第163話 マリアとキックス
第163話~マリアとキックス~
恭介たちがウールの地下遺跡に踏み込んでいった夜。キックスはあてがわれた天幕の外、夜闇の中で自身の心情とは真逆に輝く星空を見上げていた。
「隣、よろしいですか?」
ぼんやりと空を見上げるキックスにそう話しかけたのはマリアだった。キックスは特にそれに対し答えたわけではなかったが、マリアはそれを了承と受け取り隣に腰掛ける。
「俺を笑いに来たのか?」」
口をついて出た言葉はそんな捻くれた言葉だった。王都から逃がされ、帝国に辿り着くことすらできず、守るべきウールの街でも逃がされて、そして見ず知らずの冒険者に助けを請うた。いてもたってもいられずに辿り着いたウールの街はすでに救われており、しかも冒険者は古代遺跡の謎まで解いていた。さらにはどうやって手にいれたのか、もっとも気になる西の海での戦況まで手に入れて状況は悪いとまで告げて来た。
キックスはそれに絶望し、そして諦め助けを求めた。
返せるものなど何もない。相手のこともよく知らない。そんな相手にこの国を助けてくれと懇願したのだ。
王族としてあってはならない姿。してはいけない行為。
しかしそれを頼んだ冒険者は、あろうことかそれを受けてくれたのだ。しかも、一国の王であると名乗ったその人が。
「レヴェル公国ですか。自国のことで手いっぱいで外に目を向けていなかったうちに、帝国でもいろいろとあったようですわね」
マリアがそう言うが、帝国が自身の国土を削って他の国の成立を認めたのだ。それがどれほどのことか、キックスはもちろんマリアが分からないはずもない。
レヴェル建国時にはちょうどシルビアス王国の侵略を受けていたためその事実を知らなかったキックスではあったが、詳細を聞かなくとも自分を助けた冒険者、いや、公王サイトウキョウスケたる人物がとんでもない人だということは聞くまでもないことだった。
「あんな強さがあれば、俺にも国を救えていたのかな」
武芸の才もなく、魔法も碌に使えない。そんなキックスにとってその上辺しか見ていないにもかかわらず、キョウスケという存在は酷く眩しく見えていた。
誰も手も足も出なかったヒュドラを瞬く間に滅ぼし、地下遺跡をあっという間に攻略した強さはもちろん、すぐに判断を下す決断力。王族として羨むべき力を全て持っているキョウスケは、キックスの憧れそのもの。それでいて、それはどれだけ望んでも手に入らない力だ。
憧れは手に入らないからこそ憧れであり、余計にまばゆく光り輝く。まだ年端も行かないキックスにとって、恭介はあまりに眩しすぎたのだ。
「そうですわね。あの方は少し、私達には眩しすぎますわ」
突然現れて自分たちの前にある全ての問題を瞬く間に解決してしまった恭介たち。マリアにとってもやはりそれはキックスと同じく輝かしいものであり、実際に恩人として感謝の念は当然ある。
だがやはり、キックスと立場は違えど街の長という執政者の立場だ。自分達ではどうしようもなかったことを、一瞬で解決した恭介たちを前にした己の無力さ。きっとキックスは王都を一人だけ離脱したこともあり、人一倍その無力さを感じているのだろう。
「月並みな言葉かもしれませんし、私の言葉では響かないかもしれません。ですが聞いてくださいまし」
今のキックスの気持ちはきっとマリアには真に理解することは出来ないだろう。生まれてから背負ってきたものが違いすぎる背景では、キックスの抱えるものを取り除くことは出来はしない。
「今感じている無力さや悔しさ、やるせなさを未来にぶつけてください」
「未来に……?」
「はい。これまでにキックス様が抱えたものは、今すぐどうにかはできませんわ。ですけど、その気持ちを糧として未来の自分に反映させることは出来る。私はそう思いますの」
マリアはキックスに静かにそう言った。
抱えるものをどうにかすることは出来ないかもしれないが、少しでも同じ思いを抱けるものとして、その気持ちに共感をすることは出来る。
「ですから一緒に頑張りませんか?頼りない一街長の戯言かもしれませんが」
「そんなことはない」
マリアの言葉を遮り、キックスはマリアを見る。その眼にはそれまでの無力さはなく、まだ弱いながら光を宿していた。
「俺はこの先、もしこの苦境を乗り越えることが出来たなら、必ず強くなる。それは何も戦いが強いとかではなく、人としての強さだ。俺は強くなってこの国を盛り立てる。それが今回、王都から逃がしてもらった俺の責任だ」
力強くそう言ったキックスだが、そう言い終わった後、隣のマリアに寄りかかってこう言った。
「だが今は、今だけは、少しだけこうしててもいいか?」
それはキックスが見せた初めて人に見せる弱さ。たとえ恭介の厳しい言葉に涙を見せることはあっても、決して見せなかった他者への甘え。きっと王族としては許されないのかもしれない。国に住む民を率いる者が、その率いられるものに甘えるなど言語道断だと叱責されるかもしれない。
だけどマリアはそれを受け入れた。
「私の肩でよければいくらでも。なんなら胸も御貸ししますわよ?」
「魅力的な提案だが遠慮しておく。立ち上がれなくなったら困るからな」
今のキックスは第二王子であるキックスではなく、ただ一人の子どもであるキックス。マリアはそう思い、肩に寄りかかるキックスの頭を優しく撫でる。
「いつか俺が立派になったその時は、その胸を貸してもらうこともあるかもしれないけどな」
「ええ、その日を楽しみにしています」
夜の街に寄り添う二人の影。まだ子どものキックスと、母親と間違われてもおかしくないマリアではあるが、共に執政者として無力さを抱えた二人は互いの傷をなめ合い静かに寄り添いあった。
明日からまた強く生きていくために。夜はまだ、長い。
◇
西の海。カンビナ王国とシルビアス王国、大陸のほとんど真逆に位置し、普段はほとんど交流がないはずの二国は、今この瞬間も互いに命を奪い合う戦いをしている。
魔法がそこかしこで飛び交い、接近した船の甲板では武器を持った兵士達が相手を一人でも多く倒そうと奮闘している。
そんな血で血を洗う戦場の後方、シルビアス王国の船団の最後方に位置する一際大きな船の甲板は、そんな命のやり取りとは無縁の空気が流れていた。
「それダウトだ」
「てめっ!ふざけんなよ!これで何度目だっつんだ!!」
「佐々木が顔に出やすいのが悪いな。今にもばれないかドキドキって顔してたぜ」
「カード―ゲームにはマジ向かねぇよな」
今にも敵国からの遠距離魔法が飛んでくるかもしれないという戦場においては異質の光景。傍らで控えるシルビアス王国の兵士達は知らないであろうカード、つまりはトランプに興じる四人の姿はあまりに戦場にふさわしくはなかった。
この船の乗組員、つまりシルビアス王国の兵士はそれについて言及したい気持ちはもちろんあった。あったがそれを口にすることは誰も出来ずにいた。
「おい、まだそこの片付け終わんねぇのかよ?せっかくの晴れた航海だってのに景観そこねんだろうが」
「自分でその状況を作り上げといてよく言うな、佐々木」
「あん?文句あんのかよ安藤?」
「別に文句を言ってるわけじゃないだろ?トランプで勝てなかったからって八つ当たりするなって言ってるんだ」
佐々木と安藤。二人が何やら言い合っているが、残る二人はそれを止めるわけはなく、ただ面白そうにそれを見ているだけだった。
「望月!おめぇも何とか言えよ!」
「まぁこの降り注ぐ太陽に免じて許そうぜ!あんまカリカリしてると眉間に皺が寄るぞー」
「んなことあるか!」
乱暴な物言いで望月に怒鳴る佐々木だが、当の望月はそれを軽く笑っていなす。
「なぁ、そろそろ俺達も行かねぇか?いつまでもここにいるから佐々木の奴もストレスたまってんだろ?俺、もう殺したくてさっきからいろいろやべぇんだよ」
「落ち着け佐々木。指示があるまで待つって話だっただろ?」
「だーかーら!どうしてお前はいつもそうやって真面目なんだ安藤!目の前に敵がいる!俺達はそれを殺しに来た!なのに一番後ろでトランプっておかしいだろ!?」
「否定はしない。俺だって早く戦線に行きたいと思ってるが、一応は木山の指示だ。後であいつに切れられると面倒だからな」
その安藤の一言で佐々木の動きが止まる。他の二人も同様に動きを止めた。
それを見ていた傍らの兵士達は一様に安堵し、できる限り静かに、だけど最速で自分たちの仕事を終わらせる。
自分たちに今与えられた仕事。それは同僚の変わり果てた遺体をいち早く片付け、今も目の前で新たなトランプを配り始めた四人の目から避けることだった。
シルビアス王国の兵士とてこの四人に苦言を呈さなかったわけではない。わけではないが、すでにそうできなくなっているのには当然理由がある。
「やっと綺麗になったかよ。お前らも目障りだからそいつと同じようになりたくなければ下がっとけ」
佐々木が獰猛な声でそう言うので、兵士たちはそそくさとその場を後にする。
そう、四人に意見をした同僚はすでに全員殺された。他ならず、この異世界から召喚されたという勇者たちの手によって。
最初、それに反発し複数人で立ち向かった者もいたが、その圧倒的な力の前に為す術もなく全員が肉塊へと変えられた。そんな光景を何度も目の当たりにしてれば、もはや四人に逆らう者など一人もいない。
機嫌を損ねれば次は自分かもしれない。乗船している兵士達にできるのは、ただ一刻も早くこの船から降りる時を待つことだけだったのだ。
「みなさん、木山君から指示が来ましたよ」
そんな折、この船に乗っているもう一人の異世界からの召喚者がそう四人に告げた。
「ようやくか。三好、そりゃいい指示なんだろうな?」
「ええ、きっと期待に応えられるものだと思いますよ?」
そう告げられた言葉に四人が笑う。その笑顔はまるで、餌を目の前にお預けをされている肉食獣のようで、兵士たちの顔が一斉に青ざめるには十分だった。
「指示は一つです。暴れろ。ここからは皆さん、好きにしてもらって大丈夫です」
その言葉に佐々木が咆哮を上げ、それに続くように三人も動く。
動き始めた戦場に、その場に一人残った召喚者、三好蓮は薄く笑った。
「さて、まずはカンビナ王国を堕としましょう」
戦況はこの後、劇的に動く。さらに多くの血を流しながら。




