2 お事件。女刑事の憂鬱
――――――――三日後。
桜田門に構える警視庁の、とある応接室にて……。
「このお事件、掘りましょう」
丙馬・麗和。
三十路の独身女は、自分の軽口を呪った。
また外部に情報を漏らしてしまった。
やはり自分は、この仕事に向いていないのかもしれないと、憂鬱になる。
耳を露出した短髪のせいか、職場ではシガニー・ウィバーと揶揄されることも多い。
もちろん、SF映画「エイリアン」を指してのことだ。
干支の組み合わせで甲乙丙の三番目、丙と十二支における午年が合わさる、丙午の年に生まれた女は、火のように気性が荒いなど言われる。
数え年こそ違えど、丙馬はまさに名を体で表したような気質。
その気質が功じて警察官となった。
警視庁刑事部、捜査一課、第五強行犯捜査、殺人犯捜査第七係(殺人、放火)に在籍する丙馬巡査部長が、このカウセリングを受けるきっかけとなったのは、逃亡中の殺人犯を同僚の刑事と追っている時のことだった。
壁際まで追い詰めると、殺人犯はナイフを取り出し、同僚の刑事を襲いかかる。
とっさに人命の保護が急務と判断した丙子は、携帯していたリボルバー銃、М三七エアウェイトを発砲。
当たりどころが悪かったのか、殺人犯は死亡してしまう。
同僚刑事の命を救ったものの、彼女の銃使用は適切だったかを対象とした、審問会が警察庁にて開かれる。
審問会の結果は「人命の保護を第一とし、被疑者への発砲やむなし」とされた。
世論も彼女の発泡は、「正義の鉄槌」として支持していた為、社会で議論の的になることもなかった。
が、相手が凶悪犯とは言え、銃の発砲により人の命をその手で殺めた事実に、自暴自棄へ陥る警察官は少なくない。
丙馬刑事は直属の上司の判断で、周二回のカウンセリングを受けることを義務づけられ、今に至るのだった。
彼女はダークグレーのスーツから、ピアニッシモ・アイシーン・グラシアの箱を取りだし、一本口へ運ぶと内ポケットに箱をしまう。
すると―――――――。
「丙馬さん。ここは禁煙ですよ?」
「あぁ、失礼した」
彼女はピアニッシモの持つ、甘い香りを楽しむ間もないまま、煙草を箱に戻す。
応接室に置かれた高級感のあるソファーは、身体をゆっくり沈ませて、まるで王族にでもなったかのような気分を、味わわせてくれる。
だがそれも、テーブルを挟んで向かいに座る人物が、視界に止まる度、落ち着かない。
心理員、乙丑・宗純。
四十五歳。
彼は警視庁警務部、厚生課、健康管理室に籍を置く”地方上級心理職”、または”心理系地方公務員”だ。
【臨床心理士】と言った方が、まだ解りやすい。
臨床心理士は国家試験ではないものの、試験の受験するためには、大学卒業後に「日本臨床心理士資格認定協会」の指定する大学院を修了するか、臨床心理士養成に関する専門職大学院を修了する必要があり、大学院で心理学を修めた者のみ試験資格を有する。
資格受験者の合格率は約六〇%から六五%と、やや高めに聞こえるが、大学院へ上がるだけでも、その門をくぐれる者はそうそういない。
試験適正の条件自体が厳しい上に、そこからさらに、難易度の高い資格試験を突破したこと考えれば、心理士は秀才の中の秀才と言える。
被害者の心の傷を癒すカウンセリングもそうだが、警察に席を置く心理員に与えられた主な業務は、警察職員が職務に注力し安定した生活を過ごせるよう、メンタル面を整えること。
カウンセリング自体は職員の休憩場所など、比較的、開かれた場所で行われるが、部屋が空いている時間や他の職員の目を考慮して、応接室のような隔離された場所でも行う。
「乙丑」の名前は呼びづらい為、顔見知りは皆、読み方が違う「乙丑さん」や、頭を取って「乙先生」と愛称を付けている。
この乙丑という初老の男。
初対面の時は度肝抜かれた。
上から下まで染まる、桃色のスーツは否応でも目を引きつける。
首に巻いたスカーフは鯉の刺繍が施され、鯉ののぼりが首根っこを、締め付けているように見えた。
百人中百人が目を奪われるであろう、奇抜なファッション。
春を運ぶ妖精も、このカウンセラーの服装を見れれば勘違いして、真冬に春の魔法をかけて桜の花を咲かしてしまうことだろう。
細見のレンズが光る、老眼鏡をかけた乙丑氏のヘアースタイルはというと、茶色味かかった髪を七三分けにし、前髪にボリュームをつけている。
どこかタカラジェンヌを気取っているように思えた。
服装もさることながら、その言動も引っかかるものがある。
カウンセラー乙丑は足を組み、膝の上で頬杖を付きながら考えにふける。
彼の思考は独り言として漏れ出てしまい、こちらにまで聞こえた。
「やはり”おウィスキー”に毒物が混入してたのかしら?」
ウィスキーに"お"はおかしいだろ?
この独特の言い回し。
本人は否定しているが、カウンセラー乙丑は周囲が”オネェ”だと揶揄しても、決して認めない。
彼のオネェ口調はカウセリング相手に対し、強い言いましや否定的な言動で、相手の意思を抑えつけることを避け、物腰の柔らかい投げかけで、警戒心を持たせない為にしているとのことだ。
とくに、このオネェ口調は女性に対して親しみを持たれ、相手が警戒心を解いて心が開きやすいとのことだが、言動を聞いていると、どこまで本当なの疑ってしまう。
おかげで課内じゃ、≪オカマ野郎とつるんでる丙馬≫と陰口叩かれている始末。
極めつけはその肌。
齢四十五の男とは思えぬほど、色艶のある肌だ。
とても放っておいて保てるような、色艶ではない。
日頃のスキンケアを想像すると、不気味さから悪寒が走る。
こっちは職場のストレスからなる生理不全と酒、煙草の不摂生で化粧乗りが、日々悪くなるというのに。
比べる相手が間違っているとは思うが、女子力において、完全な敗北を覚える。
天から授かった性は男と女。
しかし、その性格はジュブナイル小説で見る、思春期の男女が頭をぶつけたことで、中身が入れ替わったかのように性格が真逆である。