呪いの人形が家庭的で良妻的な美少女になるまでのお話
呪いの人形視点で話は進みます。最後だけは別視点ですが、そこら辺はあしからず。
さめざめとした雨が降り注がれる中、とある通路の端っこに私は横たわっていた。私の近くを横切る車や通行人。
そいつらは私に目もくれず、当然の様に素通りしていく。
拾ったり、気にしてくれたりしたって罰は当たらないだろう。そう小さく呟くが、奴らに私の声は届かない。
大粒な雨水は幾度となく私の顔面にかかり、苛立ちを募らせていく。ああ、本当に鬱陶しい。どうにかならないのか? この雨は?
苛立ちは募りに募って、憂さ晴らしに雨雲を睨みつけるが、雨が止む何て都合の良い事は起き無い。今も尚大粒な雨水は私に降り注がれている。
ああ、本当に鬱陶しい。どうにかならないのか、この雨は? もしも雨と言う存在が呪えるなら、喜んで呪ってやりたいモノだ。
だが、雨を呪う何てことは出来ない。
と言うか、今の私にそんな余力は残されていない。顔の半分は剥げてしまい、腕はひしゃげ、着物はボロボロ。
おまけに雨が降ってきたせいで、地面は水浸しになってしまった。土を吸って濁ってしまった水たまりに居るのだから、私の全身は泥水塗れ。
本当に惨めだな。まあ、呪いの人形としては当然の結果なのかもしれない。いわゆる自業自得、と言う奴だ。
そう、私は呪いの人形である。
おかっぱ頭に、黒塗りの下駄、何も考えていない無味乾燥そうな顔に、陰鬱な雰囲気を表したような柄の着物。
そんな典型的な容姿が私であり、それこそが私なのだ。
人を呪う事を本業とし、様々な人間を呪ってきた。どうして人間を呪うのか。その理由は忘れてしまったのだが。
まあ、それはともかく少し前に私は失敗を冒してしまった。そのせいで、陰陽師やら霊媒師やらに襲われこんな有様である。
命からがら、何とか奴らを撒けた訳だが、全身に痛みを感じる位に酷い有様。おまけに自力で身体を動かせる余力も無い。
だが、憎しみや恨みは無かった。
――そろそろ引き時、って奴なのかもしれない。
アスファルトに雨水が打ち付けられる音が聞こえて来る。通行人や車は、雨を鬱陶しそうにしながら私を素通りしていく。
――そっか。私は、死んでしまうのか。
ザパンッと言う音と共に、私の全身に水たまりの水がかかってしまう。だが、怒る気にはなれなかった。
不思議だ。死ぬのなんて怖くないと思っていたのに、消えるなんて怖くないと思っていたのに、死ぬと分かった今、その今はすごく怖かった。
シトシトと降る雨音。なんて事は無い、普通の雨音だ。その筈なのに、何故か私を嘲笑っているかのように聞こえてしまう。
――ああ、やっぱり受け入れる事が出来ない。
駄目だ、それ以上は考えてはいけない。私は自分で自分自身の思考に歯止めをかけようとする。だが、間に合わない。
――どうしよう、私は……死にたくない。
そう思った瞬間、すうっと冷たかった全身が、まるで全身を氷漬けにされるみたいに、更に冷たくなっていくように感じられた。
――どうしよう。まだ死にたくない、嫌だ、嫌、私、まだ死にたくない、嫌だ、本当に嫌だ、まだ生きていたい死にたくない。
もう自力では動かせない身体を動かそうとしていた。力を込めても微かに身体が震えるだけ、だと言うのにそれでも動かそうとしていた。
愚かな事だ。
行く当ても無い筈なのに、沢山の人間たちを呪って来たのに、それでも私はまだ生きていたいと願ってしまっているのだ。
「嫌だ。私は……まだ……死にたく……無い」
だが、私のそんな叫びは雨音に遮られ誰にも届かない。そして、唐突に私と言う意識は途切れてしまった。
※
――ん? ここは?
耳に残っているのは雨音の残響。だが、肝心の雨音は聞こえない。全身に纏わりついていた様な、そんな不快感を感じていた雨水も無く、暖かい風が私の頬を撫でる。
私の耳に届くのは静音。どうやらとあるアパートの一室、そして私はとある棚の上に置かれている様だった。
四畳半のその部屋はボロくて狭い。必要最低限のモノが置かれた、面白味の無い部屋。そう言う印象を私はこの部屋に抱いた。
そう言えば、全身に感じていた痛みが無くなっている。
腕は問題なく動き、剥がれていた顔も元に戻っている。おまけに着物も奇麗になっているし、心なしか体調も良くなっている気がする。
まあ、私人形だからあまり関係ないかもしれないが。兎にも角にも、喜ぶべき事なのだろう。私は……まだ生きているのだから。
余り腑に落ちていなかったが、何となく周囲を傍観していた私。
そんな私の目の前に、突如男の顔が現れる。
ギョッと、思わず飛び跳ねて驚いてしまいそうになる状況。しかし、目の前の男はおそらく呪いの人形だとは知らない筈。
少し動いてしまったかもしれないが、多分大丈夫な筈だ。なんとか普通の人形の様に振舞う。あまり反応してはいけない。
流石に今追い出されるのは御免こうむりたいからな。
どうやら、目の前に居るこの男が私を助けてくれた様だった。チラッと見えた手には、トンカチやらノコギリやらを持っており、何となく察した。
だが、どうやって直したのかは余り知りたくない。
まだ幼さの抜けていない未成熟な顔立ち。身長は意外にも高いが、余りガタイは良くない。多分、高校生か大学生だろう。
ソイツは私の修繕に納得がいったのか満足気に頷き……いきなり私を手に取る。
――は?
そして、ソイツは私の全身をまさぐり始めた。
――イヤァ‼ ギャアァァァァァァァァ‼
本来の私なら、今すぐにでも顔面を殴っていた事だろう。だが、今の私は呪いの人形ではなく普通の人形である。と言うか、そんな体力も無い。
だから、恥辱に塗れながらもグッと堪えた。
だが、良い様にされるのも癪だ。アイツに気付かれない様に、キッと睨みつけようとして、呆気に取られてしまう。
ソイツは笑っていたのだ。悪意なんて微塵も感じられない。屈託の無い、純粋に今を楽しんでいる笑い。まあ、私の全身をまさぐった笑み、とも取れてしまう。
不思議な事に、私の憤りは消えてしまっていた。自身に起きた異変に戸惑っている最中、アイツはいきなり部屋の明かりを消した。
そして、部屋は暗闇に包まれる。
ああ、そんな! いきなりすぎるだろうが! 明かりを消すなら一声掛けろ! だが、そんな事を愚痴っても仕方が無い。今ここでアイツに話しかけると、面倒な事になってしまう。
何か負けた気がするが色々と疲れたし、とりあえず私も寝ておくか。最近、色々とあったせいで眠っていなかったし。
そして、私は目を閉じた。
※
私がアイツに拾われてから数週間が経った。
特にする事も無く、いつもアイツが何をしているのか観察する日々。私らしくない、そう思いつつも私はアイツの観察を止められずにいた。
今までならポルターガイストや、ラップ音を奏でる、何てのは当たり前の筈だった。だが、どうにもそんな気になれない。
只アイツを観察する日々。悪行らしい悪行を挙げるとするならば、時々物音を出してアイツを脅かす位だろう。
近所の私立高校に通う、何の変哲もない只の男子高校生。それが、アイツの経歴だ。それ以外、目に留まるようなモノは無い。
よく言えば普通。悪く言えばパッとしない。
だが、コイツはどうしようもない程にお人好しなのだ。いや、押しに弱いと言うべきなのだろうか?
コイツは基本的に人から頼まれた事は何でも引き受けてしまう。放課後の掃除にしろ、日直の仕事にしろ、何でもかんでもだ。
まあ、私は呪いの人形の訳だし、そんじょそこらの人形とは訳が違う。簡単に言えば、私は自由に動けることが出来るのだ。
それでアイツの後をつけ、アイツの学校にこっそり忍び込んで、アイツを観察していたと言う訳だ。
アイツはいつも笑っている。どうしてなのか分からない。何が可笑しいのか分からない。だけど、アイツは笑っていた。
それを見ると私は……何故か変な気持ちになってしまう。何か、こう、身体中が温かくなってしまう様な、周りの雰囲気が明るくなっていくと言うのか。
……よく分からない。だが、陰鬱な気分は最近感じない。
だからなのだろうか。
私がアイツを何時まで経っても呪おうとしないのは。
そう考え、私の白い顔はボッと熱くなってしまう。これは、もしかして顔が赤くなっているのか? 人形なのに? 人形の癖に⁉
……だけど、最近のアイツの笑顔は何か、いつもと違っている様に思えた。何かを必死に隠し通そうとしている様な、何かを必死に堪えようとしている様な、そんな苦みを残してしまっている笑み。
呪いの人形である私は、人の心配などする必要はない。その要因を与える側だ。だけど、それでもやっぱり、アイツの事が心配になってしまう。
私は呪いの人形の筈なのに。
※
何もかもを遮るようにして、窓を遮る無地のカーテン。それのせいで月の光は疎か、街灯すら届かない。
窓を閉じ忘れてしまっているのか、時々風が吹きカーテンが靡く。その時、ほんの少しだけ明かりが覗くが、すぐに消えてしまう。
辺りは不気味な程に静かで、いつも周囲を取り囲んでいた暖かい空気すらも、今では冷気を帯びている。
部屋の中は暗く、夜目が利いていなければ何がどうしていたのか分からなかっただろう。部屋の中心。そこで、アイツは布団にうずくまって泣いていた。
時折聞こえて来る音らしい音と言えば、どうにかこうにかして必死に噛み殺そうとしている、アイツのすすり泣く声。
それを私は棚の上から眺めていた。
ああ、そうか。最近笑顔に翳があったのは、こういう事だったのか。
アイツがいつも向けていた笑顔。あれは只の空元気だったのだ。本当は不安な事、辛い事、悲しかった事。それらがあったのに、笑顔で誤魔化し自身の胸の内に抱え込んでいた。
そして、今日それが爆発したのだ。
だが、それを知った所で一体何になると言うのだろうか?
私は呪いの人形だ。誰かにモノを与えるのではなく。その誰かが持っているモノを奪い去る側の筈だ。
そんな私がアイツを救う? 何かを分け与える? ハッ、冗談だったとしたらもう少しまともな事を言った方が良い。
思わず私は自嘲の笑みを浮かべてしまう。
それ程までに、私にとっては救うだの、力を合わせるだの、手を取り合うだの、と言う言葉に縁が無かった。
何時だってそう仕向けさせる側。その中に混ざる、何て事は論外だ。あり得ない。馬鹿馬鹿しい話だ。
――そろそろ潮時か。
私は床から飛び降りる。普通の人形なら壊れてしまうかもしれないが、私は羽のように軽やかに着地できる。ポルターガイストの応用だ。
そして、私はアイツが中に居る布団へと近づく。一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりと、ゆっくりと、アイツに悟られない様に。
どうしてなのか? そんな理由は不要だ。
私は只、自分のやるべき事をするだけだ。
アイツが中に居る布団を私はポルターガイストで弾き、アイツの顔に近づく。今の私は、無害そうな人形ではない。
全身から邪気や怨念を身に纏う、正真正銘の呪いの人形。
今の私がコイツに触れれば、コイツは間違いなく呪われる。私から溢れる邪気や怨念に身体が耐えきれずに。
さっきまで起きていた筈だったが、泣き疲れてしまったのかアイツは眠っていた。だが、その寝顔は安らかには程遠い表情。
……ためらうな、私。私は呪いの人形だ。だったら、やる事は一つだけ。コイツを呪う、それだけだ。
そして、私がアイツの頭に触れようとした瞬間、
風が吹き、バッとカーテンが大仰に開いてしまう。窓から覗くのは、煌びやかに輝く月明かり。
真っ暗だった部屋は光源を取り戻し、段々と部屋としての輪郭を帯び始める。闇に紛れていた私も、アイツの姿も露わになってしまう。
「……ん?」
眠りが浅かったのか、アイツが目を覚ましそうになる。
マズイ! きっとアイツは私が勝手に動いているのを見たら取り乱してしまうだろう。そうすると色々と面倒な事になってしまう。
私が急いでアイツに触れようとしたその時、
「……良いよ。俺を殺しても」
アイツの声が聞こえてきた。うっすらと目を開け、此方を覗く二つの眼。どうやら起きていた様だった。
だが、その言葉の意味が私には分からなかった。
――え?
「小さい頃に父さんと母さんが死んで、親戚中をたらい回し。その時の俺はいわゆる厄介者だったんだ。だから、大きくなったら必要とされる人間になろうと頑張った。俺は頑張った。だけど、その努力の結果が都合の良い奴」
「……一体、どういう」
「人からの頼みごとを、安易に引き受けすぎたんだろうな。それとも、周りに良い顔をし過ぎたせいなのかな? 結局俺は誰かから必要とされる人間には成れず、クラスでは浮いてしまった。ハハッ、笑えるだろ?」
「もういい、もういいから」
「いままでの努力は全部無駄だったんだ。あんなに頑張ったのに、あんなに努力したのに、その結果がこれだよ。本当に情けないよ。だからさ……俺を殺してくれよ」
「……ッツ! 駄目だ!」
ああ、そうだ。私はこの顔を知っている。何もかもがどうでも良くなって、何もかもが信じられなくなってしまった、絶望に塗れてしまった顔。
呪われてしまっている顔だった。
「何でだよ! 良いだろ別に、お前は元々俺を殺す為に来たんだからさ!だったら……もう、殺してくれ。もう、俺を楽にさせてくれよ」
その時私は気が付いた。いや、認めてしまったと言った方が正しいだろう。
「それは駄目だ! そんなのは間違っている!」
「うるさい! もう、俺が生きていく意味なんて無いんだ! 空っぽなんだよ俺の中身は何にもない。楽しい思い出も、両親の顔も、本当の笑顔すら! だったらさ、死んだっていいだろ? どうせ、どうせ………‼」
私は、コイツに幸せになって欲しいんだ。
気が付けば、私はコイツを思いっきり抱きしめていた。人形の姿ではなく、昔絶対にならないと誓った、人間だった頃の姿になって。
どうしてそうしたのか理由は分からない。だが、そうするべきだと思った。
「ああ、そうだ。そうなんだろうな。死んでしまった方がましなのかもしれない。だがな、残念な事に私は呪いの人形だ。だから、お前は私に呪われてもらう」
「っつ‼ ……一体何を」
「お前を死なせはしない。絶対に。その代わり私がお前の力になってやる。悩みがあるなら聞いてやるし、して欲しい事があれば言え。だから、私は絶対にお前を死なせはしない。それがお前に掛けた呪いだ」
「そりゃあ……大した呪いだな。……本当に、意味が分からねえよ」
「勘違いするな。これは只の呪いだ。私がお前を呪っている。それ以上でも、それ以下でもない。だから、今日は安心して眠れ。私が付いている」
私に抱きしめられたまま、アイツは泣き出す。子供の様に、今まで我慢していたモノを全部吐き出す様に。
時折何かを呟き、私はソレに対してそうかと頷く。たったそれだけの筈なのに、アイツの顔はとても満ち足りていた様だった。
――満月が奇麗だった今日この頃、私は呪いの人形である事を辞めた。
※
柔和な光をその身に当て、ちゅんちゅんと言う可愛らしい小鳥の囀りを聴きながら俺はゆっくりと目を覚ます。
あれ? 昨日、俺は一体何をしていたんだっけ? 確か、何か、気持ちの良い夢を見ていた様な、そんな気がしたんだが……内容が思い出せない。
おかしいな、そう思いながら首を捻る。今日は休日。生憎学校は無い。その為、いつもよりもゆっくりできる。
そんな時、ふと俺の鼻腔をくすぐる良い匂いが漂ってきた。それと同時に、何かが焼ける心地の良い音。
振り向くと、そこには台所で何かを作っている、着物を着た少女が居た。
「起きたか。ほら、さっさと私の手伝いをしろ」
「いや、アンタは一体?」
少女はテキパキと焼き魚やみそ汁、白米などの朝食の定番メニューを次々と運んでいく。どれも美味しそうな出来だった。
「私か? ……全く昨日のやり取りを忘れているとは。流石の私でも傷つくぞ」
「え? 俺、何かしたの?」
俺の質問に、明らかに落ち込んでしまう少女。俺が何をしてしまったのか分からないが、それでも申し訳なさはある。
「まあ、良い。それじゃあ改めまして。私の名前は呪いの人形改め、猪原 菊花と言う」
呪いの人形。その言葉を聞き、まっさきに思い浮かんだのは、ずいぶん前に拾った市松人形。確か棚の上にあった筈。
振り向き確認するが市松人形は何処にも無かった。
「まさか、本当に……呪いの人形⁉」
戸惑い混乱する俺をよそに、猪原 菊花と名乗る少女はまるで悪戯が成功した子供の様に笑い、
「ああ、そうだ! 私はお前を呪いに来た。だからこれから覚悟しろよ、寺橋 航。私は絶対にお前を死なせはしないからな!」
そう言い切ったのだった。
猪原 菊花、寺橋 航と言う読みです。ルビをふれなかったので、ここに書いておきます。
誤字、脱字、気になった点があれば感想よろしくお願いします。