【逸話】イツキの神様・2
声が届いた瞬間を、俺は忘れない。
涙で滲む視界の向こうで、木々の隙間から仰げる夜空に光を見た。ただの光ではなく、落下してくる物体が月光を浴びて光っているのだとわかった。それはすぐ近くだった。
「カミサマ!! ここだよ!!」
大きな声を張り上げた。カミサマに聞こえるように、肩が外れるくらいに手を伸ばしながら何度もカミサマと叫んだ。
斜め上を仰ぎながら走っていたせいかな。下り坂になっている斜面に気づけず、派手に転がり落ちた。
舌を噛むは、露出している肌は傷だらけになるは、頭を打ちつけるはで大怪我を負った。それでも俺は光に向かって走った。光はやがて見えなくなり、森の中へ消えた。途端に、どこへ向かえばいいのかわからなくなって立ち止まった。
追いついた闇影隊の中で、誰かが俺の背中にこんな言葉をぶつけてきた。
「今がチャンスなんじゃ……」
声に振り返ったのが間違いだった。おじさんと同じ、真っ黒な目が俺を見つめていたんだ。でも、おじさんは最後には優しかった。そう思った俺はまた混乱した。
この人達はどっちなんだろう? 俺を殺しに来たんじゃないの? それとも、お父さんがいる場所を教えてくれるの? カミサマの所に案内してくれるの? なんて疑問が一気に溢れかえってくる。
それも束の間――。
「だよな。ハンターに喰われたって事にしてしまえばいい。脱走したのはこいつなんだし」
「何を馬鹿なことを! いい加減目を覚ませ!」
「お前らこそ現実を見ろよ! こいつは母親を喰い、闇影隊を殺した! それだけでも罪を犯しているだろう!」
「お互いに落ち着きなさい。中にはアレを見ていない者もいるのだから、説得するなんてまず不可能よ。逆もしかり。あなた達も自分の目で見ていないのに、噂だけで判断しないでちょうだい」
「しかし、黄瀬さん!」
「黙りなさい。子どもの前で話す内容じゃないわ」
ついに俺の頭はパンクした。誰も何も教えてくれないのに、勝手に話しが進んでいく。理解出来ない事が増えていく。何も知らないのに俺を殺そうとする。みんな、黒くて冷たい――。
と、その時だ。ヘソの辺りが熱くなり、どこからともなく声が聞こえてきた。
(もう限界か)
「だ、誰?」
耳元で聞こえるはっきりとした声なのに、辺りを見渡しても人の姿はどこにもない。声はお構いなしに喋り続けた。
(私の事はどうでもいい。それよりも死にたくないのだろう? ならば、さっさと身を任せろ。私にならあの者達を遠ざけることが出来る。その後は遠くへ逃げるのだ)
「いいの?」
(ああ、構わん。ただしそう時間はない。この封印は強固なものが故に、またすぐに眠らされるだろう)
声が言った。「さあ、目を閉じろ」、と。俺は言われた通りにした。周りは騒がしかった。「いったい誰と話しているの?」やら、「気味が悪い」やら聞こえてくる。
すると、冷水に静められたみたいに身体中が芯から冷え切った。それから瞼が開いたような感覚がした。初めは真っ暗だったけど、しだいに見えるようになった。辺りにはモノクロの世界が広がっている。
(この力をお前に授けよう。私の力、闇だ。彼らを牢鎖境という闇の檻に閉じ込めているが、お前には見えているだろう?)
「見える……、すごい!!」
(お前は自由に出入りできる。ただ、完璧ではない。後は自分で鍛えるのだ。さあ、行け)
「待って! どうして俺に優しくしてくれるの?」
(お前が死ねば私の身も滅ぶからだ。私が死ねば……、まあいい)
「どうしたの?」
(とにかく急いで離れろ。今お前の精神は不安定だ。この状態で人と接すれば自我を保てなくなる。いいか、腹が熱くなった時は1人でいるのだ。そろそろ時間のようだ。さようならだ、哀れな子よ……)
牢鎖境を出て当てずっぽうにカミサマを捜し回った。この時、声の指示に従って逃げればよかったのに、俺はカミサマを優先したのだ。そのせいで闇影隊に十分な時間を与えてしまい、まだ完成していなかった牢鎖境は解かれてしまった。
闇影隊を目の前にすると、俺の腹はまた熱くなった。それどころか、まともな言葉すら喋れなくなってしまった。
「あがっ……」
拳で何度も自分の腹を叩いてみるも、身体が強張っていくだけでどうにもならない。
「暴走状態だ! 全員、離れろ!!」
「ったく、タモン様はどうして生かしてるんだか!」
突然、背中に強烈な痛みが走った。背中を一気に裂かれたような感覚に加えて、爪が剥がれていく尋常ではない激痛。さらには、全ての骨がバキバキと音をたてながら折れていき、骨格や体つきが強制的に巨大なものへと変えられていった。
地面をのたうち回りながら絶叫し、痛みが引くと今度は自分の身体に恐怖した。背中を触ると甲羅があり、皮膚はひとつひとつが硬い鱗で覆い尽くされ、なおかつ黒っぽく変色していたからだ。しまいには指の間に水かきまである。
まるで、カメだ。
「誰か、この状況を説明してくれ……」
騒然となった隙に俺はまた走った。しかし、甲羅のせいで身体は重く思うように足は進まなかった。
「ガミザマ……、ダズゲデ……」
振り絞った声はがさがさで、さらに不気味さを際立てた。
もう頼れるのはカミサマという見えない存在しかなかった。呪文のようにカミサマと唱え続けると、醜い姿へと変貌してしまった身体が徐々に元通りになっていく。それくらい、俺にとってカミサマの存在は大きかったのだ。
闇影隊は距離を置きながらも俺を逃がすまいとしていた。互いに向き合いながら、俺は少しずつ後ろに下がった。
茂みが背中をくすぐる。一歩、また一歩と踏み込む度に闇影隊は両手を前に出して止まるように訴えかけてきた。今ならわかる。ハンターを呼び寄せてしまうからだ。
しかし、ずっと鍛錬場に住んでいた俺に、ハンターの〝ハ〟の字もないわけで。脳が発信する危険信号に逆らうことなく、まだ痛みが残る身体を引きずりながら後退した。
すると、闇影隊の視線が俺から外れた。全員の歩みが止まり、互いに顔を見合わせると、また騒がしくなる。
黄瀬隊長が、俺ではない誰かに声をかけた。
「なぜこんな場所に……。あなた、こっちにいらっしゃい」
黄瀬隊長の視線を追うようにゆっくりと振り返えると、そこには女の子が立っていた。
女の子は俺を見るなり、手首の関節から黒光りを放つ太い爪を出した。半獣化や半妖化をするわけでもない。ましてや、言霊の一種でもない。不思議な現象に闇影隊の目つきが変わった。
女の子は言った。
「呼ばれたかと思いきや、次はこれか」
その瞬間、俺はすぐに気づいたんだ。身体中に傷を負っている姿を見て、空から降ってきた光の正体が、今まさに目の前にいる女の子であることを。
俺の声が届いたのだと確信した。風船が膨らんでいるみたいに胸はぱんぱんになって、すでに闇影隊などどうでもよくなっていた。
恐る恐るカミサマの指に触れると、感じる温もりに涙が頬を伝った。指を絡めるように握って、俺はカミサマの黄金の瞳をじっと見つめた。カミサマは自分の背中で俺を隠した。そして、問われた。
「お前、名前は?」
「化け物……」
「……事情は後で聞く。一先ず休め」
これがユズキとの出会いだった。
狭くて苦しい世界。あの頃の俺に生きる希望などなかった。だけど、カミサマの存在を知ってからは無意識に生きようとした。そのユズキが側にいない。俺は生きる希望を失った。
けれど、ナオトと出会ってしまった。
寒空の下で思い起こす。いつだったかユズキはこう言っていた。「なぜだか守らなきゃいけないって気にさせられるんだ」、と。不思議な事に、それが理解出来る。
ナオトが走流野家の人間だからではない。引き寄せられるのだ。自ら盾になれるほどに。
ほら、身体が勝手に動く。
ユズキが俺を守ってくれたように、俺もナオトを自分の背中に隠した。そうして、やって来た青島隊長と距離を取る。




