夜の涙と化学反応 ――水、音、色の炭化化合
S.Sに捧げる。
夜の涙はディゾルブ・イン。しずかに流れてはかなくひかる。
優しく撫でてはフェード・アウト。滴り堕ちてはフェード・イン。
夕立のあとの朝露のごとく、しずかに流れてはかなくひかる。
星の涙はディゾルブ・イン。忘れさせじと、しとしとつもる。
思い出してはフェード・アウト。忘れ去ってはフェード・イン。
想いは絡み合う糸のごとく、清き雫を優美に紡ぐ。
夜の雨音ディゾルブ・アウト。短かき波長の旋律よ。
波紋は輪になりフェード・アウト。滴り落ちてはフェード・イン。
奏でる調べはうつくしく、沁みて悲しいニ短調。
梅雨の涙はディゾルブ・イン。肩の長屋にしずかに棲まう。
喪に服した大地はやみ、やがてしたたる雨はやみ
梅雨どきの粒は鉛のごとく、溶け出して空は灰汁に染まる。
雨の残滓。
忘れ去られた洗濯物のように、萎びてくたくたの新緑からは、
生を謳歌していた翡翠の雫たちがいっせいに溢れ出し、
かわりに、
灰汁を吸い上げた導管や、躰をめぐる葉脈、
そのわずか1ミクロン以下の繊維の間という間に
ニコチン、タール、その化合物が浸透し
灰色に染めた。
冷たいコンクリイトの地面と壁、黒く照るアスファルトの道、
くすんでよどんだ循環器官、灰汁の浮かんだくらい空、
そしていまやわずかにひかる新緑までもが失われ、
彼が見上げた世界では、
まるですべてが喪に服しているようにみえた。
けれど、
行き場を失った翡翠の雫は、
しなやかに、それでいてしたたかに、
彼の心にすみかをみつけた。
翡翠の色彩に魅せられた彼の、
ぎっしりと水の侵入を許した、そのずぶ濡れのうす汚れた白いコートを
エメラルドグリーンのレインコートに変えて。
生ける命はディゾルブ・アウト。水性インクの血で洗う。
通り越してはフェード・アウト。辿り着いてはフェード・イン。
思いは解れる意図のごとく、しなやかなひとすじの小川に消える。
モノの価値などディゾルブ・アウト。エンドロールには映らない。
芽吹き出してはフェード・アウト。乾ききってはフェード・イン。
創造できると思い込み、やがては儚き夢と知り。
存在の価値はディゾルブ・イン。緩やかなWaltzの弧をえがき、
そこにぼくらの影はなく、故にそれらに型はない。
広がる水面はあるがまま、絶対音を紡ぎだす。
光風霽月の憧憬に、夜の涙をディゾルブ・アウト。
千紫万紅の鳥たちが、はるか遠くへ飛べるよう、
ぼくは一吹の薫風となって、滴る雫を紡ぐのだ。
夜の涙はディゾルブ・イン。しずかに流れてはかなくひかる。
優しく撫でてはフェード・アウト。滴り堕ちてはフェード・イン。
夕立のあとの朝露のごとく、しずかに流れてはかなくひかる。