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甲斐国編・第一話

 なろう投稿も、オリジナル作品も初めて。作者は歴史好きだが、あんまり詳しくありません。ただ何となく『盲目キャラ』で書いてみようとアレコレ考えてたら、イスラーフィールさんの淡海乃海に刺激されて、戦国物になりました。

 週一投稿の予定ですので、気が向いたら読んでみてください。


 内容修正。

 ①適当な空白。

 ②主人公の一人称

 ⇒幼年期:台詞中は私。地の分(内心)は俺。

 ⇒元服後:公の場では私。状況によっては某(対等以上の相手)。私的な場・統治者としての立場では俺。地の分(内心)は俺。

 ③主人公の身内に対する呼び方(元服後)

 ⇒信玄:公の場では御屋形様等。私的な場では父上。地の分(内心)では信玄パパ等。

 ⇒他の身内:パパに準拠。

 ※②③共通の例外:山本勘助と小畠虎盛。この二名は幼い頃から接している為、常に諱呼び。

 ④漢数字と数字の使い分け

 ・西暦は数字。

 ・数字以外の読み方(一つ二つ:ひとつふたつ)等は漢字。

 ・漢字では長すぎる場合(一万二千三百四十五:12345)は数字⇒読み易さ重視。

 ※一月二月等は短いので漢字を使用。

 ⑤主人公の地の文(内心)での二人称や三人称は諱に『さん』づけ。例外は身内。

 ※口に出すときは通称や官位に殿や様。公の場合は基本的に殿等をつける。

 ⑥主人公の地の文(内心)での地名は、現代日本での呼び名に括弧付けで戦国時代の名称:山梨(甲斐)


 ※暇を見つけて訂正していきます。



???――



 うるさい。

 それが最初に思った事。

 周囲が妙に騒がしい。視界は暗闇に閉ざされ、額は妙にヒンヤリと感じる。

 暫く考えた結果『ああ、風邪でもひいたのか』と思い、納得してしまった。

 そこで、ふと思った。


 ……俺、こんな看病してくれる家族、いたっけ?と。

 親元を離れて一人暮らし。恋人はいない。友人はいるが、俺の家まで押し掛けてくれるほど仲の良い奴はいない。会社の同僚だってそうだ。あくまでも同じ職場で働く程度の間柄。仮に倒れていた俺を発見して救急車を呼んでくれたとしても、病院で懇切丁寧に付き添いまではしないだろう。

 そうだよ、俺はボッチだよ。悪かったな。


 とりあえず起きるか。自分に悪態ついても、気が滅入るだけだ。

 そう思い目を開けようとして……目が開かなかった。

 いや、正確には視界が狭すぎる。まるで視力検査で小さいcを見る時に、限界まで目を窄めて見る時のような感じ。

 何だ?俺の目、どうかしたのか?怪我でもしたんだろうか?

 肘を支えに、俺は体を起こした。



天文十五年(1546年)十月、甲斐国、躑躅ケ崎館、武田晴信――



 「二郎様、大丈夫ですか?ご気分は如何ですか?」

 付き添いの女房が次男の二郎を気遣っていた。二郎は生まれたばかりの頃は特に問題も無く、武田家二人目の男子として祝福されていた。

 問題はその後だ。どれだけ経っても両の目が開く事は無かったのだ。


 盲目の子供。それが二郎だった。

 盲目では戦働き等不可能。妻である三条とも相談し、もう少し経ったら寺に入れよう。何不自由なく暮らせるように差し入れをして、気が向いたら顔を見に行こう、そんな事を話し合っていた矢先の事だった。

 二郎が高熱を出して倒れたというのである。


 それから三日、二郎は昏睡に陥った。治療に当たった永田徳本も『昏睡では薬を飲ませる事も叶いませぬ』と諦めていた。

 ところがつい先程、急に熱が下がったのである。

 徳本は奇跡だ、と顎が外れんばかりに唖然としている。そんな事に陥る前に、二郎の体に異常が無いか調べるべきではないかと思うのだが。

 まあ良い。二郎が目を覚ましたのなら、一刻を争うという状況ではないのだろう。


 「二郎、目を覚ましたか。お前は三日も寝ておったのだぞ?あまり心配させるでないわ」

 目の前の二郎は半身を起こしたまま、キョトンと俺の方へ顔を向けてきた。

 何だ?何があった?


 「二郎、どうかしたのか?」

 「……二郎?」

 「一体、何があった?其方は俺の息子、二郎。甲斐国の支配者、武田大膳大夫晴信の息子。まさか三日も眠りこけて忘れたのか?」

 改めて二郎は自分の顔を指し『二郎?』と呟く。

 二郎に何があった?


 「恐れながら申し上げます。二郎様は三日も眠っておられました。もしかしたらまだ頭の中がはっきり目覚めておらぬのかもしれませぬ」

 「三日も眠っておいて、まだ眠り足りぬと言うのか!豪気な事よ!」

 「昏睡状態とは、普通の眠りと違い、疲労が溜まるものでございます。今夜一晩、安静にしておくのが宜しいかと」

 徳本の言葉には、俺も頷くしかない。二郎は幼い。疲労が溜まっていると言うのなら、無理強いは出来ん。特に二郎は光を失った身だ。親として二郎の身は心配だが、落ち着いてから心配の言葉を掛けても遅くはないだろう。

 子供可愛さのあまり、負担を掛けてはなるまい。


 「二郎、其方はそのまま寝ておれ。明日、また来るからな。其方達、二郎の事は任せるぞ。それと三条にも伝えておけ。今夜一晩、二郎は安静にさせておくように、と」

 女房達を置いて、足早に去る。武田家当主は忙しい。やるべき事は山程ある。それが父を追放した俺に課せられた責務。

 甲斐の民の為に俺にはやらなければならない事があるのだから。



天文十五年(1546年)十月、甲斐国、躑躅ヶ崎館、武田二郎――



 二郎。どうやら俺の名前らしい。

 幸い俺の付き添いらしい女房達が『お休みなさいませ』と促してくれたお陰で、俺は寝たふりをしながら思索に専念する事が出来た。


 まず父親?らしいのが武田晴信。武田信玄の若い頃なのは間違いない。であるならば、ここは山梨県――甲斐国だろう。

 現代では果物の名産地だが、信玄の時代は貧しさの代名詞的存在であった事ぐらいは知っている。

 

 信玄堤で有名な川――名前までは憶えていないが――が暴れ狂って水害多発。戦国時代その物が小氷河期である為に、冷害が起きやすい。そうかと思えば旱魃は起きるし、不作凶作は当たり前。加えて明治になって原因が判明した風土病――日本住血吸虫の存在。

 どんな罰ゲームだよ。神も仏もあるものか。本当に神仏が存在するなら、この地に生まれた民を助けてやれよと思った事を覚えている。

 こういう時にサツマイモがあれば、多くの人達が飢えて死ぬ事はなかったのに。甲斐国では生まれてきた赤子を間引く光景が見られたという。正に生き地獄だ。


 それはそうとして、まずは俺自身の事を考える必要がある。

 俺は二郎と呼ばれていた。発音からして次男なのだろう。長男は義信、というのがいた筈だ。信玄に二回謀反を起こそうとして処罰されちゃった人。嫁さんの実家裏切れません、という義信さんの気持ちは分からんでもないけど、自分の家の事を考えないのはどうかと思うんだよ。信玄だって、甲斐の民の事を考えて決断したんだろうから。

 いかんいかん、横道に逸れてしまった。


 まず大事なのは俺が次男である事。確か信玄の子供には盲目の奴がいたから、恐らく、それが俺なのだろう。名前は確か海野信親、だったか。最終的に武田家の血が残ったのは、こいつの子孫が徳川家の庇護を受けられたからだ。そういう意味では、地味に重要なんだよな。問題なのは、俺が勝頼の時代に死ぬことが決定している点だ。信長、甲斐なんかに攻めてくんなよ。コスパ悪すぎんだろと文句の一つも言ってやろうか?


 次に俺の目だ。

 さっきから頑張って目を開こうとしているが、ハッキリ言おう。無理だ、これ。

 僅かとはいえ視界は存在しているから、眼球や視神経は生きているのだろう。だが瞼が開いてくれない。瞼の神経が駄目なのか、それとも瞼の上下くっついているのか。

 ……結論、後者だった。自分の指で瞼を広げてみようとしたが、動いてくれない。まるで接着剤でくっつけてあるみたいだ。整形外科医がいれば問題解決なんだろうが、この時代じゃ無理だろうな。脇差とかで切り開くという最終手段はあるが……痛そうだなあ。と言うか、下手に脇差で切ろうものなら破傷風を覚悟しないといけないだろう。

 不幸中の幸いは、生まれが恵まれている点だ。付き添いぐらいなら誰かしら傍にいてくれるし、何より盲目なら戦場に出される事も無いだろう。


 次に考えるべきは、俺の身に何が起こったのか?だ。

 まず俺の記憶はある。西暦2021年の日本で働くサラリーマンだ。ただ俺は人付き合いは得意じゃない。真面目に働いてはいるが、割と引き籠もり系だ。それに会社でのストレスが溜まり過ぎて、多少とは言え破滅願望も持っている。そのせいだろうか?趣味で遊んでいるゲームとかも、大学までは歴史SLGが主だったが、最近では世界崩壊系とか、サバイバル系とかが好みだ。会社で働いていても、仕事の傍らで『もし世界が崩壊したら、どうやってサバイバルしていこうか?』なんて事を考えたり、生存に役立ちそうな知識を集めて自己満足に浸っていたりもした。

 うん、ちょっと自己嫌悪を感じてしまったが、俺が俺である事に間違いはないようだ。

 

 次に考えるべき事。それは自分がこれからどうしていくか?だ。

 改めて冷静になって分かった事だが、この二郎の体には俺の意識しかない。元々の武田二郎という存在がいないように感じる。昏睡状態だったというし、二郎君は命を落としているのかもしれない。まあいくら頑張って考えてみても、推測止まりでしかないのだが。

 重要なのは、俺が二郎のフリをできるのか?と言う点だ。


 ハッキリ言おう。無理。

 二郎君の記憶でもあれば話は別だが、そんな都合の良い物は無いみたいだ。

 正直、困る。

 信玄パパに『この妖が!』とばかりにズンバラリンされては堪ったものではない。御子息を失った心の痛みは察するに余りあるのだが、だからと言って俺が殺されるのは御免である。

 

 どうしたものか。どうすれば受け入れてもらえるか。

 ……そういえば昏睡していた、と言っていたな。確か三日寝ていた、とかなんとか。

 それを利用できないか?

 昔、読んだ本の中で、眠っていた間に魂が抜けだして色んな所を見て回った、という御伽噺だか伝説だかがあった。


 そうだ!夢の中で誰かに出会った事にしよう。それで色んな場所を見て回った。いや、それではダメだ。インパクトはあっても足りない。

 二郎君とは言動が違う事も前提とすべきだ。それを受け入れさせる理由としては、記憶喪失、或いは時間経過。

 後者の方が都合が良さそうだ。夢の中で多くの時間を過ごし、精神的に成長した事にしよう。そうなると一人と言うのは無理がありそうだ。なら夢の中で誰かに出会った事にしよう。

 こちらは子供なのだから、理性的かつ面倒見の良い大人が良いだろうな。その人に面倒を見て貰った。うん、良さそうな気がする。ついでに先生と呼んでいた事にしようか。


 先生は……モデルは菅公にしようか。頭良いし、子供好きだったし、何より神様として祀られている。そういう不思議な事が出来たとしても、意外に受け入れられそうだ。

 でも直接名前を出すのはどうかな?思わせぶりな方が良いかもしれん。

 ……梅の花が好きなんだよな、あの人。飛梅伝説とかもあるし。

 よし、名前は飛梅にしよう。あと梅の花を一枝、いつも持ち歩いていた事にしよう。誰か気付いてくれるかもしれん。そうすれば俺の言う事に真実味が増してくる可能性もワンチャンありそうだ。

 学問の神様に連れられて、夢の中で色んな光景を見て回って、色んな物を食べて、色んな人と話をして、そんな旅をした。ただ学問その物が身についていない。四書五経諳んじろ、と言われたらボロが出る。


 お前はまだ幼い。まずは見て体験する事を優先しよう。そう言われた事にしておこうか。御師匠様の方針なら、弟子が従うのは当然だよな。

 それに色んな所で会話した、という経験があるなら、英語が多少できても疑われる事は無い。この時代はスペイン全盛期、そこからイギリスが台頭してくる時代だ。スペイン語の優位性は本能寺の変の少し後だから、それほど長くは無い。イギリスが日本との貿易を諦めるのは徳川家光の時代だった筈だから、英語の方が長い目で見て優位だろう。尤もスペイン語なんて分からんのだけど。鎖国前提ならオランダ語の方が良いかもしれんがな。ただその頃には、俺は既にくたばっていそうだ。そこまで心配しなくても良いだろう。

 まあ英語なんて、相当先にならないと必要にならないだろうし。確か三浦按針とかいったな、徳川家康の家来になったイギリス人。あの時代までは使わないだろう。


 とりあえずはこんなところか。信玄パパは明日、また会うと言っていたし、これ以上ジタバタしても意味は無いか。開き直って会うとしよう。

 とりあえず考える事も無さそうだし寝るとしようか。そうだ、一つだけ頼んでおかないと。

 「誰かいる?」

 「はい、何かございましたか?」

 「梅の枝、短くて良いから一本、枕元に置いてくれる?」

 「梅、でございますか?今は秋、花も咲いておりませぬが」

 「それで良いよ。お願い」

 『では』と返事があり、誰かが立ち去る気配がする。恐らく、世話役の女房さんだろう。

 これで仕掛けは万端。あとは向こうから乗ってきてくれる筈だ。



天文十五年(1546年)十月、躑躅ヶ崎館、武田晴信――



 朝の仕事を終えた後、そろそろ二郎の顔でも見に行こうかと考えていた時。都合よく正室である三条が顔を出してきた。


 「御屋形様。一緒に二郎の様子を見に参りませぬか?」

 「おお、そうだな。俺もそう考えていた所だ」

 お互いの意見の一致に、三条が顔を綻ばせる。三条は公家の姫。甲斐という山国に嫁がざるを得なかったのは不本意だろう。しかも年中、争いに満ちた野蛮な国。心労が募り、心が不安定になるのも仕方無い。

 そして光を失った息子を三条は殊更に可愛がっていた。そんな愛息子へ襲い掛かった不測の事態。身も心も張り裂けんばかりの筈。それを思えば、俺も夫として妻をもう少し気遣ってやるべきなのかもしれんな。


 「……済まぬな。もう少し、其方の事を気遣ってやれれば良いのだが」

 思わず漏らしてしまった俺の言葉に、三条が目を見張った。いや、気持ちは分からんでもないが、さすがにそれは俺も傷つくぞ。


 「御屋形様の苦衷を考えれば、そう我が儘も申せませぬ。それに民の為を思って、日々働いておられます。それを思えば……」

 「そう言ってくれると助かる。出来る限り、其方とこうして話もするように心掛けよう。だがまずは二郎の事からだな」

 俺の後ろに、笑みを浮かべた三条が続く。板張りの廊下を二人で歩き、その後ろに三条付の者達が静かに続く。

 やがて、二郎が寝ている筈の部屋についた。


 「二郎、起きておるか?」

 「はい」

 戸は既に開かれていた。恐らく、二郎の世話をしていた女房が気を利かせていたのだろう。

 二郎は日の光を浴びながら、半身を起こして待っていた。

 その手に、一本の枝を手にしながら。

 ドカッと、音を立てて傍に座る。それに続くように、三条が静かに座った。


 「二郎、どうやら元気そうだな?」

 「はい。もう大丈夫です」

 「二郎、本当に良かった。貴方の無事を御仏にお祈りした甲斐がありました。貴方が無事で母は嬉しいですよ」

 本当なら抱きしめたいのだろう。可愛がっている息子なのだから当たり前だ。


 「三条、俺に気兼ねせずともよい。二郎を抱きしめてやるとよい」

 「……はい」

 傍により、二郎を抱きしめる三条。やはり嬉しいのだろう。三条の眦に光るものが浮かんでおる。腹を痛めて産んだ我が子を愛おしく思うのは当然よ。

 

 「ところで二郎。その枝は何だ?」

 俺の指摘に、三条も今更ながらに気付いたのか、枝に目を向ける。

 何の変哲もない、一本の枝に。

 

 「これは梅の枝です。先生を思い出すものですから、傍に置いておきたいのです」

 「先生?どういう意味だ?」

 「先生は先生です。私に色々な事を教えてくれました」

 話が理解出来ずに、俺は首を傾げざるを得なかった。それは三条も同じ。息子が何を言っているのか、全く理解できないようだ。

 

 「先生とは誰の事だ?」

 「飛梅先生です。いつも梅の枝を持っておられました」

 とりあえず二郎が梅の枝を大事にしている理由は理解出来た。どうやら二郎にとっては信用できる人物らしい。

 

 「……何を教わったと言うのだ?」

 「色々な事です。例えば唐の国はこんな所で、こういう言葉を話している。羅馬と言う国はこんな所で、こういう言葉を話している。こんな感じで色々教えてくれました。それに色々経験すべきだ、とその国の料理も食べさせてくれました」

 ますます理解が出来ない。俺が馬鹿なんだろうか?いや、さすがにそうではないと思いたい。三条を見れば分かる。三条も話についていけていない。唖然としているのがよく分かる。

 そもそも二郎はここで眠り続けていた。食事等不可能。それどころか外出すらしていない。それは断言できる。


 「二郎。母にもう少し、詳しく教えて貰えませぬか?二郎はここで眠っていた筈です」

 「母上の仰る通りです。私はここ数日、眠っておりました。高い熱を出して」

 コクコクと三条が頷く。俺も頷いた。どうやら気付かれぬように外出していた訳ではないらしい。尤も、唐まで向かっていたら、ここにいる訳が無いのだが。

 ……ん?唐?明では無いのか?


 「夢の中で先生に出会ったのです。本当に楽しかったです」

 「ああ、夢の話ですのね。母は驚きましたわ」

 「貴重な体験でした。父上がどれだけ苦しんでいるのかも、先生から教わりました」

 今、二郎は何と言った?俺が苦しんでいる?確かに事実だが、どうしてそれを二郎が知っている?この子はまだ五歳だ。甲斐国の貧しさなど、理解出来る訳がない。

 いや、待て。二郎は……こうも落ち着いていたか?もっと気弱で、三条に甘えていなかったか?

 まるで急に成長してしまったような……


 「民の為に、父上は憎まれる事も辞さない。それを家臣達も理解している。民を困窮から救う為に、父上達は戦うしかないのだと教えてくれました。凄く悲しい事だ、と」

 「……二郎、其方……」

 「だからこそ、私は父上を支える事が出来るようにならなければならない、そう教わりました。それが武田の家に生まれた責務である、と」

 唖然とする三条。もはや、別人と言って良い程の豹変に、頭がついていけないのだろう。その気持ちは俺にも理解出来る。正直、薄気味悪さすら感じられる程だ。

 だが、二郎の言葉に偽りは感じられない。もし偽るなら、もう少しやりようがあるだろう。気味悪がられてまで、言葉にする必要があるとも思えない。


 「先生が教えて下さいました。人には知恵と知識が必要だ。知恵を使い知識を役立てなければならない。だが其方はまだ幼い。故に、まずは経験する事から始めよ。甲斐国が抱える地獄と言う名の現実を、その目で見定めよ。その為なら、僅かばかり力を貸そう、と」

 「二郎?どういう意味だ?」

 「本当に僅かではありますが、私は見る事が出来るようになりました。母上の顔も、初めてお顔を見る事が出来るようになったのです。とても、嬉しいです」

 三条は言葉も無く呆然とするばかり。だが恐る恐る指を一本立てた。


 「これは何本ですか?」

 二郎はかなり近くまで顔を寄せる。

 「一本です」

 瞬間、三条が号泣しながら二郎を抱きしめる。盲目だった息子が、本当に僅かとはいえ視界を取り戻したのだ。親として、此程の喜びはあるまい。


 「二郎、二郎。母の顔をよく見て。決して忘れないで」

 「はい、母上。二郎は決して忘れません」

 顔を近付けて、三条の顔を焼き付けるように二郎が見つめる。その光景に、俺の心にも訴えるものがあった。


 「二郎、俺の顔も分かるのだな?」

 「父上の顔も見たいです。見せて下さい」

 「勿論だとも!いくらでも見るがよい」

 近付けた俺の顔を二郎は一生懸命見つめてくる。両の瞼は僅かしか開いておらず、傍目から見れば閉ざしているようにしか見えない。それでも見えているのだ。父親として、これ以上の喜びは無かった。


 「父上、御髭がチクチクします」

 「馬鹿者。それぐらいは我慢せんか!」

 最早嬉しさしか感じられない。ああ、神仏の加護は本当にあったのだ。

 暫くの間、立場を忘れた親子の抱擁が続いた。そして二郎が光を取り戻した事が伝わったのか、館中が騒がしくなってきた事に気付く。


 「其方の回復を祝わねばならんな。神仏に感謝せねばならぬ」

 「父上、神仏ではなく飛梅先生のお陰でございます」

 「おお。そうか、そうだったな」

 飛梅先生。正直、そのような人物に心当たりは全くない。そもそも失われた光を取り戻すなど、それこそ神仏の領域だと思うのだが。


 「三条、其方は飛梅という御方に心当たりはあるか?」

 問われた三条だが、やはり心当たりは無いのか、首を傾げる事しかできない。そんな三条の目が、二郎が手にした梅の枝に注がれ―何か気付いたのか『ハッ』と顔を上げた。


 「……まさか……いや……でも……」

 「三条?」

 「二郎、母に教えて下さい。嘘、偽りは許しませぬ。其方の先生の名は飛梅。梅が飛ぶという意味ですか?」

 「そう仰っておりました。東からの風に乗って、梅の匂いが飛んでくるのだ、と」

 今度こそ、三条は言葉を失ったようだった。両目は限界まで見開かれ、全身を細かく震わせている。


 「母上、どうかなされたのですか?」

 「……いえ、何でもありませぬ。母は少し用事が出来ました。二郎、ここで大人しくしていて下さいね?」

 頷く二郎。三条は俺に目配せする。その意味に気付かぬほど俺は愚かではない。

 先に立ち上がり、別室へ移動した。

 人払いを命じ、狭い部屋に二人だけとなる。


 「御屋形様。二郎は文字通り、神仏の庇護を受けたのです」

 「飛梅先生、か?」

 「私の想像があっているなら、おそらく天神様。平安の御代に右大臣まで上り詰め、非業の死を遂げた日ノ本一の知識人。菅公その御方でありましょう」

 まさか!?二郎がそのような御方の庇護を受けた!?


 「だが三条。菅公と言えば祟り神であると聞いた事があるぞ?」

 「神には荒魂と和魂がございます。御屋形様の申す祟り神―すなわち怨霊は荒魂。対する和魂は御霊として人々を守るとされております。特に天神様は王城鎮護の神、慈悲の神、芸能の神、来世の極楽往生に導く神と崇められております」

 正直、言葉も無い。あの子が菅公の庇護を受けるとは……


 「それに菅公は生前、梅の花を好んでおります。大宰府に左遷された際に呼んだ歌―東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ と」

 「……確かに偶然とも思えぬな。それに二郎が言っておった。東からの風に乗って梅の匂いが飛んでくるのだ、と」

 「あの子が菅公の歌を知っている訳が御座いませぬ。それどころか菅公という御方の存在すら知らぬでしょう」

 最早、疑いようもない。あの子は菅公の庇護、いや寵愛を受けているのだ。


 「これは早めに北野へ御礼言上の使者を派遣せばならぬな」

 「私も同じ思いです。父に文を書きましょう。二郎が天神様の庇護を受けたとなれば喜んで協力してくれるでしょう」

 「そうだな。一筆、頼むぞ」

 とりあえずはこんなところだろう。まずは一安心と安堵し、再び三条を伴って二郎の元に戻る。すると二郎の回復を知った家中の者達が口を揃えて『おめでとうございます』と頭を下げてきた。

 「明日には二郎の回復を祝って、細やかだが宴を執り行おう。皆にも伝えておいてくれ」

 家臣を置いて二郎の元に戻る。二郎は三条に言われた通り、部屋で大人しく待っていた。


 「二郎、済まなかったな」

 「父上、どうしても伝えねばならぬ事があります。どうかお人払いを御願いします」

 「……ふむ。分かった。三条、其方も少し席を外してくれ」

 どこか納得出来なさそうな三条だったが、それでも無理矢理己を納得させたのか、静かに席を外す。


 「それで、何があった?」

 「先ほど、甲斐の地獄を見ろ、そう先生に言われた事を覚えておられますか?あれには続きがあるのです」

 続き?続きが有るというのなら、確かに聞いておく必要はある。だが人払いとは、尋常な内容ではあるまい。


 「それは試練である。それを乗り越えねば、四十年の後、武田家は滅びるであろう、と」

 「何じゃと!?」

 「先生が嘘を申していたとは思えませぬ。それに先生は見せて下さいました。最後の光景を。そこには多くの文字が書かれた旗が散乱し、恐らくは武田家の将兵と思われる者達が無残な姿を晒していたのです」

 多くの文字?背筋に嫌な気配を感じた。だが二郎が、目の見えなかった二郎が知っている筈がない。知っているとすれば、教えた者がいる筈。


 「何と書かれておったか分かるか?」

 「其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」

 まさか?本当に?


 「だがこれには続きが有る。知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如し。これこそ孫子の兵法である、と。そう先生が教えてくれました」

 間違いない。この子に教えたのは、間違いなく菅公、その御方だ。ならばこの子が見た光景というのも偽りではないのかもしれぬ。

 そしてこの子が試練を乗り越えねば武田家は……

 ならば武田家当主として、その試練を二郎が乗り越えられるよう動かねばならぬ。


 「もう一つ訊ねる。その地の名前は分かるか?」

 「長篠。そういう名の土地だそうです」

 「分かった。二郎、父に任せよ。其方が試練を乗り越えられるよう、俺も協力しよう」

 甲斐の抱える現実。それをこの幼い子に見せねばならぬ。辛い、それ以外に表現できぬ。だがやらねばならん。恐らく、菅公もこの子に期待しておられるのだろう。

 そうでなければ、どうしてこの子に光を取り戻させる必要があるだろうか。

 ならばうってつけの男がいる。あの男ならば、きっと俺の期待に応えてくれるだろう。


 「二郎。明日、お前の回復を祝って宴が行われる。その時、お前の試練に相応しい男を紹介しよう」

 「はい、宜しくお願い致します」

 「うむ。では後は三条に任せよう。今は母子としての時間を楽しむがよい。父はやらねばならん事が出来たのでな」

 三条に後を任せると、俺は部屋を後にした。

 すぐに奴を呼ばねば。



 第一話、お読みくださり、ありがとうございます。

 リアルで仕事から帰宅後にチョコチョコ書いては、推敲。この繰り返しなので、更新は亀更新になります。早くても週一程度かな。

 宜しければ、今後も読んで下さると励みになります。

 これから、宜しくお願いします。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 一話から興味を引かれた作品は久々でした。 実は小説紹介における「今荀彧」を見たときは、ありふれている針小棒大パターンかな?、と内心危惧していたのですが、今話のご都合主義に依存していない見事…
[良い点] 転生歴史モノとして非常に良い導入でワクワクしました 菅公を使うのもいいですね。しかもただ安易に主人公が言及するのではなく、飛梅と匂わせるあたり歴史好きの勘所をよく知ってらっしゃる [気にな…
[一言] 先天性眼瞼下垂かな?この時代じゃ治せないわな。
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