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【逸話】鬼の女帝

 神霊湖に漂う濃霧の中に、もう一つ島が存在する。岩場と木くずだけの錆びた島だが、ここには昔、鬼が住んでいた。


 キトが歩みを止めた場所でキアキも立ち止まった。




「で、俺に何の用だ」

「ちょっと昔話をね」

「俺にそんな時間があると思うのか?」

「ふふ。寂しそうな顔をしているあなたにはいい息抜きになると思うのだけれど。それとも、この島のように枯れ果てたいのかしら」




 キトは何も答えなかった。キアキが言葉を紡ぐ。




「この大地には神とその配下、そして鬼しか暮らしていなかった。神に怯えながら、それでも争いとは無縁の平和な時代だった」

「白草がきて時代は変わった」

「シュテンがそう話したの?」

「ああ。戦から手を引いた、ともな」

「だけど、誤りだと知っているんでしょう? 〝その子〟にはわからなくても、あなたには、ね」

「……時代に混乱を招いたのは猫だ。自分こそ神に相応しいと勘違いしていたあの愚か者が、ジンムの改革を切り裂いた。オウガの先祖を言葉巧みに操り、神々を怒らせた」

「その通り。人間が海を渡ってきても、生き物が増えただけで特別変化はなかったわ。平和な大地に混沌が広がったのは、0の時代が訪れてから。前王家 対 現王家の内部争いに始まり、神々と前王家の戦。参戦しなかった鬼は次々に現王家に捕獲され、……白草家の腹に収められた」




 人々は空に届きそうなまでの膨大な怨念を抱き、鬼は殺戮の衝動に駆られた。特に、




「私はね……」




 ここで、ようやくキトはキアキに振り向いた。




「鬼の女帝・キアキ。まさかお前が復活するとはな」

「あなたに習ったのよ。人々の怨念はこの世に妖を生み出した。そうして〝その子〟に取り憑き、肉体を手に入れた」

「だが、どうやって本来の姿を取り戻した」

「私の肉体はカンムが保管していたの。あの人、ああ見えて優しさに溢れるお人好しなのよ。この島だってそう。カンムが発見して鬼を避難させたんじゃない」

「だからナオトを守るのか」

「ええ。恩には恩で返す。それが鬼よ。とはいえ、あなたは別のようね。……妖鬼が恋心を抱くなんて」




 視線を横に逸らし、キトは小さく息を吐いた。




「わざわざ俺の前に現れたは、恋について説きたいからではないだろう」

「ふふ、ごめんなさい。楽しくなっちゃって」




 スッ……と、キアキの顔から笑みが消える。




「オウガが隠蔽した歴史。もともと、獣と人は手を取り合って生きていたという真実。他にもあるけど、どうして話さなかったの?」

「あいつが望んでいる世界だからだ」

「ユズキ……だったわね。彼女が望んでいるのならなおさら不思議だわ」

「あいつの道は俺が広げる。だから伏せた」

「まるで逆のことをするのね」

「キアキ、お前には何もわかっていない。望むだけで手に入るのなら誰だってそうする。しかしそう甘くはない」

「テンリがいるからかしら?」

「あいつは関係ない。ユズキ自身の問題だ。人間らしさを取り戻しつつある。その状態で戦に挑めば確実に負ける。だが、俺の都合上そうはさせん」

「じゃあ、私と同じなのね」

「ああ、白草と鬼の時代を取り戻す。あの時代こそユズキに相応しい」

「ナオトを忘れないでくれるかしら。彼がいなければユズキはこの世界に残らないわ」




 キアキに言葉を返さずにキトは道なき道を歩き始めた。かといって適当に歩いているわけではない。キアキの瞳には、あるはずのない道が浮かんで見えていた。そうしてまた歩みを止める。




「……ナオトですめばよかったが、シガンが生きている」

「〝その子〟の幼馴染みじゃない。そして八鬼衆の1人でもある。何か問題でも?」

「八鬼衆のうち、5人を喰ったそうだ。あいつが次に狙っているのは俺の命だ」

「ふふ、愚かな子ね。差し違えてでも勝つつもりでいるのかしら」

「どうだろうな。だが、もし俺の殺害に失敗すれば、奴は目標を変えるだろう。狙われるのは白草の血筋であるユズキとナオトだ」




 言いながら、キトは瓦礫の山の中から表札を見つけ出した。ヒガンとその家族の名前が彫られている。


 目を閉じて笑みを浮かべたキアキ。キトへ背中を向けて反対の方へ歩く。




「……そう。あなたの作戦はわかったわ。本当に馬鹿な男。でも、嫌いじゃないわ」

「別にユズキを頼むつもりはない」

「はなっからお断りよ。ナオトで精一杯だわ。それに私はもう女帝ではない。あなたの好きになさい。きっと彼女は覚悟せざるを得ないでしょう。後のことはナオトに任せるわ」

「待て、キアキ」




 薄くなりつつある彼女が振り返る。




「オウガが隠蔽した歴史についてだが、俺の読みが正しければサキが勝手に行動に出る。あいつは0の時代以降について語れる唯一の生き物だ」

「そう……。ついに明かされるのね」

「カンムとラヅキは絶対に公にしないだろう。オウガとは違った意味で最も触れたくない歴史だ」

「私だって同じよ。終戦後の時代はあまりにも残酷すぎたわ」




 哀愁漂わせながらキアキは消えた。


 気配が完全になくなってから、キトは腹を抱えて笑った。




「ラヅキ、聞こえているか!? お前の目論みに付き合ってやる! ただし、ユズキを手に入れるのはこの俺だ! ユズキのもとを去った事にどんな理由があろうとも、俺は貴様を許しはしない!」




 あいつを泣かせる生き物は、たとえ神であろうとも敵とみなす――。


 濃霧の発生する神霊湖には2つの島が存在する。一つはラヅキの住処、そしてもう一つは、過去に〝鬼ノ島〟と呼ばれ王家に恐れられた島である。

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