第110話 帝都での戦い⑩
第110話~帝都での戦い⑩~
爆発音の鳴る少し前、帝城の東の区画では、スルトの前にナイジェルが立ちはだかるという構図が出来上がったところだった。
「お願いします!クリムトの話を聞いてください!!」
「私がそいつの話を聞く理由がないだろ?私が知りたいのは権天使の居場所、ただそれだけだ。それ以外のことに興味はない。お前たち人間にも興味などない」
スルトの放つ熱波がさらに膨れ上がった。もはやそこに立っているだけで皮膚の表面が火傷をしていく温度に、ナイジェルは飛び出してしまったことを後悔していた。
「私からもっ、お願い、します!!どうか、どうか、話を聞いてください!!」
後悔にこの場からすぐにでも逃げ出したいとわめく自分の体をなんとかこの場に留まらせる自分の背後から、左足を焼かれ、痛みでびっしりと油汗をかくクリムトが必死にそう訴えた。
「あなたの望みである権天使様の居場所は教えます。ですからその前に少しでいいから話を聞いて欲しいのです!!」
クリムトの必死な懇願に、少女の手に渦巻く炎が少しだけ弱まっていく。
「早く話せ」
少女が発したのはその言葉だけ。しかも手の炎は少し弱くなっているとはいえ、直撃すればナイジェルもクリムトもただでは済まない熱量を保ったまま。
それでもクリムトは目の前の圧倒的な力を持つ少女に、話を聞かせるだけの余地を作った。四肢を欠損し、命が限りなく危険なその瞬間まで諦めることなく交渉を行った。
その姿にナイジェルは、やはり自分は何もできない矮小な存在であることを改めて自覚する。
仮に逆の立場だとして、クリムトと同じことが自分に出来るだろうか。自らを犠牲にしてまで相手を交渉の席に着かせるなどと言うことが出来るだろうか。その自問に対し、ナイジェルは首を横に振らざるを得ない。そんなことは出来るはずがない。もしクリムトの立場になったなら、きっと逃げだしてしまっているはずだから。
「あなた様の力を見込んでお願いがあります。どうか、どうかこのナイジェル王子を守っていただきたいのです!!」
そう自己嫌悪に陥るナイジェルをよそに、クリムトの口からは驚くような願いがスルトに告げられる。
よもや帝都への襲撃者に対し帝国の王子を守って欲しいなど、しかもそれが第一宰相という国の重鎮から出た言葉だなど誰が信じるというのだろう。それくらいにクリムトの言っていることは常軌を逸していた。
「お前、正気か?」
「無論、私は正気です!権天使様のことをご存じということは、あなた様はこの帝国の状況を、ひいてはロータスの街を襲った天使についてのことも全てご存じだと思います!天使たちが神の名のもとに神罰を治すことを許さず、それに反した者を全て抹殺しようとしているということも!!」
その言葉にナイジェルは息を呑んだ。クリムトの言うことがあまりにも突飛すぎて理解の範疇を超えていたからだ。
ナイジェルとて、天使という存在は知っていたし、権天使が天使のさらに上、大天使よりも上の階位の天使だということは知っている。しかしそれが帝国となんらかの繋がりがあり、しかもロータスの街を襲ったなどどうして信じられようか。
「ちょ、ちょっと待てクリムト!?お前は一体何を言って……」
「ナイジェル様は黙っていてください。今は事情の説明をしている暇はないのです!!」
これまでにないほど強いクリムトの言葉にナイジェルは押し黙る他なかった。理解できない状況に理解できない話。もはやナイジェルはこの場にいるのにこの場にいないに等しい状況に置かれていたのだ。
「知ってるさ。ロータスの街で防衛にあたってたのは私だからな。あいつのせいでたくさん人が死んだ。私によくしてくれた人も、一緒に街の修復をしてた人も、あれだけみんなを助けようと奔走してたナターシャも死んだ」
少女が何を言っているのかナイジェルにはまるでわからなかった。ナターシャが死んだ?この子は一体何を言っている?
クリムトを見れば、まるでそれが本当のことのように苦渋の表情を浮かべている。
「ナターシャが死んだ……?」
自分で言葉に出しても、その言葉のなんと現実味のないことか。あの妹が死んだなど、そんな馬鹿なことがあるはずがない。確かに妹は隣国へ出向き、その間に帝都に結界が張られてしまったために帰ってこれてないが、今に元気に戻ってくるはずだ。いつものように屈託のない笑顔を浮かべて、帝都に住む皆に暖かく迎えられながら。
「でしたら余計な問答は全て省きます。私は今この時から権天使様含む天使様たちに反旗を翻します。皇帝陛下がどのような判断をされるかは分かりませんが、それでも失敗すれば権天使様の力によって、帝都など軽く吹き飛ぶでしょう」
ナイジェルの妹の死を聞かされ、信じたくないという心境など構いもせず、クリムトの交渉は核心へと突き進む。ナターシャの死ですら未だナイジェルの心は許容できていないのに、さらにクリムトは天使という神の使いに対して反旗を翻すと言い始めたではないか。
もはやナイジェルには何が何やらわからなかった。今はただ、全てに耳を塞ぎ静寂に身を委ねてしまいたい。あのまま部屋のベッドで寝てしまえていたら、どれほど幸せだっただろう。しかしどれだけ後悔してももう遅い。すでにナイジェルは現場に居合わせているのだから。
賽は投げられた。
どれだけ耳を塞いでも、どれほど目を瞑ろうとも現実は何も変わらない。この夜、ナイジェルはそれを嫌という程思い知ることになる。
「お前が何をしようと私の知るところじゃない。帝国が滅ぶなら好きにすればいい。お前たちにあのクソ天使がどうにかできるなんて思わないし、何よりあれは私の獲物だ」
「わかっています!もちろんただでとは言いません!報酬ならいくらでも……!!」
「くどいぞ!!私にお前たち人間を守る筋合いなどないんだよ!!」
炎が爆ぜた。
先ほどまでですら身を焦がすような熱気を放出していた少女、スルトから、今度こそ立ち上るような炎が噴出したのだ。その真っ赤な炎は周囲の建物を呑み込み全てを燃やして、いや、そんな生易しいものではない。すべてを溶解させるほどの熱量を誇っていたのだ。
「私が守ろうとした奴らは死んだ!!お前たちが組んでいた権天使に殺されたんだ!!それを今になって何が反旗を翻すだ!!知ったことか!死ぬなら勝手に死ねばいい!私が用があるのは権天使だけだ!話は聞いてやったんだ、早く権天使の場所を教えろ!!」
怒りを隠すこともせずにそう吠えるスルトに対し、もはや交渉の余地など残されてはいないとナイジェルは思った。
未だにナターシャのことも、天使のことも、クリムトのしようとしていることも何一つ理解できていないが、少なくとも今この帝都では長い帝国の歴史の中で見ても、前代未聞の事態が起ころうとしているのだろう。
そして、ひとたびそれが起きてしまえば、王族であるナイジェルの身も非常に危険となる。ゆえにクリムトはこの襲撃者に対してナイジェルの身を守ってくれないかと交渉をしている。
推測は出来る。理解など何一つできないが、少なくともこの夜をナイジェルが生き抜くためには目の前の少女の協力が必要不可欠なことはわかった。
だが、この怒れる少女の姿をした炎の化身にはもはや言葉は通用する様には見えない。もしこのままクリムトが交渉を続けるなら、何か他のことを起こす前に少女に燃やされるのが落ちであろう。
そう思い、スルトの放つ熱気とは別の原因による汗が背中を流れた時だった。クリムトが放った一言が状況を一転させた。
「お願いします!無理は承知の上なのです!それでも、それでもナイジェル様がここで死んでしまっては帝国は本当の意味で滅ぶのです!!リドル様とリシティー様はすでに天使の手に落ちました。ナターシャ様は亡くなりました!もうナイジェル様しかいないのです!!ですから、ですからどうか……!」
クリムトのこれまでにない必死の懇願だが、当然スルトの表情は変わらない。変わるはずがない。そう思ったのだが、ここで予想外の言葉がスルトから返ってくる。
「おい、そのナイジェルってやつはナターシャの関係者なのか?」
これまで取りつく島すらなかったスルトが、ここにきてはじめてクリムトの言葉に反応を示したのだ。しかも心なしか、半端じゃない熱量を放っていた炎の勢いも少しだけ収まっているような気もするではないか。
「そうです!ナイジェル様はナターシャ様の兄君、二人は兄妹です!!」
何がスルトの琴線に触れたのかはわからない。わからないが、それでも状況は動いた。そう思ったのはナイジェルだけではなくクリムトもだった。
だからこそここで畳みかけようと口を開こうとしたのだが、その言葉がクリムトの口から出ることはなかった。
「あらあら、いけませんねぇ。第一宰相が謀反など、お父様が聞いたらさぞ悲しまれることでしょう」
どこからか響く女性の声。事が起こったのはその直後の事だった。
―ズドンッッ
ナイジェルの視界に映ったのは白一色。その次に訪れたのは耳をつんざくような爆音と衝撃。
自身の体がまるで木っ端のように吹き飛んでいくのを感じながら、ナイジェルは最後に聞こえた声が耳慣れた姉の声だったことを思い出すのだった。
身を投げうっての交渉。はたして同じことが出来る人がどれだけいるか。覚悟を持ってことにのぞむ男の話でした。そしていよいよ二章もクライマックス!是非お付き合いください!!
いつも誤字をしてきただき誠にありがとうございます。皆様の優しさで成り立っている物語ですのでこれからもよろしくお願いいたします。
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また、下に現在連載中の他の作品のリンクを貼ってありますので、もしお時間ありましたらそちらもよろしくお願いします。




