6 スーパー賢者タイム
「殺害された主人は気の毒に思うが、こう悪評ばかりが付いて回ると、どうにも被害者の肩を持つことが出来ないな」
丙馬は桃色スーツの初老に目を向ける。
「乙先生? 黙りこんでるけど、どうし……」
カウンセラー乙丑は手の平をこちらに見せ、静止すると目線を天に向け仰ぎながら、
「今、人の業の深さを痛感しているのです」
なんか一人で始まったぞ?
丙馬刑事は彼の言葉の節々を、精査してその意味を噛み砕こうとした。
彼が言う台詞の意味を自分の中で消化しようと試みるが、どうにも消化不良を起こしてしまい、聞き返した。
「先生。何が言いたいのか、解らないのだけれど?」
「人は誰しも、自然に身をゆだね、無垢なままこの世に生を受けます。ですが、いつしか人は成長する共に、俗世の垢にまみれ澄んだ心は次第に汚れを宿して行きます」
「いや、なんの話をしているのか、さっぱり解らない」
彼は顔を伏せながら、再びこちらに手の平を見せ遮ると、話を続けた。
「知識を得て歴史を知り礼節を学ぶことで、人は人足らしめるのです。しかし実際は、生来持つ欲望が理性を上回り、自ら堕落の道へと歩みを進める。そして世の中の偏見や偏った情報に振り回され、弱者や一部の少数派を排除しようとしてしまう。それがいずれ、自分の身に降りかかる、難事だととも気づかずに……人はなんと愚かなのでしょう」
そう言いながら、ボリュームのつけた前髪を弾ませ、乙丑氏は天井に顔を向けると、目を閉じて自分の世界へ陶酔した。
丙馬刑事は、もはや何も返す言葉が見つからず、そっと放置しておく方針に切り替えた。
「そ、そうか……まぁ、ほどほどにしてくれ。こちらの話が進まないから」
「事件現場となった旅館の暗部が、表面化していたのは明白。しかし、それが改善される前に最悪の形で知られてしまったのは、非常に残念に思います」
そろそろ、こっちの世界に戻って来てくれないと、時間が無駄になる。
カウンセリングが終わったら、私はこれから捜査方針の打ち合わせや、聞き込みがあるというのに。
「乙先生。もういいだろ? 十分、世の中の不条理について考えたはずだ。一応、私も仕事の合間をぬって、カウンセリングの時間を作っているんだ」
それを聞いた桃色スーツの初老は、現状に気づかされたようで、我に帰りこちらに目線を戻した。
「あらやだ、失礼いたしました。そうでしたね。ではお話を進めましょう」
カウンセラー乙丑は、丙馬刑事の心中に構わず推測を語る。
「”仲居”が怪しいですわ。客間に入る際、持ち込んだのは"タンブラー"。四つのタンブラーの内、被害者が口にするタンブラーに毒物を塗って置くのです。タンブラーの底か、口と接するフチに塗っておくのです」
「四つの内、被害者が飲むタンブラーをどうやって選ばせる?」
探偵役のオネェは自信満々に答えた。
「行動心理学には『左回りの法則』という原理があります。これは七〇%もの人間が、この法則に当てはまります。《心臓が左にあるから》や《人体は右側に重い肝臓があり、バランスをとる為、左に重心が移る》など、諸説ありますが、有力な説は《多くの人は右利きであるので、右手で物を取る際、左回りで移動するほうが取りやすい》とのことです」
「なるほど」
「ちなみに、安心感を与えるメリーゴーランドは左回り。緊張感と不快感を与えるお化け屋敷は右回りで……」
「先生?」
せっかちな丙馬に、余談を聞く精神的余裕はなかった。
カウンセラーは話を戻す。
「あら、脱線しましたね? 四つのタンブラーをテーブルへ一列に並べて、青酸カリの入ったタンブラーを一番左へ置きます。そうすれば、被害者が無意識に左へ置かれたタンブラーを選ぶわけです」
「そうか……」
丙馬刑事は腕を組みしばらく考えた後で、カウンセラーへ目を戻し、かすかに湧いた疑問を投げかける。
「乙先生の理屈で言うと、客間にいた七〇%の人間。つまり四人中、三人が青酸カリ入りのタンブラーを、手に取る可能性が高いことになるな? そこに殺害相手へ毒を飲ませる、確実な勝算があるだろうか?」
先ほどの自信と雄弁はどこへ置いてきたのか、カウンセラー乙丑は急に黙り、こちらを澄んだ瞳で強く見つめた後に言葉を継ぐ。
「話を変えましょう」
「おい? 露骨すぎだ」
「丙馬さん。そんなにカッカしなさんな? まだまだ代案はありますから」
どうにも、話の歩調が合わせられなくて、調子が狂う。
わざと話のテンポを崩して、話の主導権を握ろうとしているのか?