第7話・再来
凍りついた身体とは裏腹に、脳は目まぐるしく機能していた。あらゆる記憶を掘り起こし、上級歩兵隊に昇格しなければならない目的を見せつけてきた。
ダメだ、こんな所で諦めちゃいけない。母さんも爺ちゃんも、そしてユズキも、本当に手の届かない場所へ行ってしまう。もう嫌だ、俺は普通に暮らしたい。家族と、友達と、笑って過ごしたい。
力がみなぎる。頬の近くに顔を寄せるハンターに視線をやった。目玉のない、ぽっかりと穴の空いたそこと目が合った途端、ハンターは俺の肩から飛び降りて奇妙な行動を取った。足もとに跪いたのだ。
「サチ……」
不思議な感覚だった。歯を剥き出しにして肉に喰らいつく小さくて凶暴な生き物が、どうして俺なんかに膝をついているのだろうか。
徐々に景色が復活し、この世のものとは思えない絶叫が鋭く鼓膜を突き破った。我に返り、急いでハンターと距離を置く。しかし、ハンターはそこから微動だにしなかった。俺の周りではたくさんの人が本来の姿を失い肉片と化しているのに、なぜだか目が離せなかった。
すると、俺とハンターの間に半獣化した受験生が四つん這いで現れた。レンだ。爪を地面に突き刺し、跪くハンターを威嚇している。
「ちょっと待って!! こいつは他とは違うんだ!!」
「黙れ!! 俺に指図するな!!」
あの小型犬みたいなレンからは想像も出来ないがなり声が発せられ、喉の奥を鳴らしながらこちらに振り向いた。いったいどれだけのハンターを殺したのか、口や首は血で真っ赤に染められている。立ち上がり、手で首元を撫でたレンはベロリと舐め取る。
「あー……、美味いね、うん」
狂ってる――、そう思った。
「仲間は一緒じゃないのか?」
「さあ。喰われたんじゃない?」
声質がいつも通りになり、とりあえず一安心する。正直、殺されるのではないかと思った。
「そっちは? イオリの姿が見えないけど」
「湖に放り投げた」
レンと同時に湖に向くと、そこには大勢の受験生の姿があった。ハンターは水辺の周辺で待ち構えている。
そこへデスがやって来た。半獣化すると鳥人間になるらしく、驚いたことに宙を舞っている。
「生きてたんだね。どうせ僕のことなんて忘れていただろうけど」
冷静に飛んでいるデスが希望に見えた。彼ならきっと、この状況を打開できるはずだ。
時間がかかってもいい。1人ずつなら安全な場所まで避難させられるのではないか、と案をだすも、デスは考える間もなく首を横に振った。
「半獣化ってずっと出来るわけじゃないんだ。各々の能力や修行次第で継続時間は異なるけど、僕たちみたいな子どもは、せいぜい30分が限界。それに……」
地上に降りて続ける。
「ハンターの数、尋常じゃない。逃げるなら死体や湖に群がってる今しかないよ」
「逃げるって……。混血者の大半が人間を嫌ってるのはわかるけど、このまま連鎖を続けるつもりなのか? 誰かが動かない限り、溝は埋まらないぞ!」
「そうだけど……。死んだら意味ないじゃん。状況わかってる? 上から見た感じでは、千はいるよ。正直、僕たちに勝ち目はない。あの人達を助ける手段もない。完璧にお手上げだよ」
見える範囲では、湖の中にいる受験生以外の人間はほぼ息絶えている。戦っているのは混血者だけで、どこもかしこも砂埃が立っていた。とはいっても、死体に群がるハンターを一方的に狩っているだけだが。
そのなかで、ハンターが死体を喰う音と、湖で怯えている受験生の震えた息づかいを全身に感じていた。悩乱してしまい、これといった策も思い浮かばない。だからといって、俺に「逃げる」という選択肢はなかった。
「……試験なんてどうでもいい。どうにかして残りのハンターを片付けよう」
「30分が限界だって言ったよね?」
「皆と一緒にハンターを連れて俺がいる場所まで誘導してほしい。んで、そのまま後方に逃げてくれ。後は俺がやる」
とは言ったものの、俺の身体は小刻みに震えていて自信のなさが表れていた。大猿に払い除けられたことはあっても、ハンターに肉を噛みちぎられたことは一度もない。俺にはその痛みがわからない。だからこそ余計な想像をしてしまい恐怖心に駆り立てられる。
それに、俺が失敗したらどうなる? 不安や恐怖に邪魔されて言霊が発動しなかったら?
死体はこれだけじゃ済まないだろう。しばらくすれば後半組がこちらにやって来るし、彼らは全員人間なのだ。
そうこう考えている間に、デスは動ける混血者に作戦を伝えて回っていた。レンはというと、頭を掻きながらデスが行った方向をただ眺めている。
「ここに残るのか?」
「なにをする気かわからないけど、そっちに着いていくよ。1人だと死んじゃいそうだし」
意外だった。俺にあまり良い印象を抱いていないはずのレンが、まさか心配をしてくれるだなんて。だが、心強い。
「湖から離れよう。時間がない」
黙ってこちらに着いてくるレン以外に、別に後に続く者がいた。跪いていたハンターだ。レンを追い越して、まるで飼い主と散歩しているペットのようにして俺の横を走っている。
「さっきから思ってたけど、そいつなんなの? ハンターにしては変じゃない?」
「俺にもわからない。だけど、また新しい情報が手に入るかも」
視界が開けた場所を発見したため、隣にいるハンターを無視することにした。そして、こちらに向かってくる足音を感じながら目を閉じて大きく深呼吸をする。
言霊で全ハンターを処理するのは不可能だろう。でも、やるしかない。少しでも数を減らすんだ。業火防壁なら、きっと上手くいく。
一人、また一人と、俺の両隣を通り過ぎていく混血者達の風が肌に当たった。全員が遠くに行ったのを確認してレンが声をかける。
「行ったよ」
「この場には俺とレンしかいない。ってことは、真っ先に喰われるのは俺たちだ。いいのか?」
「別に構わない。面白そうだし」
ハンターの声が次第に大きくなってきた。遅れてやって来る人間を追ってきたハンターはもうすぐそこまで来ている。
怖い――。それでも、固く閉ざされた瞼を開きハンターを視界に捉えた。そして、近くにいるハンターと目が合う……はずだった。
しかし相手は違った。俺の予測に反して、津波のようにして襲ってくるハンターが眼前に広がっていたのだ。あの時と似ている――。高く積み重なって、壁のようになっている。
「いやいや、無理でしょ、これ」
さすがのレンも硬直している。
このままだとレンが死んでしまう。でも、次の手なんて用意していない。
「ナオト!! お前、ふざんけてんじゃねーぞ! 何の為に俺が青島班に残ったと思ってんだ!」
滑り込むようにして現れたのはイオリだ。
「……言ったよな。最後まで見届けるってよ」
俺達は津波に襲われた。そうしてまた、ハンターに閉じ込められたのだった。




