第1話・最弱、前夜祭で打ちひしがれる
いよいよ上級試験まで一週間をきった頃。
南光の国までは数日かかるため、北闇の国では下級歩兵隊の昇格を願って少し早めの前夜祭が開催された。天候にも恵まれ、生暖かい風が吹き抜ける北闇は蒸し暑い。
大勢で賑わう祭りでは、俺たち兄弟が歩いても、隣にイツキがいても誰も気にしていない。イオリと合流しても、誰も冷やかしや不服を口にする人はいなかった。
浴衣姿でおめかししている人もいて、家族と一緒に祭りを思う存分に楽しんでいるようだ。それに比べて俺達は、もう着慣れた戦闘服に身を包みながら夜店に並んでいる食べ物を頬張っている。
「ほらナオト、お前ももっと食えよ。いつ任務が入るかわかんねぇんだからさ」
「俺はヒロトみたいに大食いじゃないから。っていうか、お腹いっぱいだし」
差し出された食べ物を押し返しながら、目は自然と仲間に向いた。熱かったのか、口の中ではふはふと小刻みに息を吐きながら食べるイツキ。それを見て笑うイオリ。仲間とこんな時間を過ごすのは初めての経験で、なんだか違和感を抱かずにはいられなかった。
いや、これまでが異常だったのだ。
護衛中は常に三種の存在を警戒し、そのうち二種を相手にした時は死を間近に感じていた。その間は一秒たりとも気を抜ける余裕などなく、脱力感に襲われるのは家に帰ってからだ。
こんな日がいつまでも続けばいいのに――。
怯えて暮らすのではなく、平穏な毎日を過ごせたらどんなに幸せだろうか。
行き交う人々や通りに向かい合って並ぶ夜店、風に運ばれてくる様々なニオイはこの世界では珍しい。広場の中心では重ね合わせた木材に火がつけられ、炎と煙が夜空を焦がしていて、祭りをより盛り上げている。
死ぬかもしれない試験に送り出すための祭りではなく、年に一度の季節を感じる楽しい祭りなはずなのに。
仲間の笑顔を見ていると、もっと別の意味で楽しめたらと思わずにはいられない。
そこへ、ヒロトの元へ誰かがやって来た。
「ヒロト見っけ! 思う存分楽しんでるみたいだね」
声をかけてきたのは、ソウジの配下である大刀華レンという子だ。レンは俺に千切れかけの金魚の糞というあだ名をくれた男の子である。
隣にはもう1人いる。ぽっちゃりとした体型に似合う骨付き肉を片手に温和な雰囲気を纏いながらレンの隣に立っているのは、片倉ダイチという子で、この子もソウジの配下だ。
ソウジには配下が4人いて、中でもレンはよく俺にちょっかいをかけてきた。
レンはぱっと見、女の子と勘違いされるような顔立ちをしている。だけど、これでも配下だ。
「やっぱり強いのかな」
小さな独り言にイツキが答えてくれた。
「それぞれ役割があるって感じだよ。攻守バランスのとれたタイプもいるし、レンは根っからの攻撃型、ダイチは防御型で、司令塔みたいな子もいる」
「防御型ってどういう役割だよ」
「身をもってソウジの盾になる守護的存在。配下の中ではダイチが一番身を危険にさらしているかもしれないね」
見た目で決めつけるのはどうかと思うが、ダイチは壁になって守ってくれそうだ。しかし、レンは意外だった。ふわふわで口どけのよさそうな薄ピンク色の綿あめを食べている彼からは、そんな空気が感じられないのだ。
攻撃型というよりは、人懐っこくて何かあれば一目散に逃げだしそうな小型犬みたいな子だろう。
こちらの視線に気づくと、俺の顔を覗きこむようにしてレンが近づいてきた。
「やっほ、弟君。ちゃんと話すのは初めてだよね?」
「そうだけど……」
「ふーん、これがヒロトが大事にしてる弟君かぁ。相変わらず弱そっ!」
「――っ、なんだよ、お前」
「別に、思った事を言っただけ」
綿あめを口に運んだレンは、それが溶けるのを待って続ける。
「なんでだろうね。どうして弟君の方なんだろ。神様は何を考えているのかな」
それを聞いて、ヒロトはレンの肩を強く掴み自分に振り向かせた。訓練校に通っていた頃、こうやって何度かちょっかいをかけられた事があって、その度にヒロトが間に入っていた。だけど今回は、今までに見たことがない表情だ。
「ヒロト、俺は気にしてないから!」
慌てて止めに入るも、ヒロトと目が合うと思わず息を飲み込んでしまった。
「うるせぇ、黙ってろ。レン、ふざけるのも大概にしろよ」
ヒロトの掠れた低い声で、祭りの賑やかな空気は一瞬にして消え去ってしまう。まるでここだけ別空間みたいに、目の前にある夜店の並びとの間に見えない壁ができてしまったかのようだ。
「冗談だって」
「冗談に聞こえねぇんだよ」
「……だって気に食わないじゃん。今だってほら、弟君はいつの間にかヒロトの後ろに隠れてる。いつだってそうだよね。小さい頃からずっと守られてばっか」
「黙れ!」
怒鳴ったヒロトは、そのままの勢いでレンの左頬を殴り飛ばした。よろめきながら倒れかけたレンをダイチが受け止めてくれたおかげで大きな怪我をせずに済んだようだが、そんなことはどうだっていい。
(俺は……また……)
無意識だった。気がつけば目の前には揺れる金髪があって、幼い頃と変わらず俺はヒロトの背後に立っていた。
ヒロトを超えるのはそう簡単なことではないと突きつけられた瞬間だった。染みついた習慣か、それとも臆病者ならではの行動か。とにかく、こみ上げてくる恥ずかしさと虚しさと苛立ちで、その場から逃げるように走り去る。
そんな俺を追いかけてきたヒロトは、横を追い抜いて行く手を遮った。肩で息をする俺と違い、整った呼吸のまま薄紫色の瞳同士が合う。
何気なくヒロトの左手を触ると、さらにどん底に突き落とされた。
「熱くないってことは、自己暗示で俺を追い抜いたわけじゃないんだな……」
適度に温もったその手にどこか届かない場所が痛み始めた。目の奥が熱くなり、歯を食いしばっても静かに頬を伝い流れていく。俺の後ろには、イツキ達も追って来ていた。
「なぁ、ナオト。俺たちはいつも通りでいいんだって。レンの言うことなんか気にするなよ」
「違う! 俺はっ……」
ヒロトを超えたくて、ヒロトと比べられたくなくて、そして――。
「守られるだけの存在じゃない! 俺だって戦える!」
「んなこと俺にだってわかってんだよ!」
「何もわかってないっ……」
見慣れたはずの揺れた金髪――。
それは少し前までなら当たり前のことだった。喧嘩ばかりしていたあの頃は、呪われた兄弟だと冷やかされて国を歩きづらくても、それでも安寧を感じていた。この金髪が目の前にある限りこれ以上の最悪なことは起きないと思っていた。
だけど、気いつの間にか金髪は遠く離れたところで揺れていた。隣には俺じゃない誰かがいて、力にも差が付いて、目に見えて明らかとなったそれを周囲は比べ始めた。
「何もわかってないのは弟君、そっちの方だよ。イライラする」
こうなった元凶ともいえるレンまでやって来て、俺は急いで涙を拭った。
「弟君はさ、いつもヒロトの背中ばっか見てるじゃん。だからヒロトがどんな顔で前に立ってるか知らないよね、きっと」
「どういう……意味だよ……」
「自分の事しか考えてないってこと。たまにはヒロトの立場になってみなよ。……てなわけで、俺達はここで解散。ソウジが全員集まれってさ」
一言も言い返すことが出来なかった。
「ナオト、帰ろう」
「でも、俺……」
「いいから、帰るぞ」
「うん……」
イツキ達と別れ、賑わう夜道を黙って歩く。俯いていた視線を上げると、そこにはやはり揺れる金髪があった。
「いつまで俺を守るつもりだよ……」
声に歩みを止めてヒロトが振り返る。
月夜の国でもそうだった。ヒロトは俺が自分のことを「弱い」と言った言葉に対して何も答えなかった。訓練校を卒業しても、別の班になっても、あの頃と何も変わっていない。
「俺は兄貴だ。守るのは当然だろ」
「先に生まれたってだけじゃん!! それに、守られてたらまた馬鹿にされるだろ!!」
「俺が守らなきゃいけねぇんだよ」
「なんだよそれ!! 意味わかんねぇよ!!」
「とにかく、絶対に死なせねぇから。もう悲しまなくていいように、俺が変えてやっからよ」
「さっきからなに言ってんだよ……」
「いつか祭りだってもっと楽しくなるし、皆も今よりずっと幸せそうに笑ってる。そんな世界を造るのはナオト、お前の役目だ。それまで俺が守ってやる。だからもうなにも気にするな」
「気にするなってそればっかりじゃん。俺になにを期待してるのかわからないけど、レンの話しを聞いてなかったのか? 小さい頃から守られてばっかりって言われたんだぞ! それがどういう意味かわかってんのか!?」
「あんな言葉に意味なんてねぇんだよ!! いいからお前は俺の後ろにいろ!! 絶対に前に出るな!!」
どうしてヒロトの目に涙が滲んでるのだろう。なぜそこまで必死になって俺を守ろうとするのだろうか。
強引に腕を掴まれ、半ば引きずられるようにして家に向かう。俺がなにを言ってもヒロトは硬く口を閉じていた。
数日後、上級試験のため北闇を出た。新人三班を含め、北闇からは全十班の下級歩兵隊、隊長を除いた計41名が試験に挑む。
隊列から少し距離を置いて歩きながら、こちらを何度も振り返る仲間に胸の中で謝った。今は少し1人になりたい。




