魔破街の真実
下駄箱でムメイはオレを見ず、スリッパを出してくれた。
履き替えて、靴はそのまま来客用の下駄箱に入れる。
「俺は宿直室に寝泊りしていてな。何かあったら来るといい」
「はあ…」
彼に続いてスタスタ歩く。
…けれどこの鼻につく匂いは…血と消毒液、それに何かのカビと錆びの匂いだ。
ここは戦場の病院か?と思わずにはいられない。
一階の奥に、宿直室があった。
「ここだ」
がらっと引き戸を開けると、これまた昭和時代のアパートの一室のような部屋。
すぐ右手には台所、左手にはトイレとお風呂の扉。
目の前には十畳の畳の和室。
部屋の中心にはちゃぶ台、そして4つの茶色の座布団。
…マジで昭和時代か?
ぼ~然としている中、ムメイはスリッパを玄関先で脱いで、上にあがった。
続いてオレも、スリッパを脱いで部屋の中に入る。
ムメイが座布団に座ったので、オレも腰を下ろす。
するとムメイは壁際に置いていた大きな紙袋を手に取った。
「ウチの学校、制服があるんだが、私服でもOKだ。制服はコレな」
紙袋からは大きな白い箱が出てきた。
ちゃぶ台の上に置かれ、箱は開けられた。
真っ黒の学ラン。上着はチャック式だ。
しかし上着やズボン、そしてシャツや靴下には紋様が縫われている。
「ムメイさん、この紋様は?」
「ああ、魔破街の紋様だ」
「学校の、ではなく?」
「ああ。学生であるウチはこの紋様の物を身に着けることが、この街の決まりみたいなもんだ」
「…そうですか」
「カバンは自由な。上履きとか教科書は明日渡す。あとお前が暮らす寮なんだが…」
「ムメイさん」
オレは静かに、でも強く言った。
「なっ何だ?」
ムメイはオレと眼を合わせようとしなかった。
「聞きたいことが、一つだけあります」
「えっ?」
「サラがさっきから言っていること。オレが父に売られたってどういうことですか?」
ひくっとムメイの顔が引きつった。
「…オレ、確かに父に言われてここに来ました。けれどそれが売られたことになるって、どういう意味なんですか?」
「そっそれはだな! ホラ、サラっておかしなヤツだろ? だから言うことも…」
「それは違う」
オレはハッキリと断言した。
「おかしいのは…この街の存在そのものだ。警察がいない、人を殺しても裁かれない―。あまりにオレが知っている常識からは、外れ過ぎています」
「ううっ…」
「それに…オレはここに来るまで、街の様子を見て来たんですよ? …オレの知っている店なんて、ほとんど無かった。どこか特殊で、どこか変わっている」
街の様子を思い出し、思わず顔が歪む。
「父はオレに何も言わなかった。それはつまり、ムメイさん。貴方に聞けということでしょう?」
真っ直ぐにムメイの眼を見ながら言った。
するとムメイは深く息を吐き、
「…ああ、そうだろうな」
観念した。
そして台所へ行き、銀色の灰皿を持ってきた。
「タバコ、良いか?」
「どうぞ」
親父も吸っていたから、気にならなかった。
ムメイは窓を少し開けて、再び腰を下ろした。
そしてタバコに火を付け、ゆっくりと吸って―。
「―お前が父親に売られたということは、本当だ」
とんでもない一言を言った。
「何故…ですか?」
オレの声は震えていた。
冷静な父親の姿が、頭に浮かんだ。
「…この街の異常さにはもう気付いているんだろう?
この街にいるヤツ等はな、みんな『犯罪遺伝子』を持つ連中なんだよ」
「『犯罪遺伝子』?」
「聞いたことないか? 表の世では大犯罪を起こしたヤツの遺伝子を、濃く受け継いだヤツは、同じように大犯罪を起こすって言われているんだ」
「それはっ、…あくまで仮説でしょう? 通説じゃありません」
「そうだな。だが…」
長くなった灰を灰皿に落とし、ムメイは言い辛そうに続けた。
「その『犯罪遺伝子』を持つ者を集めたのが、この魔破街。そしてその住人達の異常性は…お前が見た通りだ」
「っ!?」
「『犯罪遺伝子』を持つ者は、政府によって調べられ、ここに隔離される。そして閉じ込める代わりに、ここにいる間は自由を許される。警察という存在が無いのは、そのせいだ」
「でもっ! 警察という存在が無いから、こんな無法地帯になってるんじゃないんですか!」
「一理ある。だがあったとして、住人達に飲み込まれるだけだ。…意味は殆ど成さない」
「くっ…!」
確かにこの街に住めば、染まってしまうだろう。
「だが警察という存在を抜きにすれば、他の街とは変わらない。病院だってあるし、消防署だってある。『犯罪遺伝子』を持つ者は、何故か身体能力・頭脳指数ともに優れている者が多い。そこは安全だ」
「…医者が人を殺すことはないんですか?」
「多分、な。まあ頭のイカれたのは多いが」
…意味ねーじゃん。
「じゃあ…」
オレは渇いた声を出した。
「…オレや親父も、『犯罪遺伝子』を受け継ぐ者なんですね」
ムメイの表情が、苦悩の色に染まった。
「…ああ、そうだ」
消え入りそうな声、だけどしっかりオレに届いた。
「オレの…身内は一体何をやらかしたんです?」
「…本来なら、機密事項になるんだがな」
そう言ってムメイは立ち上がり、小さな机の引き出しから、雑誌サイズの茶封筒を取り出し、ちゃぶ台に置いた。
「―そこに書かれているのが、真実だ」
オレは…封筒に手を伸ばした。
中の書類には、顔写真と犯罪履歴がこと細かく書かれていた。
ざっと読み…オレは深く息を吐いた。
「…猟奇殺人者の家系なんですね」
「そう言うな! お前は何にも悪いことはしてないだろう?」
「ええ、オレは、ね」
だが先祖は犯した。
父方の血縁者で、まずは70年前に時はさかのぼる。
30代の男性、親父に少し似ていた。
彼は戦時中、病院の先生をしていた。
だが新薬開発を政府から命じられ、彼は…患者を実験台にして、新薬を作ろうとした。
しかしやがて、彼はいかに人を苦しめ、残忍に殺すことができるかを研究し始めた。
薬によって変化する人間の肉体。
白黒写真で何枚かあって…思わず吐き気がした。
人間の形を留めていない肉の塊…。コレをオレの血縁者は作り出したのだ。
彼はその行き過ぎた研究の末、政府に捕まり、処刑された。
―妻と子供を残して。
そして400年前。
まだ刀作りが盛んだった頃。
鍛冶師の先祖は、自分が作った刀の切れ味に悩んでいた。
同じ頃、町には辻斬りの事件が多発していた。
…そう。鍛冶師は自分の刀の研究の為に、辻斬りになってしまったのだ。
やがてお役人に見つかり、その場で切り捨てられた。
そして大陸を渡り、120年前。
…自分の血筋に、外国人がいたとは。
彼は小さな頃から、ナイフを愛していた。
自分の体を傷付け、その血を飲んでいた。
やがて…動物を傷付けるようになり、最後は人間を傷付け…食すようになった。
「うぇっ…」
想像して、口を押さえた。
「大丈夫か?」
「えっええ…」
書類を見続ける。
その被害者数―3ケタを越す、歴史上、類を見ないほどの大犯罪。
彼はしかし捕まらなかった。
捜査の手は、間近に迫っていた。
けれど彼は忽然と姿を消してしまった。
なので捜査は打ち切りになってしまった。
事件の捜査資料だけを残して―。
「…なるほど。ここまで大犯罪をやった先祖がいるなら、オレが眼を付けられてもしょうがないですね」
バサッと資料をちゃぶ台に投げた。
3人の血縁者達の被害者数を合わせると、それこそ300近い。
政府が眼を付けても、おかしくはないと思えてしまう。
「だけど…親父が免除された理由は? オレ1人だけで、政府は納得出来たんですか?」
「出来るも何も…。サマナ、お前、親父さんの職場のこと、何も聞いていないのか?」
ユメイがぎょっとした。
「…知りませんけど」
言われなかったし。
「お前の親父さんは、『犯罪遺伝子』を研究する会社で働いているんだよ!」
「…初耳でした」
…ああ、どうりで引っ越しが多いなと思ったケド。
「詳しくは言えないが、政府直属の部門だ。親父さんはそこの室長―言わばトップにいる。だからここへ来ることは免除されたんだ」
「でもオレは許されなかった、と…。…でも何で今頃なんですか? もっと早くても良かったのでは?」
「それは多分…親父さんが手放さなかったんだろう。ここへ来れば…」
ユメイはそこで言葉を止め、唇を噛んだ。
「…ああ。来ることは出来ても、出ることは出来ないんですね」
びくっとユメイの体が震えた。
…ウソのつけない人だ。
つまり、オレはもう、二度と親父と会うことはできない。
それどころか、もう二度と…表の世の出ることも許されないのか…。
だからサラは、「売られた」と…。
確かに考えてみれば、親父が自分の保身の代わりに、オレをこの街へ差し出したということは、売ったということになるだろう。
まあトップだしな。周りへのケジメとかもあるだろうし…。
「ショック…じゃないのか?」
「無茶苦茶ショックですよ。見えませんか?」
「…見えん」
まあ親父とそこは似てて、あんまり感情が表に出ないからなぁ。
「でもムメイ先生が、オレの保護者になってくれるんでしょう?」
「あっああ、もちろんだ」
「これからオレの住居は?」
「学校には寮がある。まあそんなに広い街ではないんだが、親から離れて暮らしたいと思う生徒がいてな」
「ナルホド。制限付きの一人暮らしと思えば良いんですね」
「そうだな。それと小遣いはホレ」
ムメイは一枚のカードを差し出した。
受け取って見ると、カードにはオレの顔写真と名前に番号があった。
「番号は住人番号だ。お前が今のところ、末尾だな。そんでそれが代わりになる。何か買う時は、それを渡せば良い」
「自動的に口座から引かれるってことですか?」
「いや、ここでは元々金の意味が無い」
首を傾げると、ムメイは肩を竦めた。
「ウカツに欲が出ることはやらねーんだ。金の制度はここじゃない。欲しい物が好きなだけ手に入れられる」
「無法地帯ならではの制度ですね」
「まあな。だから気にせず、好きなのを買うと良い。インターネットを使えば、何でも手に入る」
…何だか嬉しいような、残念なような。
金のありがたみってのは、制限されるから味わえるものなんだな。
でもオレは普通じゃないから…良いのか。
「一通りの説明は以上だ。他に聞きたいことは?」
「いえ、今のところは。とりあえず、今日からよろしくお願いします」
そう言ってオレは頭を下げた。
―そしてオレは決めた。
この街で生きていくことを。