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K子

作者: 雨村やよい

自分から呼びつけておいて、やっぱりやめればよかったかなとか思う。車のエンジンをとめて、ため息をこぼした。先ほどまで流していた歌の続きを自分の頭が歌い出す。あまり強くない風が前の植木を揺らす。頭の中では今日どういう話をしようとか考えていた…はずなのだが。歌い終わるまでは考えたくないらしい。愛着もとうになくなったオンボロ車のハンドルをたたく。歌は一時停止。車を降りた。自分以外の車はない。"また"か。もう慣れてきたけど。


海が目の前にあるからか予想以上の湿気に全身を包まれる。普段外にでないせいか、それだけで体力を奪われていく。うん、やっぱりやめておけばよかった。ぼーっとした頭で太陽を探す。沈む色に染められた中で、はっきりとした円を街の中に見つけることはできなかった。現実逃避の癖を治せない方が嫌になってきた。行こう。店に向かいながら、頭の中で最悪の場合の予行演習をしておく。


私は今日呼び出した相手-K子が苦手だ。彼女といると自分の元気が吸われていく気がする。作り笑いをしているだけで精一杯。それでも彼女でなければいけない理由があった。それで死ぬわけじゃないし。…極論。この場合最悪の事態はどれになる?とっくに歌い終わった頭は休まることをしらない。今日の店はリニューアルオープンしたというし、絶対来たかった。限定のケーキをどうしても食べたかった。その欲はどうしても押さえられない。だけど一人で店に入るまでの勇気はない。こうなった今じゃ呼びやすいのはK子だけ。だから我慢するしかない。


入り口が見えてきた。扉に自分の全身が映った。そこに映る自分の顔には疲れしか見えない。化粧がよれて目尻にファンデーションがたまって…疲れ切った顔だった。これではきらびやかな女子トークなんかできない。するつもりもないけど。化粧直しとか、そういう美意識は捨てたのだが、自分の顔をみると嫌な気分になる。この感覚には未だ慣れない。鉄の取手を体重をかけて開くと、潮風が先に中に入っていった。中の電気はついているが、だれもいないし出迎えてもくれない。ぎりぎり間に合うかと思ったが、同じ建物にある植物園は終了していた。こっちはまた今度来るとしよう。今日のはここの4階だ。エレベータに乗り込むと、すぐにボタンを押した。


扉が開くと、レジ前の店員とすぐ目を合わせた。店員が声をかけてくれる。その笑顔が機械的ではないと感じるのは、改装前から私が通い過ぎているせいかもしれない。人数を聞かれ人数分の指を見せ答えた。店員は笑顔でうなずくと、奥の席に座らせてくれた。私の大好きな席だ。今日はついているぞ。店員に礼をしながら座り、メニュー表を手に取った。あ、でもこのあと彼女が来る。店員が置いてくれた水を少しだけ口にして彼女を待った。

時計を見て、いつも通りだと思った。彼女は絶対遅刻する。ごめんごめんと言いながら席にすわり、その言い訳を延々と語る。相手が止めるまでずっと。語り終わったら次は自分の言いたいことを省くことなく全部並べ始める。脈絡もなく延々と。苦痛だ。今日の相手はそんな人間だ。

「いやぁ、ごめん。待ったよね?ごめんね」

小走りで走ってきては遠慮なくどかっと私の目の前に座る。今日は早めに来たほうだな。メニュー表を逆さまにして、彼女に手渡す。小さく礼を言うと、少し息を切らしながら文字を読んでいく。全部読んでおきながらカルボナーラとアイスティーを私に注文した。これもいつものこと。店員と直接話すのが苦手だとか。メニュー表を受け取りながら、店員をもう一度呼び注文する。K子は水を一気飲みして息を整えていた。

「寝坊しちゃってさ、遅れちゃった。へへ」

今日はまだまともな言い訳だな。この間は渋滞に巻き込まれたとか言っていた。徒歩でも二十分かからないのに、どこをどう渋滞に巻き込まれているのだろう。そっか、と適当に相槌を打っておく。デザートはいらなかったのと聞くと、この間食べたからいいやと言った。私も初めてだから一緒に食べようとか言っていたのに。息をするように裏切られる。いつものことだ。呆れはしないけど。

「やっぱここ良い店だよね。眺め最高だし」

彼女の話し声だけ響いていて店にとても申し訳なく思えてくる。うんとかそうだねとしか返事できない。お店の雰囲気を褒めていたはずなのに、いつの間にか仕事の愚痴に変わっていた。

「まーた私に嫌味言ってくるのよ。もうね、爆発寸前。ほんとやめたい。」

女の愚痴にはアドバイスをしてはいけない。これは鉄則。それは大変だね。深刻そうにうなずいておく。どうしたらいいのかな。受け止めるだけ損よ。短く返事をすれば、彼女はまた延々と話しだす。

「やっぱり、やりがいがないとやっていけないわ」

私の顔の前で握り拳をつくり熱く語りだす。私は苦笑いをしながら、その拳をどけた。チーズたっぷりめのパスタの中でフォークを小さく回す。できたてのおいしさには勝てず急に無口になりだした。食欲に従順で本当助かる。私のデザートまではこのままでいてくれるだろう。


私がタルトを食べていると、K子は静かに私の食べる様をみていた。話題がなくなってつまらなそうだ。ガラスの向こうの海を見て、突然ひらめいたとばかりに顔が輝き出す。

「ねえ、帰りにちょっとだけ海にいこうよ。潮風感じたい。」

考えずにそのまま言ったのが丸わかりの反応だ。どうして急に詩的になるのよ。湿気がひどいし気持ち悪いよ。シーズン外のここの浜辺なんて、ゴミだらけじゃない。やめとこうよ。露骨に嫌な顔をしてみせる。

「うん。わかった」

だけど私も考えずに了承した。私が呼び出したんだから、彼女のお願いくらいは聞いておくか。デザートの効果だろうか。ほんの少しだけど。どんどん「まあいいか」という気持ちになってくる。K子は伝票をみて端数まできっちりお金を私に渡す。

レジ前にたつとラッピングされた小袋が気になった。K子がすぐに手に取る。ポップによれば安眠効果のあるハーブティとある。げ、お金とるのか。いや当たり前か?値段は今日の食事を考えれば変わらないくらいか?

「リニューアル記念で作ったんです。ご一緒にいかがですか?」

ちょうど一杯分しかないけれど、どんな味か気になる。ラッピングのリボンはオレンジと水色の二パターンだった。K子は迷うことなくオレンジを選び私に渡す。

「あとで出すからさ。一緒に支払いしてよ。お願い。」

わかったよ。私も買うし。私もオレンジのリボンのほうをとった。おそろいなんていやがるだろうか。K子は相変わらず。つられて私も笑った。伝票と一緒に渡す。ありがとうございますと言う店員に少しだけ笑顔を返した。レジ越しに金色のネームプレートを見つめる。レシートを受け取ると、K子はゴチですと言った。おごったわけじゃないよ。わかってるよ、冗談だってば。そんな話をしながらエレベータに乗り込んだ。


夜の海が怖くてたまらなかった時がある。けれどK子が連れて行ってくれてから、もう怖くなくなった。大きく聞こえる波の音も、木々がゆれる音も。誰にも邪魔されない。だから逆に好きになった。

「あのさ、ここなら、誰もいないよ」

確かにだれもいないけど。何?と返しても何も返事をくれない。

「大丈夫。誰も、いない。」

K子はまっすぐ私を見て言う。私から目を離さない。私は耐えられずに下を向いた。わかっている。これはK子のいつもの合図だ。一方的に語ることもなく、私からの言葉を待っている。K子は待っている。自分の鼓動の音が聞こえてきた。波の音が大きいのに、静寂の中にいるみたいに耳が痛い。一気に爆発してしまいそうな胸を必死でこらえた。少しずつ、少しずつ自分の胸から海へ注いでいく。

「あのさ。もうやめたいよ。全部。」

言葉より先に涙があふれてくる。K子が見てる。でも、K子は何も言わない。私の背中をさすることも、手を握ることもしない。ただ、見てるだけ。私は目を合わせずに、海の向こうを見た。

「器用に生きることなんてできない。自分の気持ちを隠して、誰かの顔を伺って生きるの、しんどい。うまく隠せなくて余計辛いだけなのかもしれないけど。」

自分の血が下へ下へ降りていく、こぼれていく。自分の中からこの中にあるものを全てだしたら、自分は死んじゃうんじゃないか。K子はまばたきで返事をする。見えている訳じゃないけど、K子ならきっとそうする。だからわかる。だけど少しだけ、答え合わせをしておいた。

他人と生きることなんて私には無理だ。自分以外の人間全てに好かれようと振る舞ってしまう。嫌われてしまうのではないかってひやひやする。嫌われてしまったときは死んでしまえと思う。たとえそれが自分のせいであっても。

「…いつまでもわがままで、どこまでも自分勝手。自分が嫌い。」

だから苦しい。自分の中の温度差で心が壊れてしまった。自業自得だとはわかっているけれど。きっとまだある。暗い、暗い、その奥に。だけど私はふたをした。もう遅いけど。面白くない私なんて、私じゃない。私はゆっくり振り返った。

「この間K子が教えてくれたギャグ漫画、読んだよ。腹抱えて笑っちゃった。」

すごく不自然。だけどそっちの方がいつもの私。すっからかんな頭をして、ヘラヘラ笑っているのが一番楽だから。漫画の中で一番笑った部分を再現してみせた。これが私のいつもの合図。お願いK子、笑ってよ。私にとっては笑いだけが救いだよ。"笑い"だけに私は存在しているから。お願いK子、私を否定しないで。K子は困ったように笑ってくれた。自分の体を張ったギャグはいつも空回りするけれど。とりあえず今のところはもう大丈夫だから。波の音が戻ってきた。きっと、アレを吸い取ってくれたに違いない。

「助けてあげられなくてごめんね」

波の音と勘違いして聞こえてきたかと思った。今日はめずらしいことを言うなぁ。やめてよ。私はそんなことを言わせたかったわけじゃないのに。笑う。私は、自己管理ができないだけなのに。ふたをした涙がまたあふれだす。

「違う。違うの。私がこうやって逃げるのが悪いの。ごめんなさい。」

みんなきっと、こういうのはうまく隠して生きている。隠して、それを大きな力に変えてうまく生きている。私みたいに抱えきれなくて散らかすようなことはしていない。私だけが、うまく回れず生きている。諦めてしまおうと、何度もやめようと思った。生きる力は恐ろしい。何度打ち砕かれても、立ち直ろうとする力。生きたいという欲が無意識にあるのが恐ろしい。回ることは止められない。だからいつも空回り。ごめんなさいでふたをして、中でまた空回りしだした。

潮風で少し肌寒くなってきた。K子が私の手を握ってくれた。暖かくて、とっても心地良い。言葉にはできない何かで満たされていく。それを読み取りたくて、K子の目を見つめてた。K子も私から目を離さない。でもなにも言わない。波や風の音がどんどん大きく聞こえてきた。K子の手や視線に向けていた意識が逸れていく。「…うん」

涙がまたあふれてきた。K子の手にようやく握り返した。きっと私はこれからも、こうやってK子に吐き出してしまうのかもしれない。でもK子なら、許してくれそうな気がする。強く握りしめてみた。K子は受け止めてくれた。もう帰ろうか。K子がそのまま引っ張ってくれた。


「実はさ、今日歩いてきたんだ。だから車に乗っけてよ。」

こいつ。乗せてもらう算段でいたな。K子はへらへらと笑い出した。自然ともうわかったよと私も笑い出した。と助手席のドアをあけてあげる。やったーって言いながら、遠慮なくどかっと乗り込む。本当遠慮なしだな。本当に愛着もない車だから別にいいけど。ドアをしめると一層うれしそうな顔をした。けれどシートベルトをつけるのはへたくそで、たまらず私がしめてあげた。

車が走り出すと、急に真顔になって黙り込んでしまった。私も運転中に気を遣えるほうではない。来たときに聞いていた音楽だけが一生懸命場を盛り上げようとする。私のプレイリストは気まぐれだから、どれも逆効果だけど。

「あ、今日はここでいいや。」

交差点の標識が見えてきたら、K子は適当にそこを指さす。具体的に家がどこにあるとは教えてくれない。ずいぶん長いつきあいなのに、それだけは教えてくれない。住宅街みたいだけど、この間とは違うところで指示してくる。K子は本当、どこにすんでいるんだろう。毎回同じ質問をするけれど、そこは譲れないとかいいだして面倒くさくなる。車を止めると、K子はシートベルトを簡単に外して降りた。つけるときは甘えてきたのに、帰りは急に素っ気なくなる。K子が車のドアをしめた。手が冷えてきた。風邪を引いてしまうのが嫌で、たまらず声を張り上げた。

「引っ越そうと思ってるの。ねえ、私とルームシェアしない?」

一緒じゃないとできないことがしたい。今日みたいに顔をあわせてたくさん話がしたい。K子の話が聞きたい。少しでいいから、私の手を握ってほしい。私が誘えば、必ずK子は来てくれる。だからきっとK子は頷いてくれるはず。だけどK子は何も言わない。車から背を向けたまま、固まってしまった。とにかく引き留めたくて、車から急いで降りた。まずはK子の手をまた握りたかった。握れたけれど、K子の手は私のより冷たかった。

「ごめんね。それは、できない。」

怖くてK子の顔を見ることなんかできない。K子の手がどんどん冷たくなっていく。なんで急にひとりよがりな事を口走ってしまったんだろう。一生懸命ふたしておいた中身が、もう空っぽになっていた。底なしだと思っていたけど、あっさり出し切ってしまったようだ。私の手も冷えてきた。K子はそれをふりほどく。

「…そう…だよね。ごめんなさい。」

頭の中がからっぽになって、動けなくなった。K子は私を見ることなく歩き出す。私は馬鹿か。私はK子にどうしてほしかったんだろう。一番取り返しのつかないことをしてしまった。ただ、K子に帰ってほしくなかっただけなのに。黙ってうつむいていると、K子は私にかまわず歩き出した。きっともう、誘いに乗ってくれることはないだろう。あんなに私の話を聞いてくれるのは、K子しかいないのに。

「そうだ。また誘ってよ。今度はさ、パンケーキがたべたい。」

またね。なんて残酷な言葉だ。今度はもう、私の誘いに乗ってくれることはないだろう。私に笑ってくれることもない。私の手を握ることもない。私の話なんか、聞いてくれる訳が無い。思考を止めてはいけない。涙を流しながら、うん、とだけ返事をしておいた。


ただいま現実。一人暮らしは長いけど、急に一人になるこの温度差には耐えられない。静寂から耳の奥がざわつき始めた。先ほどK子にふりほどかれた方の手が、切り取られたままでくっつかない。それでも立ち尽くすことなく、淡々とメイクを落としシャワーを浴びた。どれだけ体を暖めても、左手は冷えたままだった。さすっても暖まることはなく、体ごとざらざらとこぼれ落ちていった。最後の砂がベッドに沈み込む。そのまま目を閉じてみても耳の奥がうるさくて眠れない。時計の秒針がやけに大きく聞こえる。目の奥から涙があふれ出す。瞬きをして余分な分をはき出す。携帯どこにやったっけ。携帯を探す手は自分以外の手みたいに感じる。帰ってきてから一度も探していなかったな。鞄を探ると、先ほど買ったハーブティーの袋が出てきた。安眠効果だったか。あの店員さんのさわやかな笑顔が目に浮かんだ。…なるほど、お手並み拝見といきますか。携帯そっちのけでティーポットとカップを用意しはじめる。自分のものじゃなくなった手が、袋を無造作に破いた。さわやかがつめこまれたラッピングが引き裂かれていく。ぐちゃぐちゃになった状態になったのを見てから、少しだけ罪悪感が湧いた。

「ま、いいか。」

かばんのなかでもう一つのオレンジがゆれている。隣の部屋の洗濯機の音がうるさい。少しイライラしてきた。ティーポッドから良い香りがたつと、すぐにカップにそそいだ。香りを楽しむとか、そういうのはもうとっくの昔に飽きてしまった。湯上がりに牛乳を飲むみたいにそれを流し込んだ。


今日は眠れるだろうか。さっきのハーブティが効きますように。目を閉じても、眠気がこない。いつものことだ。だけど今日はK子に会えたから。比較的落ち着いていられる。だけど、やっぱり心の穴はふさがらない。胸が沈んで、涙があふれだした。もうだめだ。もうたすけて。うまく言えないよ。またつらくなってきたよ。涙を拭く余裕もでてこなくなってきた。耳に涙が入っていく違和感が、さらにつらさをかきたてる。

突然、涙に蓋をするように、暖かい手が降ってきた。この暖かさには身に覚えがある。つい先ほどまで会っていた、あの子の手。あなたは、これを知ったら笑うだろうか。こんなことでしか生きられない私をどこかで見て、笑っているのだろうか。止まらない涙は気にならなくなった。これで埋まるわけがない。一時的な優しさなんてあとでまた辛くなるだけだ。だけどやめられない。取れた手くらいはくっつけさせてくれ。向こうであの子が笑みをこぼしている。それに返すように私も笑った。わかっているよ。お願い、私と一緒にいようよ。ずっと、ずっと一緒に。私を連れていって、K子。わたしのだいすきな…たいせつな、わたしのおともだち。K子。おやすみなさい。…よい夢を。

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