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元祖辛麺屋桝元の辛麺30辛

 毎回毎回、食べ終えた頃にはすっかり後悔の念に沈んでいるのに、しばらくするとすっかり忘れてまた足を運んでしまうという経験が、誰しもあると思う。あるんだ。あると信じろ。君ならできる。

 それは量の多少だとか、味の好みだとか、店の雰囲気だとか、様々な理由があるのだが、ある種の癖というか、魅力のない魅力というか、普段なら気にもかけないような妙な引力が出ているものなのである。別にこれはケチをつけようだとかけなそうだとかそういうことではない。

 私にとってそれは大概が行き過ぎた料理だった。バカメニューと言ってもいい。なにが馬鹿かと言って毎度毎度性懲りもなく注文して食べる私が一等馬鹿なのだが、時には頭を馬鹿にしないとやっていけない時もある。一年に、三百六十四日ほどはそうだ。余った一日は、妙に頭が冴え冴えとしていて、いや、そんなときあったかな。ない気もする。まあ、そんなものだ。

 正気にては大業ならずなどというが、昨今は生きることさえ正気ではままならない。多分、似たようなことを百年前の人も、百年後の人も言っている気はするが。

 そんな正気ではない馬鹿な引力に引き込まれるようにして、桝元の戸を開いたのはある日の夕刻である。夏の日差しはまだ沈み切っておらず、ひと時通り雨をざっと降らした雲が空の端の方にまだ居座っていて、道路は少し湿っていた。

 そうだ、辛麺食べよう、と天啓を受けたかのごとく思い立った、訳では別になかった。

 ただ、いつものようにいつもの如く、たまたま近くを通って、この辺りはなにがあったかしらんとぼんやり思っているうちに、そう言えば桝元があったなと気付いた。気づいてしまった。そうして、そう言えばしばらく辛麺を食っていないな、いつからだろう、いつごろか覚えていないが、それはどうも遠い過去のことのようだ、と思いを巡らせるうちに、まあ、じゃあ、寄っていくべえかと半ば妥協じみて車を寄せたのだった。

 いつも妥協で飯を食っていると思われたくはないのだが、実際妥協は偉大だ。他に選択肢はなかったという言い訳は、自分の行動に赦しを与えてくれる。赦しと納得は、救いだ。己の愚かさを受け入れることだ。

 私は日頃辛いものが好きだと言ってはばかって、は、いなかったな別に。いない。全然いない。ただまあ自分では辛いものが好きだ、好きなんだと思ってはいるが、実際のところ別に得意でも何でもない気はする。本当に辛いもの好きの人間よりは、一段も二段も下がって見上げる立場だと思う。とみに近頃はしんどくなることが多く、年を感じる。早い内に、いまのうちに、無理をしておきたいものだ。

 私は辛さを選べるときは、一等辛い物を選ぶことにしている。というのは以前も言ったと思う。桝元も、辛さが選べる。0から30まで選べて、私は毎度毎度馬鹿の一つ覚えのように30辛を注文している。この日もそうだった。いつ頃からか、トマトの辛麺だとか、白い辛麺だとか、カレー辛麺だとか、色々増えていたが、なんとなく挑戦するのが億劫で、元祖辛麺だ。

 トッピングは、特にしない。色々あるのだが、あまり魅力を感じない。覚えていたら後述するが、基本何も考えずに書いているので、忘れていたら、忘れたんだなあと思ってほしい。忘れたのだから。

 トッピングはしないが、サイドメニューの、なんこつを頼んだ。豚の軟骨周りを、圧力鍋か何かでとろっとろになるまで煮たもので、そのものはただひたすらに、豚軟骨だなあという味である。梅なんこつというのがあったので、これにしてみた。

 辛さで舌が馬鹿になる前に一口食べてみたが、さっぱりとして、よい。それだけだと、どうしても脂っこいというか、口の中が重くなるのだが、梅のさっぱり具合が、これを緩和してくれる。

 さて、いよいよ辛麺と向き合うが、この時点ですでに後悔が出てきている。スープを口にすると、辛い。スープというか、もう、なんだ。唐辛子と、その他で、ざらざらどろどろとしていて、液体とは言えない。噛んで食べる形だ。

 桝元では中華麺やこんにゃく麺を選べるのだが、ざっと手繰った麺は、こんにゃく麺だ。こんにゃく麺という名だが、こんにゃくは使っていない。小麦粉や、そば粉だ。こんにゃくのように弾力があるから、こんにゃく麺という。要は冷麺の麺である。辛さのあまりどうしても食べるのに時間がかかる中、こんにゃく麺はあまり伸びないので、いつもこれにしている。そしてこれも後悔する。

 確かに伸びないのだが、何しろ弾力があって歯応えがあるので、口の中でしっかり噛んでやらねばならないのだが、そうすると当然口の中で熱いのと辛いのとが長時間居座るので、正直苦痛でさえある。いつもいつもこの苦痛に耐えかねて、次回こそは中華麺にしようと思うのだが、結局はこれだ。学習能力が死んでいるのだろう。

 具材の方はどうかというと、ざっくり言えば挽肉、ニラ、卵、ニンニクということになる。このニンニクが曲者だ。ほぼほぼ生のニンニクをざっくり叩いて砕いたようなのがごろごろ入っている。スープをすすっていくと、これをかじりながらということになるが、これが別にうまくはない。とにかくパワーがあって、あとで腸内環境が死ぬなとは思うし、この後人には会えないなとは思うが、別にうまくはない。

 第一、生のニンニクは味の上でも栄養の面でも別に嬉しくもなんともない。素揚げして、芋かよと言うくらいほくほくになるまで煮込んだものの方が、ずっと美味しいし、食べやすい。何ならそれだけでも美味しい。だがこれが桝元の流儀であり作法なのである。桝元の辛麺食ってるなという感じが実に強い。果たして私は辛麺を食いに来たのか、ニンニクを食いに来たのか。どちらにしろ馬鹿の所業だ。

 舌が辛さに慣れぬ内は、一口ごとにからくてつらくてしんどいのだが、おお、辛麺食っているなという妙な満足感がある。ところが舌が慣れてくると、辛さは感じなくなり、そしてその他も感じなくなってくる。こんにゃく麺っていう奴は、歯応えもそうだが、どうしてこんなに物理的に重量があるんだろうなとうんざりしながら麺を持ち上げて、ぐにぐにごりごりと咀嚼して食う。あとどれだけあるんだろうなとげんなりしながらスープをすくって食う。この辺りまで来ると、別にうまくはない。

 あれだけ唐辛子をぶっこんでいるのだから、相当な原価になっているだろうことは想像に難くないし、味わいの方も、繊細な味付けなど不可能なのはよくわかる。わかるが、辛さのヴェールを剥いでしまうと、さしてうまくもないな、となる。まずいのではない。ただ、旨味のパワーは足りない。全く足りない。薄いとさえ言っていい。

 これは大概の辛い料理に言えることで、辛さに慣れてきた頃に、なおしっかり美味い料理というのは、なかなか出会えない。以前、実家のある札幌で連れて行ってもらった中華料理屋の辣湯はとにかく辛くて、そしてうまいという素晴らしいものだったが、店の名前も場所も覚えていないので、二度と行けない。

 ちゃんと思い出したのでえらいねと褒めてくれてもいいのだが、これだから私はトッピングをしないことにしている。桝元では、なんこつ、チーズ、メンマ、ニラ、卵、ニンニク、挽肉、とうきび、バター、温泉卵、あとなんだったか、まあなにやらとトッピングできるのだが、これらを入れたところで辛さの中で死ぬのがわかっているのである。

 ニラ、卵、挽肉、ニンニクは、量が増えるだけだ。なんこつも、それ自体は味がさほどしないので、脂の甘みがいくらか加わり、食いでが増すだけだ。メンマは歯応えくらいか。とうきびは、歯応えに加え、甘さや彩もいいかもしれないが、スープと一緒に掬って食ったところで結果は知れている。バターはいいかもしれない。香りが立つ。そして死ぬ。チーズはあるいはありかもだ。辛さの中であらがい、満足感を与えてくれるかもしれない。だが量的に力及ばない未来も見える。温泉卵は、辛さをまろやかにして、それがどうしたという気もする。温泉卵を突き崩す後半戦では、すでに舌は慣れているのである。

 もちろんこれらは個人の好みでいくらでもトッピングしていいと思うし、自分の好むトッピングを極めるのは常連の楽しみだと思う。その先に素晴らしく美味しい組み合わせが見つかるかもしれないし、すでに見つかって、楽しんでいるかもしれない。単に私にその冒険心と好奇心と気力はないというだけの話だ。私は桝元に敗北し続けている敗北者じゃけえの。

 ようやく麺をすっかり食べて、スープも半ばくらいまで食べたあたりで、辛くなる。つらい。なぜ私はこんなことをしているんだろうという気分になる。正直なんこつが一番おいしい。中華麺にすればよかった。むしろニンニク抜いてくれ。様々に思いながら、代金を支払って、汗で崩れた顔面を隠すように店を出る。

 夕刻の涼しい……涼しくないな、生ぬるいな、しかし汗をかいているから、まあ涼しく感じる風を受けて、私はなぜこんなことを、という思いを再度抱いた。なんなのだこれは。何の儀式なのだ。儀式。そう、これはある種の儀式だった。食事と言うより、儀式だった。ある種の通過儀礼だった。苦行だった。

 もう二度と来ねえ、と思いながら私は車のエンジンをかけた。

 たぶん、来年くらいに、また来て、また同じことを言っている。

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