誤らぬ程度には鍛え上げる」
「忝う御座います」
「後は、あまり口にしたくはないが、皆の居場所が無くなった場合は戻ってこい。風の籍は残しておく。相談したい事があれば、風の拠点にゆき宛に文を出せ。上手く取り計らおう」
約束は守る。家臣を増やしたい、という欲はある。だがそれ以上に、彼女達に対しては誠実に対応すべきなのだ。奇麗言では済まされぬ役目を果たしてもらう以上は。
標的となった男達は、昔ながらのやり方を捨てられぬ者達。甲斐の強兵でなければ戦えぬ者達。そのまま後方で大人しく守りに専念するのなら手は出さん。こちらとしても後方の守りは必須だからだ。弟達の与力も欲しいしな。だが手柄を挙げず、変化も受け入れず、文句を言うだけなら不要だ。
躊躇いなく首を挿げ替える。新しい首は彼女達の子供だ。新しい教育の元、新しい考えを有する武将として武田家を支えてくれるだろう。そして御家は保たれるのだ。
改めて、自分が汚れたなあと感じてしまう。
しがないサラリーマン、しかもインドア派で暗かった頃の自分は、決して品行方正とは言えなかった。
だが、女をハニートラップとして活用し、平気で首を挿げ替える。サラリーマンだった俺が今の俺を見たら、嫌悪感を浮かべるだろうな。
「二郎様、どうか我が儘をお許しください」
「なんだ?」
「ゆきを幸せにして下さい。ゆきは私達にとって末の妹です」
……そうだな。彼女の言う通りだ。今回の志願者は、その役目上、ゆきより年上から選ばれている。
その手の経験が無ければ務まらんからな。
「ゆきは俺の妻だ。断言する」
「感謝致します」
「二郎様……」
傍に控えていたゆきが、小さく俺の名を呟く。
そもそも、俺には正室を娶るつもりはない。俺の嫡子は、将来的に武田家の跡目相続において問題を発生させる可能性があるからだ。
それを考えると、義信兄ちゃんにも手柄を立てて貰わないといかんな。何か考えておかないと。
「皆の役目は御屋形様率いる軍勢が、この城に戻ってきてからだ。それまでに各自、準備を怠るな。閨の技術が必要なら、くノ一に教えを乞え。指導役を用意している」
「心得ました」
あとは施設を準備するだけだ。凱旋まで最低でも一月はある。準備を整えるには、十分すぎる時間だ。
それから相良の直親さんにも文を送らないと。長島攻めに必要な物を送って貰わないといけないからな。無くても代替品はあるが、効果が落ちるんだよな。
それと風を美濃と尾張に送らないと。家臣を増やすチャンスを見逃す訳にはいかないからな。
弘治二年(1556年)四月、三河国、岡崎城、本多正信――
「ゆき、現在の前線は?」
「先陣が尾張に入ったという報せが五日前に来て以来、変わりは御座いませぬ」
「であれば……物資の量に変更は無い、そのまま現状を維持してくれ。進む道も武田家が落とした城砦から城砦へ、のままだ。特にすれ違った部隊とは、安全な道についての情報交換を忘れない様にと、改めて命じてくれ。織田家に与する者達に、物資を奪われては堪らんからな。なるべく安全な道を進ませるのだ」
現在、岡崎城には松平家の恩人というべき武田二郎信親様がお越しになっておられる。なんでも尾張侵攻に当って、兵糧の補充を行う場所として城を貸してほしいという頼みを、主、次郎三郎(松平晴康)様が受け入れられたからだ。
特に今回は補給部隊を初めて運用する為、二郎様自ら指揮を執るのだという。
そして留守居役を命じられた私は、二郎様の御役目を間近で見届ける機会に恵まれた。
「岩鶴丸、物資の残量はいかほどだ?」
「本日、出立分を外して、米が二月分、味噌が三月分御座います。それ以外については、まだ半年分は御座います」
「遠江の浜松城へ、米を岡崎城に回すようにと伝えるのだ。とりあえず三月分で良い。丁度良いから、文は源五郎に書かせよ。岩鶴丸は内容の確認を申しつける」
最初、この御役目は小荷駄隊では駄目なのか?と思ったのだが、拝見させて戴いて、全く違う事に気が付いた。
兵糧一つ取ってみても、尽きないように何度も往復したり、どの街道を通らせるか?等、色々考えておられるのだ。
小荷駄隊では、ここまで面倒を見た事も無い。それが本音だ。
「ゆき。富士屋に命じて、安い所で米を買わせてくれ。とりあえず半年分だ。秋までもてば十分だからな」
「はい、お任せ下さい」
ゆき殿の指示に従い、若い武士たちが行動に移る。
彼らは皆、二郎様の子飼いの者達だと言うが、実に忠義者だ。主君の命を果たそうと、必死になって励んでおる。
素晴らしい姿だ。我ら三河者も忠義になら劣るつもりはないが、こうして内向きの御役目に対して専念できる者は少ないのが事実。今後の事を考えると、何らかの対策は必要になるかもしれぬな。
「あとは尾張領内の更なる情報が欲しい所だな。国人衆の中で、姿勢を改めた者も出てくるだろうが、意地でも織田寄り、という者もいるだろう。それが分かれば、より安全な道の選択もしやすくなる」
そこへドタドタと言う激しい足音が聞こえてきた。
「申し上げます。御屋形様率いる軍勢は、鷲巣砦、丸根砦を落とし、清洲城目指して進軍中、との事に御座います」
「清洲城にはまだ到着していない、か……岡崎城から清洲城までの間における、織田寄りの国人衆について、使者は新たな情報は持っていたか?」
「現在、織田へ味方する事を表明した国人衆は少数。これらは武田家の別動隊により殲滅中との事に御座います。特に苦戦している、という報告も来ておらぬ、との事で御座います」
現状、問題は無し、という所か。
ならば油断さえしなければ問題は無いだろうな。二郎様の子飼いが調べている情報と照らし合わせて、更に精度の高い補給網を作り上げる事が可能になるだろう。
結果、前線は飢えを心配せずに戦う事が出来る。やはり松平家においても、取り入れるべき方法だ。次郎三郎様がお戻りになられたら、早速、進言させて戴くか。
「よし、ならば今日の役目は終わりとするか」
肩を叩きながら、二郎様がフウッと息を吐かれる。
ゆき様を始めとした補佐役の方々が御支えしているとは言っても、二郎様は御目が使えない御方だ。手元に集めた情報を把握するにしても、まさしく一苦労。その状態で補給網を管理し、状況に応じて修正もなされておられるのだ。
そのお疲れ具合、私の想像以上であるのは間違いない。溜息の一つも吐いて当然だ。
「本多殿。ずっと見ておられたようだが、何か得る物は有りましたかな?」
「ははっ。正直、目から鱗が落ちた気分に御座います。小荷駄隊がいれば十分。そう考えていた己を恥じる思いで御座います」
「そうか、得る物があったのならそれで良かろう」
二郎様の手元には、幾冊かの帳面が置かれている。
全て、今回の補充に必要な物資の残量と、どれぐらいを運び出し、どれぐらいを運び入れたか、が書かれているのだ。
これを書きとめるのはゆき殿の御役目。本当に頭が下がる。
「明日になったら、某も参加させては戴けませぬか?某も、もっと理解したいので御座います」
「分かった。許可する」
「忝う御座います」
補給網の構築。槍働きよりも知恵働きが得意な私に向いた御役目だ。三河松平家の更なる発展の為、私はこの補給網を学んで松平家の為に役立てるのだ。
弘治二年(1556年)七月、遠江国、浜松城、武田典厩信繁――
尾張制圧は、想像以上に簡単だった。
清洲の織田信長は奇襲を仕掛けてきたが、太郎兄上(武田晴信)はそれを見越して物見を張り付けていたのだ。と言うのも、出陣前に二郎(武田信親)が兄上に対して『信長は諦めぬ男。必ずどこかで賭けに出る筈です。御油断だけはなされぬよう、物見を徹底し、見通しの悪い地にはお気をつけ下さい』と進言していたからだ。
兄上も『尤もだ』と納得し、常より倍の物見を放ちながら行軍した。
その結果として、迫りくる奇襲部隊を発見。そして彼等は返り討ちにあったのである。
信長は半月ほど抵抗した。恐らくは美濃の援軍を頼りにしていたのだろう。
だが美濃から援軍が来る事は無かった。その内に、援軍は来ないと察したのだろう。遂に諦めて降伏した。
守護の斯波義銀はこちらの想像を超えてきた。
降伏どころか、何と恥も外聞もなく逃走していたのだ。甥である二郎が来た訳では無いというのにな……あれの悪名を今更ながらに痛感したわ。
岩倉の織田信安は素直に全面降伏してきた。これにより、尾張は完全に武田家の支配下に収まった。
この時点でまだ五月であった。
我ら武田家常備兵の内、四千は、二郎の二千百とともにそのまま美濃との境に向かった。そして二郎の工作部隊が砦を建設する間、護衛として建築現場を守り続けた。
その最中に、美濃の状況が物見によって齎された。
美濃勢は、織田の援軍に向かおうとした蝮の下には少数しか集まらなかったそうである。
これでは援軍に向かっても勝てぬと判断した蝮は、有力国人衆や息子へ文を送ったが、それは無視されたそうだ。蝮は決して愚かではない。有能な男であるのは間違いないのだが、どうして国人衆は応えなかったのか……それはともかく、更に運の悪い事に、不破関を突破して六角家が侵攻を開始。この事態に義龍は慌てて国人衆へ召集をかけ、迎撃に入ったと言う。
だが初動の遅れは何ともしがたい。田畑を焼きながら進軍する六角軍に対して、美濃勢は義龍を旗頭に一致団結。何とか拮抗状態を作り出す事に成功。そのまま今に至っている。
一方で万策尽きた蝮は、軍を解散するという手段に打って出た。そして単身で兄上の下に参じたのである。
そこで行われた会談の結果、美濃の蝮とまで恐れられた斎藤道三は腹を切った。梟雄と呼ばれた男にしては、あまりにも堂々とした最期を忘れる事は無いだろう。
そして娘婿である信長と実の娘、帰蝶こと濃姫は所領減封となった。尾張からは離れる事になるが、死なずに済んだだけでも儲けものだろう。ただ荼毘にふされた父の遺骨を手にした濃姫殿の姿は見ていられなかった。
そして美濃家当主、斎藤義龍は六角家を相手に抗戦を継続。
だが田畑は荒れ果て、今年の秋の実りは期待できないだろう。結果、二郎の絵図面通りに事は進んでいる。このままなら降伏も時間の問題であった。
更に六月下旬に差し掛かった頃、国境に砦が完成。我ら常備兵四千は山城守(小畠虎盛)殿率いる、二郎の常備兵二千だけを砦に残して帰還したのである。砦は十分に堅牢な物に仕上がり、ちょっとやそっとの事では何ともできない。そして二郎の手配した補給部隊が戦が終るまで兵糧を運び続ける中、工作部隊が更に頑強な物にする為に砦を補強する。
最早、美濃の命運は尽きたと言えるな。
「典厩(武田信繁)叔父上」
「おお、二郎か。補給、助かったぞ」
二郎の提案した補給部隊は本当に戦を楽にしてくれた。兵糧の心配が無いというのは、こうも気が楽なのだと痛感したわ。
皆も、終始機嫌が良かった。こんなに戦いやすい戦は初めてだ、と。
好きなだけ飯を食らい、思う存分、力を発揮できるだけではない。安全な道を通って物資を届けるという事は、どこが怪しいのか?どこが危険なのか?という事と同じ意味を持つのだ。結果として、我らも背後の安全を確信して戦う事が出来たのだ。
「例の件ですが、早速、行います。手筈は先だっての通りに」
「分かった。後は任せておけ」
論功行賞は明日行う。今日はここで休みを取るのだ。だがここで二郎の策が動き出す。
二郎が浜松城内に作った湯殿。そこを交代制で使うのだが、直属の女が役目として待機しているのだ。中にはその場で事に及ぶ者もいるだろうが、それも計画の内。閨に呼ばれて、そのままお気に入りとなれば成功だ。
当然、評価のまともな者にも女はつく。つけなければ不審を抱かれるからだ。だがこちらは一夜の相手ならしても良いが、囲われたくはないという者達が相手をすると聞いている。
俺の役目は彼女達を無事に駿府まで連れていくことだ。
さすがに駿府までの道中を、堂々と女連れで行進させる訳にはいかんからな。女達には標的に気に入られたら、皆で銭を出し合って護衛を雇う。駿府で会いましょう、と言えと命じてある。
後は成り行き次第だ。だが願う事ならば、彼らが考えを改めて、新しいやり方に対応してくれる事を願うばかりだ。
私とて、甲斐時代という同じ苦境を味わってきた同胞達相手に、厳しい事はしたくないのだからな。
弘治二年(1556年)七月、遠江国、浜松城、武田義信――
論功行賞が終わり、別室で宴が行われている中、父上と叔父上、そして二郎だけを集めた密談が行われていた。
「二郎よ。相談したい事があると聞いたが?」
「長島攻めに関してです。某が攻めるのは当然ですが、更にその上に総大将として兄上の配置を御願い致したく存じます」
「太郎(武田義信)をか?」
何を考えているのだ?
チラッと見ると、父上と叔父上は何かに気づいたのか、小さく頷いておられた。
「箔か。太郎こそ、武田家次期当主に相応しい。そう印象付ける事が目的か」
「仰せの通りに御座います。誰もが手出しできぬ伊勢長島一向宗。それを短期間で壊滅させたとあれば、家臣達も兄上こそ次期当主に相応しい、頼りになる御方だ、と心の底から思うでしょう。それが武田家を一枚岩たらしめ、同時に不満の捌け口は他所へと向けます」
「その捌け口は其方か?」
「いえ、今回は別に用意しようかと。成功は嫉みを生みもします」
どういう事だ?
確かに伊勢長島を落とせば、皆が私を認めてくれるだろう。だが不満?私に対して、不満を持つ者が出てくるのか?
……長島攻めで手柄を挙げられない者、という事か?……良く分からんな……
「以前に申し上げた通り、私は城は欲しいですが領地は不要です。その領地を、長島攻めで功績を挙げた者にくれてやるのです。織田信長に」
これはまた思い切った考えだ。
確かに今の信長殿の下には、若い者達が犇めいている。特に所領減封によって、富を失った者達もいる筈だ。
そういう者達を活用できるのなら、戦力としては有望だな……
「長島に転封となれば、結果を出せぬものほど嫉みを持ちましょう。加えて、あの地は領土拡大が難しく、津島のような港が無い土地。その上、民の大半は一向宗門徒。国を建て直すだけで十数年は必要となりましょう」
「えげつない事を考えた物よ。其方の事だ、敵は皆殺しであろう?」
「無論です。敵は皆殺し、それが私のやり方で御座います。民が激減した長島の地を、どうやって立て直すのか?信長の手腕を見せて貰いましょう」
二郎は信長殿を危険視しているのか。まだ牙は抜かれていない、虎視眈々と隙を狙っている、と。
故に内に目を向けさせる、という事か。信長殿は決して愚かな男ではない。ならばいずれは謀反を起こそうと考えても、当面は内政に専念する他はない。その間に武田家が強大化すれば、信長殿も謀反を無意味であると、考えを改めてくれるだろう。
その上で、手柄を挙げられぬ者達の嫉妬の視線は信長殿に向けられる、か。二郎は本当によく考える弟だな。信長殿には申し訳ないが、武田家の為にも堪えて貰う他は無いな。
「良かろう。太郎、其方の下に信長をつける。時が来たら出陣じゃ。二郎、攻め時はいつだ?」
「来年の梅雨。その為に、真田殿にお願いして飛騨を利用させて頂きます。日ノ本全ての者達の度肝を抜いてやりましょう」
弘治二年(1556年)八月、遠江国、浜松城、武田信親――
「御久しぶりに御座います、二郎様」
「其方もな、神屋。今日来てもらったのは他でもない、売ってほしい物があるからだ」
「商売の話とあらば、是非、お任せ下さいませ」
儲け話には違いない。まさしく神屋にとって、俺は重要顧客だろう。それぐらいの自負はある。まあ一番か?と問われたら、流石に首を振るが。
ちなみにこの場には、俺以外に岩鶴丸とゆきがいる。岩鶴丸は祐筆見習いであったが、かなり気遣いも出来るので近習にする事にした。ただ俺の代筆をするだけでは、あまりにも勿体ないと思ったからだ。
普段は俺の傍で、客との会話を書き留めるのが主な役目になる。
「米だ。十月から毎月、兵三千人分の米を届けてほしい。場所は美濃と飛騨の国境にある、武田家の砦だ。津島から卸して、三河・信濃経由で運んでもらう。その分の手間賃は、米の代金と合わせて俺が払う。どうだ?」
「何か理由が御有りのようですな。心得ました、御用命、承りました」
「ああ、頼むぞ。堂々と運んでくれ。ただし、もう一つだけ条件がある。この売買は来年六月までだが、周囲には『夏頃まで』と吹聴してくれ」
これで周囲は武田が飛騨に兵を集めて練兵中だ、どこが目的だ?と好奇心を持つだろう。破竹の勢いの武田家が飛騨からどこを狙うのか?とな。
そして飛騨の隣国は……越中・越前がある。
越中には加賀の一向宗勢力が手を伸ばしているし、越前は一向宗と仲が悪い。そして武田家は三河一向宗を潰した御家だ。ま、どんな想像をするのかは敢えて断言するまでも無いだろう。
「味噌等は宜しいので御座いますか?」
「あまり其方ばかり優遇すると、友野屋が煩いのでな。それに情報元は多い方が良い。俺にとってはな。それとな、俺も旗を作ろうと思う。考えてみると、俺は自分の旗を持っておらんのだ。職人をここへ寄こしてもらえるか?」
「早速手配いたします。それでは、今後も神屋を御贔屓に願います」
神屋は兵糧の手配の為に退室した。そこへゆきがほうじ茶を淹れてくれたらしい。香ばしい香りが漂ってくる。
良い香りだ。心が落ち着く。考え事をするには最適だ。
「岩鶴丸。俺の目的が分かるか?」
「武田家の目的は越中・越前と思わせる事と推測しました。本命は違う国。売買を夏まで、と吹聴したのは、六月に奇襲をかける為と推察致しました」
「良いぞ、やはり其方を近習に変更したのは正解だったな」
俺の言葉に、岩鶴丸が嬉しそうに『有難き幸せに御座います』と返してくる。
そういえば六角家による美濃攻めは、やっと終わったそうだ。報告によれば七月末に撤退したそうである。斎藤家当主である義龍の粘りは想定内であったが、六角家の粘りは完全に想定外であった。
もしかしたら、武田家におんぶに抱っこでは名誉に関わる、とでも考えたのかもしれんな。まあ六角家が疲弊してくれるのは、武田家にとって有難い事なんだが。
補給網の管理も、少しずつ俺とともに行動してきた者達に任せている。晴康(松平晴康)君には、もうしばらく城を御借りしたいと伝え、喜んで受け入れて貰えている。信玄パパから西三河全土の差配を任された事がよほど嬉しかったのだろう。
降伏した信長については、東三河に所領を一万石で与えられた。何かあれば、俺と晴康君で圧し潰す事になる。まあ信長は馬鹿では無いから、無謀な事はしないだろう。そもそも俺の悪名を聞いておいて、隣の領地で動く事は無いだろうしな。それに信長には、今後十数年は貧乏籤を引いて貰う必要がある。今、死なれては計算が狂ってしまうんだ。
ちなみに土田御前は尾張の尼寺に駆け込んで出家してしまったという報告が届いている。夫と息子の菩提を弔うそうだ。まあ好きにすればよいさ。
岩倉の織田信安は本領安堵。だがこのままで終わるか、それとものし上がるかは不明だ。まあ、御手並み拝見と言った所だ。
織田家の者達は、譜代や重臣達の大半が武田家臣となった。俺ではなく、信玄パパや義信兄ちゃんの下についている。
あとは信玄パパが本拠地を清洲城に変更した事が重要だな。六角家との同盟に当たって、事前に連絡すれば領内を通行できるからだ。故に美濃が陥落するのを見越して、拠点移動を決断したのである。北陸から京を伺う事が可能になれば、更にそちらへ移動するだろう。
久能山城は元服した信之君(武田信之)が駿府の守りとして入城した。守役は秋山信友さん。どっかで聞いたような名前な気がするんだが、どうも思い出せん。ちなみに割とまともな方で、俺の改革にも前向きに対応しようとしてくれる人だ。
ちなみにこの人には一夜限りの相手を宛がっていたのだが、翌朝、女の方からついていきたい、と申し出があった。まあ信友さんが望むのなら、と祝いの言葉と餞別付きで送り出してあげた。ゆき宛に文が届いたのだが、夫婦仲は良好らしい。独身だった信友さんの正室に収まり、仲良く暮らしているそうだ。
そして俺の方だが、風に任せていた人材確保の結果が届いた。
「明智十兵衛光秀と申します」
そう、美濃出身有名武将二人の内の一人だ。
もう一人の竹中半兵衛については、まだ連絡が無い。
「其方を侍大将とし、俸禄は年千貫文で召し抱えるとしよう。不満はあるか?」
「い、いえ。まさか侍大将扱いとは思いませんでしたので。城を失った身、もっと厳しい評価をされるかと」
「馬鹿を申すな。其方が城を失ったのは、義龍殿の判断の甘さが原因だ。それが無ければ、城を失う事も無かっただろう。それと屋敷を城下に用意してある。家族がおるなら、そこに住まわせるがよい」
『有難き幸せ』と頭を下げる光秀さん。藤吉郎と並んで、将来有望な出世頭だ。彼には任せたい仕事が山盛りだ。
今は虎盛という、信用のおける軍配者がいる。けど、虎盛も老齢に差し掛かりつつある。
となれば、後継者問題について手を打っておく必要がある。息子の孫次郎(小幡昌盛)が虎盛と同等の実力なら問題は無いんだが、断言はできない。だからこそ、幾名かの候補者を手元に確保しておく必要がある。
光秀さんは、その候補の一人と言う訳だ。史実においても種子島を上手く扱った智将として有名。朝廷工作も得手としている。本当に役立つ人材だよ。
「十兵衛、其方は種子島は得意か?」
「いえ、残念ながら扱った事が無く。興味は御座いますが」
……おや?光秀さんは種子島が得意と聞いていたんだが。ひょっとして習得前にスカウトしちゃったかな?
それならそれで前向きに考えよう。才能はあるんだ。遠江で種子島に習熟して貰えば良い。
ついでに種子島の有効戦術についても思案して貰えば……
「興味があるなら、種子島に慣れると良い。落ち着いたら鍛錬できるように取り計らおう」
「宜しいので御座いますか!重ね重ねの御恩情、感謝してもしきれませぬ!」
「構わんよ。それだけ其方には期待しているのだ」
この人、優秀だからなあ。
種子島程度で忠誠心を得られるなら、安い買い物だ。将来が楽しみだよ。
「うむ。他に何か聞いておきたい事はあるか?無ければ下がると良い。向こう十日ほどは体を休めておけ。その間に手筈を整えておく。それと当面の生活資金として五百貫文を渡す。岩鶴丸、十兵衛の自宅に届ける手配を頼む」
「心得ました」
光秀さんの顔を見れば分かる。
やる気になったのだろう。これは幸先が良い……念の為に確認してみるか。
「十兵衛、そなたは斎藤家に仕えている者の中で、竹中半兵衛という男を知っているか?」
「いえ……竹中重元殿なら知って居りますが」
ひょっとして父親かな?粉を掛けてみるか。
「その重元という男は城主で、かつ有能か?出来る事なら召し抱えたいのだが」
「それならば、某が説得しましょう」
「ふむ、ならば頼むか。だが美濃は戦場だぞ?」
光秀さんは『お任せ有れ』と自信を持って返してきた。
ならば任せてみるか。
「待遇は其方と同じだ。頼んだぞ」
「ではこれより向かいます。ただ家を留守にしますので、護衛の者の派遣を御願いいたしたく」
「分かった。其方にもいるか?」
「いえ、不要で御座います。変装して向かいますので」
颯爽と退室する光秀さん。
うん、働き者だ。これは有難い。
藤吉郎も来年にはこちらへ呼ぶとするか。堤防が終れば用水路。用水路だけなら後任に任せても問題ないだろう。
「ゆき、甲斐の藤吉郎に、野分で堤防工事が中断する時期になったら、浜松へ来いと連絡を入れてくれ。お前にしかできない仕事を頼む、とな」
「分かりました。明日、使いを出します。それと二郎様、もう一人面会希望者が来ております」
「会おう、連れてきてくれ」
ゆきに案内され、足音が近づいてくる。
それにしても虎盛さんみたいに力強い足音だ。いかにもな武人が来そうだな。
となると、別の有名人か。
「某、柴田権六勝家と申します。二郎様に仕えぬか?と聞いて参りました」
「そういう事だ。待遇は部将、俸禄は年二千貫文。どうだ?」
勝家さん、どうやら悩み中のようだ。
確かこの人、もとは信長の弟である織田信勝に仕えていた筈。この前、殺されちゃったばかりだけどさ。一応、家老だったし、プライド的にとかそんな感じだろうか?
ただ実力は間違いない。戦術レベルでは信長以上、面倒見がよく、内政面も真面目に行っていた人物だ。必ず手元に確保しておきたい。
「一つ、質問を御許し願いたく存じます。武田家は勇猛果敢な武士が多いと聞きます。何故、某を召し抱えようと御考えになられたので御座いますか?」
「必要だからだ。武田家は、これからますます大きくなる。それに応じて家臣も多数必要になるだろう。俺も家臣は抱えているが、正直、足りんのだ。特に兵を束ね、指揮できる者がな。そして甲斐出身の者達には、どうしても出来ぬ事も有る」
「分かり申した。これより、二郎様に御仕え致します」
甲斐出身者、要は武田家譜代の臣は千名を超える兵の扱いは、経験の無い者が多いのだ。これは以前から、虎盛や美濃守(原虎胤)にとっても頭痛の種になっていた問題でもある。
だからこそ、織田信勝の事実上の軍配者であった勝家さんという存在は、大きな力となる。
早速、長島で武功を挙げて貰って、足場を固めて貰うとするか。
「権六。其方に城下町に屋敷を用意してある。後で当座の資金として五百貫文を持っていくので、好きに使うと良い。それと其方に取り掛かって貰いたい役目がある。かつて家老として働いた、其方の経験を見込んでな」
「いかような仕事でしょうか?」
「其方には飛騨へ赴いてもらう。そこで募集に応じた兵達を鍛えて貰いたいのだ。予定では二千程集める予定でいる。彼らを率いるのは其方だ。自らの手足、自らで鍛え上げるがよい」
おお、と勝家さんが声を上げた。
声色からして、心の底から喜んでいるのが良く分かる。新参であるにも関わらず、一軍を任された事もあるだろうが、これで顔馴染みの者達の窮状を救う事も出来るからだ。
面倒見の良い勝家さんにとっては、渡りに船な話だろう。
「彼らは織田信長という主を失い、禄を失った身だ。故に、この戦で勝てば武田家でのし上れる。俺の配下として、立身出世が可能になる、そう焚きつけてやれ。俺が彼らに望むのは、槍働きだ。既に尾張には高札を掲げ、飛騨へ集まれと宣言している。数は十分に揃うだろう」
「心得ました!必ずや結果を出して見せます!」
「良い返事だ。兵の調練場所については真田殿にお願いして確保して貰っている。兵の寝泊まりする場所についても同じだ。調練開始は十月からの予定だ。心してかかれ。他に質問が無ければ、屋敷に入って体を休めると良い」
勝家さんの足音がゆっくり遠ざかっていく。
もし勝家さんが現れなければ、孫次郎をこの役目に当てるつもりだった。これで孫次郎は他の役目に使う事が出来るな。
今回も、お読み下さりありがとうございます。
実をいうと、もう少し練ってから投稿したかった、というのが本音。まだまだ書きたい事はあったんですが、時間と言う制約が御座いました。更新時間まで粘りますけどね。
これも全ては最大レベルが120になった、某ゲームのせい(自業自得です)。それにしても、もふもふケルヌンノスは強かった。というより強すぎだw
あと今回も新キャラ登場。ただ時期的に明智さんは種子島未習得だったり、半兵衛さんは元服したばかりで無名だったりと凸凹状態。強面髭親父は信長どころか織田家を見限り、誘いに乗ってこちらに来ました。
それはさておき、次回は美濃攻めの顛末。可能であれば、長島攻めまで書きたい所。ただどこまで書けるか不明なので、予定という事でお願いします。
それでは、また次回も宜しくお願いします。