【逸話】ツキヒメの怒り
それは突然のことだった。
「父様! 母様! どいてよ! やめてよっ!」
2人が私に覆い被さって、あの化け物から守ろうとしたの。
母様の白い肌がめくれて内側の肉がずる剥けになった。父様の額から滝のように血が流れてきた。それでも2人は声をあげず、ずっと私の顔を見て笑っていた。
母様の瞳からまだ光が消える前、こう言われた。
「生きなさい。生きて、幸せを手に取りなさい。しっかりと握りしめて、離しちゃダメよ。あなたは強がりで意地っ張りだけど、無理して我慢しなくてもいいわ。たまには素直に、あなたらしくなりなさい。あなたらしく生きるのよっ!!」
母様の瞼に化け物の爪が刺さった。顔を後ろへ反らされて、私の耳に骨が折れる音が聞こえた。母様の顔が私の方へ戻ってきた時には、もう息をしてなかった。はっはっ、と必死に呼吸をする。母様が殺されたと理解するのに少し時間がかかった。
父様が母様の身体を私の上に被せた。
「いいか、ツキヒメ。タモン様に必ず伝えるのだ。あの化け物は人の言葉を理解できる。ハンターよりも人間に似た生き物だと、必ず伝えろ。見たこと、聞いたこと、全部だ」
「父様が伝えたらいいじゃないっ!! どうして最期の言葉みたいに話すのよ!!」
「聞きなさい!!!!」
生まれて初めて父様に怒鳴られた。びくりと肩が跳ねて、両目からはとめどなく涙が溢れてくる。
「私達は闇影隊ではない。混血者でもなければただの人間だ。そして、国が欲しているのは私達の富でははない。確かな情報なのだ。情報さえあれば、この惨劇を月夜で食い止める事が出来る。わかるね?」
「わかるっ。だけど、父様っ……」
「もう一つ、これが最期のお願いだ」
死に際なのに、父様の笑顔はいつもと変わらなかった。目尻にシワがあって、目を細めて、はにかんで。母様ごと父様を抱きしめた。
父様が私の耳元で言った。
「パパと、呼んでくれ」
強く、強く、奥歯を噛み締めた。
「パパッ……」
父様の自分の身体を支えている膝から力が抜けていくのがわかった。ずしりと重くなった2人分の体重。遠くで、ナオトがウイヒメの名前を叫ぶ声が聞こえてきた。
ああ、みんな、死んだ。私は意識を手放した――。
目が覚めた時には本部の医務室のベッド上に寝かされていた。その隣のベッドにはナオトが眠っている。頬から顎にかけて涙のあとが残っている。
誰かが見舞いに来たのかしら。起き上がって、ナオトのベッドの横にある丸椅子に座った。ナオトの顔を見ているとまた涙が溢れてきた。
そこへ医療隊の人が部屋を訪れた。軽い検査をされた後、あの時の詳しい状況を尋ねた。ナオトは兄のヒロトが気絶させるまでウイヒメの遺体を抱いて離そうとせず、先程ようやくここへ運ばれてきたそうだ。
ウイヒメの遺体を確認した。胸には大きな穴が空いていた。まだ8歳のなのに、どうしてこんな無残な殺し方が出来たのだろう。きっと、月夜の誰よりも綺麗な遺体。けれど、死ぬまでに誰よりも怖い思いをした。
そうして、また病室へ戻ってきた。
「ナオト……」
彼の手をぎゅっと握って、早く目を覚ましてと祈る。
妹のように可愛がってくれていた。言霊の安定剤ってものになっているとの話しも聞いた。それくらい大切に想っていた。なのに、ナオトは一部始終を目撃してしまった。
北闇を照らしていた太陽が西へ沈んでいく。ナオトがようやく目を覚ました。
「ツキヒメ……? ――っ!!」
私を見るなり手を振りほどく。ナオトは震えていた。
「ごめん、俺っ……。俺、何も守れなかった」
「うん」
「ウイヒメは俺のせいで死んだ」
「うん」
「死にたくないって言ってたのにっ……」
「うんっ」
「俺が弱いからっ!!!!」
父様がしてくれたように、壊れないように、そっとナオトを抱きしめた。
「そんなこと言わないで。ウイヒメは、ナオトは今よりももっと強くなるってそう言ってたわ。強くなるのよ。あいつよりも、ずっとずっと強くなればいいじゃない。負けたら私の所へ来なさい。その弱りきった脳みそを思いっきりぶん殴ってやるんだから」
「なんだよ、それ」
ナオトの身体を解放して、両肩に手を置いた。
「ぶん殴るなんて、こんな汚い言葉を使ったのは生まれて初めてよ。……私はそれくらい腹が立ってるの。私の家族や仲間を奪ったあいつらを絶対に許さない」
執務室へ行くために椅子から立ち上がる。
「いい? もうウイヒメのことで泣かないで。妹が天国にいけないわ」
「お前な!!」
「私はこういう性格なの。国で一番の強い精神を持った父様と、国で一番綺麗で真っ直ぐな心を持った母様の間に生まれ、その性格をしっかりと受け継いだ天野家の長女よ。こんな事で私の心は折れないわ。私を見逃し、生かしたことが最大のミスだと思い知ればいい。……あの化け物、根絶やしにしてやる」
扉を出て、背中をぴんと張って廊下を歩く。
もっとナオトの側に居たいに決まってるじゃない。けれど、私はナオトを弱くしたいわけではない。私が弱いからナオトには強くなってほしいの。だからずっと側にはいない。渇を入れたら離れる。
「タモン様、ツキヒメです。失礼します」
執務室の扉を開いたその時から、私の戦いは始まった。




