今荀彧編・第四話
今荀彧編・第四話投稿します。
ブックマークと評価、有難う御座います。励みになりますので、是非お願いします。
今回、最後の最後で新キャラ登場します。
弘治二年(1556年)一月、駿河国、久能山城、武田信親――
昨年は比較的平穏な一年だった。このまま何事もなく年は暮れていく。そう思っていた矢先だ。改元があったのは。
元号は新たに弘治となり、年明け早々に弘治二年となった。すぐ前の元号である天文が二十五年近く続いていた事を考えると複雑だ。
そういえば暮れに毛利家の小早川さんから文を戴いた。俺の母方の祖父、三条公頼爺ちゃんを殺した陶晴賢を厳島の戦いで討ち取った、との内容だった。
周防国に滞在していた公頼爺ちゃんは、五年前に陶に殺された。その報告を受けたのは、俺がまだ甲斐で内政に懸命になっていた頃だった。
京に滞在していた時、信虎祖父ちゃんと一緒に会って話をした事を今でも覚えている。孫の俺を可愛がってくれた、本当に良い人だった。
小早川さんには、祖父である左大臣様の仇を討って戴き誠に感謝している。御礼という訳では無いが、遠江で採れたお茶と黒砂糖を贈らせて頂きます。またこちらに忍びを数名放っておくと良いでしょう。これから二年ほどの間に面白い事が起こる事を約束致します。と書いておいた。
信玄パパ、苦笑していた。どうせ武田が織田領に侵攻するのは時間の問題だからだ。バレた所で痛くも痒くもない。寧ろバラされたとしても織田に対する圧力になる、とすら考えているのだろう。
武田家にとって最も敵に回したくないのは三好、ついで六角だ。この両家は国力が高い。敵に回すと厄介だ。それは三好と六角も同じだろう。
そして俺は両家に繋がりを持つ。つまり武田家が間に入る事で、必要に応じて脚本有のプロレスを行う事も可能になる訳だ。特に公方と仲が悪い三好家――武田家は名目上は親足利である――に対しては、ボンバーマンを通じて裏で話をつけておこうと考えている。向こうも武田の西進は気に掛けているみたいだからな。
ついでにボンバーマンにも直接会っておこうかな。六角に向かおうとすると、基本的には船で堺に入るのが一番楽だから。陸路だと、どうしても武田家を危険視している国を通る必要が出てくるから、面倒なんだよ。
そして新年のご挨拶と評定も済ませた俺は、翌日、人だかりに埋もれていた。
と言うのも、浜松城で作った戦場遊戯と俺が名付けたゲームの存在がバレてしまったからである。
事の起こりは可愛い源五郎君の一言であった。
『二郎様、兵法書を読むのは良いのです。ですが、得た知識を役立てる為にはどうしたら宜しいでしょうか?』
非常に重要な相談であった。
この時代、将棋や碁で戦術能力というか読みあいを鍛える事はある。だが、それだけで良いのだろうか?例えばだが、将棋や碁には補給と言う概念が無い。それで本当に足りているのだろうか?
そこで思いついたのが、軍人将棋を流用出来ないか?と言う事。ただし、思いっきりルールは弄った。戦略的思考もぶち込んだからである。
・互いに一千貫文を所有。それを消費して手駒を得る。
・戦場は六角形のマスを組み合わせた物を使用。
・基本兵種:足軽(百名五十貫文、上下移動可)弓兵(百名百貫文、射程二)騎馬兵(百名百貫文、移動二攻撃二)種子島(百名二百貫文、射程二攻撃二)物見(十名五十貫文、偵察距離三)工作兵(五十名五十貫文、工作活動)
・兵種:精鋭(百名当たりの雇用費が+二百貫文。常時特徴として攻撃+一、特徴:射程や騎馬の移動距離などの事+一)
・大将が移動すると、大将の駒と大将の初期位置の間に補給路が発生。敵に絶たれると全ての味方の攻撃が一下がる。
・有視界距離は各駒の二つ先まで。後述の山や森があると邪魔されて視界が途切れる
・工作活動は落とし穴(攻撃二の罠)馬防柵(騎馬兵種移動強制停止)偽兵(囮)を使用できる。
・地形:平地(有視界+二、騎馬兵種移動+一)山(上下移動必須一~二、高低差を利用した一方的な射撃攻撃はあり)森(有視界-一、騎馬兵移動-一、計略:伏兵)沼(全兵種移動-一、被攻撃時敵の攻撃力+一)
・天候:先手後手各五回行動ごとに、サイコロを振って天候変更:一(雨:種子島射程一、攻撃-一)二(暴風:弓兵種射程-一)三・四・五(晴天:特になし)六(曇:次の天候決定時のサイコロの出目に-一)
・三人一組で遊ぶ。指し手は先手、後手、仲介者。仲介者は先手、後手が知りうる情報を規則に乗っ取り公平に判断して伝える役目。また指し手は別々の部屋で対局する。
・行動は指示と行軍(攻撃)に分かれる。指示は物見への指示。向かう先と兵数を決め、そこまで自動的に物見は移動(一度に移動できる距離に注意)。到着後に大将の元まで戻る。戻った時に、目的地到着時点での有視界情報と、帰る際の通過地点の情報を入手。行軍は己の駒一つに対して進軍や攻撃を指示する。伏兵指示(隣接されるまで部隊の存在がバレない、伏兵状態からの攻撃時に1度だけ攻撃+二)も行軍で行う。
・委任:遊戯開始時点で部隊を選択(隊の数に制限なし)。指定地点まで移動し、何をするかを決めておく。文字通りオート機能(部隊委任)。上手くやれば手数は増やせるが、失策する事もあり。使い方に要注意。
・攻撃は部隊の攻撃にサイコロ二つの出目の合計を加算。その合計値の分、敵兵力が削れる。
・一斉同時攻撃:隣接する味方部隊全ての攻撃を加算、さらにサイコロの出目の数も一斉攻撃参加部隊数分に増える(例:足軽四部隊隣接なら、基本攻撃一×四部隊+基本サイコロ二個×四部隊=四+八個)
・勝利条件は敵大将撃破。
・待ったなし。戦場で敵は待ってくれません。現実での立場を使うの禁止。これは遊戯です、正々堂々、心の奥底に秘めた想いを込めて殺りあいましょう。
おおまかなルールはこんな所だ。ハンデキャップとして初期一千貫文を変更するとか、昼と夜を導入するとか、城砦戦とか、色々な特別ルールはあるのだが、今は割愛。
で、これの存在がチート爺ちゃんこと幸隆さんに源五郎君経由でバレていたのだ。で、早速親子の触れ合いの時間となった訳だが、正月にお酒の入った連中が、こんな催しを見て参加したがらない筈がない。特にルールの最後がウケたらしい。
案の定、急遽、久能山城戦場遊戯最強決定戦第1回が行われたのである。そして脳筋連中がボロボロ敗れていく。
そりゃあ精鋭騎馬兵だけで編成するのは勝手だよ?でも普段の思考がバレてるんだから、対策講じるのは当たり前だよね?
特に笑ったのは勘助さん。脳筋の小山田さん相手に十面埋伏という浪漫作戦を実行するというトンデモナイ事をしてのけたのである。しかも部隊半分が委任。自分で指示する部隊で一斉攻撃、さらに委任状態の部隊が一斉攻撃で追い打ちを五回。どういう脳味噌してんだ。小山田さん、精鋭騎馬隊が半壊して思わず待ったしちゃってたよ。もう拍手喝采しかなかったわ。
チート爺ちゃんは鶴翼の陣に飛び込んできた敵部隊へ遠距離攻撃で確実に撃破とか、色々遊びまくっていた。
信玄パパも参加したのだが、お酒が回っていたのか敢え無く三回戦で脱落。見事、下剋上を為したのは義信兄ちゃんであった。
そして栄えある第一回優勝者は、勘助さんを破ったチート爺ちゃん。源五郎君から情報を手に入れていたというアドバンテージが勝敗を分けたらしい。
パパから褒美として太刀を一振り頂いて、ご満悦のようだった。
「今年はいつもに増して盛り上がったのう」
上機嫌で杯を干したのは信玄パパ。家臣達は皆退席し、今だけは俺、パパ、義信兄ちゃん、典厩おじさんの四人だけ。周囲の目を気にする必要の無い時間だ。
確かに立場を考えれば、家臣の目なんて気にする必要は無い。だが話を聞く事になる家臣達が、聞こえてきた話の内容をどう受け取ってしまうのか?までは何とも言えない。
だからこそ、身内だけで話の出来る機会は重要なんだ。
「兄上、御見事でした」
「二郎(武田信親)、父上の前で褒めるな、肩身が狭いだろうが」
「はっはっは、見事な下剋上でしたなあ」
「叔父上まで!?」
申し訳ない事だが、ゆきは隣室で待機中だ。ただ俺の側室でもあるので、体を冷やさぬよう、火鉢が提供されている。
女の子にとって冷え性は辛いもんなあ。
「あの戦場遊戯と申したか、あれをどれだけ真剣に受け取ってくれるか、だな」
「やはりそう思いましたか、兄上」
「当然よ。精強な甲斐兵でなければ勝てぬ、それではいかんのだ。俺が拠点を変えれば、自ずと率いる兵も変わる。それを理解せんで、この先、戦っていける訳が無いわ」
パパが俺を睨む。やっぱりバレてるんだろうな。これが俺からの遠回しな警告であるという事に。だって兵を金で雇用とか、まんま常備兵の発想だしな。
けど、これは避けては通れない問題なんだ。
直接、言葉にするのも手ではある。ただそれをすると、中には逆恨みをする者もいるのは断言できる。恥をかかされた、とか勘違いしてな。
だから自分で気付いてほしいんだよ。それが駄目なら……あまりやりたくないんだよな。
「まあお陰で危険な連中は炙り出せそうだ。出来れば反省して貰いたいが」
「克服して貰えないと、この先、ずっと留守居役になりかねませんから」
「そういう訳にもいくまい。不満が出るわ」
ぷはあっと大きく息を吐く音が聞こえてきた。距離が有るから平気だけど、信玄パパの間近にいたら、きっと酒臭くて顔を顰めてしまっただろうな。
俺自身はお酒はあまり好みじゃないし、どちらかというと嫌いだ。だからお酒の何が旨いのか、正直言って理解できない。
売れば銭になる、と言う意味では有難いんだけどな。
「武士は戦いこそが存在意義だ。戦えぬ張子の虎扱いは、矜持を傷つけるだけよ」
「……二郎、考えはあるのか?」
「尾張攻略後に種は植えておきます。これにより御家の存続は叶います。後継ぎの実力までは断言できませんが。この際、家中の子弟達に勉学を教える場所を提供するのも良いかもしれません。草案を考えておきましょう」
種を植えられる畑。つまり希望者は募ればそれなりにいるだろう。あまり気持ちの良い策ではないが、綺麗事は言ってられない。ゴミは捨てないとな。
見過ごせば、迷惑を被るのは民なのだから。
それに畑の方に気を遣う必要がある。ちょっと考えてあげないとな。
「叔父上、人選が済んだら連絡しますので、勝利の宴に参加させられるように手配を願えますか?文字通り、持ち帰り前提で」
「ま、何とかしよう。兄上も宜しいですな?」
無言で頷く信玄パパ。まあ当主が不適格なら挿げ替えるしかない。それは戦国時代なら当たり前の事。良い例が前田利久と利家兄弟だよな。割と有名な話だし。
適材適所。実に理想的な言葉だけど、だからと言ってやり過ぎると譜代連中から不満も上がる。その匙加減も重要だ。
そういう意味では、俺の遠江は気楽なもんだな。譜代なんて虎盛(小幡虎盛)さんと昌盛(小幡昌盛)の父子、あとは鬼美濃(原虎胤)さんぐらいしかいないからな。
「そういえば、二郎。長島だが、どんな策を考えているのだ?」
「基本作戦は二段構えになります。最初に夜間の奇襲と内応により、長島城本体と同じ中洲に存在する砦を占拠。二段目は地の利を活かして外周に位置する砦の撃破。大まかな説明ではありますが、付属の砦が十も有る為、こうすべきと考えました」
地の利。戦において重要な要素だ。長島は伊尾川、木曽川、佐屋川と三つの川の合流地点に築かれた城。どう考えても、真っ当に攻めるのは悪手だ。地の利は防御側にあるのだから。
本格的に抗戦する前なら、城内の戦力は少ない。向こうは常備兵を雇っている訳ではないのだから。一向門徒は百姓の集まり。普段は農作業をしないといけない。
つまり不意を打てば、守備兵は僧兵だけという事になる。
そして地の利を無効化するにはどうするべきか。そして俺が考え付いたのは、地の利をこちらも利用してしまえ、という物である。
今回も敵が用意している盤面は利用しない。俺が利用した盤面に無理矢理引き上げてやる。一向衆の持つ、俺に対する敵対意識、それが奴等の息の根を止める事になるのだ。
これらの策は全て、藤吉郎がいた事を思い出したからこその奇策。
火部隊の内、馬を使わぬ部隊と常備兵だけを利用した『速攻』だ。馬を使わずに速攻と言うのもおかしな話だが、藤吉郎の存在がそれを可能にする。
更に詳しく説明したら三人とも納得してくれた。というより堅牢な長島城をまともに落とすなら、全方位囲んで兵糧攻めか、或いは数に物を言わせて攻めるか、はたまた大砲で城を壊すか、ぐらいになる。だからこその奇策だ。
「尾張を落としたら、次の年に長島を潰します。褒美は長島城だけで良いです。領地は欲しがる奴にくれてやりましょう」
「……城だけ、だと?何をするつもりだ?」
「長島城内を硝石で埋め尽くそうと思いまして」
ブフウッとパパが酒を噴いた。いや、驚き過ぎでしょ。
叔父さんも激しく噎せっているな。義信兄ちゃんは『二郎が言うなら、きっと出来るんだろうな』とあっけらかんとした口調で返してくれた。
こうして無条件に信じてくれると、やっぱり俺としても嬉しくなる。真面目に頑張らないとな。
「二郎、本当に何を考えておるのだ?」
「武田の勝利。ただそれだけです。今後は甲斐の兵に頼れぬ以上、種子島で戦力を底上げする事を考えております。硝石の準備は、その為の前準備になります」
「まあ良いわ。そういえば本願寺からお前を糾弾する文が届いたぞ」
読むか?と尋ねてくるパパ。まあ折角だし、中身に目を通してみるか。
受け取って思ったんだが、俺が第六天魔王ねえ?
確か史実だと織田信長の二つ名だったよな……
「寧ろ天神様の寵児としては、雷神繋がりで八雷神とかだと思うんですが。いっそ、こっちから名乗ってみますか。花押とか作って」
「笑えん冗談はやめんか」
「分かりました。言葉ではなく行動で示す事にしましょう。来年あたり長島で」
パパがゲンナリした。何故だ?
弘治二年(1556年)二月、摂津国、芥川山城、松永久秀――
思い返すは十年前。京の山科様との会話で、武田家から貰っていた文の事を思い出し、慌てて返事を書いた事があった。以来、こちらからは畿内の状況、向こうは東国から東海の状況を伝えあっている。それからもうすぐ十年。月日が経つのは早い物だ。
我ら三好家は、今や日ノ本随一の大勢力だ。総石高でいえば、ゆうに百万石は超えるだろう。百五十万石に届くかもしれない。
ところが武田家も驚く程に飛躍していた。甲斐は十五万石程だった筈だが、今や信濃、駿河、遠江、三河と勢力を拡大している。合計すれば百万石を越えている。関東の雄、北条家に匹敵する大勢力だ。決して油断してよい相手ではない。
そんな武田家の次男、それも直接文の遣り取りをしている相手が挨拶に来たのだ。盲目と聞いてはおったが、実際に会うとそれが事実だと理解出来た。
生まれながらの奇形。瞼を開く事が叶わぬ、という。今も、案内役の女性であるゆき殿に先導されなければ、城内を歩く事すらままならぬのだ。
だがそんな男が、武田家でも指折りの実力者と聞く。
東三河侵攻、西三河動乱では敵対者を皆殺し、三河一向衆を全滅させた殺戮者。本願寺曰く第六天魔王。
一方で、治政においては非常に有能な為政者である事も知った。税制改革に軍制改革、今は遠江の差配を任されており、彼の居城浜松城城下町は民の流入が始まっている程に賑やかなのだと。
「殿、武田二郎信親殿、並びに案内役のゆき殿をお連れ致しました」
ゆき殿に案内され、二郎殿が筑前守様の前に座る。その斜め後ろにゆき殿が控えた。
本来ならゆき殿に同席を許す事は出来ぬのだが、二郎殿の目を考えれば補佐役は必須。主である筑前守(三好長慶)様は、快く特例として御許しになられた。
実に心の広い御方であらせられる。だからこそ、皆が筑前守様の為に、御役目に励むのだ。
「はるばる遠い所から、よくお越しになられた。儂は三好筑前守長慶。以前から弾正(松永久秀)を通じて、二郎(武田信親)殿の事は聞いておったぞ」
「有難き幸せに御座います。某、武田大膳大夫晴信が次男、武田二郎信親と申します。無位無官の上に盲な身なれど、筑前守様にお会いできて光栄に御座います」
「いやいや、そこまで申されては儂としても面映ゆいわ。それにしても、二郎殿もそのような身では大変であろうな」
「いえいえ、こうしてゆきが某の事を補佐してくれますので、それほど大変だと思った事は御座いませぬ。某に出来ぬ事は、家臣達が助けてくれます故」
家臣達が助けてくれる主、か。この乱世において珍しい事だ。余程の絆が二郎殿と家臣達の間にはあるのだろうな。
実に理想的な主従と言うべきだろう。
儂ももう良い年だ。そのような絆で結ばれた者達が我が子や孫の傍におれば、と素直に羨ましく思ってしまうわ。
「弾正殿にはいつも御世話になっております。東国の田舎で畿内の事が分かるのは、とても助かります」
「そう言ってくれるとありがたい、今後も仲良うして行きたいものだ。ところで二郎殿、この度はどのような目的で畿内に来られたのか、伺っても宜しいかな?」
筑前守様が本題に入られた。
にこやかな笑顔から一転、厳しく引き締めた顔つきへと変わられる。二郎殿の背後に控えていたゆき殿が、軽く身を震わせた事が分かった。
一方で目の見えぬ二郎殿は、変わらずに平然としたまま。だが、その返答次第では厳しい対応も必要となるだろう。
「目的は二つ。一つは京に滞在中の祖父、左京大夫信虎様にお会いする為、もう一つは近江の六角家に用が御座います」
家臣達が剣呑な気配を漂わせる。我ら三好家は公方様と敵対中。一方で六角家は公方様を擁護する側だ。決して仲が良いとは言える訳ではない。それは二郎殿も知って居られる筈だ。
ならば何故?
二郎殿は笑顔を浮かべたまま、口を開かない。いや、あれは敢えて口を開かぬのか。
「……六角家への用件を訊ねても宜しいかな?」
「構いません。互いに利がある故に同盟しておこう。それだけです」
筑前守様が眉を吊り上げられた。隠しようもない、いや、ハッキリとした同盟宣言だ。明らかに喧嘩を売っている。儂もさすがに見逃せんぞ?
居合わせた方々も、敵対宣言として受け取った事を隠そうともしない。
付き添いのゆき殿には申し訳ないが、これも乱世の習いだ。せめて同じ墓に入れてやるぐらいの事はしてやろうか。
「それでは三好家と敵対する、そう受け取れるが?」
「そう焦って結論づける必要は御座いません。これは三好家にとっても利のある事」
筑前守様は眉を顰められた。
いや、どう考えても三好に利は無いだろう。敵対陣営が強くなって、どうして利があると言える?
一時しのぎの虚言か?だが、二郎殿からはそのような焦りは感じられぬ。何より、二郎殿がそこまで愚かだとも思えぬのだ。
「三好家と六角家。両者共に強大な御家です。ぶつかり合えば、被害は甚大に御座います。ならば両方に顔の利く者が公家以外にいても良いでしょう」
「それが武田家であると?」
「はい。予め、裏で話をつけておけば、茶番劇でお茶を濁す事も出来る。そういう伝手は作っておいて損は御座いませぬ。特に三好家と六角家、双方がぶつかれば喜ぶ御方がいる筈です。朽木谷に」
まあ確かにな。二郎殿の言う通りだ。
筑前守様を始めとして、三好家中でその事を知らぬ者はいない。何せ筑前守様に対する不信の念から、暗殺騒ぎまで引き起こした男が朽木谷にはおるからだ。
ただ、どうして六角家の疲弊を、あの男が喜ぶ?
「……六角家は公方側であるぞ?あの御家が疲弊して、公方が喜ぶ事は無かろう」
「それは如何で御座いましょうか?歴代の公方様には、些か困った悪癖があるように感じられます。それは筑前守様御自身も、良くご理解されておられるでしょう」
「む……」
その指摘は尤もだ。歴代の公方様は、大名が力を持つ事を拒み、何かにつけて押さえつけようとしてくる。筑前守様も、その事は身をもって体験されておられる。
つまり二郎殿は公方は六角家もそういう目で見ていると言いたいのだろう。今はともかく、いずれは、という意味で。
「だがのう。二郎殿も知っているだろうが、公方は各地の有力大名に上洛要請の文を送っておる。もし六角と武田の同盟が表沙汰になれば、ここぞとばかりに動くだろう。さすがに三好でも、ちときついわ」
「そういう時こそ、裏で話をつけた茶番劇の出番で御座います。ハッキリ申し上げましょう。俺は公方如きの為に兵を失いたくはない」
謁見の間が凍り付いた。同時に二郎殿の気配が切り替わる。
今、目の前にいるのは盲の若者ではない。そうだ、三河を恐怖のどん底に突き落としたという殺戮者としての二郎殿なのだろう。
なるほど、これは大したものだ。盲いた身でありながら、家中の実力者という事も納得できるわ。
「思うがままに権力を振るいたいのなら、自らが努力しないでどうする!ただ文を書くだけなら祐筆で十分だ。俺は盲故に苦労してきた。だから言える事がある。甘えんなクソガキ、泣きわめくだけなら母親の腕の中で泣いていろ!」
「ぶっはっはっはっは!」
大声で吐き捨てた二郎殿に対して、筑前守様は大笑いされた。
いや、暴言もここまでくれば大したものだ。実際、二郎殿の苦労は並外れた物ではなかったのだろう。だからこそ、公方の在り方に強い不満を持っているのだ。
周囲はと見れば、皆が呆気に取られておる。完全に敵意は消し飛んでしまったな。
「間違いなく二郎殿の本音であろうな。ならば公方は良く言って利用するだけの対象か」
「然り!」
「どうやら二郎殿個人は信用できそうだ。武田家は別としてな。武田家は守護職の家柄である故にな」
面白そうに二郎殿を見つめる筑前守様。
その表情に敵意は感じられぬ。これが最後の試練と言った所か。
「武田家当主、武田大膳大夫晴信は、甲斐守護という職名を利用しておりません。常に大膳大夫を使用しております」
「当に見限っておる、と?」
「その通りです。なぜなら、甲斐は地獄だから。筑前守様は、甲斐の事について、ご存じな事は御座いますか?特に民草について」
それは、儂も知らんな。百姓兵が勇猛果敢という事なら知っているが。
「正直に言おう、あまり知らぬな」
「で、御座いましょうな。甲斐は地獄なのです。旱魃、冷害、水害による不作、凶作は当たり前。米など一反から二俵取れれば御の字。今年は良く取れたと喜ぶ、そんな国なのです。餓死者など珍しくもない、生まれたばかりの赤子を間引くなど当然の事。そこには人としての心など欠片も無い。そういう地獄なのです、甲斐国は」
殿もそうだが、誰もが絶句していた。
かくいう儂もだ。そんな光景が普通だと?信じられぬ。だが付き添いのゆき殿は、静かに目を閉じている。もしかしたらゆき殿も体験した光景なのやもしれぬ。
であるならば、まごう事無き真実と判断すべきか。
「俺が初めて城から出た日、俺は間引かれたばかりの赤子を拾った。その子は川に流され、冷たく冷え切っていた。不思議だった、頬は柔らかいのに、水の冷たさを感じた。この子の両親は、どうして赤子を殺せるのか、全く理解出来なかった。その時、俺は守役の虎盛から教えて貰った。それが当たり前なのだ、食う物が無いから、赤子を殺すのだ、と」
「……やりきれぬな……」
「俺はその赤子に『愛』と名付けた。今度こそ、両親に愛されて生まれてこい、と。そしてこの手で土饅頭の墓を作り、卒塔婆の代わりに花を植えた。そして理解した。人を救うのは神仏ではない、人の手で救う他は無いのだ、と。その為に、俺は甲斐を豊かにした。知識と知恵、技術の全てを費やした。今の甲斐は十年前とは全く違う。だが、もし公方が真の意味で上に立つ資格を有していたのなら、あの悲劇が起きる事は無かった。愛は両親の庇護のもと、成長していた筈だった!その怒りと苦しみは、武田家全ての者達が共有する物だ!」
これは筑前守様の負けだ。いや、これほど心地よい敗北は無いだろう。目の前の御仁の怒りは、あまりにも純粋な怒りだ。共感してしまうのは当然よ。
事実、筑前守様も力強く頷かれておられる。武田家が公方に与するとしたら、それは利用する事が目的。心の底から守ろうとは思うまい。それなら仮に敵対したとしても、二郎殿の提案通り茶番劇で済ませる事は十分に可能だ。
「分かった。二郎殿が我が三好家の領内を通過する事を認めよう。それと今後も弾正との文のやり取りを願う」
「こちらこそ、嬉しい御言葉に御座います」
武田二郎信親という人物の心底はおおよそ理解出来た。
幼き頃の怒りを捨てず、妥協せず、戦い続ける男。ある意味、筋の通った男だ。
こういう御仁が三好家中におれば、三好家は更に大きく発展したであろう。実に惜しい。どうして三好家に生まれてきてくれなかったのか、と天に怒りをぶつけたくなってしまうわ。
「とはいえ、二郎殿も旅で疲れておられよう。今晩は泊って行かれると良い。細やかだが宴も行う。二郎殿ともう少し話をしてみたい、と思ったのでな」
弘治二年(1556年)二月、山城国、京、武田信虎邸、武田信虎――
「おお、よう来たよう来た、元気そうで何よりだ!」
「御祖父様こそ御元気そうで嬉しゅう御座います。一年ぶりですが、全く変わっておられなくて安心いたしました」
全く可愛い孫だ。儂は甲斐への立ち入りを禁止されている。故に、遠江の差配を任されてから、やっとこちらから会いに行けるようになった。毎年、春になったら顔を見に行こうと、楽しみにしていた。
遠江の地は、二郎(武田信親)がいる浜松城を中心に栄え始めていた。今年は二郎が来てくれたので行く予定は無いが、来年は儂の方からまた出向きたいと思っている。二郎が手掛けた城下町を見てみたいのだ。
「それと御祖父様。紹介します。側室のゆきです。私の政務の補佐役もしております」
「ゆきと申します。左京大夫(武田信虎)様、宜しくお願い申し上げます」
「そうか、もうそういう年なのだな。月日が経つのは早いわ」
側室、か。
痩せぎすの女子だ。化粧っ気も感じられぬし、その気も無いのだろう。つまりは己を美しく見せようという欲が無いのだ。であるならば、良い所の出身とも思えぬ。少なくとも武家や商家ですらなかろう。それ故に側室となったのだろうな。
「二郎、其方は正室はどうするつもりだ?」
「娶るつもりは御座いませぬ。兄上(武田義信)の武田家跡継ぎの座を脅かす訳には参りません」
「さすがに考えすぎだと思うがのう」
此奴の考えは薄々だが分かる。
自分と正室の子、すなわち嫡男が成長した時の事を考えているのだろう。嫡男であれば、父である二郎の功績を理由に武田家当主の座に就かせようと目論む佞臣が出てこないとも限らない。
だが庶子であれば話は別だ。担ごうとする方も遠慮しがちになるだろう。特にこのゆきと言う娘は出自に難がありそうだ。その子であれば、担がれる事はない、そう判断したか。
「分かった。ならば無理強いはすまい。だが子が生まれたら抱かせよ。儂の可愛い曾孫になるのだからのう?」
「それは勿論に御座います」
うむ。将来の楽しみが増えたわ。
それにしても、二郎の考えは次郎(武田信繁)に伝えておいた方が良いかもしれぬな。下手に相手を探してから知ったのでは、後で問題になりかねぬわ。
可愛い孫の為に手を回す。これも祖父としての特権よな。
「それで、今日来た用件は何なのだ?まあ会いに来た、だけでも儂は構わんが」
「それも御座いますが、御祖父様に補佐役が必要ではないかと存じまして。昨年の評定で父上に提案致したのですが、彦五郎(今川氏真)殿を御祖父様の補佐役にどうか?と。蹴鞠とか和歌の相手とか、面倒臭く御座いませぬか?」
むう、確かになあ。それが流儀であれば致し方ないと思ったが、出来れば相手はしたくないわ。
別に出来ぬ訳ではない。和歌も漢詩も一通りは熟せる。蹴鞠は……さすがに年だからな。ちと腰に来るわ。
酒を飲むだけなら別に構わんのだがな。
「彦五郎殿の周りの方々――伯母上や旧・今川家重臣達もやっと納得されたのです。それで今回、私が御祖父様に伝える事になりました」
「彦五郎か……大丈夫かのう?」
「はい、彦五郎殿の得意分野ですから」
言われてみれば、確かにそうだ。婿殿に色々教育されておったと聞く。本当に役に立つのであれば、多少は我慢しても良いが。
確かに儂も一通りは出来る。だが付き合いたい相手がおれば、逆に付き合いたくない相手もおるのだ。
それに朝廷工作をこなすのが、儂一人ではなく二人になれば出来る事も増えるな……
「彦五郎殿が武田の為に功績を挙げれば、武田としても彦五郎殿の為に京で家を立ててやりたい、と」
「なるほど、そういう狙いもあったか。彦五郎を見限って残れば武田の忠臣となる。追いかければ武田にとって内憂でなくなる。その上で彦五郎の面目も保たれる。どう転んでも武田にとって痛くはないな」
「その上で、彦五郎殿の妹は義信兄上の正室に収まっておりますから、よほど武田に恨みの念を抱いていなければ、妥協はするでしょう。彼等も家臣を食わせなければなりませんし」
そういう事なら受け入れても良かろう。一応は儂の孫であるし。
しかし彦五郎も不思議な奴よ。公家趣味かと思えば、その一方で剣術に才があるとも聞く。才はあるのだろうが、心が武家には向いておらんのかもしれぬな。寧ろ、一芸を極めようとする道こそが彦五郎に向いているのかもしれぬ。
「分かった、彦五郎を受け入れると伝えるがよい。扱き使ってやるからのう」
「御祖父様と一緒にいられるのですから、羨ましくは御座いますが」
「おうおう、嬉しい事を言うてくれるわ」
御世辞ではあろうが、可愛い孫に言われて嬉しくない訳がない。
ついつい顔が緩んでしまった。その事を自覚したが、敢えて引き締めようとも思えぬ。
少しぐらい、可愛い孫との遣り取りを楽しみたいからだ。
「二郎。今日は泊っていけ。其方の手柄話を儂に聞かせよ」
「心得ました」
うむ、久しぶりに良い夢が見れそうだ。だが、もしやり直せるならば、二郎と一緒に戦場に立ちたかったものよ。
弘治二年(1556年)二月、近江国、観音寺城、蒲生定秀――
「御久しゅう御座いますな、二郎(武田信親)殿。以前は左京大夫(武田信虎)様と御一緒で御座いましたな」
「下野守(蒲生定秀)殿こそ御元気そうで何よりで御座います。御祖父様の代わりに、今回はこちらのゆきに同道してもらっております。私の政務の補佐役であり、側室でもありますが」
「おお、そうでしたか。ゆき殿、二郎殿は素晴らしい御方だ。きっと幸せになれましょう」
「有難う御座います」
二郎殿が以前来られたのは十年ほど前。まだ雲光寺(六角定頼)様―管領代様が健在であられた頃だ。
今は御屋形(六角義賢)様が当主となって六角家を切り盛り為されている。三好家は強大だが、六角家の跡を継いだ者として、必死に励んでおられるのだ。
だが御屋形様は既に隠居を考えておられる。もう少ししたら後見として見守りつつ、当主としての経験を息子である四郎(六角義治)様に積ませたいのだという。考えてみれば雲光寺様が当主を務めた期間が長過ぎたのかもしれぬ。結果、御屋形様は御自身の経験不足に苦しまれた。そのような思いを味合わせたくないのだろう。
「御屋形様、武田二郎信親殿、ならびに案内役のゆき殿をお連れ致しました」
謁見の間には、既に御屋形様と後継ぎの四郎様、そして儂以外の六人衆が揃っていた。
そして若君以外の全員が、懐かしそうに二郎殿を見ている。
「ようお越しになられた、二郎殿!十年ぶりだ。父の後を継いだ左京大夫義賢だ」
「御久しゅう御座います、改めて武田二郎信親と申します。今は某も遠江の差配を任されるようになりました。これからもお付き合いの程、宜しくお願いいたします」
「二郎殿の力量が認められた、と言う事だろう、めでたい事だ。それにしても十年前が懐かしい。あの時は左京大夫殿が一緒だったが、今回は違いますな」
御屋形様の視線がゆき殿に向く。皆もそれに釣られた。
斜め後ろに控えていたゆき殿が、静かに頭を下げる。
それにしても、化粧を嗜んでいない側室と言うのも珍しい。側室は主の寵愛が必須。でなければ全てを失うのだ。そうならぬ為にも見目を良くするのは当たり前。
だがゆき殿はそれに真っ向から反対しておる。本当に珍しいわ。
「某の補佐役でゆきと申します。側室でもありますが」
「ゆき、と申します。左京大夫様、この度は主との会談の場に御同席の許可を賜り、真に有難く存じます」
「なに、二郎殿の御苦労は知っておるのでな。気にすることは無い。それにしても二郎殿も側室を娶られる年となったのか。月日が経つのは早い物だ」
本当にあっという間だった。我らは雲光寺様を亡くし、公方様側の盟主的な立ち位置となって三好家を敵に回している。
一方で武田家は領土を拡大し、三河国にまで勢力を拡大した。
次は尾張。そして六角家は美濃を食らう。今日は、その最後の調整となるだろう。
「さて、本日の用件だが、下野守からは武田家は尾張を、我等が美濃をという話を聞いている」
「はい。そうなると三好家が問題になりますが、それについては先に話をつけておきました」
「仕事が早い。それで、どういう話を?」
三好とのやり取り。必要なら裏で話をつけて茶番劇を演じる。何も知らずに踊るのは公方様、か。
正直言って、六角家の公方様に対する評価は悪い。四年ほど前、雲光寺様がお亡くなりになった直後、公方様は六角家の協力を得て三好家と和睦して京へ戻った。だがそれも僅か二年で破約。朽木谷へと逃げてしまわれたのだ。
御自身の理想とする政が受け入れられなかった事が原因であるとは聞いている。
山名や赤松から守護職を奪って尼子にくれてやった事が良い例だ。あれのお陰で、室町は更にガタがきたと言っても良い。
筑前守(三好長慶)殿と政所執事である伊勢守(伊勢貞孝)殿は拙いと判断して、公方様を止めようとした。だがそれに不満を覚えられたのだ。公方様は足利に仕えていた者達の中の反三好陣営に加担し、筑前守殿の排除を画策した。筑前守殿は身の危険を感じて京から撤退。だが上に立つ者としての力量に差があり過ぎた。
形勢は瞬く間に逆転。
結果として京から逃亡したのは公方様であった。あの御方は堪える、と言う事が出来ぬからだ。すぐに逃げ出してしまう。
だから六角家としても、もう協力したくないというのが本音なのだ。
「趣旨は理解出来た。六角家としても悪い話ではない。正直、こちらも思う所はあったのでな。それに、三好と争っては、周りに隙を晒す事になる。何より、三好は六角を上回る。まともにやり合ったら被害は甚大よ」
「父上、我が六角家は精強無比!三好など恐るる必要はございませぬ!」
「四郎。三好は強い。畿内で生き延びるために戦い続けてきた百戦錬磨の一族だ。それも何度も苦い敗北を経験し、その度に這い上がってきた不屈の一族よ。その力の源は、一族の団結と、四国と言う海に囲まれた拠点にある。決して軽んじてよい存在ではない」
御屋形様は励まれた。当時はまだ幼子であった二郎様との邂逅以来、日々、書物に目を通し、民草の話に耳を傾け、商人との会話から情報を集めるようになった。その成長を目の当たりにした雲光寺様が涙を流して喜ばれていた事を、御屋形様は今も知らずにいる。
御屋形様は後を継ぐ四郎様にも、自分と同じように成長されてほしいのだ。
問題は、四郎様は気が強過ぎるという点にある。まだ元服前で物を知らぬという事を差し引いてなお、気が強過ぎるのだ。親の心子知らずとは言うが、これでは御屋形様も将来が不安で仕方なかろう。
「すまぬな、二郎殿」
「いえ、お気になさらず。それと念の為ですが、稲葉山城は天下の堅城と伺います。こちらとしては二段構えの策を用意させて戴きましたので、どうかご理解を御願いいたします」
「どういう事かな?」
御屋形様が不思議そうな表情を浮かべた。
「戦に絶対はございません。もし城攻めを諦める事になったとしても、我ら武田で西以外を予め封鎖しておく、と言う事に御座います」
「そういう事か。無理に攻めずとも、不破関を閉じればよい、と」
「はい。塩が無ければどうしようもないでしょう。加えて、撤退を余儀なくされた場合には田畑を荒らしておけば、もはや時間の問題となります」
なるほど、見事な物だ。
北の飛騨、東の信濃は武田、尾張は武田が攻め取って閉じる。となれば西か北西しか相手はいない、そして西の不破関と北西は北近江の浅井だが、これは六角家の影響下にある。勝算は十分過ぎるな。特に塩の供給が無いのは痛過ぎる。
「分かった、その申し出を受けよう」
「感謝致します。そして今後の事ですが、事前に申し出た上で、と言う条件で六角家の領内を武田家の軍勢が通過する許可をお願いしたいのです。例えばですが、尾張から飛騨へ移動するのに、美濃を通れない、と言うのは時間の無駄になります」
これは御屋形様も一考されるようだ。確かにこれは悩む。
だが武田が美濃封鎖を手伝ってくれるのは有難い。
おや、但馬守(後藤賢豊)殿か?何か思いつかれたようだな。
「御屋形様に申し上げます。この申し出は受け入れても宜しいかと。二郎殿の前で申し上げにくい事ではありますが、仮に武田家が裏切って美濃を奪ったとしても、六角家にとって致命傷となる事はございません。ただ出来ますれば、武田家にはご配慮をお願いしたい所です」
「具体的には?」
「両家の絆を深める事に御座います」
うむ、確かに良い考えだ。
チラッと二郎殿を見るが、どうやら問題は無さそうだ。予め想定はしていたか。
「主、大膳大夫には五歳になる孫の園がおります。まだ嫁入りは早過ぎますが、将来的な事を考えて婚約する事は可能に御座います」
「大膳大夫殿は御承知か」
「仰せの通りに御座います。ですが同盟の公表については、再来年程までお待ち頂きたいのです」
どういう事だ?
御屋形様も首を傾げておられる。他の方々の様子も同じだ。同盟を公にする事に、どんな不利益があると言うのか。
「その理由ですが、長島を落とします。その為に、美濃の国人衆の力を借りる事、武田の軍の通行許可、同盟を伏せておく事、これらの必要が御座います。宜しければ、その旨、御承知願いたいのです」
「あの長島を落とすと?いや、落とせるのですか?相当難儀な土地と聞き及んでおりますぞ?」
「はい、但馬守殿が申された通り、長島は難攻不落の地です。三つの川が合流する中州に築かれた城。そしてそれを支える付属の砦が十以上。地の利は全て敵側にあり、最悪敵兵力は伊勢長島全てから搔き集めれば十万を超える。まともに攻めるのは愚の骨頂。だからこその奇策を考えました。故に許可をお願いしたい。代価は特等席で戦を見届ける、と言うので如何でしょうか?」
特等席で戦を見届ける?これはまた変わった代価だ。だが二郎殿の采配を間近で見届けられるのは、非常に大きな利だ。
チラッと但馬守殿に目を向ける。あちらは頷き返した。二郎殿の実力を把握する機会と捉えたのだろう。山城守(進藤賢盛)殿も同じか。頷いておられるわ。
「御屋形様。某は賛成です」
「ほう?下野守は賛成か」
「はい。興味を惹かれますな。難攻不落の地をどう攻略するのか。某なら時間をかけて兵糧攻めぐらいしか考えつきませんが」
『その申し出、受けよう』と御屋形様が返された。これで決まりだ。その時が来たら、儂自ら特等席に志願してみるか。
「それから公方様の扱いだな。当家と武田家との関わりが表沙汰になった時、打倒三好を掲げて煩くなるだろう」
「それについては同感です。いっそ上洛した後、朝廷から三好家に北面武士の復興を依頼して、公方様ごと朝廷をお守り頂くのです。そうすれば、こちらとしては自然と公方様と距離を取ることが叶いましょう。仮に何かを言ってきても『下手に動くと帝と公方様のお命に係わる』と逃げる事も出来ます」
それは良い案だ。
茶番劇の結果として三好と和睦。そんな三好の勢力の中に公方様は置かれる訳だ。ある意味、見物ではあるな。
弘治二年(1556年)二月、近江国、ゆき――
観音寺城での用件を終えた私達が、京への道を移動していた時だった。
「二郎様、暫し離れる事をお許し下さい」
「構わぬが、何があった?」
「少し気になる物が目に止まりまして」
私が列から離れると、二郎様の命を受けた武田の護衛兵五名程がついてきてくれました。
ですが私はそちらに目を向ける事無く、そのまま歩み続けます。
目に止まった物は、道端の陰に転がっておりました。声を掛けてゆすり、反応があった為、私は兵に頼んで運んでもらったのです。
「ゆき、どうであった?」
「行き倒れ、でありましょうか」
「行き倒れ、だと?」
二郎様が驚かれました。
まさか観音寺城の御膝元で、行き倒れに遭遇するとは思わなかったのでしょうね。
「恐らくは疲労と飢えで気を失っているのだと思われます。年の頃は十二ぐらい。元服にはまだ早いかと」
「身なりは?」
「ボロボロですので、大した服には見えませぬ。ですが見事な脇差を持っておりました」
ほう?と二郎様が声を上げられた。
生き倒れには、不釣り合いな一品と聞いて、何か理由があると御判断なされたのでしょうね。
「その子供、武田で面倒をみるか」
「宜しいのですか?」
「構わぬ」
庇護した子は兵に背負われたまま、目を覚ます気配は御座いませぬ。
帰国の旅を再開した私達は、やがて淡海乃海へと辿り着きます。ここからは水路になるので御座います。
そして大津に到着すると、件の子供が目を覚ましました。
「ここは?」
「目を覚ましたようですね」
私の声に、子供がハッと振り向きました。
その顔は警戒心に彩られております。ここまで、余程の苦難を味わってきたのでしょうね。
「腹が空いているのでしょう?握り飯よ」
私の差し出した握り飯を、子供は奪い取る様に手にすると勢いよく齧り付きました。よほど腹が空いていたのでしょう。
「ほら、水よ」
やはり水も奪い取る様に手にすると、一気に呷ります。一体、何日ほど飲まず食わずでいたのやら。
「落ち着いたかしら?」
「……忝い。某は岩鶴丸と申します。戦で家族を失い、一人で彷徨っておりました」
「そういう事でしたか。私はゆき。こちらにおわす武田二郎信親様の側室をしております」
岩鶴丸殿が慌てて居住まいを正しました。
どうやら武家の出自であるのは間違いないようですね。恐らくは戦で敗れ、岩鶴丸一人で落ち延びる事を余儀なくされたのでしょう。
「恥知らずながら、お願い致したき儀が御座います!某を武田家で働かせて下さい!」
「……其方、何が出来るのだ?」
「読み書きは出来ます!」
まあ祐筆ぐらいなら出来そうではある。
武家の出であれば、刀の使い方も基本は身に着けているだろう。
「まあ良かろう。他国の草とも思えぬしな。祐筆見習いとして席を用意してやろう。励めよ?」
「はは!」
「だがその身なりは問題だな。京についたら適当な衣服を購入してやれ」
今回も、お読み下さり、ありがとうございます。
(サ〇エさんぽく)今週の御題は
①(〇ザエでございまーす、のノリで)内部粛清でございまーす。
②(磯〇、野球やろうぜ、のノリで)美濃を干殺しにしようぜ!
③(どうだいフ〇田くん帰りに一杯、のノリで)どうだい六角、長島で一杯
書いてて思いましたが、こんなサザ〇さんは嫌だw
話を戻します。
①新年の評定は思い切って割愛。ネタが無かった。代わりに戦場遊戯ぶち込んでお茶を濁す・・・と見せかけてからの、本命リストラ宣言。まあ必要ではあるよねえ、と。
②美濃は一国丸ごと対象とした兵糧(塩)攻め。国境さえ押さえれば、大変ではあるが不可能では無いな?と。塩俵担いで山中強行突破って無茶ですし。詳細は次回。
あと、尾張美濃攻めだけじゃ物足りない貴方に更にプレゼント。事実上の武田、六角、三好三国同盟になりますwしかも表向きは伏せられている極悪さです。まさにトラップ。表向きは三好⇔六角、武田は後方支援という形なので・・・
この同盟、極悪さはそれだけじゃありません。よく考えてみると、落とし穴があったりしますw良かったら想像してみてください。
③順調に建築される、伊勢長島攻めフラグw
ぶっちゃけ、一向宗攻略の基本方針は、作者としては作中で宗滴お爺ちゃんとの会話で出てきた内容だと思ってます。この辺りも、そう待たせる事無くお届けできると思います。
最後に新キャラ岩鶴丸君登場。史実では上杉謙信の寵愛を受けたと言われる河田長親さん。その純粋だった頃になります。イメージ的には御家が滅んで間もなく、と言った頃です。
それでは、また次回も宜しくお願い致します。