第16話・罠
【執務室】
「誰か、水を持ってこい!! それと医療隊を呼べ!!」
今しがた転がり込んできた小さな身体に、タモンは玄帝の文字が縫われている羽織をかけた。過呼吸のように呼吸を繰り返す小さな身体で、必死にタモンへ何かを伝えようとしている。
「まずは落ち着くんだ、いいな?」
やって来た医療隊はすぐに酸素を吸引させた。全身で呼吸していた小さな身体が、徐々に落ち着きを取り戻していく。それから水を一気に飲み干して、身を投げるようにタモンへ抱きついた。
「ウイヒメ様、どうして1人で……」
「おねがっ、お願いっ、お願いしますっ……。たすっ、助けてっ……」
嗚咽をあげながら必死に助けを乞う。ただ事ではないと、タモンはウイヒメを抱き上げ、いつも使用している椅子に腰掛けると、向き合うように膝の上に座らせた。それから、赤子を寝かしつけるようなゆったりとした口調で話しかける。
「国で何かあったのか?」
「屋根裏で変な音が聞こえたから見に行ったの。そしたら怪しい人がいた。外にはもう1人いて、その人達が月夜の国を潰すってっ……。彼には不幸を味わってもらうってっ……」
「彼っていうのは、カケハシさんのことかな?」
「違うっ!! 月夜を訪れるって言ってたから、父様じゃない!! 帰る前に姉様が約束したの!!」
「誰とだ」
「ナオトと!! ナオトに重箱を渡して、必ず取りに行くって!! でもっ……、月夜が襲われたらナオトは絶対に来るっ……。ナオトは約束を破らないもんっ」
タモンの目が据わった。
「他には何か話してたか?」
「作戦は実行したって……」
「実行した……? ――っ、まさかっ……」
タモンの脳裏には、数時間前に出発した部下の姿が浮かぶ。
「罠だ……」
❖
両手を広げて構えていたイオリと派手に衝突し、地面に叩きつけられるようにして転がった。すぐに体制を整えて岩壁から身を乗り出す。すでに箱は見当たらない。
海へ飛び込もうとした俺をイツキが止めた。
「あの波に飲み込まれたらひとたまりもないよ。多分、青島隊長を助けられるのは俺だけ。2人は他の重度。……いけるよね?」
噛み締めた下唇に血が滲む。
「……イオリ、行くぞ!」
ここでイツキと別れ、他の班と合流した。もう一体の巨犬の方には父さんが来ている。
「無事だったか……」
「青島隊長が……」
父さんも気が気じゃないのだろう。巨犬と海の方を交互に見ている。
「イツキが行った。俺達はこいつをどうにかしなきゃ」
「そうだな。だが、どうしたものか……」
残った巨犬は意地でも動くまいとしているらしく、四肢をしっかりと地面に固定し微動だにしないそうだ。
「大猿が来るのを待ってるのかな」
「いや、それはないだろう。奴はとっくに逃げた。一度は閉じ込めたんだけどね。今赤坂班が追跡している」
大猿の怪力は身をもって経験している。いくら父さんの言霊でも時間を与えてしまえば意味を成さない。
それよりもこいつだ。闇影隊の攻撃を避けるだけで攻撃する気配は全くない。今がチャンスではないだろうか。
「父さん、こいつを閉じ込めよう」
父さんが辺りを見渡す。
「闇影隊の数が多すぎる。これだと、山吹神社の二の舞だ」
悔しくて悔しくて仕方がないといった父さんの顔に、あの日、何が起きたのかを問うことはできなかった。
地面が揺れたような感覚に、父さんの表情が急に変わった。地面に手の平を置き、振動を確かめている。揺れは次第に大きくなった。通路の奥を睨みつけ、父さんが立ち上がる。
「父さんの後ろに隠れなさい」
そう言って、父さんが深く息を吸い込んだのと同時に、巨犬が遠吠えを発した。
「総員!! 通路から離れろ!!」
粉塵を纏いながら何かがこちらに突進してくる。暗くてまだ姿を確認することはできないけれど、とにかくデカい。
もう一段、上の通路の奥側にいる闇影隊がその正体を叫んだ。
「巨大猪だ!! 猪がそっちに向かったぞお!!」
あり得ない――、と心の中で呟いた。北闇にオウガ様が来た時、付き人の精鋭部隊はこう話していた。東昇で発見された二体の重度。そのうちの一体の討伐には成功したけれど、もう一体は北闇に逃げ込んだ可能性がある、と。そいつは大猿で、胸に傷を負っていた。
東昇が討伐した重度については、後に猪であると聞かされた。それがどうだ。逃げ遅れた闇影隊を焼き鳥のように串刺しにしながら、目の前まで迫ってきているじゃないか。
父さんが言霊を発動した。
「氷・氷十壁」
10枚もある分厚い氷の壁が猪の行く手を遮る。その隙に上と下に別れて闇影隊が避難した。
「お前達も退避するんだ」
父さんは背中だけを見せて、氷の壁のてっぺんに飛び移った。
「早く行け!!!!」
イオリが俺の腕を引っ張って走る。
壁が邪魔で向こう側は全く見えない。猪の鳴き声と父さんの雄叫びだけが聞こえてくる。巨犬が父さんの方に向かって動き出した時、俺はゆっくりと首を横に振った。
「ダメだ……、父さん……」
「走れって!!」
「二体が相手じゃ無理だ……。父さん!!!!」
壁より高く血しぶきが舞う。イオリは立ち止まって、俺はその場で腰が砕けたかのように座り込んだ。




