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第5話・Aの正体

 緑の木々で覆い尽くされた道なき道を歩く。不思議な事に雪はなく、夜の世界が生み出す静寂な森で川のせせらぎが疲れを癒やしてくれた。森林を外れ、急流を見下ろすことのできる岩場を渡る。岩は徐々に高くなり、その奥で水しぶきが反響する音が聞こえる。


 どうやら洞窟へと向かうようだ。


 洞窟内は何ヵ所かで焚かれている火のおかげで明るい。そこには息を飲むほどの光景が広がっていた。深さにしておよそ100メートル。洞窟の中には大渓谷があり、下を澄んだ水が流れている。鍾乳洞の連なりは幻想的だ。まるで別の世界へやって来た気分だ。


 ここが隠れ家のようで、コウが座った。




『獣語で叫んでいる子どもがいると聞いたけれど、まさか侵入者が貴女様だったなんて。……お帰りなさい、ユズキ様。この日をずっと待ちわびていたわ』




 先程の感動は何処へやら。もう雪は降っていないというのに、コウの言葉に寒気を感じた。僕達は初対面だ。




『なぜ僕の名を知っている』

『本当に記憶喪失なのね。噂であればよかったのに』




 僕の脳は何一つ処理しきれないでいた。お帰りなさい、記憶喪失。たった二言ではあるが、それがとんでもない情報量のように思えるのだ。


 そもそも、僕の記憶が欠けているなんてあり得ない話しだ。僕がこの世界へ飛ばされた時、どうして冷静でいられたのか。それは、別世界が初めてではないからだ。俗に言う、転生。生死を繰り返しながら、かれこれ5000年は生きている化け物。それが僕だ。


 そして、最初に生誕したその日から現在に至るまで、僕は全てを記憶している。だが、この世界で生きた記憶は一欠片もない。




『……信じてないようね。じゃあ、これでどうかしら。貴女様は獣語を話せる。その理由は知らないでしょう?』

『ああ』

『それは、貴女様を育てたのが獣だからよ。私のような力のある獣の母乳で育ち、言葉を教わった。けれど、何が起きたのかユズキ様はこの世界から突然消え、言い伝えだけが残った……。どうやって戻って来たの?』

『帰ってきてもらうと言われて、強制送還させられた。……そうか、あの言葉はそういう意味だったのか』




 言い伝えとは「獣語を話せる者が現れるまで、その身を潜めよ」という内容らしいのだが、それを指すのが僕である事以外、全容を知らないそうだ。ともかく、本当に僕は記憶喪失のようだ。


 とりあえずは、Aの目的は果たされた。この世界に戻り、コウを見つけたわけだ。しかし、この先はどうしたらいいのだろうか。


 コウにこれまでの経緯を話してみた。




『そんな力を持っているのはラヅキ様だけよ!』




 急に声を張り上げ、目をギラギラとさせながら興奮気味に答える。




『そいつが僕を呼び戻したってわけか。それで、そいつは人か?』

『まさか、獣よ。ユズキ様がまだこの世界にいた頃、神に代わって頂点に君臨していた神聖なる黒い狼。私達の長よ』

『ちょっと待ってくれ。狼が神だと? 人を差し置いてか?』

『ええ。とはいっても、私はユズキ様と同時期に生まれたから、歴史は知らないの。語り継ぐはずのラヅキ様は、ユズキ様が消えたのと同時に行方知れずになっちゃったから。でも、生きているっ』




 まるで救いだと言わんばかりに、瞳に希望を宿したコウ。いったい何があったのだろうか。どうして体を震わせて泣くのだろう。


 そこへ冷気が流れ込んできた。僕の全身に抱きつくようにまとわりついてくる。そして、耳元で囁かれた。




「彼女、仲間を失ったばかりなの」

「――っ!?」




 腰をねじって振り返った。生気を感じられない青白い肌に、僕と同じ真っ白の髪の毛。幽霊のような見た目をした成人したばかりくらいの女が立っているではないか。しかも半透明だ。




「初めまして、ユズキちゃん。私はアマヨメ。コウのお友達よ」

「お前、何者だ……」

「あらやだ。あなたと同じ、気配のない生き物ってだけ。妖を見るのは初めてかしら?」




 半透明というだけで触れることはできるらしい。とても冷たくて、脈がない。髪には白い粉のような物が付着している。つまめば溶けて消えるそれは、雪だ。


 迷界の森――。


 そこは、足を踏み入れれば最期。磁気がなく、出口のない迷路のような森。時として、侵入者を惑わす雪が降るという。

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